第5章ー7
とは言え、あくまでも少々苦戦、というレベルで米第1軍が持ち堪えているのも事実だった。
ソ連軍の限定攻勢が、ソ連軍の最高司令部が求めているような戦果を挙げるのは、徐々に困難な状況に陥りつつあるのは、敵味方の共通認識に徐々になっていった。
「いかんな。これはわしの命も危ないかも」
ソ連第2打撃軍の司令官であるウラソフ将軍は、徐々に命の危険を覚えるようになっていた。
1942年5月の連合国軍の大攻勢が行われた直後、連合国軍の攻勢を阻止できなかった、という理由で、その矢面に立ったソ連軍の軍司令官以上の司令官の過半数が、敗北主義者、祖国の裏切り者という罪名により銃殺刑に処せられている。
ウラソフ将軍自身は、共産中国軍指導のために中国に派遣されたり、対フィンランド戦争、いわゆる冬戦争でも師団長として戦ったり、という歴戦の軍人だった。
連合国軍による対ソ欧州本土侵攻作戦が発動された際には、キエフ方面の防衛に当たる第37軍司令官に任ぜられており、仏伊連合軍の攻撃を巧みに防衛することに成功していたが、ミンスク方面でのソ連軍の敗退と言った事情から、側面を脅かされてしまい、ソ連軍の最高司令部の許可を得た上での後退を余儀なくされることとなり、第2打撃軍司令官に転じたのだった。
その際に、これまでの軍歴に加え、キエフ防衛に奮闘したことから、レーニン勲章をウラソフ将軍は授与されてはいた。
だが。
ウラソフ将軍は、それだけの軍歴を持ってはいるが、最初の妻が、いわゆる富農出身の医師であったことから、大粛清の嵐が吹き荒れた際に、反革命の嫌疑を自身が受けてしまい、身の潔白を示すために、最初の妻とは離婚した身でもあった。
ちなみに最初の妻は、離婚後に思想矯正という名目で、強制収容所に送られている。
その後、別の女性とウラソフ将軍は再婚したが、後妻からNKVDに監視されているという、秘密の手紙がウラソフ将軍の下に届いていたのだ。
この限定攻勢に成功することで、身の安全をウラソフ将軍は図ろうと考えていたのだが、実際の戦況は逆にウラソフ将軍の身の危険を高めつつあるというのが現実だったのだ。
そして。
連合国軍の占領下にあるドイツでは、徐々に復興が見られるようになっていた。
また、連合国軍が占領下に置いたソ連領内では、住民間で差別が見られるものの、少なくともある程度の住民自治が認められ、それなりには暮らせているという情報がウラソフ将軍の耳に入るようになっていた。
「場合によっては、非常の手段、連合国軍への投降、というのもよいかもしれない」
そんな想いが、ウラソフ将軍の脳裏をかすめるようになっていた。
更に、それを後押しする事態が起きようとしていた。
「伝単の準備は出来たか」
「はい」
鴛淵孝中尉は、列機の面々に再確認した。
「よし、これを大量に撒こう」
鴛淵中尉は、愛機の雷電に乗り込み、部下と共に離陸した。
欧州にいる日本の陸軍、海兵隊が総力を挙げて行うエストニア方面への侵攻作戦。
本来なら、日本空軍の各部隊は、それを直接支援する任務に当たるのが、妥当な筈だった。
だが、日本空軍の誇る戦闘爆撃機、雷電を装備し、鴛淵中尉が所属する部隊は、別の任務に当たることになっていた。
「この辺りに展開しているのは、民主ドイツ軍の部隊の筈だな」
暫く飛行した後、鴛淵中尉は、そう呟くと、大量の伝単を空から撒いた。
その行動を見た列機も同様の行動を取る。
その伝単の内容は、というと。
「これは」
空から撒かれた伝単を拾った民主ドイツ軍の兵士の多くが絶句した。
ロンメル将軍を筆頭に、連合国軍に投降したドイツ軍の将兵が作成した民主ドイツ軍の将兵への投降を促す伝単だったのだ。
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