わたしが人工知能を埋め込まれた人形だったらどうする?
いつぞやに書いたのが眠っていたので。
「わたしが人工知能を埋め込まれた人形だったらどうする?」
ある日、鰯の塩焼きを啄みながら妻は奇妙なことを言い出した。
どうしたもこうしたも、月に一回は出てくる鰯の塩焼きは君の大好物だろう。人工知能にあれが美味しい、これが美味しいと判断するなんてできるのか。そんな僕の疑問は彼女に鼻で笑われた。
「だから、それもこれも全部プログラムでそうするように見せているだけだったら?」
「そんなことあり得ない」
「それを言ったら身も蓋もないじゃない」
なるほど。本を読むのが好きな彼女らしい思考実験だと思った。
そうして考えてみると、彼女が本を読むことも人工知能が新たな知識を脳という記憶媒体にインプットしているだけだと仮定できるかもしれない。
「ひとつ、質問があるんだけれど」
「なあに?」
「仮に君が人工知能を埋め込まれた人形だったとして、君の行動原理はどうなるんだい? 例えば生命維持――いや、あえて君の言い分に即した言い方をすると自己保全を第一にするのは当然だと思うんだ。つまり、栄養の摂取や日々のメンテナンスだね。確かにそういう意味で人間は生物ではあるけれど、ある種の自動人形だと言えるね。けれど、君が言いたいのはそういうことじゃないだろう?」
妻は大きく頷いてこう返した。
「わたしがあなたの妻で、その役目を全うするようにプログラムが組まれているとして、もちろんそれだけじゃないでしょう? 例えばプレゼントをもらったら喜ぶような動作をして笑顔を作るとか、親しい人が死ぬと涙を流すとか、そういう自然だと思われる動作が全てプログラムされたものだったとしたら、あなたはわたしを自動人形だと判別できる?」
それは無理だと思った。
詰まるところ、自動人形本人以外が自動人形を見るとき、普通の人間と同じような動作をして、同じように生物としての行動を取る範疇において、それは普通の人間以外の何者でもない。
「それこそ、中身を調べてみるしかないだろうね。解剖でもしたらいくつも配線が出てきたり、静音性の高いモーターなんかが出てくるかもしれない。頭にあるのはフラッシュメモリかもしれないわけだ」
「それはわかりやすいけれど、もしかすると有機物で作られていて、普通の人間の肉体と大差ないかもしれないじゃない」
「そうなるともうお手上げだろうね。本人が自覚していても、周りが見抜くなんてできっこないよ」
妻は視線を天井に向けて考え込み、そうして言った。
「外側は人間なのに、中身は全てプログラムだったら――でもそれって、今の人間も似たようなものよね」
「あながち否定はできないだろうね。けれど、意識があるのは僕たちがこうして考えていることからも明らかだろう?」
「もしかすると、大脳のシナプスが発する電気信号による随伴現象なのかもしれないわよ?」
「それはずいぶん哲学的なお話だね。ヴィトゲンシュタインを知らないのかい?」
「語り得ぬものについては、ね。けれど、わたしは今語り得ることについて話しているのよ」
「大きく出たね」
「そう?」
僕は頷いた。何か考えがあるなら言ってみなさいよ、と妻の挑戦的な目つきが僕は好きだった。
「いわゆる心身二元論で考えると答えが出ないような気がする」
「デカルト的な?」
「そう。彼が言う変換装置としての松果体にはそんな機能なんてなかったし、仮にあったとしても実証できないとは思うけどね。けれど、実存的結論を求めるなら、唯物論が肯定的になるのもわかるし、多くの科学者がその科学の性質において観測しうる対象をもって随伴現象として精神を定義づけようとするのも仕方がないだろうね」
妻は皿に残った鰯の骨を箸でつついた。
食後のお皿を片付けて、シンクに置いた。
妻の用意した食後のお茶は熱くて、妻はふうふうと息を吹きかけて冷ましていた。僕は案外平気で、むしろ彼女のいれる熱いお茶が好きだ。
「それで――あなたの話を聞いていると、随伴現象説を肯定しているように聞こえるけれど、そうじゃないのよね?」
僕は当然だと頷いた。
「随伴現象そのものを否定はしないけどね。ある程度の精神的構造が機械的であることは改めて説明することでもないと思うよ。ただし、それはあくまで表象としてであって、本質的な精神というものはあると思うんだ。あるいは肉体という物質も、そもそも物質の実存が証明できるかと言われると、僕はそれも怪しいと思う」
「つまり、今見えている世界が必ずしも正しいとは限らないってことね。確かにそれは言えてるかも。紫外線や赤外線なんて見えないけど存在するし、空気だって目に見えないだけで物質だものね」
彼女はようやく一口お茶をすすって小さく息をついた。
「つまり、生物としての有用性において知覚できるものとできないものがあって、精神は後者だと?」
「それは飛躍しすぎだと思うけどね。でも、知覚の本質を考えるとあながち間違っていないような気がするね。例えば僕らは色を見分けることができるけれど、これは光の波長が違うから見分けられる。じゃあ、その波長をどうやって見分けているかって話になるけど、波長を区別するためには百分の一秒だとかそれよりも短い時間でもいいけど、どれだけ刹那的だろうと時間を切り取る必要がある。わかりやすい例で言えば、波形グラフの数ミリを抜き取って、その角度から波長を計算するみたいに、ね」
妻は納得した様子で頷いた。
「なるほどね。知覚が時間を切り取ることだと仮定すると、精神はどんな風に存在しているのかしらね」
「どうだろうね。肉体が実存し持続するという意味では、過去に内包されていると考えることもできるけれど」
肩を竦めてみせる。妻は僕の仕草を真似した。
「話を戻すけど、仮に君が人工知能を埋め込まれた自動人形だったとしても、それは他者にとってそこまで大きな意味があるのか僕にはわからないね。現に僕の目の前に君がいて、君がいつも通りの君でいてくれて、僕は君が人形だなんて思えないし、仮に本物の自動人形だったとしても、僕には区別ができないからね。人間か人形かわからないのだから、僕は信じたい方を事実とするしかないね」
長い話の結末としては、ずいぶんと素朴な結論だった。
あるいは最終的な帰結として相応しいのかもしれないと思えた。
「例えば、だけど」
妻は言った。
「ある地点にいる人物を、別の地点に瞬間移動させるとして、分解して再構築する場合、別の地点にまた同一人物が出てくるわけだけど、あなたはそれを同じ人物だと言える?」
話ががらりと変わったので、すぐには考えられなかったけれど、なんとか返答した。
「質的、量的にも同一だけど、ちょっと怪しい気はするね。でも、精神的に同一であるならそれはもう同一人物としてもいいんじゃないかな」
「でもね、わたし思うのよ」
妻は目を細めた。
「再構築するって、つまりその人物像を完全にプログラミングしてるのと一緒なんじゃないかって」
***
五月十二日
帰宅後、例の質問をした。
ここ数週間にわたって同じ質問を繰り返している。
夫の返答はいつもと同じようだが、少しずつ変化している。
当初に比べて議論がスムーズであり、思考過程に戸惑いが減少しつつある。
目下、推測の域を出ないことだが、夫には体験としての記憶は保存できず、知識としての記憶は有効である。
彼の理論は、その発明も含めて素晴らしいものであったことは多くの識者が同意することだろう。ただし、その最初の被験者たる彼自身は、その発明の不備を体現した第一人者でもある。
再構築された夫は生活上の不便や人間としての違和感こそないものの、わたしには妻として、彼の愛が意図的にプログラミングされたものでないと言い切る自信がない。