第4章ー7
自分以外のことになると、土方千恵子は、それなりに勘が働く。
ラース・ビハーリー・ボースの表情を見て、何か別の事まで思ったのだと分かってしまった。
聞くべきことではないかもしれない、だが、聞けるときに聞かないと。
千恵子は、ボースに思い切って声を掛けた。
「何か心配事、気に掛かることでもあるのですか」
「いえ、大したことでは」
そう反射的に口に出した後、ボースは再考した末、思い切って内心を吐き出すことにした。
よく考えたら、目の前の女性、千恵子の夫、土方勇は、自分の息子、防須正秀の半ば上官ではないか。
家族が同じ戦場にいる身内として、腹を割って話すべきだろう。
それにそもそも、彼女と私は、知人というより、最早、友人の間柄だ。
「お産を済ませたばかりのあなたに言っていいものか。迷う話というより、話すべきでない話かもしれませんが、思い切って言わせてもらいます。この幸子という子が、物心つく頃までに、私の本来の祖国インドが、その周囲が平和になって欲しい、とあらためて想ったのです。そして、あなたの夫や私の息子が、いつ戦場から還って来れるのだろうか、と不安になったのです」
ボースの言葉に、千恵子は思わず息を呑んだ。
最近、自分も考えたことではないか。
「本当にそうですね。インドが、ソ連の中央アジア一帯が、また、ウイグル、チベット等々、ユーラシア大陸の広い一帯が、武力闘争の舞台になっています。この第二次世界大戦は、民族、宗教間の対立という禁断の箱を開けてしまったのかも。自分達の民族国家、宗教国家を作ろうとする動きは収まる気配が無く、インドは複数の国家に分裂しかねない勢いを示していますね」
ボースの言葉に対して、千恵子は考え込みながら、そう答えた。
「ええ、私の下にインドの知人から入っている情報も深刻さを増すばかりです。色々なところからインドには武器が流れ込み、また、流れだしているようです。ウイグルやチベットの民族運動支援のために、日米が提供した武器がインドにまで入り込んだり、また、イスラム諸国からインドのイスラム教徒支援のために密輸出された武器が、どこをどう流れたのか、ウイグルやチベット方面に流れ込んでいるという混乱が起きているとも聞きます」
ボースは、やや長広舌を振るった。
「それなら、必然的に武力衝突も深刻化する一方では」
「ええ、インドでは宗教、民族の違いから来る報復殺人が、複数起こらない日は無い有様だそうです。ガンジーやネルーといった有力な指導者が、インドにとって失われたことは大きい。私もそれなりの立場にはあるのですが、今更、日本から下手に呼び掛けると、安全な外国から何を言う、と反感を買いかねない、とインドの知人から忠告を受ける有様です。かと言って、インドの現地では、お互いの悪感情が高まる一方で収まる気配が無い」
千恵子の問いかけに、ボースは胸の中に溜まったものをさらけ出した。
千恵子とボースの間には、重い空気が漂い、静かな時が流れた。
せめて、武器が大量に世界に流れ出しているのを止めるべきなのだろう。
だが、今の世界大戦下においては、そのことさえも困難だ。
連合国も、ソ中独もお互いの後方を撹乱しようと、敵の敵は味方の論理から、敵国の反政府武装勢力に武器等を大量に提供している。
そういったことから、中立諸国も半ば公然と武器を売る事態が多発している。
こうなっては、事態が悪化する一方になってしまう。
千恵子とボースは、そうお互いに想いを巡らさざるを得なかった。
「言ってはならないかもしれませんが。お互いの家族には生きて還って欲しいものです」
「全くです」
千恵子はそう言い、ボースもそれだけしか言えなかった。
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