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仁鳥の短編集  作者: 仁鳥
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染まる白





 人は誰でも、心の内に善良な自分とそうでない自分とを共存させて生きている。

この世に生まれ落ちた瞬間はひとつであった筈のそれは、自分でも気付かない間に身を別ち、そして争う。

決して容易に飼い慣らすことのできないそれらは、一体何のために人の心に住み着くのだろうか。


「何書いてるの?」


「!」


 突然背後から伸びた手は、俺の手元から書きかけの原稿用紙を取り上げた。

拐われていくそれを取り返すべく慌てて手を伸ばすが、仰け反った先に見えた人物を認識すると同時に諦めの溜め息が漏れ出した。


 上から下へ、少しずれてまた上から下へ。

流れるように文字を追っていた目が、すいとこちらへ向けられた。


「へぇ、小説?」


「……悪いか?」


 ぶっきらぼうに返して手のひらを突き出すと、高い位置からこちらを見下ろしていた目が綺麗に弧を描いた。


「いや。意外だなって思っただけ」


「そうかよ」


 ぴらりと差し出された原稿用紙をやけに白い指から抜き取り、ついでに自分の手と見比べる。

見慣れた自分の手はこんがりと日に焼けていた。

比べれば比べる程、自分の黒さが際立ち、同時に相手の白さも際立った。


 ああ、こいつは、やはり今日も"白い"。


 目の前に立つ白肌の男はこの学生寮でのルームメートで、名前を白杉透という。

高い身長、整った顔立ち、優秀な成績。

運動神経も良ければファッションセンスも持ち合わせている。

おまけに分け隔てなく全ての人間に優しく接するもんだから、周囲からの人望も厚いわけで。

身も心も名前でさえ白く透き通ったこのルームメートは、くどいようだが呆れるほどに"白"かった。


 対する俺はというと、黒い肌はもちろん名前も黒澤零。

身長も運動神経も顔立ちも平凡。

勉強はからっきし駄目で、秀でたことと言えば人よりも少し文章に強いということだけだ。

皆に優しくなんてクサイ台詞には反吐が出るし、嫌いな人間とは極力関わらない。

どう足掻いても身も心も名前でさえも黒にしかなれない人間であることは自分がよく分かっていた。


 正反対の二人だと周囲から囃し立てられることも多かったが、その件に関して思うことは特に無かった。

人に良く思われたいとも思わなかったし、逆に自分の黒さが正しい人間の在り方だなんて馬鹿げた持論も持ち合わせていなかった。


「小説っていうか、論文みたいな書き出しだね」


「じゃあ論文なんじゃねぇの」


 取り返した原稿用紙を引き出しにしまいながら、机の上に放り出していたシャーペンをペン立てに差し込む。


「あれ、もう書くの辞めちゃうの?」


「お前が邪魔したんだろ」


 吐き捨てた俺の言葉に軽い笑いで返しながら、白杉はクローゼットから厚手のパーカーを取り出した。

まるでこの男の姿を表しているかのような、白いパーカーだ。


「何だよ、パーカーなんか羽織って」


「ちょっと肌寒くてさ」


 ふうんとかなんとか相槌を打ちながら、夕方から開け放っていた窓を閉める。

ガラス越しの空は、すっかり黒くなっていた。


「ありがとう」


 礼の意味が分からず首を傾げていると、白杉は小さく口角を上げて着替えを取り出し始めた。

椅子に根付いた腰を上げて、俺も同じ様にクローゼットから着替えを取り出す。

先にまとめ終えた白杉はドアの前で待っていた。

ここの学生寮では、毎日の風呂をルームメートと共にすることが原則となっている。

本来なら一人でのんびり入るのを好んでいた俺だったが、入寮時から毎日のこととなるとさすがに白杉と共にする風呂にも慣れてしまった。


 ふと、共用フロアの方から漏れ聞こえてきたざわめきに足を止める。


「鳥が死んだらしいよ」


「鳥?」


 頭ひとつ程上にある顔を見上げると、白い横顔が笑っていた。


「飼ってたでしょ、フロアで」


「……ああ、小太郎か」


 ここの学生寮では、文鳥の"小太郎"を飼っていた。

むさ苦しい男共の巣窟で囀ずる小太郎は、雄ながらも確かな癒しを寮生に与えてくれていた。


「えらい急だな」


「結構惨い死に方みたいだよ。誰かが投げつけたか、踏んだんじゃないかって話」


 柔らかな声で聞かされた事実に、僅かに眉を顰める。


「黒澤は意外とあの鳥のこと可愛がってたよね」


「意外とって、お前な……」


 もう一度見上げた白い横顔は、やはり笑っていた。


「……そんなことより風呂行くぞ」


「ねぇ」


 歩き出そうとした俺を、柔らかな声が引き留める。

振り返ると、白杉はやはり笑っていた。


「知らないふりが上手くなったね」


 白い顔、白いパーカー、柔らかな声。

何も変わらない。

出会った頃のままの"白"だ。

出会った頃から、何も、何一つだって変わらない。

皆が口を揃えて"白"だと称える、ルームメート。


 だけど、俺はその"白さ"が恐ろしくて仕方なかった。


 人は誰でも、心の内に善良な自分とそうでない自分とを共存させて生きている。

この世に生まれ落ちた瞬間はひとつであった筈のそれは、自分でも気付かない間に身を別ち、そして争う。

多くの人間は、その両方を飼い慣らそうとする。

だが、どちらか一方ーー


ーー例えば、善良でない自分を押し込め続けた人間は、一体どうなってしまうのだろうか。




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