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In old days episodeⅡ

 In old days episodeⅡ


 俺たちは今、戦場にいた。

 周りの生徒はあまりの熱気に倒れ、水を欲している。気絶しているものもいたりして酷い惨状であると物語っている。

 ゴミのように倒れた生徒を眼前に据えて、今にも倒れそうな幻無高校、校長が話を続ける。

「えー……今日は太陽で熱せられたコンクリートで目玉焼きが焼けそうなほど熱いですが――何、もう言った?」

「だから、ここをですね……それより校長。まだ根をあげませんか」

「先生、私はね……この時を待っていたんですよ。この戦場で一年が立っていられるか……どれほどこの一年で他学年の信頼を勝ち取れたか、をね」

「はぁ……倒れた者は保健室に運ばせていただきます」

 俺たちのクラス担任である先生がそそくさと立ち去る。かなり扱い方を心得ているらしい。上級生の保健委員を呼び出しながら倒れた生徒の介抱をしている。

「……」

 まさに満身創痍といったところで、校長が頷く。校長が何か動作をするたびに暑苦しく汗がはじけ飛ぶ。

 校長先生も大変だな……。いや、自ら火に飛び込んでいるのか。

 俺こと神風 核と右隣に平然とつまらなさそうに立っている元気系ボーイッシュ娘、美風 優衣は周りの惨状を見渡した。そして優衣が一言。

「こいつぁ…ひでぇな」

 そんな感想しかでてこなかったらしい。まさに見たまんまでた言葉だろう。

「ああ……悪魔の仕業だな」

 俺は別に感慨深くもなさげに言った。なにせ倒れている生徒は一年生のみ。

 左隣には谷風が汗を滝のようにかいて――死んでいた。

「死んでねぇよ!」

「生きてたのか。愛瑠さんが折角親切に教えてくれたのに、お前が対策しないから……」

「俺はそんな卑怯なことはしねぇ! 耐えて見せる!」

 谷風は喚き立てるが、体力は限界でもう足もフラフラだろう。そろそろ本当にやばいんじゃないか、とすら思ってきた。

「なんと、すんばらしぃ!」

 校長がでっぷりした腹を揺らしながら歓喜の表情で走ってくる。汗も飛び散っているため、他の倒れている一年にかかっている。かかった奴はご愁傷様だ……。

 優衣はさっと身を後方に下がらせて汗がかからないようにする。俺も被害を被らないように撤退。

 でっぷりとした腹が止まったかと思うと上下にばいんばいんと揺れた。おっさんのばいんばいんって誰が喜ぶのだろうか。

 歓喜を体で表したその肉体は、その、かなり醜く揺れている。

「へっへへ……校長。俺の……根性はどうだ!」

 果てしなく暑苦しいガッツポーズで校長にアピールする谷風。

 その光景を見つつ二年と三年は無表情を貫いている。愛瑠さんも無表情だ。なんだ、上級生のあの一体感は……。

「いい根性だ! 谷風 治也!」

 校長の声色が突然変わった。おとなしく、皆の模範であるべき校長というより、体育会系のノリだ。

「お、俺の名前を知っている……!?」

「そう! なにせ君の才能は見抜いていたからな……!」

「な、なんだってー!? やはり俺には隠された才能が……」

「谷風 治也。君は世界を担う――」

 校長がいよいよ最高潮になったのか、拳を握って声をさらに荒げようとした瞬間。

 キーンコーンカーンコーンという間抜けな音が体育館に響いた。

 おほん、と校長は咳をして一言。

「全員解散」

「はーい」

 体育館で涼しい顔をして立っていた人たち全員がそっけなく頷いて声を出した。


 ……


「いやさあ、驚いたよな。まさか夏休み直前の終業式にあんなことするなんて」

 終業式があった日の帰り道。床に灰色のコンクリートと静かな木々たちが並ぶ寮への道。

 そこを優衣と愛瑠さんと寮に帰宅する。

 なんだって? 谷風? いま保健室で夢を見ているらしい……無茶しやがって……。

「あれはびっくりしたな。愛瑠さんに教えてもらってなかったら同じことになってただろうなぁ……愛瑠さんも一年前は危なかったんですか?」

 俺たちのやり取りを聞いていた愛瑠さんはふふっと妖艶に微笑んだ。

「私は全然危なくなんてなかったわよ。むしろ快適だったくらい」

「え……?まさか……」

「愛瑠さんやっぱり……何したんですか!」

「何もしてないわよ!? ちょ、ちょっと上級生を脅し――コホン、少し聞いただけよ。こんなことがあるのかって優しく、丁寧に」

 愛瑠さんは微塵も悪いことはしていないという顔をしていた。

 この人のことだから、人を貶めるようなことはしていないだろうけど脅し的なことはしたんだろうなぁ……絶対に何もならない範囲で。

「愛瑠さんはなぁ……」

「なによ、優衣」

 愛瑠さんと優衣は幼い頃からの幼馴染で、とても仲がいいらしい。どうやらもう一人幼馴染がいるそうなのだが……この調子ならどんな子やら……。

「だって昔遊んでた時、あいつに……」

「な、なによ。私なにもしてないわよ」

「してたじゃねーか! 嫌がるアイツに無理やり……」

「だ、だって仕方ないじゃない……可愛かったんだから……それに私のせいじゃないわ。優衣もやる気だったでしょ!」

「うっ……」

「な、なんの話をしてるんだ……?」

 俺の声を聞いた二人がビクッと体をはねる。

「な、なんでもないのよ、核くん」

「そうそう、なんでもないなんでもない」

「あからさまに怪しいんだが……まぁいいか」

 聞いても話してくれないだろうし。

 二人は時々俺に隠し事をしているようなことを言う時がある。しかし、俺はそれを聞くことをなぜか恐れていた。

 感情の奥で心が締め付けられるような、そんな感覚があるのだ。

「と、ところで愛瑠さんがつけてた冷え冷えクールで助かったぜ」

 優衣が無理やり話題を変えにはしる。少し心に不思議な痛みを抱えていた俺はそれに乗る。

「そうだな。助かりましたよ、愛瑠さん」

「そ、そう。それならいいのだけれど。私も一年の頃大変な目に合いそうになったわ。あのまま行ったら私、汗だくだったでしょうね」

「でしょうね……一年生は体育館がかなりの熱気に包まれるのを知らなくてくるからああなるのよねぇ……そして二年にあがったら自分たちの苦労を味あわせたいから一年に何も教えなくてそれがずっと続いてる、と」

「難儀な高校ですね……」

 この幻無高校では創立当時からかは知らないが、夏直前の終業式でなぜか体育館が異常に熱せられる。

 対策をしてこなかったものは容赦なくその熱気に浴びせられ干からびてしまう……まさにあの空間は戦争だった。

 俺たちは愛瑠さんから冷え冷えクールというものをもらっていたからよかったものの、なかったら谷風と同じ末路を辿っていただろう。

 谷風は忠告を聞いていたにも関わらず「俺は男だ! 卑怯なことはしない!」と言って渦中に飛び込んだ。

 お前のことは忘れない……。あいつは馬鹿で馬鹿だったが勇敢な男だった。

 その後も、適当にあのドラマがどうだとか、最近の政治はどうだとかいいながら寮に到着。

 なぜか俺の部屋の前までついてきた二人を放置して鍵を開けて、即扉を閉める!

 

 ガッ!


 優衣が力によるごり押しで扉を開こうとする。扉の隙間から見える目が怖い!

 あいつらがこの部屋に入ってしまったら……俺の一人の時間がなくなってしまう!

 寮生活者にとって一人の時間がどれほど大切か皆知っていることだと思う。一人で何かをするという時間はやはり必要なのだ。

 だから! あいつらを入れることはできない!

「お、おい。やめろ」

「なぁ……あたしたちが一緒に帰ろうって言ってお前の部屋によらないとでも思ってたのか!」

「そうよ。核くん、そこを開けなさい。命令よ」

「嫌だ!俺に一人の時間をくれ!」

「ダメだ。お前の時間はあたしのもの。あたしの時間はあたしのもの、だ」

「どこの傍若無人だよ!」

「おう、ここにいる傍若無人だ」

「自分で言うな!」

 愛瑠さんが語りかけるように、甘い声で囁きかけてくる。

「ねぇ、核くん。私たちはどうして入ってはいけないの……?」

「だ、だから一人――」

「そう……そうよね。あなたも一人になりたい時間があるわよね。ごめんなさい……」

「謝らなくても……」

「そう? ありがとう。私たちはあなたと一緒にいたいだけなの……ダメ?」

 懇願するような声に甘い吐息が混ざっていて、男ならばここではい! と元気よく答えなければならない衝動に駆られる。

 くっ……いつものパターンではこのまま俺が中に入れてしまうのだが――。

「ダ――い、いいです……あがってください……」

 負けた。やっぱりあの声はずるいんじゃなかろうか。やはり女性の恐ろしい……。

「ありがとう、核くん。ところで夏の予定なんだけど」

 ニコニコしながら、靴を脱いで部屋に入り円形の机に座る。優衣もやれやれと言った顔をしながら入って冷蔵庫を開け放つ。

「おいおい、勝手に何やってるんだ……」

「いやさ、喉渇いたから」

「外で買ってこいよ!」

「だってめんどくせー、お前の扉開けるのに力使ったしー」

「傍若無人すぎるだろ!」

「わーってるよ。じゃあジュース買ってくるよ」

「あー、はいはい。行ってらっしゃい」

 優衣は面倒くさがりながらもジュースを買いに外へ出陣。

 今の時間、終業式帰りでジュース欲しい人が大勢居て時間かかりそうだ……すまん、優衣。

 優衣を送りだしたあと、俺はテレビをつけて円形の机に座った。

「……」

「……」

 テレビでは今年の夏はどんな猛暑になるだとか、オススメスポットがどこだとかそんなことをニュースが流していた。

 今年も宿題してのんびりしたら夏休みはいつの間にか終わっていそうだ。

 いつも何かしようと思うのだが、怠惰に過ごしている間に何ヶ月も夏休みを待ちながらもその瞬間が来てもすぐに命を散らしてしまうセミのように一瞬で終わってしまう。

「ねぇ」

「なんでしょうか」

 ニュースだけの静寂を破って愛瑠さんが話しかけてくる。

「夏休みは予定あるの? あんなに一人になりたい、なんて言ってたわけだし」

「……ありませんよ。一人になりたいって言っても、本当は誰かと居たほうが楽しいんですから」

 少し微笑んで「そう」と付け加えて愛瑠さんは続きを喋る。

「なら、この夏、遊ぶ? 色々なことをして、色々な場所に行って、みんなで思い出を作る? もちろん、谷風くんもね」

「そうですね……いいかもしれません。でも具体的にはどこに……?」

「まずは最初に宿題を三日で終わらせて……」

「終わりますかね、三日で」

「何言ってるの? やるか、やらないかのどっちかしか残ってないのよ」

「ですよねー」

「で、全部終わったら……そうね。最初はみんなで部屋で遊びましょうか」

「部屋ですか……ここなにもありゃしませんが」

「遊ぼうと思ったらどんなところでも遊べるものよ。まぁ、いいのよ、思い出を作るってことで。それで、夏休みも中間ぐらいになったらプールに行きましょう」

「プールですか」

「そうよ。みんなで、ね。その時には私の幼馴染も呼ぶし、みんなで楽しい思い出、作りましょう」

 ふと、今まで愛瑠さんの言葉を聞いていて一つ連呼している言葉があったので聞いてみる。

「思い出、ってそんなに大切ですか?」

 今まで楽しそうに予定を話していた愛瑠さんが、悲しみを滲ませた表情をする。

「……とっても、大切よ。思い出は……今までの自分を築き上げてきたものだもの」

 愛瑠さんの言葉が脳を反復する。

 思い出……俺は自分の心の、記憶を覗こうとした。

「核くん」

 しかし、声に引き戻される。

「なんでしょう」

「あんまり過去のことは考えないほうがいいわ。いま、思い出を作ればいいの」

「……」

 愛瑠さんの言葉には後悔と罪悪感が滲んでいるように思った。それに先ほどまで思い出と言ってきた彼女がなぜ、これからの思い出でよいというのか。

 過去にある思い出があるからこそ、自分を形成しているんじゃないのか。

「何がそんなに……悲しいんですか?」

「なにも悲しくなんてないわよ。でもね、振り返るばかりじゃダメってこと」

「でも……愛瑠さんはさっき思い出は大事って言ってましたよね。自分を形成してきたものだって。だったら、過去の思い出は大事じゃないんですか?」

 「大事よ」と一拍置いてから。

「でも、過去に縛られすぎるのもダメなのよ。核くんも過去を見るのはやめたほうがいいわ。過去を知るのは、辛いことだから……」

 愛瑠さんは俺に忠告しているようでもあり、自分に忠告しているように感じられた。

 しばらくの静寂が続いた。


 パカァン!


 なんだ!? と思って扉を見ると優衣が片足をあげて、絶妙にスカートの中を見えなくしながらこっちを見ながら笑顔だった。

 そして突然大声で笑い出した。

「ふふふふ……! はあーっはっはー! あたしの勝ちだー!」

「何があたしの勝ち、なんだ?」

 聞いてくれるのか!? って顔で優衣がずいっと部屋に進入する。その間に興奮していながらも靴を脱いでいることを付け加えておこう。

「ふふふ、このジュース見てみろよ!」

 自信満々で缶ジュースを見せてくる。ほれほれと言った感じで揺らしているので、文字が読み取り辛いが……。

「えーと……? こ、これは!」

「そう! そのまさかよ!」

「スーパーうなぎ梅干しジュース! 最凶の組み合わせじゃねーか!」

 うなぎと梅干とは、食べ合わせとしたら最悪と言われているものだ。

 きっと飲んだら、喉が焼けるように痛く、腹も壊すに違いない。それに、まずいに違いないという先入観をくれる。

「すごいだろぉー」

「ま、まぁな……。でも、こんなまずそうなもの飲んでどうする気だ……?」

 先ほどの最凶と言った部分を最強と聞いてしまったようだ。さらにテンションが上がったらしい。自信満々で答えてくる。

「これはなぁ~何年前かに忘れたけど大ヒットした商品なんだぞ! そして今日、この学校に一個だけ入荷されたんだ……」

 愛瑠さんが、説明を付け足す。

「これは、三十年前に流行ったものね。当初は今のカサくんみたいにまずそう、という先入観で懐疑的だったのだけれど、一度飲んでみたらその味に没頭した人がたくさんいたらしいわ

 そして、三十年記念ということでこのスーパーうなぎ梅干ジュースを造った会社が一個だけをプレミア抽選したのよ。どの自販機に置くかで」

「それで幻無高校の自販機に当たったんですね……」

「その通りよ」

 今まで説明を聞いていたが、もっともな質問がでてきたので愛瑠さんに聞いてみる。

「愛瑠さんはどうしていかなかったんですか?」

「面倒だったし、第一まずそうだもの」

「……」

「……優衣、言われてるぞ」

「へっへーん、いいもんねー、誰にもあたしのジュースは渡さないもんねー!」

 拗ねたように口を尖らせてこっちをチラチラ見てくる。なんだ、羨ましがってでも欲しいのか。

「そうだな! すごいジュースだよな!」

 俺が突然テンションを高めたのにも疑問を持たないほど優衣は弱っていたらしいが、俺の言葉ですぐにテンションをMAXにさせる。

「おう! すごいだろ。蹴落として勝ち取った商品なんだからな……くぅ~お前にも見せてやりたかったぜ!」

 目を閉じておそらく自分の活躍を脳裏に思い浮かべているのだろう。そりゃ、優衣にかかったらこの学校の連中は勝てないんじゃなかろうか、というほど優衣の力は強かった。

 大人すら投げ飛ばせそうなその怪力が、なぜあの細身の体に埋まっているかはわからないが、そんな特異性を持った女の子だった。

「それじゃあ、開封するぜ……」

 珍しく震えた優衣の手が、缶ジュースのプルタブにかかる。興味はないはずだったのだが、愛瑠さんや優衣の話を聞いていたらこっちまで緊張してきた。

 どうやら愛瑠さんもその通りのようで、興味がない素振りをしていながらも、横目でチラチラとわき見している。

 プルタブからカシュッという空気が漏れる。それと共に、濃厚であり芳醇な匂いが部屋に充満した。

 心の底から飲みたいという欲求に駆られるものがその匂いにはあった。

 優衣はそんなことを気にも留めず、そのピンクの唇に缶の飲み口を近づける。

「あっ……」

「あっ……」

 俺と愛瑠さんは同じ、情けない声を出しているが優衣の耳にはもう何も届いていない。

 ゴクッと音が鳴ったかと思うと、次々と優衣の胃へ滝のように流れていく。

「ぷはぁ! うまかった!」

 飲んだ缶を円形の机にタンっと勢いよく置いた。

 この現状を見たものは誰しも言うだろうことを俺と愛瑠さんは口走った。

「「もっと味わって飲もうよ!」」

 優衣は、何言ってるんだ? といった顔でこちらを見やる。

「あたしはジュースが飲みたかっただけだ。一個限定とか知らん」

「さっきはあんなに力説してただろ!?」

「それは聞いたから少し欲しかっただけで、私はジュースが飲みたかっただけだ。それに、そういうのに参加したあとのほうがジュースがもっと美味しいだろ?」

「確かに運動後のジュースは天の恵みだが……ああ、いやもういいや」

「おう、あたしはジュースが飲みたかっただけだからな!」

 そんな押し問答をしている間に、先ほどまで死の淵をさ迷っていたであろう谷風が帰ってきた。

「うぃーす、ただいまーって、愛瑠姉さんと優衣じゃん」

「やっと帰ってきたわね」

 そう言って愛瑠さんは自分のカバンから一つのノートを三つ取り出し、机に置いた。

 俺と谷風と優衣が、円形の机に集まってそれに書いてある名前を見た瞬間、目のハイライトが消えた気がして――絶望に包まれた。

 そのノートの名前はデスノート――ではなく、夏休みの予定が事細かに記されたノートであった。

 愛瑠さんが俺たちが夏休み中、だらだらするのがわかりきっていたから作ってきたものだったのだろう。

 だが、内容が細かすぎた。

 一日、何時からこれをやるだとか色々書いてあるのだ。だが、最後のページを見た俺たちの目にハイライトが灯った。

 最大ノルマは宿題を最初の三日間で終わらすことだけ、あとはみんなで遊びましょう、とだけ記されていた。

 俺たちはだらだらするに決まっているからある程度の指針があるほうがやりやすい。きっと愛瑠さんはそこら辺を加味したのだろう。

 でも、一日、何時から何時までだとかまで書いてあるのは……これ作った時、愛瑠さん暇だったのかなぁ……。

 そんなことを思った夏休み突入前日。


 ……


 夏休み激動の三日間が始まった。

 一日目の朝。前日は夜更かしすることなく学校に向かうのと同じ時間に起床。谷風は相変わらずぐーすか寝ている。

 朝の目覚めと言えば、カーテンで締め切った部屋を空けることだ。

 カーテンを両手で握ってバッと力を込めて広げようとするが、カーテンは反発して朝の光を届けまいとする。

「うるせぇなぁ……あー、カーテン開けんの失敗してやんの」

「黙ってろ」

「ぷぷっ」

 鬱陶しい谷風を放置して、食パンを焼く。朝はパンに限る。ご飯の時もあるが、やはり基本的にはパンだ。

 ちなみに、学食は夏休み中は全面休業。学生たちは自分たちで色々なことを準備せざるを得なくなる。そのため、実家に帰るものが多数なのだが、俺は帰るのが面倒なのでそのままである。

 どうやら、谷風も同様のようでしばらくは帰る気はないらしい。お盆にはさすがに帰るようだが。

 パンを焼いている間に、マーガリンをセットしてテレビを付けて朝のニュースにチャンネルをセット。

 今日は優衣と愛瑠さんが宿題を朝早くしにくるため、そのために急いで準備をしなければならないが、谷風はどうやらどうでもいいらしい。

 むしろアイツのことだから忘れているのだろう。あとで俺を笑ったのを後悔するといいということで放置。

 コーヒーにミルクを入れてカフェオレに。未だに素のコーヒーには慣れない。

 先生が言うにはまだ子供の舌だそうだ。本当に大人になったら飲めるのだろうかという一抹の不安を抱きつつ、着替えたり、できたパンを胃に放り込んだり、掃除をしていたらいつの間にか予定の十時。

 勉強道具と四人分座れるようにする。

 俺たちはテストなどで慢性的に低空飛行なため、きっと愛瑠さんに色々教えてもらうことになるだろうから、愛瑠さんに感謝の念を伝えるため、好きな缶ジュースだと言っていたカフェオレ(激甘)を購入済みである。

 これで準備よしっと心の中で呟いた時、扉が開いた。

「おはよーおはよー」

「おはよう、みんな起きてる?」

 優衣と愛瑠さんは夏休みだというのになぜか制服。いや、俺もなのであるが。

 どうしても学校の寮内ということで、半年で習慣が染み付いて島田制服を自動的に来てしまう習慣があるのだ。

「二人ともおはよう。そこの机に座ってくれたらいい」

 そんな俺の言葉を聞き流しつつ、谷風が眠っている場所へ移動する二人。俺はひっそりと部屋の隅に移動した。

 一秒ごとの軌跡を辿ってみよう。

 一.優衣と愛瑠さんがカバンを机に置いた。

 二.谷風の元に移動した。

 三.優衣が谷風の顔をアイアンクローした。

 四.谷風を軽くアイアンクローで持ち上げた優衣が愛瑠さんの目の前に差し出した。

 五.愛瑠さんが谷風を簀巻きにして外に放り出し、扉の鍵を閉めた。

 たった五秒で大体の事柄が終了した。

「ちょ!? え! 暑い! めちゃくちゃ暑い! 誰だよ! こんなことしたの!?」

 などと谷風は屋外で供述しており、夏の風物詩であるセミの声がかき消されるほどにうるさい。

 ちなみに、外気温は夏の初頭だというのに三十度を超えている。そのため、熱くて当然なのである。

 愛瑠さんはこちらに聞くこともなく、躊躇なくクーラーをリモコンで起動して座る。優衣は一仕事終えた顔でこちらに来て、手を差し出してきた。

 俺ははいはいと心の中で頷きながら、コップを準備して冷蔵庫から一リットルのコーラを取り出してコップに注ぎ込む。

 優衣は待ちきれなかった様子で、後ろまで来ていたのですぐに手渡すと同時に飲み干してしまう。そんな一気に飲まんでも……と思っていたらお代わりの催促。

 すぐに用意を――。

「いや、開けろよ!? 喋ってなくてもわかるんだからな!?」

「……」

「……」

「……」

「黙んなよ! 寂しくなるだろ! 俺一人で独り言してるみたいじゃねーか! あっ!? 隣の部屋からでてきた奴に笑われた! お前らのせいだぞ!」

「……そろそろ開けてやりますか」

「待って」

「「なんで!?」」

 俺と谷風は思わず口を合わした。これ以上するのはさすがにいじめだと思う。

「今ちょうどクーラーが聞き始めた頃なのよ……いま空けると暑いわ」

「愛瑠姉さんがこの状況を作ったんですがねぇ!」

 心外そうな顔をしながら愛瑠さんが一言。

「あら、昨日言ったじゃない。私たちが来る前に準備しておいてね、ってできてなかったら暑く火照るようなことをするわよって」

「暑く火照るってこんなんじゃないはずだろ!? なぁ、核!」

「俺に振られても困るんだが……まぁ昨日約束してたのにお前が起きなかったからな……」

「うっ……」

「ごめんなさいは?」

 愛瑠さんがゴミを見るような視線を谷風に送っているとは言っても扉で間仕切りされているわけだが……それ、扉ですよ愛瑠さん。

「ごめん……なさい……宿題……全部教えてくださいっ!」

 最後の一言で台無しだ。


 ……


「えーと……この感じ……昼時!?」

「お前は何か感じとれでもするのか」

 夏休みの課題途中で、谷風が昼の気配を感じとったため、時計に目を見やるとちょうど時間は十二時だった。

 これまで解いてきた問題はおよそ夏休み課題の六分の一。確かにこのペースでやれば三日で終わるかもしれないが……三日間、地獄だな……。

 さて、と言って愛瑠さんが立って自分のカバンを漁りだした。そんな小さな、A四のノート程度しか入らなさそうなカバンに何を入れてきたというのだろうか。

「今日の昼ごはんは……」

「昼ごはんは……!?」

「昼ごはんは……!?」

「昼ごはんは……!?」

 全員がノリを合わせて愛瑠さんに期待の純真な目を注ぐ!

 そして愛瑠さんが某青い猫のようにカバンから取り出したのは!

「なんと、今日の昼ご飯は! カレー!」

 愛瑠さんが驚愕のテンションで言い放った一言に対し、俺たちはやっぱり、と肩を落とした。

 古風 愛瑠。

 好きなものはカレー。

 趣味は他人を弄ること。

「……カレーですか。明日の昼ごはんは」

 俺は諦めながらも聞いた。

「カレーよ」

 優衣は負けないぞっ!という顔で愛瑠さんと張り合う。

「その次の日は」

「カレーに決まっているじゃない」

 谷風は奴隷のような目で、主人に尻尾を振るように質問する。

「じゃあその次の日は」

「カレー三昧よ」

「もうダメだ……俺たちの……未来は……」

 さすがの奴隷谷風もこれには参ったようで、完全に肩を落としている。

 以前にも、ゴールデンウィークという名の休日に、みんなで勉強会をしたことがあるがその時は五日間昼夜両方ともカレー三昧だった。

 今回の夜ではそんなことはないと思いたいが……そんな思案をしているといつの間にかカレーをテキパキと用意し、調理レトルトをした愛瑠さんが俺たちに笑顔でカレーを差し出してきた。

「召し上がれ」

 その笑顔はきっと彼女にとっては何もない純真な笑顔だったのだろう。だが、俺たちの視点から見れば、それは悪魔であった。

 笑顔の裏にきっと鬼が潜んでいるに違いない。拒否などすること事態が愚考。そんなことを印象的にさせる笑顔。

「ありがとぷ……ごじあます」

「あら? それを言うならありがとうでしょう。ございますまではいらないわ」

 にこにこ、と彼女は笑顔で言う。

 俺の顔は引きつっていただろう。これからのことを思うと目から涙がでざるを得ない。

「は、はい……」

「うんうん。それじゃあ私は置いて食べておいていいから」

 いつも少し気だるそうに色々やる愛瑠さんがカレーのこととなると率先して動こうとする。

 俺と優衣と谷風の心は完全に一致した感覚にとらわれた。世界を自由に動かせるのではないかと思うくらいであった。

 ダメだ……やっぱり俺たちはカレー塗れの夏休みなんだ……。


 ……


 夏休み二日目。

 夏休み一日目は予想通り、または予知通り、カレーという運びになった。

 そして次の日、前日と同じく朝起きて、カーテンをバッと開けるが、意に反してカーテンはきっちり開かない。

 次こそは……とカーテンを睨み付けながらパンを用意して朝食を食べている間に、谷風が起きた。

「ふぉぁ……」

「よう、今日は起きれたな」

「昨日あんなことがあったんだからさすがに起きるっつーの……」

「そりゃそうだ。もう一回は味わいたくないしな」

 それからも他愛のない会話を続けていると愛瑠さんたちと勉強する時間になっていた。

「おはよう」

「ばんわー」

「今はおはよう、の時間だ」

 愛瑠さんと優衣が扉を開けて入ってきてそのままの流れで円形の机を前に地べたに座る。

 愛瑠さんのカバンはなぜか不自然なほどにぱんぱんに膨らんでいた。きっと何も聞かないほうがいいに違いない、と谷風と俺は無視。

「別にいいじゃんかよー毎回同じ挨拶だと見てる側も退屈だろ?」

「そりゃ退屈かもしれんが……誰も見てくる奴はいないだろ」

 二日目になると慣れたもので、すぐに勉強道具を用意。愛瑠さんが来る前に暑いだろうと思ってクーラーもつけておいた。

「谷風くんはまた……寝てるのね。女を待たせる男は信用ならないわ……優衣」

「おう」

 昨日の繰り返しが行われたあと、愛瑠さんは何事もなかったかのように座り、谷風も何事もなかったかのように座る。

 もう谷風はこの環境に慣れてしまったのだろう。御仕置きを待っている節もある……。

 あいつの将来が心配になる出来事であった。

「昨日は数学と現代文をやったから次は……社会と理科基礎ね」

「「「はーい」」」

 全員、勉強するだけの機械と化していた。

 あと一日、それを我慢すれば……すべてが終わるのだ。この地獄から、解放されるのだ……。


 ……


 夏休み三日目。

 これまでの三日と同じようにカーテンを引っつかみ、勢いよくバッと開く。

 シャーという綺麗な音と共に、カーテンが窓の両端に勢いよく移動した。

 今日はいいことがあるかもしれん。昨日はまたカレーばかりだったから今日は何かあるといいなぁ……。

 俺は思い出してしまった不運を忘れて無心で愛瑠さんや優衣が勉強しにくるまで過ごした。

 ちなみに谷風は学習したのか、はたまた御仕置きに飽きてしまったのか、ちゃんと起きて勉強の準備をしている。

 心なしか目のハイライトが消えているため怖い。

「谷風」

「ああ……」

「勉強好きか?」

「ああ……」

「さつまいも」

「ああ……」

「……」

「……」

 あいつはもうダメだ。放っておこう。

 堕ちてしまった谷風をよそに、今日の勉強を進めておく。

 三日目までくると面倒というより、早く終わらせるか! という気持ちが強いのである。

 とんとん、とノックの音。

 勉強を一旦休憩して、扉を開ける。いつもの制服姿である優衣と愛瑠さんがそこにはいた。

 優衣はなぜか目が爛々と輝いている。昨日まで目のハイライトが消えていたのに一体なにがあったんだ……。

「あ、愛瑠さん?そのでっかい買い物袋はなんですか?」

 だがもう一つ気になる部分があった。いつもとは違うところが一つあって、それは買い物袋があるということだ。しかも特大の袋だ。

 しかも見る限り、肉が多く、愛瑠さんが絶対にいつも買ってくるであろうカレーの元がない。

 もしかして、と期待を込めて聞いたのが愛瑠さんにはお見通しなのか、ふふん、と自信満々に袋を持ち上げて渡してくる。

「みんな今日まで勉強頑張ってたから、ね。今日は焼肉よ。もちろん私の奢りで」

 その言葉を聞いた瞬間、目のハイライトが消えていた俺と谷風の目に生気が灯る!

「「お……おおぉぉぉぉ!」」

「さっすが愛瑠姉さん! 最高だぜ!」

「そ、そう?」

「そうですよ!」

 俺も谷風に乗って愛瑠さんをよいしょする。優衣は散々よいしょしたあとなのと焼肉が楽しみで仕方ないという感じでテキパキと机に座り勉強を開始していた!

「感謝してくれるならみんなとっとと勉強を終わらせましょう」

「「はい!」」

 俺たちの勉強はこれからだ!

 あ、まだまだ夏休みは続くぞ!


 ……


 勉強が終わったのは夏の夜空が見え始める午後六時だった。そこから電気プレートの用意(愛瑠さんが持っていた)。

 肉や野菜を皿に盛り付けたり、サラダを作ったりしていると時間は午後六時半になっていた。

 痺れを切らしたのか、大きな声が室内に響き渡った。

「早くせんかー!」

「だったらお前も手伝え!」

 ばんっと机の上を手のひらで叩いた谷口の頭を手で引っぱたく。

 谷風は「いてぇ……」と言い、頭をさすりながら俺を見上げる。

「だってなぁ、俺は……疲れたんだよ」

「俺だって疲れてるよ……。まぁいいや、谷風ジュース買ってきてくれ」

「なにぃ!? 俺の話を聞いていたのかぁ!?」

「俺は皿準備、愛瑠さんは野菜の準備、優衣は肉の準備をしてるんだ。お前だけが準備しなくていいのか?」

「……」

 谷風は確信に至った表情でこちらを見る。

「つまり……ここで働かねば男が廃ると……?」

「その通りだ」

「くっ……わかった。俺も男だ。やる!」

「おう、で買ってくるもののリストはこれな。あと金はあとで愛瑠さんが払うらしいからちゃんとレシート持って帰ってこいよ」

「おーう」

「財布は持ったか?」

「やべっ忘れてたぜ……」

「財布回収したらすぐに行けよ」

「わあってるよ」

 財布を捜す谷風をよそに、俺は机の上を吹いたり野菜の盛り付けなどを担当する。

 それからしばらく無言で全員が準備を行って、ついに場は完成した!

 円形の机には色とりどりの野菜が並べられており、ピーマンやにんじんやサラダだ。

 次にもっとも目を見張るのはなんといっても肉である。牛や豚などの味付けされたカルビやロースが豪勢に並べられている。

 全員が揃って円形の机の周りに座り、食べる時を一心不乱に待っている。

 勉強会の主催者もとい、この焼肉に出資してくれた愛瑠さんがお茶を持って立つ。

「みんなこの三日間よく耐えてくれたわ……私の地獄の勉強会に!」

 俺たちは愛瑠さんが言った通り、地獄に付き合わされた――が、きっと地獄に付き合っていなければ、堕落して夏休みを勉強せずに過ごしてしまっただろう。

 だから、目もあわせず、合図もせずに優衣、谷風、俺は息を揃えて以心伝心の要領で一言だけ、添える。

「「「ありがとうございましたッ!」」」

「みんな……」

 言葉に感動したのか、少し目を擦ってから愛瑠さんがお茶を掲げる!

「みんなお疲れ! 思う存分食べなさい!」

「「「おっー!」」」

 大声をあげて全員が答える。まるで、遠吠えのようにそれは寮内に響いた。

 いつもなら生徒がいる寮内は夏休みで人が少なく、誰も注意をするものは現れなかった。


 …


「あー食った食った」

「へっ核もういいのか!? あたしがもっともらっちまうぜ!」

 優衣はかなりの量の肉+野菜を食べたはずのなのに、全然その勢いは衰えない。お前、そんなにしてたら太るぞ、と言いたかったが、言ったら殴られる気がしたのでやめておいた。

「いいよいいよ、俺は十分満足したから」

「むー……もっと食べ比べしようぜ!」

「食事中でも競争してたのか……」

「当たり前だっ!」

「じゃあ俺が参戦するぜ!」

 今までやいのやいの言っていた俺たちに谷風が参戦。

「お前も大分食っただろ、まだいけんのか……」

「当然だろっ! さあ、優衣勝負だ! すべて食べつくす!」

「いいぜ! その勝負受けた!」

 どこまで肉と野菜を食べれば勝ちなのだろうか。

 一足早く食べ終わっていた愛瑠さんが、最後の肉と野菜を持ってくる。

「もう……これで本当に肉と野菜は全部終わりよ。ここまできたら全部食べなさい」

「「はーい!」」

 元気よく挨拶した二人に満足したのか、机の上に肉と野菜を置く。

 皿に盛り付けられている肉はまさに天井を目指すかのように聳え立っている。もちろん、野菜のほうもである。

 かなりの量だなおい……なんで皿の上にあんなに乗せてんだ。

「それじゃ俺は外にでてくるよ」

 優衣と谷風は自分たちの勝負に夢中なようで、気づかない。

 そのまま玄関から外にでようとしたが、愛瑠さんがついてきた。

「私もいくわ。ちょっと食べすぎで風に当たりたい気分なのよ」


 …


「よいしょっと……」

 自販機に硬貨を投入して缶ジュースのランプを押す。

 俺の分は……コーラでいいか。愛瑠さんの分はカフェオレを選択。

 ベンチに座っている愛瑠さんに差し出す。

「どうぞ」

「ありがとう」

 カフェオレを渡してから俺もベンチに座る。

 夏の夜空は寒々しく、澄み切っていた。そしてこの近辺は比較的車の通りなどが少ない地域なため、爛々と輝く星が目に映る。

 星が瞬くその姿はまるで幻想のようであり、夢の中にいるようなほど綺麗だった。

「核くんは楽しかった? 勉強会なんてして」

 愛瑠さんにしては少し弱気な声であり、俺たちを気遣うような声色だ。

 いつも無茶を言ったりする彼女だけど、やはり人をかなり気遣っている、それが彼女だった。

 だから二年の間でも人気なんだろう容姿とか関係なく。人を引っ張るタイプではないけど、後方からみんなを支えてくれて全員を安心させてくれる人、それが古風 愛瑠という女性だった。

「俺はどちらかというと楽しかったですかね。辛かったですけど、愛瑠さんは俺たちのこと考えてくれたんでしょう?」

「えぇ……そうね。でも、きっと私の自己満足よ……。みんなのため、って言うのもなにか違うし……きっと私のためなのよ。みんなと遊ぶために。だから、着いてきてくれて嬉しかったわ」

「それでいいんじゃないでしょうかね。人っていうのは自己満足で生きていくものだと思いますよ。俺だって優衣だって、谷風だって……」

「核くんがそう言ってくれるなら安心ね。さて、これからは予定が目白押しとは言わないけど、中盤辺りにはみんなでプールにいきましょう」

「どこでやるとか決まってるんですか?」

「えぇ、もうチケットもあるわ」

 といって、スカートのポケットから取り出す。

「もうあったんですか。いくらですかね?」

「ううん、大丈夫よ。みんなで楽しむためだから……まぁでも、納得しないっていうならその時くる私の友達を楽しませてくれたらいいわ」

「……わかりました。存分にやらせてもらいます!」

 愛瑠さんは一度言ったことは譲らないだろうし、ここは納得するしかないみたいだ……。

 俺が納得していないことは知っているのだろう、愛瑠さんは愛瑠さんの友達のことを話し始めた。

「ふふっありがとうね、核くん。私の友達――ううん、親友の名前は兎風 凛というの」

「兎風 凛……」

 呟く。その名前、言葉はなぜか遠い日に置いてきてしまったように感じる。懐かしい言葉だった。

「そう。それが親友の名前。私と優衣と――彼の大切な友達」

「彼……?」

「昔に分かれた、私たちのとても、とっても大切な親友よ」

「羨ましい人ですね、そんなに大切に思ってくれているなんて」

「あら、嫉妬?」

「そう……かもしれませんね。そんなに大切に思われているのに、忘れているなんて男の敵ですよ」

 その言葉を聞いた彼女はぷっと笑った。

「ふふふっ。そうよね、男の敵よ。私たちがどれだけ大切に思っていても、停滞を望むものが入れば動くことがない……」

「そこまで言っているのに合いにはいかないんですか?」

「いかないわ。彼は遠いところにいるもの。私たちは下から見上げるだけよ」

「……」

「あ、死んだとかじゃないのよ? ちゃんと生きてるわ。彼は一人で運命のいたずらで上に昇っていってしまった。だから、追いつけないだけなのよ。

 でもいつか追いつくわ」

「本当に羨ましい男ですね、その彼っていうのは。愛瑠さんやみんなにそんなに言われて」

「そうよね。思い出してくれたらいいんだけど、きっと私たちだけじゃできない。だから……その時になったら核くんも手伝ってね?」

「はい。当然です!」

「んっ……。じゃあ私のもう一人の親友の話でもしようかしら。名前はついさっき言った通りで……一言で表すならそうね、優等生よ。

 私たちの中じゃいつも優等生。でも、一つのことを決めたら頑固な子で……何かしらぽかやらかすんだけど皆がそれを楽しく見てられる子よ」

 なんとなく愛瑠さんの話したイメージは俺にその女の子をイメージさせてくれた。

 会ったこともないのに、なぜかイメージできる。

「すごく、真面目な子なんでしょうね」

「えぇ……私たちが心配になるほどの真面目よ……。来年にこの高校に入ってくるから、その時は宜しくね。私たちがいなくなったとしても、面倒見てあげてね」

「なんですか? その話し転校の予定でもあるんですか?」

「ううん、転校する予定なんてないわ。でも、もしそうなったら、面倒見てあげてねってだけよ」

「はい。愛瑠さんの親友ですからいい人に決まってますしね。俺は面倒見てもらうことになるかもしれません」

「年下に面倒見てもらおうだなんて、年下好きなのかしら?」

「ち、違いますよ! なにか、気になる子だなって思って……あ、見たこともない子に恋するほど落ちぶれちゃいませんよ?」

「ふふっはいはい。そうねー」

「なっ!? 信じてないでしょう!」

「あっはははっ。だって特徴を話しただけなのにそれで気になる子だなんて言っちゃってもう」

「笑わないでくださいよ!」

「でも……ありがとう、核くん。トリちゃんのことを思ってくれて」

 途中から風に阻まれて、木々が揺らめいたせいで俺には何も声が聞こえなかった。

「でも、なんですか?」

 ベンチから立ち上がって、スカートをぱんぱんと手で汚れを落としてから、愛瑠さんは俺を視界に捕らえる。

 後ろでは木々がざわめき立ち、風は愛瑠さんの長髪やスカートを揺らしている。

 その上では星が幻想的に、爛々と輝いていた。

「なーんにもないわよ」

「なんですかそれ! 教えてくださいよ!」

「追いついてみなさーい」

 なぜかいつもより子供っぽい愛瑠さんを追いかけ、俺は駆け出した。


 …


 夏休みの激動はまだまだ続く。

 中盤までは激動とも言えないもので、部屋で遊んだり基本的には近くで遊ぶだけだったが、夏休みも中盤に入った頃。

 その日はやってきた。

「今日はプールだぁー!」

「遠足に行く小学生か! 少し黙ってろ!」

「えー、だってさーあれだぜ?」

 お前はわかってねぇな……って顔をしながら谷風は外を見る。俺も釣られて視線を外に移す。

 外は、早朝ということもあり太陽が暑苦しいまでに照っていて、その照りだけで焼肉が焼けそうだ。

「あれって……なんだよ」

 少し遠い声をしながら返事を返す。

 谷風は遠い目をしながら、覚醒した頭で熱意を込めた口を開く。

「愛瑠姉さんさんや優衣の水着に、その親友もくるっていうんだぜ? その親友だって美人だろうし、な? その肢体を想像してみろよ。

 あんなに全員スタイルがいいんだ……それが布一枚隔てるだけになるんだぜ……」

 俺は思わずその谷風の熱意が篭った喋りを聞いて水着姿を想像してしまう。

 優衣はボーイッシュで男勝りの声を使うが、スタイルはとてもよく、いつも制服姿を見ることがあるが胸部は愛瑠さんより小さく見えるものの、普通に考えたらかなりの大きさだろう。

 スカートの下から見える足も運動をいつもしているからであろう引き締まって見えており健康的な肉体だと視覚的に情報を与えてくれる。

 愛瑠さんはお姉さんっぽく、運動をあまりしないみたいだが、スタイルはとても良い、大人の女性といった感じだろう。

 優衣より一回り大きく見える胸部もさることながら、スカートの下に見える足は均整が取れており綺麗だ。

 妄想をするうちに思わず「いいなぁ」と呟いてしまう。

「だろぉ? お前もやっとわかってきたみたいじゃねーか。男の心理というものに……!」

「最高だなっ!」

「それじゃいこうぜ。俺たちの輝かしい未来へ!」

「おう……といいたいところだが、まだ時間じゃない」

「なにぃ!?」

 時計を見ると現在は朝七時。

 集合時間は朝八時。そこから電車に乗ってプール場までいくのである。

「馬鹿なこといってねーで早く朝ご飯食え、俺たちはプール場が解放されたら走って最高の居場所を手に入れなきゃならんのだぞ」

 そう、俺たちが向かうのは遊園地とプール場が一体化した遊園地。プール場は遊園地が開園直後から走って約二分程度のところにある。

 そして、プール場での居場所確保はもっとも最優先で俺たちに与えられた任務の一つだった。優衣も足は速いが、そこは女性に任せたら男が廃るということだ。

 チケットを手配してくれた愛瑠さんのためにも良い席を取らないとな……。

「んじゃしゃーねぇ……食うか」

 谷風は少し愚痴愚痴いいながら、それでもやることはわかっているのと愛瑠さんに感謝しているのだろう。

 その他にもきっと水着が見れるという好奇心が一番強いのだろう。

 まさに男を体言したような奴だ。

 それから一時間、プール場へ行くルートを模索したあと集合場所へ移動した。


 …


 集合場所へ移動すると制服姿の愛瑠さんと優衣ともう一人、幻無高校の制服とは違い、白いセーラー服を着た女の子がいた。

 その女の子は長い髪をポニーテールで固めており、目元も優しそうに微笑んでいて唇もピンクで、スレンダーな体系をしており、形容するならば、やまとなでしこ、だろう。

 俺と谷風は思わずその女の子を眺めてしまう。

「あら……? カサくん、どうしたの?」

「あ? あいつらが見てるのは……あー凛か」

 俺たちは口を半開きにしているんだろう、それほど魅力的というより近寄りがたい雰囲気の可愛い系美人だった。

 おそらく愛瑠さんの二つしたと言っていたことから中三なのだろう。幼さの残った顔がその清楚感を導き出している。

 その彼女がピンクの唇を開いた。

「え、えっと……本当に……」

「ね? 言った通りでしょ?」

 何の会話かいまの俺にはわからないが、なぜか急に目に涙をため始めた彼女は口を手で押さえる。

 まるで、何かに感動しているかのようにだ。

 感情が溢れ出てしまったのだとただ初対面でもわかるほどの笑顔でこちらに近づいてくる彼女。

 接触。

「神風くん! 本当によかった……!」

「へ……?」

 俺は見ず知らずの女子が抱きついてくるという突然の出来事に呆然。

 谷風は俺に起きた幸運に唖然。

 愛瑠さんは「仕方ないわね」とでも言いたい顔で悠然と見守っている。

 優衣は「だよなぁ」とでも言いたげな顔で見守っている。

 そういえば愛瑠さんと優衣と出会った頃にもこんなことがあったなぁと思考する。それから、なぜか一緒に行動するようになったのだ。

 出会ったばかりなのに、十年来の友のように行動していたのだ。そしてそこに谷風が加わって……そしていま、俺に抱きついている彼女が加わるのではないだろうか。

 そんな予感がした。


 …


「ごめんなさい!」

 先ほどは聞く余裕もなかった声が俺の耳にすっと入ってくる。

 透き通るようなその声はとても心を落ち着かせてくれる。

「い、いや別に大丈夫だけど……」

「ふふふ、ごめんねカサくん。あなたに会えたのがとっても嬉しかったみたい」

「も、もう!やめてよふーかちゃん……。ほん、っとうにごめんなさい神風くん!」

「もう大丈夫だから……」

「そーだそーだ! 役得めっ!」

「そう言われるだろうとは思ってたよ……」

「私みたいな可愛くない子がくっついちゃって迷惑かけました……」

「トリちゃんは可愛いって言ってるのにねぇ……」

「そーだよなぁ……あたしに比べれば可愛いよなぁ」

「もうっふーかちゃんも美風ちゃんもそんなことないってば……。あっ紹介が遅れてしまってすいません。私は兎風 凛、中学三年生です」

「谷風 治也だっ! よろしく!」

「俺は神風 核、宜しく」

「はいっ! 宜しくお願いします」

「それじゃあ……自己紹介もすんだところだし、そろそろ移動ね」

「「「「はーい」」」」

 全員が頷いて、

 移動の最中、愛瑠さんと隣になったため聞きたかったことを聞いてみる。

「どうして愛瑠さんは彼女のことをトリちゃんって呼んでるんです? 俺のことも、ですけど」

「ん? ああそれね。名字と名前ってあるじゃない。その二つの頭文字を取ってそうしてるのよ。友愛の証かしら。呼びやすい人にかぎるけどね」

 とかぜ りんでとりちゃん、かみかぜ さね、でカサくんということか。

 つまり、みかぜ ゆいだよみゆ、たにかぜ はるやだとたはになるのか……確かに谷風のあだ名がたはでは絞まらないから名前で名字で呼んでいるのだろう。

「優衣はなんで、みゆって呼ばないんですか?」

「ああ……あの子はみゆって呼ばれるのが嫌いらしいのよ。なんでか知らないけどね。だからそう呼ばないことにしてるの」

「なるほど。ありがとうございました」

「何もお礼を言われるようなことはしてないわよ」

 あだ名のことを聞いたあとの地下鉄の横から覗ける愛瑠さんの顔は少し寂しげだった。

 時折見せる彼女たちの寂しそうな顔は俺をどうも不安にさせる、なぜ……なのだろうか。


 …


「あと五分で開園でございます! 皆さんお待ちください!」

 地下鉄で遊園地に移動したあと、俺たちは九時の開園を今か、今かと待っていた。

 愛瑠さんに今日のレクチャーを受ける俺たち。なぜか愛瑠さんはめがねをしていた。

「雰囲気でるでしょ?」

「でます!」

 谷風が元気よく返事をかます。太陽が照りつけてきて路上で焼肉が焼けるのではないかと疑うものなのにあいつはやはり元気。

 俺は、というと少し暑さにやられている。

「暑い……」

「あっこれどうですか?」

 彼女――兎風 凛が、ペットボトルを手渡してくる。

「でも、これ……」

 お茶が中に入っているが、開封したあとがあり、おそらくこれを飲んでいたのは――。

「私が飲んだものでよければ、ですけど……」

 兎風 凛は遠慮がちに俺を、世の男性の九割を落とせるような上目づかいをしながら見る。ちなみにあと一割はホモだという噂だ。

「いいのか……?」

「何がでしょう。暑いなら遠慮なく飲んでください」

「それじゃいただきます」

 誰に言うまでもなくペットボトルの蓋を開けて口に含む。

 兎風 凛はなぜかその光景を見つめてきていた。少し飲みづらいが、この暑さに勝てるものはいなかった。

 うさぎと虎が戦うようなものだ。この場合、うさぎが兎風 凛、虎が太陽である。

「ぷはっ! 飲み物ありがとう」

「いえいえ。走るの頑張ってください!」

「ああ!」

 さすがにこんな女の子が、献身的にしてきてくれているのなら男ならその期待に答えねばならないだろう。

「谷風!」

「おう!核!」

「準備はOKだな……?」

 神妙な声をだして作戦の最終段階を開始する。

「大丈夫だ。問題ない」

 俺と谷風をよそに、女性陣は頑張って~とエールを送ってくれている。

 俺だって男だ。彼女たちの期待にこたえなければ!

 そんな時だった。開園の知らせが客に伝えられる。

「それでは開園いたします! 皆さん押さないようにお願いします!」

 ヘブンズ ドアが開くと同時に俺は走り出していた。

「「いくぜ!」」

 

 …


「はぁ……はぁ……」

「なんとか……なったな……」

「ああ……いいファイトだったぜ、谷風」

「お前こそ、熱かったぜ……」

「まさか途中で格闘家に遭遇したりするとはなぁ……」

「まったくだ……しかもあのセリフには痺れたな! "俺は家族のためにやってんだよぉぉぉ!"って言いながら震えてたぜ……いや、まさに男ってのはあんな人のことを言うんだろうな」

「だなぁ……口も震えてて嫁を思い出すたびに涙がでてたもんなぁ。やっぱりすげぇよ格闘家」

 俺たちが確保した席は絶好の場所だった。暑さは多少感じられるものの日は完全カット。この場所にいる限り日焼けなどは絶対にしないだろう。

 風もプールからあがっても寒くない程度であり、尚且つ、ウォータースライダーやプール、両方の中間地点に位置しており、どちらにもすぐにいける。

「おそいなぁ……水着」

「だなぁ……」

 俺まで水着を求める男になっていた。

 ほとんど無人で、人がいなかったプール場にまばらに人が出てきた頃、その時はやってきた。

「ごめん、お待たせ」

「待たせたなっ!」

「お待たせしました」

 俺と谷風はその光景に感謝した。

 まさに天が与えてくれた最高の供物!

 優衣は、スポーティーに青と白の健康的なものを感じさせてくれる水着だ。

 愛瑠さんは、黒い水着で大人の魅力といったところだろう。

 二人ともスタイルが良すぎて、直視するのがキツイ。谷風は時々目を逸らしながら理性を保とうとしている。

 だが、一際目を引いてしまうのが、兎風 凛という少女だった。

 中三という未発達の体に着けているのは紺のスクール水着。

「……」

「……」

 空いた口が塞がらない俺たちは兎風 凛という少女を見つめる。

 俺たちの視線を完全にわかっているのだろう。兎風 凛が真っ赤になる。

「な、なんでしょう……。どこかっおかしいところがあるんでしょうかっ!」

「……」

「……」

「あまりに可愛いから見つめてるのよ。ねー優衣」

「まったくだぜ、あたしの一個下とは思えないくらい可愛いよなぁ、核」

「ああ……」

「……」

「で、核。あたしたちはどうなんだ!」

「えっ!? あっなんだ!?」

「だーかーらー! あたしと愛瑠さんはどうなんだっていうことだよ!」

 ずいっと顔を近づけてきているため、その体が俺に当たりそうになる。

 普段は気にしないのだが、今日はさすがにきついものがあった。

「い、いや、すごく似合ってるよ!」

 きっと俺の顔は熱にあてられるまでもなく真っ赤だっただろう。

「そ、そうか……ありがとう」

「褒められて悪い気はしないからありがとうと言っておくわ。まさかカサくんが年下趣味だとは思わなかったけどね」

「ち、違います!」

「じゃあどんな子がいいのかしら……?」

「あっそれは私も気になります」

「あたしも気になるなぁー」

「俺の趣味は当然――」

「お前は黙ってろ」

「優衣、そんな殺生な……」

「お、俺のは黙秘させてくれ……」

「「「えー」」」

「えー、じゃないッ! 谷風、すぐに着替えにいくぞ!」

「あ、ああ……」

 全員が思ったことだろう、こいつ逃げた、と。

 ああ、そうだよ! 逃げたよ! 全員が魅力的だとはさすがに言えるほどの勇気はさすがに、なかった。


 …


「溢れる水着! 溢れるぽろり!」

「ぽろりはねぇかな」

「そうかなぁ……」

「ってお前らなんでそんなところで油売ってんだ!?」

 遊びにいこうとしていた面子である、優衣と愛瑠さんと兎風 凛が不思議そうにこちらを見ていた。

「だってなぁ……」

 谷風は示し合わせたかのように顔を合わせる。

 真夏の太陽が届かない場所で、宣言する。

「「荷物待ちに決まってるだろ!」」

 その言葉を聞いた愛瑠さんが「あれ? 知らないの?」という顔でこちらを見た。

「あなたたちが取ってくれたこの場所は、監視員さんが監視してくれている範囲に入ってるのよ。だから、荷物はちゃんと見張っててくれてるわよ」

 愛瑠さんの目線が動いた先を見るといかつい顔をしたスポーツガリのおっさんが、辺りを見渡していた。

 人を目線で殺せるようなオーラをしている。まるでヤクザだ。

「なるほどね……どうりで取り合いする時に人がこっちに人が来たわけだ……っていうことは……」

 谷風と顔を見合す。

 俺はここに来て完全にタガが外れていた。俺だっていつも言っている通り男だ。どれだけ言っていても女性と遊べるのは嬉しい!

 それに、ここに来て優衣や愛瑠さんや兎風 凛と遊びたいという感情が理性に打ち勝った。以前からその感情はあった。

 しかし、積もる埃のようにそれは蓄積していき、いよいよ我慢できなくなった。

 だから!

「いこう! 遊びに!」

「いくぜー!」

「「いぃぃやっほぉぉー!」」

 やまびこのように俺と谷風は声を反響させてプールに突撃した!

「カサくんのあんなところ初めて見るわ……」

「ああ……」

「何か嬉しいことでもあったのかなぁ」

「ふふっきっとあたしたちと遊べるのが嬉しいのよ」

「そうだったら、いいね」

「うん」

「そうだな」

 

 …


「そーれ!」

 ピンクと白のシマシマ模様のボールが兎風 凛の手から離れてこちらに飛んでくる。

「ほっ!」

 それをバレーボールの要領で愛瑠さんに押し返す。

 兎風の一言から始まったボールを使った遊び。どうやら彼女は見た目より活発な性格であるらしい。

 今までの認識は優等生系の気弱な女子であったが、実際に遊んでみたところかなり積極的に遊ぶ子だった。

「優衣っ!」

 愛瑠さんの声に合わせて優衣が構えを取る。ま、まさか!?

「おおぉぉぉ――らぁぁ――!」

 優衣がどこかのスポーツ漫画の要領で手を振り上げ、シマシマ模様ボールを手のひらで弾き飛ばす!

 風を豪快に切り裂いた音がした挙句、プールに加速のついた腕がクリーンヒット!

 二十センチほどの水しぶきが上がり、俺たちはさらにずぶ濡れになった。

「なっ!?」

 剛速球で水しぶきから飛び出したボールは俺の顔面目掛けてせまる!

「ふっ!」

 右に体を捻る!ボールはそれを予知したかのように右に移動する。

「お、おぃぃぃい曲がるなんてきいてねぇぞぉぉ――! へんかきゅ――ぐはっ!」

「さ、さねぇぇ――!」

 谷風の俺を労わる声を聞きながら俺は――気絶しなかった。

「うおぉ……」

 鼻を押さえて痛みを堪える。、見た目に反してボールの威力はそれほどでもなかった。

 鼻血すらでていないため、むしろあの速さで痛いと感じさせない優衣の手腕が大変すばらしいという結論に至るだろう。

「ごめん……楽しくって力加減が……」

 優衣が謝罪の言葉を述べる。

「別に痛くなかったからいいよ……それにしてもどうしてあれで俺は怪我をしてないんだ……」

「核は知らなかったか? あたしは時たまああいうことしちゃうから、怪我させないように鍛えたんだ」

「努力をする方向は評価するが、まず楽しくなったら力入れるのをどうにかしないとな」

「いや、まったくごめん……」

 愛瑠さんが、このままでは薄暗い雰囲気になると察したのだろう、ウォータースライダーを見上げたまま一言。

「みんなあのウォータースライダーにいかない? もちろん、誰と入るかはクジで決めるけど」

 谷風は既に興味の対象がそちらであるのだろう。

 待ちきれない子供のようにハシャグ。

「うおーっ! あれ行きたかったんですよね-! 愛瑠姉さんいきましょう!」

「あらあら、そんなにあたしと行きたいの?」

「神風くんは誰と行きたいですか?」

「えっ、お、俺!?」

「はい。是非お聞きしたいです」

 子犬のように純粋な目を向けられる。その目やめてくれ……どうしても直視ができない。

 俺が何を抱えているわけではないのだが、彼女の目は良心の呵責を感じさせるような、綺麗な目をしていた。

「え、えーとだな……そういえば腹減ってないか!」

「お腹ですか? ふーかちゃん」

 愛瑠さんは谷風との言い合いを中断し兎風の話し合いに入る。

「それじゃあ、私たちのスペースに一旦帰るとしましょうか」

「おっ、やっとご飯か!」

「「へっ?」」

 谷風と思わずシンクロしてしまう。

 俺たちはまだ知らなかった。本当の地獄が始まることを。


 …


「一体何が始まるんだ……」

「ああ……危険な臭いがするぜ……」

 なぜか俺たちのスペースに戻ってこさされた挙句、昼飯を買うなという禁止令まで頂いてしまい、待ちぼうけているのだ。

「なぁ、優衣、やっぱり何か買いにいっても……」

「ダメだ」

「ですよねー」

「ダメだったか……いい加減腹減ったんだが……」

 そんな俺たちをよそに、愛瑠さんと兎風が帰ってきた。

 腹の虫が限界だった俺たちには至福の弁当箱が見える。まるで、絶望の中で見えた光。

「準備に手間取ってごめんなさいね」

 大きな弁当箱の蓋を開けて、俺たちの前に置く。

 中に見えるのはサンドウィッチ!ずらっと見る限り種類豊富だ。

 玉子サンド、ハムチースサンド、サラダサンド、カツサンドなどどれも均整が取れており、匂いもかなり良い匂いを発している。

「うおぉぉ……」

「おぉぉぉ……」

 谷風とまったく歓喜の声を出しつつ、自信ありげな愛瑠さんを見る。

 その姿は、まるで熱波に現れたオアシス! 腹減りが収まらない俺たちの救世主!

「「これ食べていいんですか!?」」

「トリちゃんが来るまで待って――あ、帰ってきたわね」

「皆さんお待たせなさい。遅くなりました」

 兎風はトレーに紙コップジュースを乗せて帰ってきた。

「あ、先に食べててって言ったのに……」

 困惑の表情を浮かべる兎風に、愛瑠さんは俺たちに話が聞こえないところまあで移動して、優しい表情をした。

 もしかしてあの表情は――。

「だってあなたがいないとダメじゃない。あなただって、食べてるところ見たかったんでしょ?」

 話始めと打って変わって意地悪そうな顔をする愛瑠さん。

 愛瑠さんが最初優しい顔をする時は大抵、そのあと、相手をからかう時にする顔として意地悪い表情を浮かべる。

 それくらいは夏休みまでの付き合いでわかる。

 俺が分かっているのだから、付き合いの長い兎風もわかっているのだろうが、彼女はノッてしまったように見える。

 しかも、弄りやすい方向に……。

「そ、そんなことないよ。だって神風くんと谷風くんに悪いかったし……お腹すいてそうだし……」

 こちらから、会話は聞こえないが、兎風が否定しているのが見える。

 俺から見ても兎風は遠慮しているように見える。

 愛瑠さんは、その辺が気に食わないのだろう。遠慮しすぎるというのは必ずしも美徳ではないということだ。

「でも、食べてほしかったんでしょ? 折角朝から起きて作ってたんだし。気合も入ってたしね」

 兎風は萎縮して、手をもじもじして身長が上である愛瑠さんを上目遣いで見つめる。

 傍から見てもとても可愛い光景だった。

「うぅ……食べてほしいし感想も欲しいけど……でも会えただけでも……」

 会話は聞こえないが、かなり話は進んでいるらしい。愛瑠さんがため息をついた。

「はぁ……もっとあなたは欲張っていいのよ。 やっと会えたんだから、ね?」

「うん……うん。 そうかもしれない……ね」

 話が終わったのだろう、満足した表情で愛瑠さんが戻ってきた。兎風は少し赤い顔で戻ってきた。

 暑かったのだろうか。

「お待たせしてごめんね。さ、食べましょ」

 止まっていた時間が動きだしたかのように、みんなが意気揚々と喋りだす。

「俺これもーらい!」

「あっ谷風それあたしが目つけてたんだぞ!」

「知るかッ!速いもん勝ちだ!」

 狙ってた獲物を取られた優衣は悔しそうに顔をしかめた。

「くぅぅ~! 谷風! もっと勝負だ!」

「ほむぁ、ひいぜ!」

「食いながら喋るなよ……俺はこれにするか」

 綺麗に並べられたサンドウィッチたちからハムチーズサンドをチョイスし、口に含む。

「……うん、うまい!」

 素直にうまいと言える味だった。質素ながら、マヨネーズも入ったハムチーズサンドは噛むたびに芳醇な味わいが広がり、絶妙なハーモニーを奏でてくれる。

 感想を聞いて兎風が笑顔になったのが目の端に見えた。

「ん? どうしたんだ? そんなに笑顔で」

 自分が笑顔でにやついてるとは思っていなかったのだろう。

 「ひゃっ」と素っ頓狂な声をだしたあとサンドウィッチを指差した。

「いまの私が作ったんです。それでたぶん勝手に笑顔がでてしまったんだと思います……すいません」

 兎風から遠慮の念を感じる。やはり話し方もどこかぎこちないというか。

「なんで謝る必要があるよ。兎風は一個下だし会ったばかりかもしれないけど、遠慮しなくてもいいぞ?」

 その言葉を聞いて兎風は一瞬迷いを見せた――しかし、そんな迷いを感じさせないほどハッキリした声を響かせた。

「はい……ううん、違うよね。うん! そうすることにします。美味しいって言ってくれてありがとうございます」

「本当に美味しいからでた感想だ」

「本当にねぇ。トリちゃんは朝早くから起きて下準備してたりしたのよ」

「そ、そうなのか?」

「も、もう! ふーかちゃん! 確かにその通りだけど……食べるならやっぱり美味しいもの食べてほしかったから……」

「なるほどな……優しいな、兎風は」

「うんうん。まったくだ」

「谷風、お前は優衣と勝負してたんじゃなかったのか」

「いやさ、負けたよ……アイツの手、見えねぇの。もしかしたら勝てるかな~とか思ったんだけどな……」

「ふん! あたしの勝ちだ!」

 ガッツポーズを決めて見事にドヤ顔する優衣に、全員が笑う。

「な、なんだよ!? あたしの凄さを知らないな!? 核勝負だ!」

「えっ!? いや、いいよ」

「やってみてくださいよ、神風くん」

 兎風の無茶振り。遠慮しないでって言ったそばからなんてことだ。

「そうよ、やりなさい。 私たちが審判してあげるから」

「いや、でもなくなるから!」

「大丈夫よ、まだあと一箱もってきてるから」

「どれだけ持ってきてるんですか!」

「当然、いっぱいよ」

 愛瑠さんにしては珍しい見事なドヤ顔が現れる。

「ああ、もう! やればいいんでしょう! やれば! 優衣、勝負だ!

「おっ、核やる気だな! やぁぁぁぁってやるぜ! どれだけ食べれば優勝だ!?」

「んーと……そうねぇ、どうしようかしら」

「うーんとね、私たちが食べるものを指示するから、それをできるだけ速く取ったほうが勝ちっていうのは?」

「おっそれいいな。あたしの反応速度を超えてみせろ!」

「やってやるよ。さぁ、始めてくれ」

「カサくん珍しくやる気ね、それじゃあ第一回戦――」

「玉子サンド!」

「カツサンド!」

「サラダサンド!」

「んあ!? なんで三人とも言ってるんだ!?」

「遅いぜ核!」

「あっちょっ」

「ふんむふがふが……」

 優衣が口いっぱいに玉子サンド、カツサンド、サラダサンドを含む。

 その姿はまるでどんぐりを加えているリス。

 それを見て全員が笑いこげる。

「ゆ、優衣。あははっなんだその顔っ」

「美風ちゃん可愛い顔、あはははっ」

「ふふっ、こんな顔滅多に見れないわね」

「はーっはははは! 優衣なんて顔してんだ! あはははーっ!」

「谷風、おめぇは笑いすぎだ!」

 ドクっという音がして、谷風がパンチされた。

「おふっ……へへっいつもみたいに力が篭ってないぜ!」

「サラダサンド!」

 兎風が、次のお題を出題。

「ふぁ、ちょっあたしまだ食って――」

「速いもの勝ち、だろ?」

 俺はすぐさま手にとって口に含む。

「ずりぃ!」

 そこからずっと、みんなの笑い声が辺りに響いた。

 少し食べ過ぎたかもしれない。

 

 …


 昼飯を済ませたあと俺たちはウォータースライダーに来ていた。

 下から見るとぐねぐねととぐろを巻いて、天を貫くように伸びるホース状の物体は、人間が通って滑ってきているのが今この瞬間でも見える。

「なっげぇなぁ……」

「ああ……長いな」

 谷風とウォータースライダーを見上げる。あまりのそのでかさに、口が半開き状態だ。

 そんな態度を見て愛瑠さんが説明を行ってくれる。

「ここはウォータースライダーで有名なプール場なのよ。長さは確か直径で二百五十メートルほどだと聞いたことがあるわ。あと二人用のもあるとか」

「ふ、二人乗り!? 早くいこうぜ! この瞬間を待っていたんだー!」

 愛瑠さんの説明を聞いて、体が疼いたのか、こちらが暑くなるほどのテンションを放ちながら、谷風が目と鼻の先に見えるウォータースライダーに狂喜乱舞しながら走っていった。

 たぶんその原因は二人乗りというところだろう。どれだけ女性に飢えてるんだ、あいつは。

 そんなことを思う俺だが、実は俺も女性とは乗りたいと思う。やはり女性と居たいと思うのは男のサガか。

「あいつテンションたけぇな……」

「あれ? でもあのウォータースライダーって……」

 兎風が手をこめかみに当てて、疑惑の表情。

「どうした? なにかあったか?」

「ううん、確かあっちは――」

 愛瑠さんが兎風の疑問に回答をあげた。

「あっちのウォータースライダーは一人乗り用よ」

 思わず愛瑠さん以外の全員の顔が点になった。そもそも全員が二人用に乗ることは暗黙の了解としてなんとなく理解していたのだ。

 谷風もそれはもう、二人で乗りたかっただろう。主に女性と。

 そのチャンスを逃がそうとしているアイツを探そうとしたが、アイツは既にウォータースライダーの上まで登って行っている。

 しかも全力疾走で階段を駆け上がる姿は、まるで道化師。

 いつも不幸を背負っている谷風は気づくことができるのだろうか。俺にできるのは祈ることだけだった。


 …


「はぁ……はぁ……ん?」

 獅子奮迅の勢いでウォータースライダーまで登った谷風 治也は、荒々しく肩を上下させて息をしながら遥か下を見た。

 神風 核と古風 愛瑠と兎風 凛と美風 優衣が見える。

「へへっあいつら速く登ってこいよな……! あー誰と乗れっかなー」

 思わずにやけを抑えられず、口を押さえる。

 傍から見るとなんとも気持ち悪い光景だろうが、谷風はかなり楽しみにしていた。

 しかし――それはすぐに打ち砕かれることになった。

 一人のチャライ店員によって。

「あー、すいませんー」

「あ?」

 谷風が声に振り向くと見るからにチャライ、茶髪の店員が声をかけてきていた。

「お客さん早く乗ってくださいよー人待ちしてるんでー」

「あ、すいません。いま他の人が――」

「あー、はいはい。早く乗ってくださいねー、それとこれ一人乗りなんでー」

「なんだ……と……!? ちょ、ちょっと待っ――」

「一名様ご案内ーはい、それじゃ行ってきてください」

「なっちょっ!?」

 振りほどけないほどの力によるごり押しでウォータースライダーに乗せた谷風を店員が文字通り足で蹴飛ばす。

「なんで蹴ったあぁぁぁ――うひょぉぉぉぉ!?」


 …


「あぼぼぼぼぼ――」

 何かの断末魔のような、心の底から湧き出た言葉がプール場に響き渡っている。

「もももももも――」

「さて、それじゃ行きましょうか」

「そうだな、いくか」

「そうだね」

 なぜかこの断末魔をスルーする女性一同に、俺は思わず疑問を投げかけた。

「どうして無視できるんだ!?」

 なんだ、そんなことか、という顔で愛瑠さんに見られる。他のみんなもそんな顔だ。

 谷風の扱い全員悪すぎないだろうか。何か救済はないんだろうか。

「だって、あのウォータースライダー滑り出したら十五分は帰ってこれないわよ」

「!?」

 まさかの事実に俺は驚愕した。

「あれはね、構造自体が迷路状のウォータースライダーなの。途中で分岐点となるところがあるんだけど、そこを間違えると永遠とウォータースライダーの中を彷徨うように調整されているのよ」

「そんな無茶な……。どう見たって二百五十メートルのパイプが一個通ってるだけですよ……?」

 青く、デカイパイプがぐねぐねと一個通っているだけに見えるのだが、俺の目がおかしいのだろうか。

「えぇ、でも外側からだけじゃわからないものじゃない? 中はとんでもない新技術が使われていて、空間圧縮による空間が――」

「なんですかっそれは!? 漫画の世界ですか!」

「だってそういう触れ込みなんだもの。私だって知らないわ」

「ねー」

「ねー」

「ねー」

 女性陣がシンクロした動きで同じ言葉を連発した。

 さすが幼馴染と言ったところか……。

「じゃあ、二人乗りのところへ行きましょうか」

「えっ、本当に放っておくんですか!?」

「ほら、早く」

「早くしろ、とっととあるけ」

 優衣に後ろをげしげし蹴られながら、徒歩を進めると兎風と愛瑠さんに腕を掴まれて強制的に移動させられた。

 俺はあの新技術のほうが若干気になっていたが、谷風の「やっべぇぇ死ぬ、死ぬ!」という心の底からでたであろう必死な声を聞いて諦めた。

 谷風、すまない。


 …


 ウォータースライダーの順番待ちに人がゴミのように並んでいる中に、俺たちもゴミのように並ぶ。

 俺はなぜかこの光景に懐かしさを覚えていた。小さいころに来たことでもあるのだろうか。

「……長いな」

「あと十分くらいってところかしらね」

 俺たちが並んでから既に十分という時が進行していた。

 優衣は並びながら体の体操をして暇を紛らわしていたものの、そろそろやることもなくなってしまったのか、愚痴を言い始めた。

 それを兎風がたしなめる。

「あーなげぇー」

「まぁまぁ美風ちゃん。もうちょっとだよ」

「そりゃそうなんだけどさーこの時間もったいなく感じるんだよなー」

「そうねぇ……じゃあ何しようかしら。並びながらできることでもやりましょうか、何か案ある? カサくん」

「俺ですか、そうですねぇ……しりとりなんて、どうです?」

「いいわよ、私からね、しりとりのり、でリス」

「いやいや、次は――」

「簀巻きかな」

「いやいやお前ら――」

「んじゃあたしは、金太郎だな」

「おいおい人名は――」

「いいから早くしなさい」

 女性が揃っていると、男性の意見など何もない。無慈悲なものだ。

 少し呆れながらも言いだしっぺであるため

「はい……うま」

「まー……まりもっこり」

「よくそんなの知ってねふーかちゃん……。りんご」

「凛は相変わらず当たり障りのないところ攻めるなぁ。ゴリラ」

「優衣も人のこと言えないくらい当たり障りないが……。ラード」

「ドー……ドー……独裁」

「ふーかちゃん本当に思ってそうだよね……。イルカ」

「……カラスミ」

「水。なぁ、やめないか」

「ん、どうしてよ? 随想」

「尺稼ぎって言いたいのかな……。うすのろ」

「やっぱりこれ、尺稼ぎだったのかよー。 炉」

「……」

「皆さんお待たせしましたー」

 気のよさそうな店員の声を合図に俺たちは時間潰しのしりとりを切り上げ、シンクロした。

「「「「はいー」」」」

 今までの陰鬱とした待ち時間の空気が嘘のように、みんなが和気藹々としだす。

「じゃあ誰と誰が乗りましょうか?」

 先ほどまで上に雲でもあるのかというくらい陰鬱であったが、いまは夏の暑さが無駄に暑く感じられるほどだ。

 人は気分がネガティブであると調子が悪くなり、いいことも少なくなる。しかしポジティブであると良いことや調子がよくなる。

 心の持ちようでどこまでも変われるのが人であると再認識した。

「俺は――」

「じゃああたしは核と乗ろうかな」

「あ、じゃあその次私が神風くんと乗る」

「それじゃ私が最後にカサくんと滑るわ」

 何か全員がおかしいことを言っている気がする。

「待ってくれ、俺の意見はどこに消えた」

「お前の意見なんてどぶに捨てちまいなよYOU!」

「なんでだ!? 別に全員俺と滑らなくても……それに次の人の邪魔になるだろ? また俺が戻ってくるまで時間が――」

 店員のほうをちらっとわき見する。空気を呼んだように口を開く店員。

 意図を把握してくれたか!

「あ、大丈夫ですよー。すぐに戻ってきてくれれば」

 誠に遺憾である。

「じゃ、核いこうぜ」

「ああ……もう好きにしてくれ……」

「ん? いま好きにしてくれって言ったよね?」

「誰も優衣に行ってねーよ……」

「んじゃ行ってきまーす」

 いらっしゃい、と見送る愛瑠さんと兎風をよそに、優衣とウォータースライダーの入口に設置されたボートに乗る。

 俺が後ろで、優衣が前である。

「うっし、いくか核!」

「おお! もうどうにでもなれだ!」

「いいぜ、その気合。 最高だぁー!」

「では、いってらっしゃいー」

 店員にボートを押されたところで俺の記憶は途切れ途切れになり、次にはっと記憶が戻ったのは、兎風とボートに座った時だ。

 途切れ途切れの記憶を遡って見ると優衣ととんでもないことをした気がする……。何があったかはわからないが、俺自身が思い出すのを拒んでいる。

 優衣は遥か彼方で俺たちが降りてくるのを見守っている。あの笑顔の裏に一体何があったというのだろうか。

「いきましょう、神風くん」

「え? あ、ああ」

「それじゃお二人様ご案内~」

 再び店員にボートを押され、兎風と滑り出す。

 悠然と滑り出したボートは青い景色を俺たちに与えて、加速していく。

 二回目とはいえ、なぜか一回目の記憶がないため、新鮮に感じられる。思った以上の加速度に思わずボートの取ってを持つ。

 それは兎風も同じだったようで、なぜか後ろの取ってを握ろうとして俺の手を握る。

「あ、すいません」

 後方から表情は窺えないが、顔が真っ赤に染まっているのは耳でも確認できる。

「問題ない」

「きゃっ」

 ボートに乗りながらなぜか足を滑らすというある意味器用な兎風の腰を両手で捕まえる。

「ありがとうございます」

「あ、ああ……」

 俺はというと至って平常運転。優衣と兎風と愛瑠さんに限ったことだが、なぜか彼女たちに関してはそこまでテンパることはない。

 しかも自然に何かと手がでていることが多い。もちろん、女性に手を出しているという意味じゃないぞ。

 彼女たちには、親しみすら覚えるが俺には過去にあった記憶も何もない。普通に過ごして、普通にここまでやってきた。

 だから、それが不思議なのだ。

「なぁ」

「どうしましたか?」

「俺と兎風って会ったこと、あるか?」

「……ない……よ、会ったこと、なんて……」

 搾り出したように掠れた声。しかし、そんなものはなかったかのように、次の瞬間には声は元通りに戻る。

 水の流れで聞き取りにくかっただけだろう。

 安易な方向へ俺は流れる。ウォータースライダーもそうだ。分岐している道があるが、真ん中を通る。

 敷かれたレールをひたすら進む。その先頭にいるのは兎風――そういえば優衣と滑った時、彼女は左へ行った。

 彼女はなんであれ、敷かれたレールというものを良しとしない。負けず嫌いなのだ。

「なかったか……」

 記憶の片隅に残っているしこりのようなものが己の意に反して氷解され、何事もなかったかのように事象は続く。

「はい。わっぷ……あははっ」

 水を盛大に被った兎風が笑い飛ばす。

 本当に楽しそうな笑顔。この一瞬のことを考えているのだろう。

 兎風は過去も未来も見ていない。現在の、停滞した状態を望んでいるように思える。

 それは優衣や愛瑠さんも同じだが、優衣は過去を、愛瑠さんは未来に少しずつ進んでいる気がする。

 このウォータースライダーと同じだ。左右真ん中に分かれた道があり、それを彼女たちが通る。

 優衣は左を、兎風は真ん中を、まだ滑っていないが愛瑠さんはきっと右を選ぶだろう。彼女たちは誰も同じ道を進もうとしない。

 それはきっと彼女たちの見ている方向が違うのだろう。夢見ている結果は同じ、理想も同じだが、過程がまったく違う。

 しかし、今日見知った兎風のことがこれだけわかるのはおかしいと自分でも思うのだが、どうも記憶の奥底にあるチリチリした感触。

 何も思いだせなくて、それでも残るしこりのようなもの。それは兎風と会った瞬間からずっとあったしこり。

 思わないようにしていたもの。兎風と二人で居て分かった。

 きっと彼女とはどこかで会ったことがある、しかし俺はそれを考えられるほど勇気や希望や使命感を持っていなかった。

 人は楽なほうへ、楽しいほうへと流れていく。簡単なほうが何も考えなくていいから、楽だから。

 ずっと楽がしたい、ずっと楽しくいたい、人は誰しもそう考える。

 "この時"の俺は、そうだった。

 どんなに後悔しても、何もできない事象ができてしまった時、俺は楽なほうをもとめ続け、脳の奥底にあるしこりを残したままにした俺を罵りたくなった。

 それは――取り返しのつかないことを招くことになることを。


 …


 愛瑠さんとのウォータースライダーに思った以上に時間を取られたため、いつの間にかプールから去る時間になっていた。

 そのため、俺たちは遊園地で遊ぶことも叶わず、地下鉄に乗り込んだ。

 優衣と兎風と谷風は遊びつかれてしまったのか、眠っている。

 俺の右肩には優衣の頭が、愛瑠さんの左肩には兎風の頭が乗っかっている。

 谷風は何度か優衣に頭をもたれさせていたのだが、優衣自身は相当うっとおしかったようで谷風を締め上げて言うことを聞かせていた。

 やはり、女子は強い。

 それにしても眠い。俺も寝よう――

「……カサくん」

 思わず眠りそうなところに声をかけられ、意識を突如覚醒させる。右肩には優衣の感触が乗っている。

「どうしました?」

「ううん、プール楽しかったかなって思ってね」

「楽しかったですよ」

「ふふ、そう、それはよかったわ。みんなが楽しめたなら、それで……ね」

 彼女はどうしてこんなに優しいんだろう。

 いつもそうだ、何かイベントがあるたびに楽しかったか聞いてくる。

 それが彼女の根底にあるものなのかはわからないが、彼女――愛瑠さんは他人を気遣いすぎる人だ。

「――しかったですか」

「ん?何?」

 地下鉄の揺れで聞こえなかったのであろう、愛瑠さんは流れるように長い黒髪に被った耳をあらわにした。

「楽しかったですか? 愛瑠さんは」

「……とっても、楽しかったわよ。みんなと過ごす時間はとっても大事だって思ったわ。

 いつかきっと離れ離れになるんでしょうね……社会に出て、いつの間にかきっと忘れてしまうんだわ……」

 悲しい声とどこか諦めたような表情。

 なぜ、愛瑠さんはいつもそんな顔をするのか、いつもこうだ。

 どれだけ楽しいことをしていても、愛瑠さんはいつか終わってしまうと分かっているのだ。

 俺にはそんなことを考えることはできない。

 彼女はどうにもならない、時の流れの未来を見ているんだろう。

 自分たちがこれからどうなるか……どうなってしまうのか、という未来を。

「俺は忘れないと思いますよ。言うじゃないですか、高校生の時にできた友達とはずっと付き合うことになるって。

 俺たちもきっとそうなりますよ」

「……そうね、そうだわ……そう、なれたらいいわね」

 最後の一言――まるで底なしの絶望があるとでも分かっているような声をひっそりと残し、愛瑠さんは喋らなくなった。

 愛瑠さんはなぜ、そこまで信じられないのだろうか。

 彼女が見つめる瞳の先が気になると共に、俺は疲れからいつの間にか眠っていた。


 …


 滝を眺める。

 永遠と溢れ出る水、それは記憶。

 本から伝えられるその情報に、兎風 凛は震えた声で嗚咽した。

「うっ……うぅ……ごめっ……ん……ごめんね……」

 まるで罰だとでも言うように、彼女はかたくなに本を離さない。

 いつもなら、泣いていたら抱きしめてくれる人がいる、慰めてくれる人がいる、励ましてくれる人がいる。

 でも、誰もいない。

 タタミ一畳ほどの部屋には本がぎっしりあるだけ、ぽっかりと空いた人一人分のスペースに彼女一人。

 声をかけてくれる親友はすべて失った。

 否。

 彼女自身が摘み取った。

 永遠の楽園から、摘み取ってしまった。

 楽園はいつか覚めるもの、暖かい空間は、いつしかなくなってしまうもの。

 泣きながらも、彼女が本を読むスペース変わらない。

 そして、いつの間にか夏も秋も越えて――ページは冬になっていた。

 もう少しで思い出の奔流は終わってしまう。

 それは嬉しいことだろうか、悲しいことだろうか。

 いまの彼女には判別することができない。

 ただ分かっているのは、この先待っているのは地獄だということ、何もない、支えもない。

 永遠の楽園から地獄の牢獄へ。

 楽園を自らの手で摘み取り、地獄に変えた彼女は思い出を――辛い目で見つめる。


In old days episodeⅡ オワリ


In old days episodeⅢに続く

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