第5章ー3
日本から派遣されてきた井上成美空軍中将も、空軍の立場からの発言を述べた。
「正直に言って、日本空軍としても、戦況を楽観視することはできない。何しろ、戦略爆撃の効果が挙がっていない、と言っても過言ではないからな。シベリアの奥地にまで、ソ連の工場の多くが移転済みだ。だから、懸命に戦略爆撃を米英と協力して、日本空軍も行ってはいるのだが、どうにも効果が挙がらない」
その言葉に、その場にいる日本空軍の面々も肯いた。
実際問題として、ベルリン陥落、独本土制圧、ポーランド等解放により、連合国の次の目標が、ソ連欧州部への侵攻作戦である、と正しく見切ったソ連政府は、ソ連西方の工場の多くを、ウラル山脈以東のシベリアの奥地に、連合国軍が侵攻する以前に速やかに疎開させていたのである。
このために、連合国軍の半ばお家芸と言える戦略爆撃は、ソ連に対して大きな効果が挙げられない、という事態が引き起こされていたのだった。
最後にその場を締めくくったのが、土方歳一大佐だった。
「遣欧総軍司令部を代表して、各国の軍司令部等と協議した結果を申し上げますと、第二次攻勢の準備が整うのは、北方軍集団においては、8月中には何とかなるでしょうが、中央軍集団では9月初めが精一杯、南方軍集団では、更にずれ込む公算大です。それだけ後方の整備には予想以上の物資と時間が掛かっています」
この土方大佐の言葉は、その場にいた将官の多くにうめき声を上げさせた。
南方軍集団の攻勢準備が完全に整うのを待っていては、攻勢を始めて早々に、泥濘期に突入するという事態が起きかねない。
かと言って、北方軍集団だけなり、北方軍集団と中央軍集団だけで攻勢を開始するのは妥当なことなのだろうか、という疑念を、その場にいた将官の多くが覚えたからだ。
そのうめき声を聞いた土方大佐は、次の言葉を言うのを躊躇ったが、石原莞爾中将の無言の圧力に負けて、言葉を続けざるを得なかった。
「更に問題が出ています。ある意味、コインの裏表と言っても良いのですが。連合国が、ソ連内部の民族、宗教対立を扇動した結果、ソ連内部においては、民族、宗教の過激派が伸長している気配があります。具体的には、ロシア民族主義、東方正教主義です。実際問題として、伊等は対ソ十字軍の主張をしています。その十字軍という言葉が、東方正教の信者の間では、いわゆる第4次十字軍のコンスタンティノープル攻撃を思い起こさせることに、伊等は無頓着です。ソ連政府は、宗教は阿片だ、という共産主義の建前から、表立っては言えませんが、東方正教会を相手に、モスクワを第三のローマとして守らねばならない、と訴えており、敵の味方は敵の論理から、東方正教会の上層部にもソ連政府と連携する動きがあるようです。実際、東方典礼カトリック教会を、我々は対ソ戦の観点から支援しており、東方正教会が、我々を敵視するのも半ば当然の所があります。本当に厄介な状況です」
土方大佐の長広舌は、列席する日本軍の面々に暗い状況を予感させるのに、充分なものだった。
中国内戦介入、いや、日清戦争時の台湾民主国征服以来、日本軍は、民族主義者との戦争を何度も繰り返してきたが、それは血を血で洗う凄惨な戦いになるのが常だった。
そんな戦いを、対ソ欧州戦線でもせねばならないのだ。
それまで沈黙していた遣欧総軍の総司令官、北白川宮成久王大将が、声を挙げた。
「本当に厄介な話だ。だが、我々は、そんな戦いを遂行せねばならない。最善を尽くそう」
その言葉に列席していた面々は肯かざるを得なかったが、その後のどうすべきか、という点で、議論が完全に割れて、喧々諤々の大論争を行わざるを得なかった。
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