第3章ー5
話を戻すと、1942年5月半ばに、日米連合軍は、共産中国を打倒するための大攻勢作戦を発動した。
米軍は基本的に北京近郊から、山西省、河南省、湖北省を経由、制圧しつつ、いわゆる武漢三鎮を目指す一方で、日本軍は広州方面と南京近郊から、主力は広西省、湖南省、安徽省を制圧しつつ、武漢三鎮を目指す攻勢作戦を発動するというものである。
なお、この攻勢が完全に成功した暁には、浙江省、江西省、福建省、広東省、海南省の共産中国勢力は、現在、共産中国が臨時の首都としている四川省の成都から完全に切り離されることになり、抗戦継続が困難となって、日米連合軍の前に、速やかに降伏を余儀なくされ、いわゆる満州国、蒋介石政権の統治下におかれるもの、とも事前段階では考えられていたのである。
そして、共産中国政府は、最前線での抗戦には余り、期待を掛けてはいなかった。
それこそ、1937年の中国内戦勃発に伴う日本軍介入以来の軍事戦略に、忠実と言えば忠実に中国本土奥地へ日米連合軍を引き込むというのを基本戦略、作戦として採用していたのだ。
だからこそ、その後に起こった事態は、お互いに事前想定通り、という奇妙な話になった。
「共産中国軍の抵抗は極めて軽微です。それこそ現地の住民から成る民兵隊が、抗戦の主力となっており、共産中国軍の正規兵は、最前線にほぼ出ておりません」
前線からの報告を取りまとめた情報士官からの報告を、岡村寧次大将は渋い顔をしながら、無言のままで聞かざるを得なかった。
「何か間違ったことを言いましたか」
その表情を見た情報士官が、恐る恐る岡村大将に尋ねたが、岡村大将は無言のまま、身振りでもういい、と示して、その情報士官を半ば追い払った。
「もう少し、暖かい態度を示すべきでは」
さすがに見かねた今村均中将が、口を挟んだが、岡村大将の渋面はより深くなった後、口を開いた。
「分かってはいる。だが、余りにも腹立たしくて、どうにも口を開けなかった。共産中国政府め、我々を奥地へと引き込み、更に中国本土の住民を、反日、反米に駆り立てようとしている。そして、それを我々には食い止める手段がほとんど無い」
その言葉に、今村中将も、無言のままで肯かざるを得なかった。
岡村大将も、今村中将も、できる限り、住民の被害を軽減し、共産中国政府を崩壊させて、蒋介石政権の統治下で、中国本土を安定させようと考えてはいる。
(なお、蒋介石と、岡村大将や今村中将の、中国本土の定義が違うことは言うまでもない。
チベットやウイグル、モンゴル全てが、蒋介石に言わせれば、中国本土だが、岡村大将や今村中将に言わせれば、チベットやウイグル、モンゴルは、中国本土外で独立するのが相当、と考えているのだ)
しかし、共産中国政府が、住民から民兵隊を編制して、それを前面に押し出して、こちらの攻勢に対処してきている以上は、こちらも民兵隊に対する攻撃を行わざるを得ない。
そして、それは当然のことながら、民兵隊を構成する住民を、こちらが殺傷することになる。
共産中国政府は、住民に対する無差別殺戮、虐殺を行いながら、日米連合軍は侵略を続けていると非難を続けており、最前線の状況を表面だけ見れば、共産中国政府の宣伝は正しい、と言わざるを得ない。
そして、実際に我々の進撃の経路に当たっている共産中国政府の統治下にある住民は、そのような状況を実際に見聞きし、共産中国政府の宣伝の正しさに確信を持って、我々を攻撃してくる、という事態が多発している。
岡村大将は、この余りにも重すぎる現実に溜息しか出ず、気が重くなった。
とは言え、こちらも住民から成る民兵隊を攻撃しないこと等、出来る訳が無かった。
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