【入学編 Ⅱ】
目の前で起きたことを彼女――由紀は未だに信じることができなかった。
傍から見れば、彼女の行使した技術が一瞬教員のそれを上回り、雲を消しきったのだと見えたはずだ。
しかし、事実は違う。彼女の技術で気温を下げ雲を消したのなら今は土砂降りのはずだ。動揺している他の生徒や教員はそのことに気付かないが当事者の彼女にはよくわかっていた。『これは自分の技術ではない』と。
そしてそれが目の前の少年――この望月潤という少年の術によるものだと確信していた。
『還元術』
彼のそれは明らかに魔法学のそれだった。
気が付けば空は晴れ、辺りは落ち着きを取り戻していた。
「い、今の……」
「暫くは他言無用ですよ、先輩」
さっきと同じ。命令ではないのに否定する権利を与えない物言い。
「潤くーん!!この辺で暴走騒ぎが起こってるって聞いたんだけど!?」
そんなことを露知らず、幼げながらも危機迫った顔で走ってくる大貴。
「いえ、葛城先輩がさっき抑えきりました」
「えっ…」
「さっすがぁ!僕の信頼できる副会長だね!冷却したの?」
「う、うん……そうだよ」
「へぇ……」
にこにこと笑顔を顔に貼り付けてはいるが目が笑っていない。何かを見透かされそうで息苦しかった。
「じゃ、風紀委員の二人…って、南方君はどこ行ったの?」
「一年生を避難させているはずです」
「そう。じゃあ戻ってきたら二人で生徒会室へ。今回の件の報告ね。京香には僕が連絡しておくから」
「分かりました」
「…あ!そうそう。犯人の教員はさっき他の先生がとっ捕まえたって。話を聞きたければどうぞ?」
「……はい」
何もかもを見透かしているような大貴の話しぶりと視線に、さすがの潤も苦笑いを返すほかなかった。
その後数分で和哉が戻ってきたので、二人で生徒会室に戻ってきた。
「話は大貴から聞いたよ。二人共ご苦労だったな」
「いえ」
事の顛末――九分九厘偽造だが――を大まかに伝え終えたところで由紀が入ってきた。
「失礼します」
「入って。…僕が呼んだんだ」
「それじゃあ南方は巡回に戻ってくれ。天候学科のデモンストレーションは三日間の停止処分にしたから私が見ていた第三区を頼む」
「は、はい!」
クルリと向きを変えて走り去る和哉。その和哉が出て行ったのを確認してから、大貴が再び話し始めた。
「由紀、君の報告と潤君の報告には寸分の差異もなかった。よって僕はこれをそのまま証拠として理事会へ提出するけど……良いかな」
「………」
「なにか問題でも?」
俯いて答えようとしない由紀を問い詰めるように言葉を重ねる大貴。いつものそれからは想像もできないような低い声を出している。由紀も普段は見ない大貴の一面に怯えを隠しきれない。
「待ってください」
しかし潤もこの状況で蛇に睨まれた蛙――桔梗のような間柄なら別の話――を見て見ぬ振りはできなかった。
「なんだ?なにかあるのか?」
聞き返してきたのは京香だった。
「確かに、先輩方のお察しの通りです」
「望月君!?」
「察し、とは?」
人の悪い笑みを浮かべながらさらに返す京香。どうやらどうしても本人の口から聞き出したいらしい。
「…はぁ……俺はあの時、確かに『魔術を行使しました』。これでよろしいですか?」
やっぱりあれは…、という由紀のつぶやきを後ろに聞きながら潤は次の言葉を待った。
「そうかそうか。うんうん、やっぱり君は期待通りの人だよ」
「どういうことですか?」
予想外の反応を見せる大貴に、今度は潤が質問を返した。
「いやね、アーカイブで入学したって聞いた時から、もしかしたらって思ってたんだ。今年度、八つある附属高校でアーカイブで入学した人は三人。君と、五高の仙丈咲さん。それから八高の如月隼人君。面白いことにみんな次席。これは生徒会長会の中ではちょっとした話題だったんだよ」
会長会というものがあること自体は初めて知る事実だったが、二人の名前には心当たりが有った。というか、知り合いだ。
「『名門』のない魔法学の前身とも言えるアーカイブで三人同時に、しかもほぼ同じ成績で入学。と言っても魔法学科があるのは一高だけだからその二人がどういう進路を取るかも楽しみなんだけどね。きっと何かしでかすんじゃないかとは思ってたよ」
少し間を置いて、
「君たちが来る少し前に五高と八高の生徒会長から連絡があってね。予想通り、教員級の技術を打ち消したそうだ」
潤は思わず頭を抱えたくなった。
「つまり、あの先生はサクラだったと?」
「………てへっ」
「良いように踊らされたんですね。でもどうして?」
「雨……だよ。由紀の冷却で雲を消したのなら僕が行ったあの時は雨が土砂降りじゃないといけなかった。でも……晴天」
「むしろ清々しい虹が出ていたと聞いたが?」
笑いを堪えきれない(堪えようとしない)京香が続く。
『還元術』は錬金術の真逆。錬成ではなく分解を行う術だ。物質を指定した状態(今回は原子)まで分解することができる。そして上空には積乱雲だった雲が水へと変わり、酸素と水素で満たされたのだ。虹が発現するには申し分ない状況だった。
「俺はどうしたらいいんですか?この様子だと否応なしに魔法学科行きみたいですけど」
「あれ?それが目的じゃなかった?そうだと思ってもう申請出しといたけど」
心の底から大貴に畏怖を覚えた潤だった。
同刻 東京都湾岸警備隊無線記録より
「第一次防衛戦を何者かが通過した!警備レベルを引きあガッ」
「……本部!?」
「……逃げろ!すぐに退避!報告を急げ!」
翌朝 実技棟地下大講堂
今、この場では緊急の朝礼が開かれている。
原因は昨日の不法侵入者騒ぎだ。侵入者は複数とみられ、極東連合の巡視船が付近で見つかったとのことだ。昨今そのような場合に考えられる理由は一つと言っても過言ではない。
『技術を盗む』こと。
ちゃちな産業スパイのように聞こえがちだが、世界中で冷戦下と言っても良いこの状況で技術に関する情報は核兵器(最もそんなものはとうの昔に衰退しているが)に匹敵する。それが一番近く、かの大戦の敗戦国からの侵入者となればその可能性を疑わざるを得ない。連合のトップは関与を否定しているが、それも事実か分からない。しかし国の技術士の卵を育てる附属高校が世間以上にその危険に晒されることは避けようのない事実である。しかし、自宅で待機するよりも学校に居たほうが安全なのもまた事実。国の最先端の防衛技術の粋を集めた要塞がこの学校にはある。(その防衛線が突破されているのだから何とも言えないが)
そして壇上では校長がこの騒ぎが収まるまでなるべくこの実技棟から離れないように呼びかけている。
「私からの話は以上だ。以降指揮権を生徒会長に委任する」
「分かりました。それでは先程受けた権限により、一部生徒の招集を行います。各学科長はこの集会の終了後壇上へ。以上です」
入学式の時と同じ凛とした大貴の声。いつもそうやって喋ればいいのに、と呟くのは止めた。(大半の生徒は大貴が普段からああいう凛とした人間だと思っている)
潤はすでに風紀委員として壇上に居た。学科別の授業は五月から開始される。そして各学科には三年が一人、学科長として全責任を負うことになっている。
「お集まりいただきありがとうございます。今この時より一時的にあなた達から学科長としての全権を僕に委任したものとします。何が起こってもあなた達の責任にはならないので、万が一の場合は落ち着いて対処し、各自生徒の守備についてください。
それから一年生については学科人数の少ない行動心理学科、人体工学科、そして……魔法学科の生徒が守備をしてください」
大貴と学科長の声が響いた。
学科長達が降壇したあと、大貴はいつもの調子に戻って生徒会役員と風紀委員に告げた。
「まずいことになった。一旦ここを離れよう」
裾に入り一般の生徒から見えない位置に入ると、いつもより幾分声のトーンを下げて『まずいこと』を話し始めた。
「熊本の五高と名古屋の八高に襲撃があったって連絡が入った」
「えっ!?」
一番動揺しているのは桔梗だった。いくら名門といえど実際に戦争を経験していないのは他の一般人となんら変わりはない。
「状況は?」
次の可能性を思いついたのかそう返す余裕があった京香が詳細を聞き返す。
「それが、襲撃があったっていう連絡のあと一向に連絡が取れないんだ…」
「そんな!?じゃあまさか…」
すでに敵の手に落ちたの?……と続くはずだった和哉の声は潤によって遮られた。
「天下の『技術高』でしょう。そう簡単に負けるはずがありません」
潤の声にはどこか確信めいたものがあったが、誰もそれを糾弾するようなことはなかった。少なくともそれくらいは冷静だったのか――もしくは言い返せなかったのか――
ピッ、と潤の(学校登録用の)端末がメッセージの受信を告げた。
「やはり……」
「ん?どうしたの潤君?」
「いえ、八高の友人からメッセージが届いたんです。これから掃討戦に入るって」
「そうなの!?じゃあなんで僕のところに連絡が来ないんだ…?」
「恐らく通信用のアンテナに何らかの障害が発生したんでしょう。会長会の連絡アンテナは一般生徒用のそれとは別口のようですから」
「それは……そうだけど…」
会長と教職員しか知らない事実を目の前の一般生徒が暴露したことに同様を隠せないが、それでも生徒会長だ。視点を変え、一般端末で八高の生徒会長と連絡を取り始めた。返事はすぐに来た。潤の言ったとおりついさっき掃討戦に移ったとのことだ。
同じ方法で五高とも連絡を取り、直に掃討戦になるという連絡を受けた。
「それにしても…」
忙しない連絡が終わったあとにぼそっと詩音が呟いた合図になったかのように技術棟の警報が鳴り響いた。
「来たか…」
短くない沈黙の後
「行こうか」
大貴の号令で一斉に走り出した。
潤達が実技棟から出ると、既に教員が門付近に集まり空を見上げていた。
「教頭!」
「おお、黒沼君にみんな。警察から連絡があってな。五高、八高に居た勢力が空へ逃げたらしい。その他にも付近に潜んでいた勢力が一斉に蜂起したらしい」
「干渉を確認しました。北東、距離五〇キロメートル。予想到達時間八〇秒後」
行動心理学の技術を持つ翔のサーチは的確だった。
「第二陣干渉を確認。南西、距離は七〇キロメートル。ですが予想到達時間は六十秒。二勢力ともにほぼ同時に到達します!」
まさに悲劇とも呼べる情報だった。
「特殊シフトAに移行。第一班から五班までは北側を、六から十の班で南側を守護」
「分かった」
大貴が教頭に指示を伝えると教員はいくつかの班に分かれ南北へと散った。ちなみに特殊シフトとは今回のような場合に守護位置を決めるための一時的な班分けのようなものである。過去このシフトが発令されたことは(訓練を除いて)ない。その割に動きが迅速だったのは訓練の賜物ということだろう。
「さて、私たちも動くか」
今度は風紀委員長の京香の番だ。特殊シフト発令時風紀委員長の権限は生徒会長のそれと同等になる。生徒防衛部門の最高責任者として前線で指揮をとることになっているのだ。
「二木、ジャミングの解除は?」
「既に終わっています。いつでも端末は起動可能です」
「よし、襲撃まで二十秒。実技棟の防衛が最優先、無論殲滅しても構わん。……散れ」
一斉に駆け出す十人の技術士の卵。基本は実技棟を囲う形をとる。突撃が予想される南側には大貴と詩音、そして和哉が。同じく北側には京香と桜、そして翔が就いた。東側には由紀と潤が、西側には弥生と桔梗が控えている。死角は無いように見えた。
臨戦
最も強い勢力であると思われる北側。
そこでは既に京香が『落雷』の技術を展開し、いつでも迎撃できる体制をとっていた。翔のナビに従いあらかじめ座標を決めておくことができるためこの二人のコンビは最強だった。桜はといえば生物学の技術で環境の変化を随時記録し『生物を通して』干渉が起こっていないかチェックしていた。
「おかしい……」
「何がだ?」
技術を展開し、迫り来る勢力の数を数えていた翔が声を上げた。
「まずい!上書きされた!敵勢力は東側!!」
「何!?」
攻めてくる方も素人では無い。行動心理学の技術で動きを詠まれ、対策を取られることは分りきっていた。敵も技術士だ。『名門』とはいえ未だ子供の翔に勝る技術士がいればその動きを『上書きする』のは容易いことだった。
「西南北に敵勢力はありません。東側に一極集中。敵は……!」
次の言葉を聞く前に京香ではない誰かの放った『迎撃落雷』が発動した。
どんなに急いでも三〇秒はかかってしまう距離、二人の無事を祈りながら三人は奔走した。
それは南側でも、西側でも同じことだった。
渦中の東側では、由紀の放った雷土が敵の人集団を撃ち落としているところだった。
潤はといえば、魔法に見えないように、それとなく技術を発動して同じように撃退していた。
「潤君!下がって!」
由紀のその言葉を聞き、従うのがコンマ零一秒でも遅れれば潤もそれの餌食だっただろう。
『寒零門』
由紀は『名門』の出身ではない。しかしそうでもないのに副会長を務めている。この技術こそが彼女が副会長たる象徴とも言える。
彼女のあだ名(もしくは通り名)はその由紀という名前を文字って『スノープリンセス』。
天候学の技術の中でも最高位に分類されるこの『寒零門』を使いこなすことができるのは、学校中(教員を含み)を探しても二人といない。ひたすらに気温を下げ、雨、雪、冰を降らせ相手の動きを止める技術。運が悪ければ運動停止ではすまず、生命活動まで止まってしまう。
「うわ……すごいな…」
お世辞では無く本心からだ。
それでも長くは続かず、それが途切れればまた新たな敵襲がある。そうなることを防ぐために潤は一度指を鳴らした。
響き渡るその音に気圧されるように由紀の術を逃れた者たちが一人、また一人と地に落ち、動かなくなった。
潤の使ったそれは、あまりにも有名すぎる伝説によるものだった。二千年以上も前に発生し、第三次世界大戦を経てもなお信仰され続ける宗教がある。
その宗教の古い伝承に、空を飛ぶ魔術師を打ち落とす記述があるのだ。具体的には、ペテロの伝承。
そして、『アーカイブ』を扱う潤だからこそ行使できる魔術。――魔法技術は特例で魔術と呼ばれることが多い――
また、その魔術は単に地に落とすだけではない。『堕とす』のだ。
ペテロに撃ち落とされた魔術師はそのまま死んだ。つまり、落ちたことの衝撃によるダメージだけではなく『死につながる何か』を与え、そのものを殺す。
それがこの魔術だった。
表向きは魔法学に『名門』は存在しないことになっている。元々科学を批判するような立場の学問なのだ。それを極めると公言する家系があるとすればそれは詭弁でしかない。だが、魔法学とはいえ学問。誰かがそれを極める必要があった。それを請け負ったのが望月家と他二家だった。
指して御三家と呼ばれる家系が存在する事実を知る者はほんのひと握りしかいない。それは普通の『名門』であっても例外ではない。国家の上層部、それから国立先端技術大学の学長、そして八つの技術高の校長のみ。彼らは魔術士と呼ばれ、国事に駆り出されたり他国家へのスパイなど他の技術士より過酷な労働を強いられる。先刻潤が気にかけていたのはこのことだった。
大貴や京香はじめ他の面子が駆けつけた時には由紀の『寒零門』は解け、敵勢力は拘束済みだった。潤が魔術を使ったと理解している由紀でさえもそれの正体がなんなのかまでは把握しきれていない。ただ、目の前の敵は倒れ、自分たちは愛すべき母校を(一先ず)守りきったのだという事だけは確かな実感とともに彼女の自信へと変わっていった。
警察の応援が到着し、その指示に従って敵勢力の残骸は撤収された。潤の術によって死んだ敵兵の死因も恐らくは落下の衝撃によるものと断定されるだろう。
日本と極東連合の間ではこのことについて特に議論は行われなかった。
奇襲を仕掛けた連合側の攻撃は失敗し、国家もその関与を否定している。今はそれでいいということになった。ただ、この事件が二国の間に決定的な亀裂を入れたことは間違いない。燻ぶる火種が着実と炎へと姿を変えようとしている。それが万国の今回の事件に対する見解だった――無論、表向きは、の話だが――
次回事後収集をして入学編完結となります。
(イタイけどお楽しみに)
あしからず