エピローグー1
エピローグの始まりです。
土方千恵子が主な語り手に、この話ではなります。
1942年の年の瀬も押し詰まる頃、日野の土方勇志伯爵邸で、土方千恵子は、ある新聞記事を読みつつ、物思いに耽っていた。
その新聞記事には、ウランバートルで、本格的な鉄道の建設のための鍬入れ式が行われたこと、それを日本陸軍の簗瀬真琴少将が主催し、それにモンゴル共和国の徳王陛下が出席されたことが書かれていた。
表向きは明るい、特に問題のない新聞記事だが、出産、育児に伴うウツ状態が、微妙に治りきっていないせいか、土方千恵子は、その新聞記事の裏まで深読みせざるを得ないのだった。
土方勇志伯爵は貴族院議員でもあり、そう言った事情から、複数の新聞を取って、その記事を比較しながら、読み込むことで、色々な情報把握に疎漏のでないように努めている。
そして、土方伯爵の孫の嫁であり、貴族院議員の公設秘書に休職から復帰した土方千恵子も同様に、複数の新聞記事を必然的に読み込まざるを得ず、結果的に複数の面から状況を見るようになっていた。
北京からウランバートルを経由してウランウデに至る軽便鉄道を、さらに本格的な鉄道に強化する。
悪い話ではなく、明るい話と言うべきだろう。
だが、戦時中にそこまで急ぐ必要があるか、というと疑問が出てくる考えだ。
恐らくだが、日本政府、軍としては、ウラジオストクやナホトカからハバロフスク等を経由し、ウランバートルへの独自輸送路を作りたかったのだ。
現在、連合国軍の制圧下にあるソ連極東領の扱いは、内々でかなり揉めている。
蒋介石率いる満州国政府としては、ネルチンスク条約当時の国境線の回復をできたら求めている。
そのために中国本土から半強制的に住民を移住させて、既得権益化を図ろうとしているほどだ。
とは言え、日米はそれを素直に認めるつもりは無く、ソ連極東領については、できたら新生ロシア共和国(仮称)の領土にしておきたいと考えている。
(とは言え、日本政府も本音としては、北樺太を日本領にしたい、と考えてはいたが、満州国政府を宥めるために、その考えを封印していた)
そして、ソ連極東領の住民の支援等のために、連合国軍の制圧下にあるソ連極東領内のシベリア鉄道を始めとする主要な鉄道や道路は、日本軍が基本的に管理している。
だから、ウランウデからウランバートルへ鉄道を作れば、モンゴルへ、さらにその先へと日本としては物資等を送り込むことが出来るのだ。
満州国政府に秘密がそう漏れない状況で。
天津から北京、更にウランバートルへは民生品を基本的に運んで誤魔化す一方、兵器等のそう表に出せない物資は、ウランウデ経由で送り込むつもりなのだろう。
このことを満州国政府が察しても、文句はつけにくい。
この鉄道建設には、モンゴルの民生のため、という大義名分があるからだ。
そして、この鉄道によって運び込まれた兵器等は、ウイグルやチベット等にも流れるのだろう。
それによって、ウイグルやチベットの分離独立を、日米は使嗾するつもりだろう。
聡明な千恵子は、そこまで推測できてしまっていた。
だが、その一方で。
既に第二次世界大戦は、独全土が占領されてしまい、中国本土の大半も制圧済み、ソ連も極東領を完全に占領されてしまい、欧州の大部分が連合国軍に占領された状況にあるのだ。
こういった状況からすれば、連合国側の各国が、いわゆる戦後を見据えた動きに先走るのは、ある意味、当然な話ではないだろうか。
更に。
日米両国政府としては、第二次世界大戦後、ソ連も中国もある程度は分裂して、内輪もめに奔ってくれた方が、自国は安心できる、という判断を下しているのだろう。
内輪もめに奔っている間、外国に手を出す余裕は無くなるからだ。
千恵子は気が滅入ってならなかった。
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