第1章ー15
6月2日、リガ市防衛軍の降伏式が行われていた。
古式に則り、リガ市の鍵が、攻撃側の司令官の北白川宮成久王大将に手渡され、降伏式は終わった。
その式典に参列していた土方歳一大佐は、思わず感慨にふけった。
まさか、このような結末をリガ市を巡る戦闘が迎えようとは。
ちなみに誰が市の鍵を受け取るかでも、日米の間で少し揉めた。
米軍としては、自軍が受け取りたがった。
だが、日本側が海兵隊のトップとして北白川宮大将を推してきたことで、米軍(というより米海兵隊)は、矛を収めざるを得なかった。
何しろ年齢的にはともかく、大将昇進は北白川宮大将の方が、米海兵隊のスミス大将よりも先である。
更に相手が、日本の皇族とあっては。
今や完全に日本軍(というより日本海兵隊)贔屓になっているパットン将軍からは、
「スミス、そりゃあ、譲るのが、国際儀礼と言うものだ」
とまで、スミス大将は言われてしまい、北白川宮大将が、リガ市の鍵を受け取った。
そして、リガ市防衛軍が投降を決断したおかげで、リガ市の港湾設備を、ほぼ無傷で連合軍は入手することが出来ている。
このことは重要な補給港を、連合軍が確保したことを意味していた。
何だかんだ言っても、陸路よりも海路の方が、補給の効率は良い。
極端なことを言えば、米本土や日本本土からの物資を、一度揚陸と言う手間をかけることなく、リガ港に揚陸させることが、連合国は可能になったのだ。
この結果をもたらせてくれたロンメル将軍を、日米等の連合国は厚遇することを決めていた。
ある程度は、ケジメと言うか、戦場の習いと言うことで、収容所に送らざるを得ないが、何れは解放し、出来ることなら、独軍再建の礎になって欲しいと考えていた。
何故かと言えば、先の(第一次)世界大戦の反省から、独に余りにも苛酷な軍備制限をやることは却って欧州を不安定化させかねない、ということが分かったのがある。
とは言え、今すぐ独の再軍備を認めては、ポーランド等の反発は必至である。
第二次世界大戦が終結し、独があらためて完全に独立を果たした後、基礎的な軍事力の保有を独に、日米は認めるつもりだった。
(なお、英仏は、本音としては独の再軍備を認めたくなかったが、かといって中欧に軍事力の真空状態を作るのは良くない、という現実的視点から、不承不承、独の再軍備を認める方向だった)
その一方で、このリガ市を連合国が占領したことは、バルト三国の独立運動に弾みをつけていた。
既にリトアニアの大半は、日米の陸軍の手に落ちつつあり、更にラトヴィアの首都リガが、連合国の手に入ったのだ。
リトアニア、ラトヴィア人の多くが、この動きを歓迎して、日米軍の将兵を賓客のように歓待する事例が多発している、という情報が流れている。
また、まだ連合軍の手が及んでいないエストニアでも、住民の多くが、連合国に通じ、武装蜂起等の準備を進めつつあるという情報が流れつつある。
土方大佐は、そういったことに想いを馳せながら、更に考えを進めた。
とは言え、最初の大攻勢を連合軍が継続できるのは、補給等の問題から、後、半月と言ったところで、その後、暫くは戦線が停滞することは避けられないだろう。
ソ連を相手取る以上、連合国側も足元を固めて前進することが必要不可欠だ。
他の国なら、そんなに首都までの縦深が無いが、ソ連の場合は、首都までの縦深が十二分にあるというのが現実だ。
そして、連合国が足場を固めるのには、最低2月程度はかかるだろうから、モスクワ等への第二次攻勢が開始されるのは、8月半ば以降か。
土方大佐は、リガ市陥落の歓びが薄れるのを感じ、また、対ソ戦で、どれだけの損害が出るだろう、と気が重くなった。
第1章が終わり、次話から連合国軍の地上部隊、陸軍のソ連西方国境からの侵攻作戦を描写する第2章の話になります。
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