第2章ー12
アラン・ダヴー少佐は、長広舌を振るって疲れたので、一息ついた。
それを見たグランデス将軍は、これで終わりか、と思ったが、ダヴー少佐は周囲を念のために見回した後、声を潜めた。
「ここまでは、表立って言える話です。残り半分は、報告書の中を将軍が読み込んだ後、将軍の方から質問してください」
「表立って言えない話も、報告書に書いてあるのか」
「ええ」
そう言って、ダヴー少佐は、グランデス将軍の前を辞去していった。
ダヴー少佐が提出したルーマニア軍の報告書は、膨大な厚さだった。
全部で約600ページもある。
グランデス将軍は、その内容の把握のために、何度も報告書内部を行ったり来たりする羽目になった。
一通り、報告書の内容を把握するのには、グランデス将軍の明晰な頭脳をもってしても半日かかった。
「ふむ。ルーマニア軍には、対ソ戦争を戦い抜くだけの戦争目的が無いか」
グランデス将軍は、ダヴー少佐がスペイン青師団とルーマニア軍を対比して、そう指摘していることに半ば驚いていた。
スペイン青師団を構成する面々は、義勇兵という事もあり、皆が目的を持っている。
反共思想から志願した者、共和派から寝返ったことからフランコ新体制への忠誠を示すために志願した者、様々な志願理由があるが、ともかく対ソ戦争を戦い抜かねば、という想い、目的の持ち主ばかりだ。
だが。
ルーマニア軍は違う。
ベッサラビア地方をソ連に奪われたことから、それの奪還のためには勇敢に戦うだろう。
しかし、それ以外には対ソ戦争においての戦争目的が無いので、ルーマニア軍はそれ以上の進軍は嫌がるというか、拒絶するのではないか、とダヴー少佐は指摘していた。
確かに否定できない話だ、とグランデス将軍も納得した。
更に深刻なことを、ダヴー少佐は指摘していた。
同じラテン系民族とは言え、ルーマニア人と、仏伊、スペイン人の宗教が基本的に違う事である。
具体的に言えば、ルーマニア人の多くが東方正教系のルーマニア正教会の信者なのだが、仏伊、スペイン人のほとんどがカトリックの信者である。
そして、もっと厄介な事態があった。
「東方典礼カトリックの問題か」
グランデス将軍は思わず、天を仰いだ。
一般的に11世紀に起こったとされる大シスマ(東西教会の分裂)が起こった後、東西の教会を合同しようという動きが全く無かった訳ではない。
15世紀のフィレンツェ公会議では、後一歩で東西教会の再合同ができるのでは、と夢見る者がそれなりに出たくらいだった。
そして、16世紀の宗教改革の流れ、それに対抗するために結成されたイエズス会等は、反プロテスタントのために奮闘する一方で、東方正教会をカトリックと合同させようと奮闘した。
その動きの一つの頂点が、1596年の「ブレスト合同」で、ウクライナ東方カトリック教会が、ポーランド王国の様々な働きかけもあり成立することになった。
こうして、元々は東方正教会に所属しており、典礼等は正教会のものを基本的に維持しながら、神学的にはカトリックと基本的に同一と言う東方典礼カトリックの教会が幾つかできたのだ。
そして、ルーマニアにも、ルーマニア東方典礼カトリック教会がある。
だが、ルーマニア正教会の信者の方が、ルーマニアでは圧倒的に多く、ルーマニア東方典礼カトリック教会の信者を、異端者であるとして、ルーマニア正教会の信者は伝統的に迫害している。
こうしたところに、仏伊、スペイン軍が進駐してきたのである。
必然的に、ルーマニア東方典礼カトリック教会の信者は、仏伊、スペイン軍にすがった。
更に厄介なことに、連合国軍側には東方典礼カトリック教会側に肩入れせざるを得ない事情も抱え込んでいたのだ。
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