拳骨一つ
キジは目のやり場に困って頭をかいていたが、リウヒと二人きりになってさらに困った。
可愛げのないチビでも、一応は王さまだった。それ相当の言葉使いがあるだろう。
「えーと、そのー。本日はお日柄もよくー」
そこで終わってしまった。
目を泳がせて、進退極まったように頭をガリガリかく。
リウヒが小さく笑った。
「いつもどおりの話し方でいい。悪かったな、昨日は。足は大分マシになった」
「それはよかった。どら、見せてみろ」
布を取りながら、チビの足はやっぱり小さいものなんだなと思った。まるで子供のようだ。足首は痣があるものの、腫れは幾分引いていた。ゆっくりと曲げる。
「痛いか」
「痛……。あ、でも昨日ほどじゃない」
「そうか」
再び木板に布を巻きつきながら、勝手に動かすんじゃねえぞと念を押した。リウヒは黙って頷いただけだった。
「まさか、お前のお守り役を押し付けられるとは思わなかったよ」
冗談めかして言うと、チビは小さく笑った。
「心配性だから。兄さまは」
違う。頭領は話し相手といったが、大方、この少女が逃げ出さないように、と、他の男たちが手を出さないように見はれという意味なのだろう。彼らがそうするはずないのに。唯一人、クロエを除いて。
「あの」
目をあげるとリウヒが自分をじっと見つめていた。
「お前、どこかで会ったことないか。どこかで…昔…」
もしかして、おれは口説かれているのだろうか。
やめてくれ、頭領に殺される!
――殺すぞ。
ドスが効いた声が蘇って、キジは白目をむきそうになった。
「セイリュウヶ原で、おれ、ほとんど先頭を走っていたから……」
そうか、だからかな、と娘は首をかしげる。
そのまま沈黙が続いた。キジはなんだかいたたまれなくなって
「昼、持ってくるから」
と部屋を出た。
小さな食堂にクロエがいた。
「どこ行ってたんだよ」
「嬢ちゃんの子守りを押し付けられた」
「何でキジが」
こちらを睨む眼差しに、嫉妬が含まれている。勘弁してくれよ、もう。
キジがため息をついた時、仲間の一人が声をかけてきた。そのまま横に座って、何故か小声で続ける。
「酒場で、とんだ噂をきいた。知っているか」
二人は首を振る。
「ティエンランが嬢ちゃんに金をかけた。金三十」
「ええっ!」
藍色の髪、黒い瞳、十七歳の娘を探している。本人を連れてきた場合は金三十を出す。情報のみの場合はその信憑性によって金額が変わる。
「頭領は知ってんですか?」
「いや、多分まだ知らないだろう。おれも今聞いたところだ」
「金三十なんて、一生遊んで暮らせるじゃねえか……」
男は、違う仲間を見つけそのまま席を立って行った。
ティエンランは血眼になって国王を探している。リウヒが船に乗って約三か月。クズハまでこの噂が流れるなんて、相当なものだ。
「でも、帰してやらなきゃいけないよなぁ……」
王さまだもんなぁ。
「なんでいきなり、そんなこと言うんだよ」
「んー? うん……」
チビはチビながらに、宮に帰りたくて堪らないのだろう。右も左も分からない土地で逃げだすほどだ。蹴躓いて足を捻る辺りが鈍くさいが。
「嬢ちゃんに、昼持っていく」
腰を上げると、おれもいく、と目の前の親友も立ち上がった。
「くんな」
「なんでだよ」
「お前、今ちょっと面倒くさい」
前のめりになって窓の縁に足をかけた時、部屋の扉が開いた。
「おーまーえー……」
ギクリとして振り返ると、キジが盆を机に置いて、リウヒの首根っこを猫のように掴んだ。はずみで二人、寝台に倒れこむ。
「見上げた心意気だけどな、足のこともあるんだ、少しは大人しくしていろ!」
「出来るか! 兄さまがいない機会を逃したら、今度はいつ逃げられるか分からないだろう!」
「怒られるのはおれなんだよ!」
転がったまま暴れるように言い合いをしていた二人だったが、ふとリウヒの顔が変わった。
「では、お前も一緒に来てくれ」
「は?」
くるりとキジに覆いかぶさると、精一杯の妖艶な表情を作った。
「お前もわたしと一緒に来ればいい」
目を丸くしている男の耳に顰めるように、息を吹きかけるように囁く。
「こ、この体を好きにしてくれて構わないから」
声が震えた。己を鼓舞してキジの耳の下辺りを舐めると塩辛かった。と、いきなりすごい勢いで剥がされた。
そして衝撃が頭上に走り、同時にゴンと音がした。
「馬鹿やろう!」
リウヒは、びっくりして顔を上げた。頭がジンジンと痛い、思考がうまく働かない。なにをしたんだ、こいつは。
「男を舐めんなよ! おれはなあ、あんたみたいなやせっぽちじゃなくて、もっとこう、ムチムチプリンが好きなんだよ! 色仕掛けで全ての男が靡くと思ったら大間違いだぞ! それから人を何だと思ってんだよ、ティエンランはこんな奴が頂点に立っているのか!」
勢いよく人差し指を突きつけて怒鳴った後、いきなり慌てだした。
「ご、ごめん。言いすぎた」
「いや、あのわたしもすまなかった」
「痛かった? 痛かったよな」
「うん、ちょっと……。いや、かなり」
ほんとごめん、思わずかっとなって。いやいや、わたしが悪かったとしばらく二人はコメツキバッタのようにヘコヘコと、頭を上下に振った。
そして、顔を見合せて噴き出す。しばらく笑いは止まらなかった。
「そうか、お前はふくよかな女が好きなのか」
「そうなんだよなー。なぜか昔っから」
クツクツ笑いながら、話はそれていく。
「あのさ。今は足を治すことを考えろ。また陸地に上がった時は、協力してやるからさ」
「本当に? 本当に、手伝ってくれるのか?」
「帰りたいんだろう?」
微笑みながらキジはリウヒの頭を撫でた。
「約束する。おれはお前の味方だ」
「ありがとう」
嬉しかった。涙が出るほど嬉しかった。この男の言葉が。
リウヒはキジの手を取って、その目を覗き込んだ。
「本当にありがとう」
後ろの窓から光がさした。陽光は一瞬だけ部屋を照らして、雲の影に隠れていった。
****
クロエは客室の前で、やきもきして待っていた。扉に耳を当てても、会話はうっすらとしか聞こえない。キジのどなり声がして、その後二人が笑う声が聞こえた。
何を話しているんだ。いきなり扉が開いて、横面をしたたか打ちつけた。
「痛ぇ!」
「おーまーえー」
親友が呆れた声を出す。
「何話していたんだよ」
「秘密」
その顔が心なしか嬉しそうな、楽しそうな感じで面白くない。
「教えてくれよ、なあ」
「内緒」
その時、下がざわめいた。頭領が帰ってきたのだ。
「おかえんなさい、頭領」
まっすぐ客室に向かってきたアナンに、キジが笑顔でいった。
「なぜ外にいる」
「寝ちゃったから、邪魔かなって思って。外に立っていようと」
無邪気に何故か大声で言う。
アナンはクロエを睨みつけた。お前がなんでここにいると無言で聞いてくる。そんなの分かっているでしょうとクロエも負けじと睨み返す。
しばらく二人は火花を散らし合っていた。
「ああ、そうだ。寝言で頭領のこと呼んでましたよ」
キジの呑気な声に、アナンはちらりと視線をそらせると扉の中へ消えてしまった。
歩き出す親友にクロエは戸惑ったように声をかける。
「リウヒはそんな事いったのか」
「お前さー、頭領に喧嘩売んなよな。心臓に悪い」
「じゃあ、あれは」
「嘘」
キジは舌を出して、肩をすくめた。
****
扉の向こうでキジの声がして、リウヒは慌てて蒲団を肩までかけて寝た振りをした。
早速助けてくれた男に感謝しつつも、どこかくすぐったい気持ちになる。
「リウヒ。寝ているのかい」
目を閉じたまま動かずにいると、口が塞がれた。仕方なしに起きた振りをする。
「おかえりなさい、兄さま。早かっ……」
言葉は更に深い口づけで消えた。
「退屈はしなかったかい」
こっくりと頷いた。抱えこむようにリウヒを抱きしめた兄は、そのまま藍色の髪を梳く。
「あのキジという人、面白い」
小さく笑った。本当に久しぶりに心から笑った。
アナンの手が止まっている。
「気に入ったのか」
「まさか」
嘘だ。大嘘。
初めてここで、味方だと言ってくれた。
素直に言えば、遠ざけられてしまうのは分かっていた。
「ねえ、兄さま。兄さまの仕事はどんなのなの?」
「そうだな。奪った商船の荷を売ったり、逆に商船を守ったり。縄張りを荒らす他の海賊を追い返したり、様々だ」
「港では大人しくしているの?」
「それは暗黙の了解というものだ。港はわたしたちの金で潤うこともあるからね。海賊同士がかちあっても、お互い知らぬ振りをすることが多い」
「今までどんな国へ行ったの?」
「この大陸と、北のボイル、そして南のアスタガ諸島ぐらいだろうか」
「ねえ、兄さま」
リウヒは甘えたように、上目づかいでアナンを見上げた。
「チャルカに行ってみたい。あの国は食い倒れるというほど、食べ物が美味しいのでしょう?」
そしてクズハに近い。次はもっと慎重に逃げよう。
「やれやれ、わたしの妹は色気よりも食気なのかい」
呆れたように言うとアナンはリウヒを抱きしめた。
****
キジは大部屋の自分の寝台にひっくりかえって、両手を天井にかざしてマジマジとみている。
本当にありがとう。そう言って、握った手は冷たくてしっとりしていた。
「今日は、外に行かないのかよ」
二段重ねの寝台の下からクロエの声がした。
「んー。なんか気分が乗んない。いいや、おれ」
リウヒと話したのは、今回が初めてではない。セイリュウヶ原へ向かう途中、自分はほとんど先頭と並んでいた。走りながら気分は段々と高揚していった。
何か楽しっすね。
一番前で馬を駆る少女に思わず声をかけてしまった。
ああ。
少女は真っ直ぐ前を見て笑った。
わたしもだ。
その姿は、勇ましく高貴でなんだかすげえと思った。
まさかその子が、王に立つと宣言した王女だったとは。宮廷の大門下で、堂々と上意の礼をした新しい国王だったとは。民の歓喜の声を聞きながら、キジは真っ青になったものだ。
その少女は、今や兄に囚われて同じ階の客室にいる。
ここにいるべき子ではないのだ。あの宮に帰してやらなければ。
「なあ」
「うわああ!」
いきなり横からクロエの顔が出現して、びっくりした。
「ななななんだよ、驚かすな!」
「お前が勝手に驚いたんじゃないか」
ぶっすりとした顔で、寝台によじ登ってくる。寝ていた体をおこして場所をあけてやった。
「外、行かねえの?」
クロエはふくれっつらで顔を背ける。
「あそこの前を通らなきゃいけないから」
客室に頭領は入って行った。今頃何をしているかは想像にしがたくない。明後日には船は出港する。あの噂を聞いたに違いない。陸に上がったら、半月はいるはずなのに今回はえらく慌しい。室内は二人の他に誰もいなかった。みな外に出てそれぞれ楽しんでいる。
「なあ。キジ」
「ん?」
「痛いんだよ」
ここが痛いんだ。そういって親友は胸を叩く。苦しそうな顔で。
そのまま倒れて、キジの膝に突っ伏した。
「想っている人と、ただ一緒にいたいだけなのに、なんでそれが叶わないんだ」
絞るようなくぐもった声が下から聞こえる。
「相手が悪かったな」
「そんらこと言うな」
舌足らずな声に、はっとして下のクロエの寝台を覗き込む。
案の定、空になった酒瓶が一本転がっていた。
「お前! 酔うと泣き上戸になるから、ほどほどにしとけって、いつもいってるだろ!」
「酔ってなんかいねぇよ」
しかし、キジの膝上はぐっしょり濡れている。クロエは小さく嗚咽を上げていた。
「あーあー、もう…。分かったよ、付き合ってやるから。愚痴でも、涙でも、鼻水でもどんどん出せ」
呆れたように言うと、酔っぱらいは小声で自分の思いを切々と語り始めた。しばらくは付き合っていたキジだったが、次第に飽いてきた。同じ所を行ったり来たりする話に。
こいつは、酒場に生息する酔っぱらいのおっさんか。同じ話を永遠に繰り返す、あのおっさん連中か。
それでもキジは、目の前でしゃっくりを繰り返す男をあやすように、叩いてやる。
クロエが寝息をたてはじめても、キジは止めることなく、その背中を小さく叩いていた。