第5章ー8
1942年のこの頃、ソ連軍と共闘している民主ドイツ軍の将兵の間では、先の見えない不安感から、徐々に厭戦感情が広まっていた。
更に、祖国ドイツの領土は、連合国軍の軍靴に踏みにじられており、餓死寸前の過酷な生活をドイツの人民は送っている、我々、民主ドイツはそれを解放し、ドイツの人民を幸せにせねばならない、という宣伝を民主ドイツ政府はソ連政府と共に行っていたが。
実際には、貧しくとも楽しい我が家ではないが、少しずつドイツは復興しつつあり、自由ドイツ政府が徐々に形を成しつつあり、ドイツは独立を取り戻しつつある、という情報、噂が、様々なルートを通じて、民主ドイツ軍の将兵に流れていた。
そういう状況なら、このまま異国の土になるより、祖国ドイツに還りたい。
寒いソ連、ロシアの冬を経験した民主ドイツ軍の将兵の望郷の念は募っていた。
そして、この5月から行われた連合国軍の大攻勢は、ソ連欧州領の西部の多くを制圧するという大戦果を挙げることに成功しており、多くの民主ドイツ軍の将兵の祖国奪還の希望を打ち砕くものとなった。
そういったところに、ロンメル将軍等が作成した伝単が、日本空軍の戦闘爆撃機から撒かれたのである。
銃爆撃が加えられると警戒していたところに、いきなり大量の伝単が降ってきたのだ。
多くの将兵が何か、と思わず拾い、その内容に驚愕した。
将兵の間に厭戦感情が広まっていたことを把握していた民主ドイツ軍上層部は、この伝単配布を把握次第、速やかに伝単を上層部に提出すように命じたが、多くの将兵はそれを手元に隠匿した。
これを示せば、安全に保護し、戦争犯罪を犯していなければ、祖国ドイツに帰国できるというのだ。
異国の土となるより、祖国ドイツに還りたい。
そう多くの将兵が考えて伝単を隠匿したのは、半ば当然のことだった。
「さて、どれだけ効果が挙がるかな」
石原莞爾中将は、悪い笑みを浮かべていた。
民主ドイツ軍の将兵に対する伝単配布は、石原中将の発案だった。
祖国ドイツから離れて1年余り、望郷の念が民主ドイツ軍の将兵の間に高まっている筈。
そこに身の安全を保障し、帰国できるというアメを撒いたのだ。
しかも、祖国は復興しつつあるという情報付きだ。
祖国ドイツ復興のために働きたい、という想いがさらに募るだろう。
実際、その効果は大きく上がった。
「何だ」
8月24日に攻勢を開始した日本陸軍や日本海兵隊の将兵は、驚愕しながら、進軍することになった。
多くの民主ドイツ軍の将兵が、自発的に武器を捨てて、伝単を示して投降する事態が多発したのだ。
慌てて、日本軍は、投降した民主ドイツ軍の将兵に食料を提供せねばならず、そのために進軍が滞る事態さえ発生してしまった。
「何か、祖国ドイツを思わせる食べ物は無いか」
そう投降してきたドイツ軍の捕虜に片言で聞かれた斉藤雪子軍医少尉は、半ば反射的にザワークラウトを出すように、看護婦に命じていた。
捕虜の衛生状態を確認し、伝染病を日本軍に蔓延等させないために、軍医は総動員されている。
「ザワークラウトか。微妙に思ったのと違う味だ。だが、故郷が偲べる」
その捕虜は、看護婦が持ってきたザワークラウトを食べながら、そうポツリと言い、涙をこぼした。
日本軍の捕虜が、味噌汁を味わうようなものなのだろうか。
そんな風に斉藤少尉は想った。
似たような光景が、投降してきた民主ドイツ軍の将兵を受け入れた日本軍の各部隊では見られた。
祖国奪還のためにソ連に脱出したドイツ軍の将兵を中心に編成された民主ドイツ軍は、この後、徐々に崩壊していき、1943年初頭には、独立した部隊としては姿を消すことになる。
そのきっかけに、この伝単はなった。
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