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1:人工知能エルベール

「ギノ…!…お…て……」


もう朝か…。

でも、もうちょっとだけ…。


「ギノ!起きてってばっ!!」

「……ん…。」


あー…うるさいな…。

耳元で声を張り上げるんじゃないと何回言えば分かるんだ。

仕方ない…一回起きてやるか…。


渋々、といった感じでうっすらと目を開くと、

真っ先に白い天井が目に入り、首を少し右に傾けるとサイドテーブルの上にそいつはいた。


俺のLPTライフ・パートナー・タブレットの中で頬をプックリと膨らませ、ウェーブのかかった銀髪を揺らす可愛い(面と向かって言ったことはないが可愛い部類には確実に入ると思う)全長15cm程の女の子の姿をした人工知能『エルベール』。


持ち主の健康状態からそれぞれにあった生活サイクルを決めてくれるだけでなく、電話にメール、インターネットに渡るまでほぼ全ての機能を持ち主の意のままに行う。

それがLPAI。

6、7年前に発売されその日の内にLPTを販売した店舗で売り切れ続出。

お茶の間の話題を一瞬でさらっていった。

AIの性格や容姿は持ち主によって違うものの、基本的な性能はあまり変わらない…のだが、エルベールは…ちょっと変わってる。(本人いわく自分は特別なんだとか。)


エルベールは俺が目を覚ました事に気付くと、

膨れっ面を一瞬で弾けるような笑顔に変えて


「あ、ギノおはよう!じゃあ…目覚めのキスを…って、布団をかぶりなおすなっ!!」

「今さっき起きたろ…。だから俺はもうちょっと寝る。」

「フ、フンだ!今起きないとキスさせてあげないんだから!!」

「俺がキスしたがってるような言い方をやめろ!!」

「イマスグワタシニキスシナイト、アナタイップンゴニシニマスヨ。」

「騙されるか馬鹿。」

「ひ、ヒドイ!!」


ああ、くそっ。

目覚めちゃったよ。

これじゃあ二度寝は無理かな…仕方ない…起きるか…。


上半身を起こして軽く伸びをすると、

タイミング良く下から母さんの呼ぶ声が聞こえてきた。

それに返事を返したところで、ふとエルベールを見ると目を閉じて唇を目一杯突き出してた。

俺は溜め息を一つつくと、ディスプレイが下向きになるようにしてLPTをそっと伏せたのだった。


ディスプレイにキスするとか痛すぎるだろ…。




□■□■□




一階に降りると朝食の準備をしてる母さんと目があった。


「おはよう、ギノ。」

「おはよう母さん。」

「飲み物は?コーヒーでいい?」

「うん。」

「分かったわ。淹れておくから顔洗って来なさい。」

「へーい。」


母さんに言われた通りに洗面所に向かう。

顔を洗ってタオルで顔を拭いていると、ふと今朝見た夢を思い出した。


(暫く見てなかったんだけどな…あの夢…。)


適当に顔を拭いて洗濯かごにタオルを放り込むと、リビングに向かう。


今日の朝食はウィンナー、目玉焼きにサラダ、ベーグルにコーヒー。

我が家の朝食と言ったらこれ!って感じに普段通りだ。


テーブルにつくと、LPTとにらめっこしていた父さんと目があった。


「ギノか、おはよう。」

「うん。おはよう父さん。」


父さんは挨拶を交わすとすぐにLPTに向き直る。

難しい顔をしている所を見るとLPTでニュースでも見ているんだろう。


最近話題の…ほら…あれだ、あれ?

なんつたっけかな…えーと…まぁ、いいか!


「…おはよぉ~……。」


いただきます!!と言おうとしたところで、

眠たそうな目を擦りながら降りてきたのは妹のピノンだ。


我が家の妹を一言で言い表すとしたら、容姿端麗、成績優秀…性格がアホじゃなけりゃ完璧超人とでも言うべきかもしれないが、結果アホなので残念ながら完璧超人ではない。

父さんはもっと女の子らしくしてほしいと嘆いていた時期もあったが、当の本人が女の子らしさというのを理解していないのでいつからかなにも言われなくなっていった。

ちなみにピノンはショートヘアでジャージかスウェットしか着ない。これで何処にでも行くのだからこっちが困る。(本人いわく長い髪は邪魔だし、スカートなんかは動きづらいからダメとのことだ。)


ピノンは父さんと母さんに挨拶をすると、こっちに向かってきた。


「おはよう、兄ちゃん。」

「おう、おはよう。」

「あれ?兄ちゃん、エルちゃんは?」


エルちゃんって言うのは我が家の二強『バカとアホ』のバカの方…即ちエルベールの事だ。

家族内に限らず俺と親しい奴は大体、エルとかエルちゃんって呼んでる。

学校でも俺のことは知らなくてもエルベールのことは知ってるってやつの方が多いくらいだ。


「ああ…あいつなら部屋に置いてきた。」

「はぁ~…可哀想なエルちゃん…。

あ!そうだ!私のLPTと兄ちゃんのLPT交換しn…」

「それは無理。」

「兄ちゃんの鬼!!

そんならもっとエルちゃんのこと大切にしてあげなよ!」

「別に大切にしてないわけじゃ…。」

「いんや!!してないね!

私だったらぁ~、もっとお喋りして~、可愛がって~…とにかく!

エルちゃんに対して今みたいな態度をとり続けるのなら!

そんときゃ、エルちゃんは私が貰うから!!」


ピノンはそれだけ早口で言うと洗面所に向かっていった。

まぁ、ピノンがあれだけエルに固執する気持ちも分からんでもない。

普通のAIなら会話することは愚か、あれだけの表情差分なんて存在しない。

エルが自分のことを特別だって言っているのも案外間違っちゃいないってことだ。


あんなものをどうして俺が持っているのかは知らないが…。

それに、ピノンくらいの女の子からしたらエルみたいなAIは妹的な感覚なのかもしれないしな。


そんな事を考えている内にいつの間にか家族全員がテーブルについていた。

ピノンなんかもう食べ始めている。


「ほら、あなた。何時までもニュースなんか見てないで…せっかく家族全員が揃っての朝食なんですから…。」

「あ、ああ…そうか、そうだな。」


我が家は両親共働きで、家族全員が一堂に会することは滅多にない。

だから、というわけでもないのだろうが全員で食卓を囲める時間は大事にしているのだ。

父さんは朝食に手をつけ始めたものの、表情は依然厳しいままだ。


ピノンもそれに気付いたのか、口を開いた。


「ねぇ…お父さん、どうかしたの?」

「ん…?あ、いや…。何でもないよ。」


口ではそう言っているが、明らかに何でもないという様子ではない。

ピノンはなおも続ける。


「もしかして…またビースト…?」

「ああ、知ってたのか。」


そうそう!ビーストだ!最近話題になってるやつ!!


「なんですか?それ…。」


母さんは知らなかったようで、首を傾げている。


「宇宙に突如として現れた謎の金属生命体ビースト!

どこから来たのか、どんな目的があるのか一切不明!

ただ出会った人間は一人として宇宙から帰ってくることはなかった…。

だよね?お父さん?」

「まぁ、そんな感じだな。」

「怖いわね~。」


母さんが言うと大変なことじゃなく聞こえる。

不思議!!


「最近じゃどこの局もビーストの話題ばっかじゃん。

知らないのはちょっとまずいんじゃない~?

お母さん?」

「そうなの?でもお母さん最近忙しくてねぇ…。」

「まぁ、今テレビで飛び交ってる情報も推測やデマがほとんどだよ。

一応、金属生命体って言うのは正しいみたいだがな。」

「そっか~。あんまりテレビを信用し過ぎるのも良くないね。」

「そうだな。そろそろ食べようか。」

「そうですね。」


ここまで一切会話に加わることなく黙々と食事をしていた俺の皿の上にはもうなにもなく、ボーッとしながらコーヒーをちびちび飲んでいた。


「でもさぁ…」


すると、ピノンが唐突に口を開き―


「もしかしたら人類と仲良くなりたいのかもn…」


ガタンッ!!


こいつはっ……!!

こいつは何を言っているんだ…!?

あいつらは間違いなく人類の敵だ…!!

殺さなくちゃいけない…!

殺さなくちゃ…!


「―憎い。」


憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いに――。


「お、お兄…ちゃん…?」

「―えっ?」


気付くと俺は椅子から立ち上がっていた。

家族全員が俺の事を見ている。

どれも不安そうな顔だ。

みんなどうしたんだ…?

いや、まず俺はいつ立ち上がったんだっけ?

それにさっきの…感情は…。


「ギノ…お前…。」


父さんが俺を見ている。

いや、正しくは俺の右手か…。

父さんの視線を追うと、いつの間に握ったのか俺の右手にはナイフが握られていた。


なんだこれ…。いつ握ったんだ…?

そもそも何のために…?


「に、兄ちゃん…大丈夫…?」

「え?…あ、ああ!いや…食べ終わったから片付けようと思ったんだけど…。

勢い良く立ちすぎたかな…。ハハハ…。」

「………。」

「ご、ごちそうさまっ!!」


その場の空気に耐えられなくなった俺は食器を台所に運ぶと、足早に自分の部屋に戻った。

部屋に入るとドアをしっかりと閉めて鍵を掛ける。


落ち着け…落ち着け俺!

俺は…何を…?どうして…何をしようとしたんだ…?

ああ!くそっ!!…わかんねぇ!何も!…何もわかんねぇよ…。くそっ…。


「ギニョ?…ギニョなふぉ!?」

「え?」


あ、やべ忘れてた。

そう言えばエルのこと放置しっぱなしだったな…。




□■□■□■




「でね!?ギノってば私のことそのまま放置してご飯食べに行っちゃうんだから!!」

「いやでもあれはお前にも非があるだろ!?」

「それにしたってあんなに長く放っておくのはヒドイじゃない!!」

「だからそれは悪かったって…!」


あのあと慌ててLPTを起こしたものの、時すでに遅しエルはご覧の通り大層ご立腹だ。


家を出てからなん十回と繰り返した会話が今もこうして続けられていた。


「あはは。二人は今日も仲良しだねぇ~。善きかな善きかな。」


そう言って笑うのは幼なじみのコレットだ。

コレットはダークブラウンの癖っ毛を肩までたらし、いつも眠たそうな目をしている。

あれでちゃんと前が見えているのだから驚きだ。


ついでに、学校に行くときに限らずLPTは常に手で持っている。

エルのことをただのAIとして扱うことに対して抵抗があると言うのも理由の一つだが、俺を含め、俺の周りの人間がエルのことを1つの人格として受け入れてしまっているため、ポケットに入れておくことに違和感を感じるのだ。


「どこがだよ…。」


コレットは大体いつもニコニコしている。

性格もおっとりしていて危なっかしい所もあるが、聞き上手で、優しいので一緒にいると(こういう日は特に)落ち着く。

まぁ、趣味がプロレス観戦というちょっと変な部分も…いや、俺の言えたクチじゃねぇか…。


「…コレット。」

「ん~?」

「ああ…いや、悪かったな早めに出たいなんて我が儘言って…。」


そう。コレットとはいつも一緒に学校に行っていて、今日は家に居辛かったのもあっていつもより早めに家を出たのだが、コレットは一言も文句を言わずこうして一緒に来てくれている。

何よりも有り難く、嬉しい事だ。


「え?あはは!いいよ~そんなこと~。」

「悪い…助かる。」

「…ジェラシー…。」

「おお…そう言えばエルも居たな…。」

「ヒドイ!!酷すぎるよっ!!

コレットと私の扱いの差に悪意すら感じるよっ!」


そのままディスプレイから飛び出してくるんじゃないかと思うほど身を乗り出すエル。


またうるさくなるな…。と覚悟した俺の後ろから聞き慣れた声がかかる。


「朝から熱いね~お二人さんは。」

「ウェイン!」


「よぉ」と軽い挨拶を交わすとウェインが隣に並ぶ。ウェインは幼馴染みで親友だが、最近は忙しいらしく、こうして会うのは珍しい。


「なんだか久しぶりな気がするな。こうして四人で一緒に居んの。」

「そうだね~。三人は一緒のクラスだっけ?」

「うん。そういやウェインとは一回も違うクラスになったことないよな?」

「私はいつでも一緒だしね!」

「当たり前だろ…お前は俺のLPTのなかに居るんだから…。」

「ははは!……昔が懐かしいよな…。」

「…すまん…。」

「あ…。そっか…ギノは記憶…無いんだっけか…。」

「ああ…。」


俺は11歳になるちょっと前からの記憶がない。

特に不便に感じたことは無いが、コレットやウェインと昔の話が出来ないのは少し寂しい。


「まぁ…でも、俺たちも似たようなもんだよな。」

「そうだね~…。」

「?」


首を傾げる俺をチラと見て少し笑ってから続ける。


「朧なんだよ…漠然と懐かしさを感じるだけで…。なんだか靄がかかったような…違和感っていうの?」


そう言って目を細めるウェイン。


「でも……。」

「ん?」

「でも、何もないよりましだろ?」

「まぁ…そうだな。」


俺達はそれからしばらく黙々と歩き続けた。


その間に誰が何を思ったのかは分からない。


でも、俺が長く踊ることになる舞曲が始まったのは確かにこの時からだったのかもしれない―。

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