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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

フリーズ

作者: 月岡 あそぶ

 これでもう何十回目になるんだろう。

 深いため息がもれた。自分ではそうしたつもりだった。

 しかし体は、そんな思いには知らん顔で、今では一挙手一投足に至るまで完璧に覚えてしまった所作を、糸で操られた傀儡の如く繰り返してみせた。

「やめて!もうやめて!」

 大声で叫ぶ!

 顔を覆い、その場に崩れ落ちる・・・・・


 それなのに、体は決められた動きを逸脱する事などない。

 母と会話をしながら夕食の準備が続く。

花奈はなは、もうちょっと料理を覚えておかなくちゃ。家庭に入ってから覚えようとしたって、そんなに簡単には出来ないからね。

 子育てに、家事。仕事に趣味。最後に少しだけ妻。お母さんなんて役は、同時に何役もこなさなきゃならない難しい役どころなのに、誰もお疲れ様なんて言ってくれないのよ。世間様の評価は酷すぎよ。

 花菜の彼氏は、ウチに来た時にも、後片付けを手伝ってくれるイマドキ男子だけど、実際に家庭に入っちゃったらわからないものだからね~」

 母は、片肘をついてまるでトドのようにラグに横たわったままの父に冷たい視線を送る。そして、料理を作りつつテキパキと洗い物を済ませていく。

 その言葉を受けて舌を出し、ちょっと照れくさげに笑う。

 この時の自分は、そんな日が来るのはそう遠くない事を信じ切っていた。しゅうにもらったばかりの指輪が、やりつけない家事の邪魔になるのさえ嬉しく思えていた。

 テーブルの上には鍋がセットされて温かそうな湯気をたてている。鍋つかみを手に土鍋の蓋を取ると、そこには大輪の薔薇の花が現れる。

 白菜とニンジンが、じゅわっと脂のしみた桃色の柔らかな肉を包み込んで、鍋の中に色鮮やかな弧を描く。食欲を刺激する匂いが胃袋をくすぐる。

 ぐうっとお腹が鳴った。


 今日は会社の帰りに、友達の結婚式に出る服を買った。

 次は花菜の番だよねっ、て言われて照れて笑った。でもその後、軽くなった財布とにらめっこをして、スイーツを食べて帰る予定を泣くゝ断念して帰ってきた。

 匂いに誘われたように、テレビの前で倒れ伏していた弟がフラフラとやってくる。毎日部活でがっつりしごかれ、その上、片道一時間の自転車通学をこなして帰る全身筋肉の弟。たまらず鍋に箸を伸ばそうとする。

 その行動を見逃すはずもない。「あきらっ!まだ形を崩さないでよ」と母の一声が飛ぶ。

 非番で今日一日のんびり過ごしたであろう父は、冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを出してくると、いそいそと自分の席に座った。

 録画しておいたテレビ番組を見ながらビールの栓を抜く。シュワッと泡の吹き出す音と共に、空気中に苦甘いホップの香りが漂った。

 普段なら気に留める事もない、こんな微細な香りでさえ今では覚えてしまった。

 次はそう。テレビの前のソファーに座って、膝の上にのせた猫と共に眠りこけているおばあちゃんを起こす。

 おばあちゃんは少し痴呆がある。でも人格が変わってしまったり、徘徊したりする事もない。

 いつも猫と共に静かに過ごしている。ただ、足腰が弱っているから立ったり座ったりする動作がかなり危ない。転んで寝たきりになったりしたら大変だからみんなで気遣う。

 昼の間、仕事や学校で誰もいない時間はデイサービスで過ごしている。連絡ノートに書かれているメモには、今日も一日お変わりなく穏やかに過ごされています。と、判で押されたような文字が連なっていた。

 今日も一日お変わりなく・・・・・・

 ああ、頭がおかしくなりそう!

 すでにもう何十回、いいえ何百回!今日という日を繰り返したのか。

 穏やかで平和な一日。

 でも、あたしは明日という日に何が起こるのかを知っている。

 今日も和やかに食卓を囲み、取り留めもない話題で時が流れる。でも明日、あたしは絶望の淵へとたたき落とされる。

 あの日、あの少女と出会ってから明日は来なくなった。永遠に今日という日が繰り返されていく。

 こんな事、こんな事を望んだんじゃない!必死で叫ぶ。でも一ミリたりとも唇は動かない。決まり切ったこの呪縛から逃れる事はできない。

 あまりにありきたりで、幸せな食事風景。

 叫びたい!叫び出したい!

 怒りがわき上がり、すべての筋肉がギュッと収縮する。アドレナリンが体内を駆け巡った。

 脳が一気に沸き立つ。その怒りにまかせて全力で見えない力に抗った。

 ピチッパチッ筋繊維の切れる音が聞こえる。

 私は体を震わせながら精一杯に抗った。


「お姉さん。幸せじゃないみたいね」

 テレビの一時停止ボタンを押したみたいに、周りのすべての動きが止まった。

 あの時の少女が目の前に立っていた。


 体がふっと自由になった。自分を押さえつけていた見えない力が霞のように消え去り、必死で抗った力があらぬ方へと飛んで行く。

 お母さんに!腕が当たるっ!

 腕がぶつかった途端、まるで金属のように堅い感触。強烈な痛みが電気のように全身を走る。反動で、持っていた茶碗が吹っ飛び壁に向かって激突した。

 しかし茶碗は粉々に割れるでもなく、中身が辺りに四散するでもなく、まるで食品サンプルのようにゴロンと床に転がった。

 痛む腕をさすりながら、思いっきり殴ってしまった母の頬に慌てて手を伸ばす。

「冷たっ!」堅く冷え切った金属のような感触に、慌てて手を引っ込めた。

「今度は、今度は、何をしてくれたの!」あたしは唇を震わせながら少女を睨みつけた。

「あたしはお姉さんが望んだ事をしたまでよ。お姉さんは絶望していた。もう、こんな未来なら来なくていいと泣いてた。だから幸せな過去がずっと続くようにしてあげただけ」

 少女は長い髪を揺らし、小首をかしげて不思議そうな顔をしてみせた。小さく尖らせた唇が、何が不満なのと問いかけている。

「違うわ!こんなのただの繰り返し!生きてるなんて言えないわ!」

「お・姉・さ・ん・が・望・ん・だ・の・よ」少女は繰り返した。


 そうだった・・・・・・

 自分は明日、会社の健診で引っかかり、再検査するはめとなった子宮癌検査の結果を聞く。

「子宮やその周りの臓器を摘出しなければいけない可能性が高いです」

 美人だけれど、まるで能面のように表情に動きのない女医さん。その人があたしに向かって宣告する。

 赤ちゃんを望めなくなるかも・・・・・・それって何?何の冗談?・・・・・・その後も説明が続いたけれど、それからの話は頭の中に全く入ってこなかった。


 その結果を受け止めきれないまま呆然として街を歩いた。

 その時、偶然ラブホテルから出て来た秀を見てしまう。平日の昼間だっていうのに、秀が務めている建築会社の作業着を着たまま。事務員風の女と連れだって・・・・・・

 ひどい、ひどい!あんまりだ神様!一つでも受け止めきれないぐらいなのに、立て続けに!

 あたしがいったい何をしたって言うの!

 たった一つの救い。その最後のはしごが外された気がした。

 その瞬間、世の中の人すべてが・・・・・・自分より幸せなんだって事に気づいた・・・・・・

 そして、あたしを救ってくれない全世界を憎んだ。

 もし今、幸せそうに歩いている恋人同士が、目の前で車に轢かれたとしても、あたしはざまあみろと笑うだろう。


 会社に帰る事もせず、ふらふらと道の途中にあった小さな神社に立ち寄った。

 だけど神様にすがる気持ちになんてなれっこない。お社をスルーして薄暗い裏手に向かって歩を進める。

 そこは手入もされず荒れ放題になった木々達が、互いの枝を絡めながら窮屈そうに立ち並んでいた。

 からみ合い混沌としたその上に蔦までもがグルグルと巻き付いて、まるで小さなジャングルみたい。


 一番奥まった場所に、小さな泉があった。

 あたしはその泉を囲む石の上に、へたへたと力なくしゃがみ込んだ。

 澄んだ水が水草をユラユラと揺らす。でも水深はあたしのふくらはぎまでないぐらい。

 メダカみたいな小さな魚が、何の悩みもなさそうに楽しげに泳いでいた。

 十センチ水があれば人は死ぬ事ができる・・・・・・以前聞いたそんな話が頭に浮かんだ。

 泥だらけになって冷たくなったあたしを抱いて、秀は泣いてくれるだろうか?

 それとも、こんな誰からも見捨てられたような神社の奥の奥。訪れる人もなく誰にも発見されないまま、腐り果てて、周囲に腐臭をまき散らしながら蛆に食い尽くされていくんだろうか?

 それでも構わない・・・・・・そう思った。

 この世の中にはもっと苦しい人がたくさんいる。そう思ってみても、一ミリたりとも気力は出てこなかった。

 もう嫌だ。とにかくこの場から逃げ出したい。頭がその事で一杯になった。

 立ち上がって一歩を踏み出そうとした。


「不浄のモノで水を汚さないでくれる?」

 咎めるような声が後からした。慌てて振り返った視線の先に一人の少女が立っていた。

 まだ幼さの残る顔。小学校3,4年生ぐらい?

 長い髪を風になびかせ、その華奢な体を包むラベンダー色のリネンのワンピースがとてもよく似合っている。

 お人形のように整った顔つきの彼女は怒っていた。

 明らかに怒りを露わにしてあたしを睨んでいた。

「お姉さんの一時の感情で、かき乱されるこの子たちがどんな影響を受けるかわかる?」

 池を指し示しながら、少女の目が光った。

「死んじゃうのよ。お姉さんに押しつぶされ、その腐りはてた体から流れ出る汚物によって、こんな小さな池の生き物なんて簡単に窒息しちゃうわ。郊外の大きな池なら、たくさんの魚や甲殻類達のいい餌となるかもしれない。でも、この池はあまりにも小さすぎるわ。彼らにとっては望んでもいないラグナロクよ。終焉よ!」

 怒りを露わにしていた少女は、いきなり笑いだした。

「それでも、こんな街の中でも蛆達は喜ぶわね。アタシはこんなにも不幸なの。そう自分に言い聞かせながら、お姉さんは無様に苦しみもがいて死ぬ。

 その、真実を見ようともしない眼が腐りはて、冥府を思わせる暗い眼窩の中から、ガスによって膨れ上がり、はじけ飛んだドロドロの腹の中から、小っちゃな小っちゃな白い掃除屋さん達が一気に溢れだすの。

 お姉さんの作り出した汚濁をせっせと食べてくれるのよ。お姉さんの人生の中で、唯一役にたった出来事は彼らの次の世代を生みだす餌になったという事ぐらいね」

 一気に血が冷えた。今からあたしが死のうとする事を、茶化すように言ってのけるこの少女が不気味に思えた。

「思い通りにならない人生の苦しみなんて!あんたみたいな小さい子にはわかりっこないわよ!辛く苦しい事が起こった時、人はどうして自分だけが。って思うものよ!あたしが、あたし一人が!どうしてこんな目にあわなきゃいけないの?何で!神様っ!てね」

 少女の口角が意地悪そうに持ち上がった。冷たいさげすむような眼差しがあたしに突き刺さる。

「どうして笑えるのよ!今どきの子はネットやテレビのバーチャルな世界でわかったような気になってるだけよ!映像と現実は違うのよ・・・・・・」

 カラカラになった喉を必死で開き、やっとの思いで声を絞り出した。

「バーチャルに生きてるのはお姉さんでしょ。現実と向き合うのが怖くて」

「だって、だって・・・・・・こんな未来ならいらない!辛いだけの人生なんていや!誰だって不幸になるのがわかってるのに、苦しみもがく自分なんて見たくないでしょ!」

 大声で叫びながらその場に泣き崩れた。

「わかったわ」

 少女の目がきらりと光った。

「安心、安全。一番幸せな時に帰してあげる。そしてその敷かれたレールの上を永遠に外れる事もない。そんな素敵な時間をお姉さんにプレゼント・・・・・・」

 少女の腕がまっすぐ上げられた。そして、手首を返しながらクイッとひねった。細い腕に巻き付けられた五色の紐につけられた鈴が、澄んだ音でりんっと響いた。


 そうだった・・・・・・望んだのはあたし・・・・・・

「受け入れる・・・・・・」

 その言葉を耳にして、少女は微笑んだ。ように見えた。

「苦しみも、病も・・・・・・思い通りにならない事も、不条理と思える事も。すべて・・・・・・すべてを受け入れるから、お願い。お願いだから、時を、時を進めてちょうだい」

 あたしは、少女の前にひざまずいた。

「なぜ?自分だけがこんな仕打ちを受けるなんて、アタシが何をしたの!と世界を呪っていたじゃない?こんな不幸にはとても耐えられない、そう言って、自らの命を終わらせようとしてたじゃない」

「この時間は、ただの繰り返し。生きているなんて言えない。生きているから、いろんな事が起きる。望まない出来事や、人間の力ではどうしようもない事も・・・・・・でも、でも・・・・・・私はすべてを受け入れるから」

 打ちひしがれながらも、涙に濡れた目で少女を見上げた。

「でも、きっとあたしはそんな出来事にぶち当たる度に、泣いて、わめいて、醜く抗って・・・・・・でも、そんな弱い自分もすべてひっくるめて、つまずきながらでも歩いてみせるから。与えられた命を天命と思い生ききってみせるから・・・・・・」

 少女は、すがろうとしたあたしの手をするりとすり抜けた。

「人間ごときが、何でも自分の思い通りになるなんて思い上がってるからよ。バーカ」

 振り向きながら、少女は高飛車な物言いで言い放った。

「これで・最・後・だ・か・ら・ね・・・・・・」

 少女の声と姿が、背景の中にぼやけて消えていった・・・・・・


「秀!」

 ラブホテルから出て来た二人組に、必死で追いすがって声を掛けた。振り向いた顔は確かに秀だった。笑顔であたしに向かって手を振る。事務員風の女の人も振り向く。えっ、かなりオバサンなんですけど・・・・・・

「花奈、どしたの?こんな時間に?会社は?」秀は、全く悪びれる風もなく声を掛けてくる。

「お知り合い?じゃあ私は、先に解体工事の見積もりを持って会社に帰ってますから。でも、勤務時間中なのを忘れないで下さいよ。あまり遅くなったら課長に言いつけますからね」

 女の人はあたしに向かってにっこり笑いかけるとスタスタと駅の方角に向かって歩いて行った。

 呆けたように立ちすくむあたしを見ても、秀は全く何もわかっていないようだった。いろんな想いがいっぺんに湧き上がって涙があふれてきた。

 秀はいきなり泣き出したあたしにびっくりして焦りまくっていた。

(大丈夫、大丈夫。人生いろんな事があっても、一歩ずつでも前に向かって歩けばいいんだから。一人で抱えきれない時は、誰かの肩を借りたっていい・・・・・・醜くあがいたっていい・・・・・・)

 アタシは、潰れたラブホテルの前で、子供のように大声を出して泣いた。

 道行く人の冷たい視線にさらされながら、真っ赤な顔で焦る秀のことなんて気にもとめずに・・・・・・




「母さ~ん」息子が自慢げにDVDをヒラヒラさせてみせた。

「おっ!もしかして復活できた?」

「ば~っちり!もうフリーズせずに続きをみれるぜ」

「でかした!息子よ!癌を宣告され、彼氏にも裏切られた主人公がどうなるのか。よっぽど仕事仲間に続きを聞いちゃおうかと思ってたけど、さすが工業高校!今日の夕飯は奮発して焼き肉だ!」

「やった~ひさびさのの牛肉!」

「じゃあ。焼き肉しながらドラマ見るよ~!」

「いや、俺、違うの見たい」

「うるさい!一週間我慢してたんだから今日こそ見るんだからね!」

「え~大人げな~」

「お父さんの意見は誰も聞いてくれないんだ・・・・・・」

「え~お父さんなんか、後で一人で好きなの見ればいいじゃん」

「ひどいな~こんなに仕事で疲れて帰ってきてるのに」

「ウチなんて、他の家と比べたら大切にしてるほうだよ・・・・・・

「いや、同僚のとこは・・・・・・

「よそはよそ・・・・・・

「・・・

                                 END


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