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海原の彼方  作者: まめご
9/21

嵐の夜

四六時中、妹だけには構っていられないらしい。頭領というものは案外忙しいようで兄は

「明日戻るからね。いい子にしているんだよ」

と言ってどこかへいってしまった。部屋には当然鍵がかかっている。

リウヒはため息をついて、寝台に寝転がった。外に出ることさえもままならない。

唯一の楽しみは、キジがご飯を持ってきてくれる時だ。この船の出来事を色々話してくれる。

「ヤバいんだよ、今。食中毒にかかってさ、十人ぐらい寝込んでしまってんだ。厠がえらい事になってて、もう勘弁って感じ。可哀そうにクロエも死んでいる」

笑ってはいけないと思っても、ついクスクス笑ってしまう。

大部屋はなんだかとても面白そうだ。いってみたいとねだると、キジは顔を青くした。

「駄目だって。お前をこの部屋から出したら、おれが頭領に殺されちまう」

「キジのケチ」

「そういう問題じゃねえ」

じゃあな、ちゃんと飯くえよ。とキジはさっさと消えてしまった。

夕餉を食べ終わると、リウヒは窓の外を覗いた。雨が降っている。なんだか揺れも大きいような気がする。不安になって、慌てて寝台の隅に陣取った。枕を抱えて小さくなった。

「おーい。飯食ったかー。なんだ、残してるじゃねえか。ちゃんと最後まで食べなさいってかあちゃんから…何してんの、お前」

「いや、あの、その」

寝台の隅で掛布を頭からかぶり、枕を抱きかかえているリウヒをみて、キジが目を丸くした。

「なんかのおまじない?」

「そ、そう。食後のおまじない」

ふうーん。丸くなっていた目は、小馬鹿にしたように変わる。

「この船の揺れが怖いのかー。いやいや、さすが箱入り娘はビビりだなあ」

その言葉にムッとする。

「怖くなんかない! 馬鹿にするな! 食後のおまじないっていっただろう!」

「はいはい」

嫌らしく笑いながらキジが手を振る。

「でも、これからもっと荒れるぞ」

「えっ…?」

「久しぶりにでかい奴が来そうだ」

恐怖に目を見開いたリウヒを尻目にキジは「嵐を呼ぶ男―」と歌いながら食器を下げて、出ていってしまった。

夜。キジの予言通り、船は大揺れに揺れた。しかも雷鳴が雄叫びをあげまくっている。

リウヒは雷が苦手だった。大の苦手だった。

菜飯か雷、どちらを選ぶと聞かれたら喜んで菜飯を選ぶくらい嫌いだった。

東宮にいる時は、トモキや侍女三人が駆けつけてくれたし、船に乗っている時は兄が付いていてくれた。しかし、今は一人でこの恐怖に耐えるしかない。

つんざくような大音に、悲鳴を上げてしまう。両手で耳をふさいで丸くなっても、恐ろしい音は容赦なく鼓膜を突き刺す。

船は音をたてて、右へ左へ、上へ下へと妙な感覚と共に動く。

そうだ、お酒をのめば何とかしのげるかもしれない、と思いついても、酒瓶のある棚まで行くことができない。それでも、必死になって寝台から降りた。

部屋の中心までよろめきながら歩を進めた時、かつて無いほどの爆裂音が響いた。

「いやーっ!」

悲鳴を上げてうずくまる。と、船が音をたてて傾いだ。両手で耳をふさいでいるため、均等を崩してそのまま倒れてしまった。恐ろしさのあまり、涙が出てくる。体は冷や汗で濡れている。

その時、

「リウヒ!」

扉のあく音と共に、キジの声が聞こえた。

「キジ! キジ!」

無我夢中で叫ぶとさすがは海の男、大揺れの中スタスタとリウヒの元までやってきてしゃがんだ。

「お前…なにやってんだよ、すごい悲鳴上げて」

風の勢いで、扉が大きな音をたてて閉まる。

ひィ! リウヒが首をすくめた。

「とりあえず、こんな所で座り込んでないで、寝台に戻…」

再び、雷鳴の爆裂音が響いた。空気が振動する。

「ぎゃーっ!」

耳をふさいで丸くなる。ああ、今わたしはものすごい恰好をしているだろうが、そんなのは関係ない、早くこの音が去ってほしい。祈るような気持ちで震えていた体を、いきなり引っ張られた。何事かと思う間もなく、気が付いたらリウヒの体はキジにすっぽりと納まっていた。頭を両手で抱えられている。

今まで外にいたのだろう、キジの体はびしょぬれだった。

怒りで目頭が熱くなる。

この男も、わたしの体が目的だったのか。信じていたのに。好みじゃないと言っていたくせに、兄と一緒だ。このまま押し倒されて弄ばれるのか。身をよじると、さらに力を込められる。

「馬鹿、暴れるな」

それは上からではなく、キジの体の中から聞こえた。

「こうしとけば、少しはましだろ」

確かに恐ろしい音は、遠くでかすかに聞こえているだけだ。しかも男の手は自分の体を這ったりしない。ただ、恐怖から守るようにしっかりと頭を抱えてくれている。そして自分の頬は、その男の胸に強く押し付けられている。

「おれもさ、ここでこんなことしている場合じゃねんだよ」

怒ったような声とは裏腹に、腕の力は緩まない。

「ただでさえ今、人数少ないのにさ、船が沈んだらお前のせいだぞ」

「じゃあ、わたしのことなんてほっといて」

「泣き叫んでる女をほっとく訳にはいかねえだろ、馬鹿」

心臓がトクンと跳ねた。ああ、この人はなんて優しい。

それからキジは黙ってしまった。ただ雷鳴や豪雨の音が遠くに聞こえる。が、それ以上に聞こえるのは、キジの鼓動音だった。リウヒの耳に心地よく響く。

この場所はとても安心する。恐怖はすっかり去ってしまった。

目をつぶって、力を抜いていた両手を男の背中に回した。少しだけ力を入れて抱きつくと、キジも無言でリウヒの頭を抱え直した。しばらく二人はその状態で抱き合っていた。

「もう大丈夫だろう」

揺れが小さくなったころ、腕が緩んで体が離された。

「う、うん。ありがとう」

もう少しだけあの場所にいたいと思ったが、しぶしぶ離れる。

「しかし、お前は本当にやせっぽちだな。骨が痛かったー」

キジがニヤニヤ笑いながら腕を回す。悲しくなってしまった。やっぱりわたしはこの男の好みじゃないのだ。

「飯、残すからだぞ。ちゃんと食べて成長しろよ」

おやすみー。呑気に去ってゆくキジの背中を見送る。自分がこんなにどぎまぎしていたのに、まったく何事もなかったかのような男の態度。なんだか悔しい。寝台に飛び込んで寝転がる。

雷雨も船の揺れも、おさまってきた。おさまらなくていいのに。また雷が鳴ってくれたらいいのに。そうすれば、キジが駆けつけて抱きしめてくれる。

兄は翌日、血相を変えて戻ってきた。

「悪かったね、一人にさせて。さぞかし怖い思いをしただろう」

降り注ぐような口づけを受けながら答えた。

「ええ、兄さま。とても怖かった」

昨夜の事は言わなかった。言えばすぐさまキジを、遠ざけられてしまう。

それは嫌だった。とてつもなく嫌。嘘も芝居も方便ということを、リウヒはここで学んでいる。

ああ、この船にキジがいてくれて本当に良かった。


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