エピローグー2
村山幸恵と、その実母キク視点の話になります。
そんなふうに異母妹の土方千恵子が気を滅入らせていることを、村山幸恵は知る由も無かった。
幸恵は、年末のお歳暮を(表向きは常連の顧客の一人として)、土方伯爵家に贈っていた。
本音としては、伯母として姪の幸子に百日の祝いを贈りたいのだが、さすがに日陰の身では、公然と百日の祝いを贈る訳にはいかないので、日時が近いお歳暮として、幸恵は贈ったのだ。
(表向きは、幸恵と千恵子は、岸総司を介して知り合って親友となった、ということになってはいるが)
その頃、百日の祝いを妹の千恵子は喜んでくれたろうか、と想いつつ、幸恵は1943年の年始の準備をしながら、今後のことについて想いを馳せていた。
もうすぐ、来年の内に第二次世界大戦はおそらくは終わるだろう、その後、世界はどうなるのだろう。
そして、弟達は無事に戦後を迎えられるのだろうか。
幸恵自身が、ある意味では日陰の身ということもあるのだろう。
幸恵は、血を分けた(筈の)弟達や義弟のことを純粋に心配していた。
岸総司は、生きて欧州から還ってこられるだろうか。
アラン・ダヴーと自分は巡り会うことがあるのだろうか。
そして、義弟の土方勇は、妹の千恵子の下に、無事に帰って来れるのだろうか。
更に考えるなら、第二次世界大戦が終わった後、3人は平和な暮らしを送ることが出来るのだろうか。
こうして考えてみると、自分の夫が傷痍軍人とはいえ、今度の戦争、第二次世界大戦に出征していないことが申し訳ない想いさえ、自分にはしてくる。
異父妹の美子は、産んだ子を遺して、嫁ぎ先から還らざるを得なかった。
そんな感じで、千恵子が、夫の勇が戦死したことを理由に、土方伯爵家から追い出されなければよいが。
そういう不吉な想いさえ、悪いことを考えていると、自分の頭の中で過ぎってしまう。
幸恵は、そんな取り留めのない想いをしながら、年始の準備をしていた。
幸恵の実母キクは、長女の幸恵の年始準備が、等閑気味なのに気づいてはいたが、口に出して咎める気にはどうにもならないでいた。
かつての自分のこと、そして、その時の周囲のことを想い起こさざるを得ず、幸恵も当時の自分と似た苦悩をしているのだろう、と推測していたからだった。
それにしても。
中国内戦介入以来、空襲等による民間人犠牲者を含めれば、日本人は恐らくだが300万人は亡くなっているらしい。
それだけの大量の死者を出して、ようやくこの世界大戦は終わりが見えつつあるのだ。
更に心身を病んだ大量の傷痍軍人が、200万人以上も日本では出ている。
そういった傷痍軍人は、帰還兵として帰国はしているものの、色々とトラブルを起こしがちらしい。
無理もない、単なる戦場に止まらず、老若男女を問わず、民間人の皮を被った敵兵と戦ってきた者さえいる、と自分でさえ聞いているのだ。
生きて祖国に還れたとはいえ、その悪夢が覚めないという傷痍軍人が出るのは無理もないだろう。
だが、同情はできるが、それによって周囲が迷惑を被らされては、周囲の者は堪ったものではない。
そういった状態に、幸恵の弟達がならない、と誰が言えるだろうか。
かつての日露戦争や第一次世界大戦が、本当に小さな戦争だったようにさえ、錯覚してしまいそうだ。
キクはあらためて心から願った。
どうか、犠牲者が少しでも少なくなりますように。
そして、第二次世界大戦が速やかに終わりますように。
その一方で。
仮に第二次世界大戦が終わっても、世界が平和にならないのではないか、という冷めた想いが内心に広がるのを、キクはどうにも止められなかった。
インドやパレスチナ等、世界各地で第二次世界大戦とは半ば無関係に宗教、民族衝突が起こっている。
キクは心が痛んだ。
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