第2章ー2
勿論、日本陸軍が、そういった75ミリ砲を主砲とする戦車を保有していない訳ではない。
日本海兵隊が開発、保有している零式戦車を、陸軍でも採用した百式重戦車と言う存在がある。
だが。
この戦車は、諸般の事情から二人用砲塔を採用しており、余り攻撃には向かない戦車だと、日本陸軍の戦車兵の間でも評価されている有様だった。
(勿論、仏軍が採用しているルノー41戦車のように、小柄な兵を搭乗させる等、無理をすれば、百式重戦車も三人用砲塔を搭載した戦車としても使えなくはないのだが、この当時の日本陸軍は、そういった無理を嫌っていたのだ)
そして、こういった日本陸軍内部の声から、一式中戦車に75ミリ砲を搭載しようと日本陸軍は、改造を施しているらしいが、その改造戦車はこの現場には届いていない。
だから、西住小次郎大尉は、内心で不満、不安を覚えつつ、一式中戦車で戦わざるを得なかった。
なお、西住大尉が所属している日本陸軍、6個機甲師団はメーメル近郊に展開している。
これは日米の海兵隊が断行するリガ湾上陸作戦に呼応して、リガ市に直接、向かうためである。
日米の連合軍である北方軍集団は、二本の強力な矛先を持っていた。
その内の一本が、山下奉文大将率いる日本陸軍の部隊であり、リガ市に到達することで、ソ連の西方国境の北部戦線に展開する部隊を叩こうとしていた。
そして、もう1本が。
「いいか。お前ら。何としてもダウカフピルス、クルストビルスを速やかに押さえるぞ。この西ドヴィナ河における重要な2か所の渡河ポイントを押さえることが、レニングラード確保のための第一の目標だ」
パットン将軍は、その指揮下にある第3軍司令部の幕僚相手に獅子吼していた。
米第3軍は、米軍最良の機動戦のエキスパートとして知られるパットン将軍を司令官としており、その指揮下にある部隊も、できる限り機甲部隊をかき集めていた。
連合国軍最高司令官でもあるとはいえ、米陸軍の欧州における最高司令官でもあるアイゼンハワー将軍にしてみれば、米軍が実際に縦深攻撃を行う際には、もっとも頼りにできる部隊であった。
なお、他に米軍は、第1軍、第5軍、第7軍、第9軍を別途、編制して北部軍集団に所属させている。
各軍には、10個師団前後がそれぞれ所属しており、米軍の大攻勢の一翼を担ってはいたが、そうした中で最も機動力に長けていると評されているのが、第3軍だった。
北方軍集団の方策としては、第1軍、第5軍、第7軍、第9軍の米軍の4個軍が国境線を突破した後、日本陸軍と第3軍を2本の矛先として、速やかに西ドヴィナ河の線まで進撃を果たす。
そして、渡河点を確保した後、後方の連絡線を整備しよう、と考えていた。
と言うのも。
まず、この時点では、リガ市を無事に確保できるかどうか、は賭けに過ぎなかったからである。
リガ市を確保できても、港湾設備を完全に破壊されていては、揚陸港としては意味が無い話になる。
その場合は、港湾設備の修復から取り掛からねばならない。
勿論、バルト海沿岸において大規模な港がリガ以外に無い訳ではなく、リエパヤ(リバウ)、タリン、クロンシュタット等の港がある。
とは言え、ソ連の西方国境からの距離等の諸般の事情から、リガが一番、連合国軍、北方軍集団にしてみれば、速やかに確保したい重要な港湾だった。
更に西ドヴィナ河をソ連軍の防衛線にさせないためにも、速やかなる前進が北方軍集団には要請されていたのだった。
北方軍集団の目的は、単純と言えば単純だった。
地上軍の侵攻から1月で西ドヴィナ河の線まで進出し、そこで補給線を整備して、民心の安定を図る。
この補給線の整備の後で、第二次侵攻を行うのだ。
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