彼らの焦燥
リウヒが突然失踪した。東宮の寝殿の警備兵は、薬を嗅がされており王の寝台はもの抜けの空だった。
本殿は混乱状態に陥った。すぐに集まった重鎮たちは口々に右将軍を責め立て、警備兵を統べるシラギは苦渋の顔でそれを受けていた。
「全てわたしの不始末だ……」
それでも非難の声は、次々と上がってやまない。
カグラは猛烈に腹が立った。ただ非難するのは簡単なことだし、確かに責任はこの男にある。しかし、今は何をなすべきかこいつらは分かっていないのか。即刻、王の行方を探すのが先決だろう。
一刻立っても事態は動かない。我慢の限界が来た。
つと振り上げた拳を卓上に叩き落とす。ドオンとものすごい音がした。
重鎮たちは驚き、口をつぐんだ。静寂が訪れる。
「右将軍の責任追及は、そこまでにしておいて、まずは陛下を探しましょう」
底冷えのする微笑みを浮かべて提案すると、彼らは息をのんで首をすくめた。
「右将軍には謹慎を言い渡す。追って沙汰するまで自室で謹んでおれ」
宰相の言葉にシラギは立ち上がった。深々と一礼をして室を出て行った。追うように兵が付く。これで警備兵が宰相の管理下に置かれたことをカグラは悟った。
「ただちに国中を捜索しよう」
「王が行方不明と知られれば国は混乱する」
「闇者を雇おうか」
「それは最終手段だろう」
「その闇者が浚った可能性もあるではないか」
「中将軍、暗部からの報告は」
「ヨドからの報告はまだありません」
「いたずらに動いても……」
結局、王は病気ということにして、秘密裏に事態を運ぶことになった。
城下や町村の奉行を統括するいわば警察のようなものの頂点である中将軍ダイゴが席を立つ。新王直立後、リウヒが「真面目だから」という理由で抜擢した青年は陰鬱でかつての黒将軍の陰気さをかき集めて団子にして増幅させたような、そんな独特な雰囲気を放っていた。後ろに鬼火でもひきつれていそうな感じである。
めったに口を開かず、笑わない。
「わたしも明るい方ではないが、ダイゴ殿の引力には驚くことがある」
直訳すれば、シラギでさえも辟易しているその中将軍は、成程、仕事ぶりは真摯で宰相から引き継いだ暗部の管理も任されている。
自国各国の情報を探る暗部の頭、ヨドとは凹凸的組み合わせと噂されていた。
「しかし、どこのどいつが陛下を浚ったのか」
物盗りや族ならば、わざわざ薬など嗅がさない。殺すだけだ。しかもやられていたのは東宮の寝殿の兵だけで、まるで犯人は煙のように現れて消えた。
「トモキを呼んでください。あの男は宮廷の地理に詳しい」
青い顔して駆け付けたトモキは、古びた地図を広げて説明を始めた。
「……だから、よほど宮廷と後宮に詳しいものでないと、不可能なんです」
「考えたくはないが、宮廷内に手引きをしたものがいるかもしれん」
宰相の低い声に、全員が驚愕する。
カグラはその重鎮たちの表情を淡々と探っていた。彼らが全て新米国王に忠誠を誓っている訳ではない。宮廷と繋がりの深い大学が、国や王を操っている人間たちがどこまで内部に食い込んでいるか分からないのだ。
ましてや奴らが企んだ可能性も否めない……。
「違うと思うわ」
深夜、草木も眠る頃。人目を避けて密会した女はあっさりとそう言った。
踊り子は色々な宴に花を添え、酌をしつつも話相手となる。故に情報には敏く反応する。
「何か企んでいる時ってね、過剰に慎重になるのよ、ああいう人たち。けれども今回はそうじゃなかったもの」
あんたもヤキが回ったわねー、とマイムは意地悪そうに笑った。
「他人の心配なんてする性格じゃなかったのに」
「心外ですね。わたくしの胸は常に婦女子方への愛しみで溢れておりますのに」
「たわごとは置いておくとして」
カグラの言葉をあっさり放置して、マイムは表情を変えた。
「トモキが自室に軟禁されているらしいのよ」
想像にしがたくはない。自他共に認める過保護兄が混乱のあまり、とち狂った行動に出たのだろう。
「昔、国務に疲れたら海を渡って逃げてやるって言ってたんだ。じゃあぼくはみんなで追いかけてやるって返した。もしかしたら、本当に実行に移してみんなが追いかけてくるのを待っているのかもしれない」
うわ言のようにそう繰り返しているという。
カグラは溜息をついた。それでは使い物にならない。謹慎中のシラギと接触し露見すればまた面倒なことになるだろうし、キャラは元々視野に入れるべきではない。
「ねえ、カグラ」
折れそうなほど細い三日月を見上げながら、マイムはひとり言のように言った。
「あたし、あの小さな王さまが結構好きなのよ。宮廷のボンクラどもは、頼りにならないわ。だから早くあの子を見つけ出してよ」
****
「勝負」
アナンの声にリウヒは頷いた。
「兄さまに勝負を申し込みます。もしわたしが勝てば、宮に帰してください」
「君が負けたら?」
おかしそうに笑う兄に、腹が立ったが澄まして答えた。
「二度と宮に帰りたいとはいいません」
「わたしの妹は本当に勇ましい」
クツクツと笑い声をたてて、アナンは妹の額に唇をつける。リウヒは無表情でそれを受けた。この兄にとってわたしはまるで人形のようだと思いながら。
「何本勝負にする? 御前試合のように三本にするかい」
「一本で結構です」
自分の力量は知っている。体力が続かなくてすぐに息が切れる。稽古の時もシラギに散々それを指摘された。
「分かった。ではやろうか」
これから遊びにいこうか、という風にリウヒの手を取った。
****
甲板で剣を片手に対峙する頭領と娘を見物しようと、海賊たちが集まっている。
「なにが始まるんだ?」
顔をのぞかせたキジとクロエに、男の一人が答えた。
「嬢ちゃんが頭領に勝負を挑んだらしい」
「へえ」
感心して娘を見やる。呑気に構えている頭領に対し、リウヒは目をぎらつかせて相手を睨んでいた。長い髪は邪魔にならないように、高い位置で括っている。
「そんな危険なことを……」
クロエは顔を青くして、心配そうにうろたえている。
「な、どっちにかける? 一口銅一枚で」
仲間たちのほとんどは頭領にかけている。そりゃそうだろう、キジたちは何度もあの男と共に商船を襲っている。実力は嫌というほど知っている。
「おれ、嬢ちゃんに一口」
多分、あの娘は負けるだろうけど。銅一枚くらい失ってもいいかなと思った。奇蹟が起これば一攫千金だ。ま、そんなに甘くはないけれど。
「おれもあの子にかける」
クロエの声にキジは小さくため息をついた。あー、またこいつ恋する男の顔だよ。
「勝負は一本」
男の一人が中央に立って、高く手を上げた。
「始め!」
娘の足が地を蹴った。勢いよく、相手に突っかかってゆく。頭領は余裕で払いのける。高い金属音が鳴り響いた。娘はそのまま素早く突きを繰り返すが、その度に流され、止められ、払われる。
あの子、女にしてはなかなかやる。剣の型もきれいだし、踊っているようだ。それに度胸もある。だが、それだけだ。頭領はまるで子供の相手をしているようにかわしている。その顔は、必死に攻撃してくる妹が可愛くて仕方がないという風に笑っている。
娘の息が上がってきだした。片手で持っていた剣を、今は両手に持ち直して相手と距離を測りながら隙を窺っている。肩が大きく上下に動いていた。
と、頭領が動き出した。笑ったまま妹に剣を払う。剣のぶつかる大きな音がして、見物者たちは息を呑んだ。下段で剣を交差させ振るわせたまま、兄と妹が睨みあう。
「そろそろ音をあげたらどうだい」
「嫌」
瞬間、娘が小さな悲鳴を上げた。さらに力が加えられたのだろう、手から剣が落ち、すぐさま頭領の足がそれを蹴る。剣は回転しながら海賊たちの集団に突っ込んできた。キジに向かって。
「うおう!」
思わず声を上げて飛びのいた。娘も同時に頭領から飛びすさって距離を開けた。片膝片手をついて、睨みつけている。
「リウヒ、君の負けだよ」
その時、キジの足が動いた。落ちていた剣を思い切りけり上げる。剣は娘を目がけて真っ直ぐ甲板を滑り、瞬時にリウヒが動いた。走りながら剣を浚い、猛烈に頭領へ駆けてゆく。地を踏みこみ、高く飛ぶと渾身の一撃を振り下ろした。
頭領の顔が一瞬変わった。襲いかかった剣は、とてつもない金属音をたてて止められる。そのままぐるりと押されてリウヒは甲板に叩きつけられた。
「ああっ!」
クロエが叫んだ。すぐさま起き上がろうとした妹に跨るように頭領がのしかかり、そして剣先をぴたりと首元に付けた。
「勝負あったね。わたしの勝ちだ」
海賊たちが歓声と拍手をあげる。
「さすが頭領!」
「よくやったぞ、嬢ちゃん!」
リウヒは荒い息づかいでしばらく兄を睨みつけていたが、諦めたように剣を手放した。その体を頭領が抱き上げる。
「さ、見せ物は終りだよ。みな仕事に戻るように」
男たちは素直に返事をして、口々に今の勝負を噂しながら散っていった。頭領も娘と共に部屋へ向かう。
「なあ、キジ」
荷巻きの続きに戻ろうとしたキジにクロエが、声をかける。
「ん?」
「なんであの時、助けたんだ」
足元に転がってきた剣を、なぜあの娘に蹴り渡したのか自分でも分からない。でも、なんとなく助けてやりたいような気がした。だけどこの男に説明するのは面倒だった。
「足がすべっちゃった」
肩をすくめてそれより仕事に戻ろうぜ、とクロエを促した。
****
クロエはあれから、ちょくちょくリウヒに声をかけるようになった。作業中でも、舳先にその姿を見つけると、つい足が向いてしまう。キジは、あれは頭領のもんだとか、下端がさぼるんじゃねぇとか散々文句をいったが、すべて右から左へ抜けて行った。
「リウヒさま」
「クロエ」
その声で名前を呼ばれる度に、胸がキュっと締め付けられる。
リウヒは最初、警戒していた。無理はない。手を握ったまま離さなかった自分が悪い。
それでも手すりに凭れてぼんやりしている姿は頼りなげで、このまま浚ってどこかに閉じ込めてしまいたい衝動が湧き上がる。あの勝負を見てから、それはさらに強くなった。
「今日はいい天気だな」
空を見上げてリウヒが笑う。やっと、打ち解けてくれた。少しの距離を保って、仲間たちの事を面白可笑しく話す事によって。
「でも、春の海は荒れることが多いんですよ。昨夜もだいぶ揺れたでしょう」
「夜の事は、あまり覚えてないんだ、その……」
困ったように目を泳がせた。胸の内にどす黒い感情が噴き出してきた。それはなぜかまっすぐ目の前の娘に向かってゆく。
「どうして覚えてらっしゃらないのですか」
「あ……」
ゆっくり歩を進めると、少女は怯えたように後ずさりした。
「何をされていたのですか」
頭領の部屋で。兄と妹で。
「来るな。来ないで」
睨みつける瞳に嗜虐心が踊る。逃げようとするリウヒより一瞬早く、その手を取った。
「やめろ、クロエ。離せ」
「ここは死角になっているから大丈夫です」
「そういう問題じゃない、からかうのもいい加減に……」
その時、上から声がした。
「獲物を発見! 頭領に指示を仰げ!」
はっとして手を緩めると、少女はクロエを振り切ってそのまま駆けて行った。
「どこへいっていたんだい、リウヒ。あぶないから部屋にいなさい」
頭領の声が聞こえる。扉が閉まる音と共に、先ほどの甘い声とはまったく異なる男の声がした。
「面梶一杯、砲の準備を! 久しぶりの大物だ、逃すな!」
****
砲が鳴るたびに船に震動が走る。リウヒは寝台の隅で、小さくなって震えていた。
この音は大嫌いだ。雷に似ている。
そして、どんどんわたしを闇に引きずり込もうとしているみたいだ。
そうだよ、闇に落ちてしまえばいいじゃないか。あの声が聞こえてきて、リウヒは慌てて耳を塞いだ。しかし、声は内側から聞こえる。
お前はよくがんばったよ。散々抵抗して、勝ち目のない勝負まで挑んで、なんとかここから逃げようとした。声は猫なで声で話しかけてくる。それはとても優しく慰めるように聞こえた。
だけど、結局はすべて裏目に出た。抵抗は兄を煽っただけだったし、剣勝負は自分の首を絞めただけだった。いいじゃないか、もう諦めてしまえば。
耳を押さえる手に力を入れても声は笑う。
わたしはお前がなんで抵抗するのか分からない。そのまま流されてしまえばいい。何も考えずに、楽になればいい。
ああ。もう嫌だ、もう無理だ、苦しくて堪らない。
「もう終わったよ。大丈夫かい」
「兄さま」
「可哀そうに、こんなに震えて」
兄の手が自分を抱きよせる。
もう何も考えたくはない。逃げてしまえ。流されてしまえ。
そうすれば楽になる。楽になりたい、楽になりたい。
リウヒの白い手が上がった。
「兄さま、怖かった」
逞しいその体に縋ると血と汗の匂いがした。雄の匂いだ。
いいや。誰が負けるものか。兄の肩に額を付けながらリウヒは歯を食いしばり、踏みとどまった。
大人しく従う振りをして機会を待たなければ。そうだろう、カガミ。
かつての教師の言葉を思い出す。心に刻み込むように、何度も何度も繰り返し。
会議があるとかで部屋に海賊たちが集まっている。甲板をうろうろした揚句、やっぱりここが落ち着くと舳先に腰を下ろした。
海は今日も穏やかに輝いている。
さてと。
遠くを眺めながら、リウヒは思案を巡らすのが日課になっていた。海の上ではどうしようもない。きっとその内、陸地へと上がるはずだ。隙を見て逃げ出そう。しかし、兄は自分を離しはしないだろう。だれか味方を作らないと……。
ぼんやりと考えている内に、うとうとしてきた。
「……さま、リウヒさま」
目を開けると、真正面にクロエの顔がある。思わず身を引くと、手すりに頭をぶつけた。
「痛っ」
「だ、大丈夫ですか」
男の手が伸びる。リウヒは焦った。どうしよう、何かあったら突き飛ばそうか、それともこの距離なら頭突きか。
いきなり乾いた音がして、クロエの頭がはたかれた。
「痛え!」
驚き顔を上げると、橙色の髪の男が笑顔で立っていた。手を振りおろした格好でにこにこしている。
「クロエくーん。お仕事さぼってなにしてんのかなー?」
「さぼってなんかねえよ! ちゃんと飯はつくっただろ!」
「それでもまだまだ、やる事はあるんだよー。下端の君にはねー」
橙男は、チャッと手をあげ
「じゃ、嬢ちゃん。失礼するぜ」
と言ってクロエを引きずって去っていった。リウヒはしばらくぽかんと口を開けて、それを見送っていたが、遠くから兄の声が聞こえて、慌てて腰を上げた。
****
アナンは横で深い眠りに落ちている、妹の髪を梳きながら寝顔を見つめていた。
ランタンに照らされた横顔は、無垢で清らかだ。それでも自分とこの子の中には、汚らわしい血が流れている。
いや、それは言い訳だな。と自嘲した。わたしはただこの少女を欲して堪らないだけだ。
そして手に入れたのに、そこからいつ飛び出て行くか分からない不安に怯えている。
何故なのだろう。ここに来た当初とは比べ物にならないほど従順になったのに。
まるでこの娘の藍色の髪の毛のようだ。どれほどしっかり握りしめても、手を開けばサラサラと零れていってしまう。
世界は自分を中心に回っているはずだった。窮屈な宮にしろ、この海の上にしろ、注がれるのは憧れや尊敬、好意の視線だった。
リウヒの目にはそれがない。大人しく腕の中に閉じ込められても、その黒い瞳は自分を通り越して、遠くを見つめている。
だが、時間が経てばこの妹も、自分を見るようになるに違いない。必ずそうなるはずだ。
以外のものは排除しなければ。最近、クロエが舳先にいるリウヒにちょくちょく声をかけていることには気が付いていた。間違いなく妹に目を付けている。
アナンは藍色の髪を一房とり、口をつけると天井をみて考えだした。
しばらく陸地に降りていない。そろそろあいつらにも、女を宛がってやらないとこの娘を狙いだすかもしれない。が、ティエンランは王の行方捜しで必死になっていることだろう。
ここから近いところ。クズハにでも行こうか。美人の産地で有名な国だ。
手を開くと、リウヒの癖のない髪がサラサラとこぼれていった。