第4章ー4
やや横道にそれた話になります。
土方千恵子は、その他の情報、新聞記事をあらためて精査して自分の記憶を確認しつつ、自らの想いに耽ってしまった。
この第二次世界大戦の結果、女性の働く場は大幅に広がるだろう。
だが、第二次世界大戦の後、どうなるのだろうか。
幾ら多くの男性が戦死傷しているとはいえ、生きて還る男性も数多居ることは間違いない。
そういった男性が還ってきたとき、女性は素直に家庭に戻ることになるだろうか。
いや、そうはなるまい、それこそ(ある意味、私の義妹になる)村山幸恵の異父妹、村山美子が、いい例ではないか。
第二次世界大戦が始まる前の日本では、家制度が大前提となっていたと言って良い。
だが、第一次世界大戦でそれが揺らぎ、第二次世界大戦で崩れつつある。
第一次世界大戦で日本は欧州に派兵し、欧州で延べにすれば数十万人が戦い、欧州の事情に肌で触れた。
また、現在(1942年)とは比べ物にはならないとはいえ、女性の職場進出も結果的に促された。
そうしたことから、家制度に対する疑問、個人の尊重が、徐々に主張されるようになった。
更に、大正デモクラシーにより、民本主義が唱えられるようになり、その結果として、憲法に手こそ加えられなかったものの、法律が創設、改正されて、労働三権(団結権、団体交渉権、争議権)が認められたり、婦人参政権等が認められたり、するようになったのだ。
こうなってくると、ますます家制度の維持が難しくなってくる。
家制度は、基本的に戸主の指揮下に家族を置くものだ。
そして、その戸主はほとんどが男性で、妻は無能力者扱いされている。
しかし、これは昨今の実情にさっぱり合わなくなっている。
労働契約を締結するにしても、夫の同意が無いことを理由に、一方的な態度を既婚の女性労働者に取られては、安心して企業は女性の雇用ができない。
だから、既婚の女性を本音では、企業は雇いたがらないが、かと言って、既婚の女性までも雇わないと戦時下の生産は維持できない。
それに、未婚であっても途中で結婚、寿退社等されては、ますますもって戦時下の企業にとっては困る事態になる。
全くの新人を教えるというのは、手が掛かる話だからだ。
だから、財界は本音では何とかならないか、妻の無能力というのは止めてほしい、と思っている。
そして、女性自身も結婚を本音では忌避するようになりつつある。
自立して稼げるのに、何で結婚して家に入って無能力者にならねばならないのか、という想いである。
昨今、労働組合の担い手に女性が増えつつあり、そういった面々を中心に妻の無能力制度を廃止する等、家制度の改革を訴える声が高まりつつある。
もっとも、労働組合と言っても、必ずしも一枚岩という訳ではなく、企業内で職種別に複数の組合があるのが当たり前だ。
例えば、一つの企業内で、工員の組合と事務員の組合が並列しているのだ。
公務員の職場でも、そういった事態が起きていて、例えば、裁判所内では、裁判官の組合と裁判所職員の組合が並列している。
職種別の組合が当たり前なので、同系列の職種の組合同士の方が、同じ企業内の組合同士よりも仲が良いというのが当たり前にある。
だから、職種の問題から、男性ばかりの組合というのもそれなりにあり、そういったところでは、女性問題には消極的だ。
とは言え全般的には組合内部で女性の力が強まりつつあるのは間違いない。
そして、こうして組織化された声は必然的に強まっていく。
千恵子は想った。
この世界大戦が終わった後、日本の女性の声は高まるだろう。
一旦、高まった女性の声は、中々収まらないだろう。
多分、昭和20年代中には、民法の家制度は大幅な改正を余儀なくされてしまうのではないだろうか。
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