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海原の彼方  作者: まめご
4/21

海の上 2

リウヒは果てしなく続く海原を眺めながら、一人舳先で風に吹かれている。

この船に乗って、どれほど経ったのだろう。早くティエンランに帰らなければ、わたしはこんなところでぼんやりしている場合じゃないのに。

息を吐いて、彼方を見る。

思いつく限りの抵抗はした。が、兄には敵わなかった。

怒りにまかせて物をやたら滅多らに投げつければ、あっという間に捕獲され、数日間縄で縛られた。

食事を拒否すれば、口移しで食わされる。

至近距離から頭突きをくらわしたはいいが、効果はなかった。むしろ自分が痛みのあまり転げまわった。

船底に隠れようとして、その度に海賊に見つかって追い返された。

「嬢ちゃん、駄目だよ。部屋にお帰り」

海に落ちれば何とかなるかも、と手すりに足をかけても、誰かしらに見つかって引き戻される。海賊たちは兄を尊敬し、恐れている。味方は誰もいない。

部屋にあった剣で襲いかかったこともある。アナンはさすがに驚いたものの、あっさりかわし、剣をたたき落とした。

「危ないじゃないか、こんなものを振り回しちゃあ」

悔しさといら立ちのあまり、涙が出てくる。

「あなたはわたしの兄さまなのに。血が繋がって…」

「そうだよ、まったくその通りだ」

アナンは落ちている剣を拾って、リウヒの腕を取った。恐怖に腕をひっこめようとしてもびくともしない。

「それでも、横にいてほしいんだ」

そして、妹の細い腕に刃をあてて、ゆっくり引く。

「痛っ…」

「ごらん、リウヒ。私たちには、同じ血が流れている。好欲な老人の汚らわしい血がね」

白い肌に赤い線が一直線に走り、そこから血がぷつぷつとわき出した。幾筋にもなって流れてゆく。

「ああ、なんて美しい。まるで雪野にさく赤い花のようだ」

うっとりと兄は呟くと、腕に舌を這わせて血をすくい取ってゆく。

おぞましさに震え、力をいれて振り切ろうとすると、それ以上に強い力で抱きあげられる。

「兄さま、聞いて!」

腕の中でもがきながらリウヒが叫んだ。

「わたしは民の前で上意の礼をした時、誓ったのです、この身に変えても我が国と民を守ると!だから…!」

「立派な心がけだね」

そのまま寝台に投げ出された。

「だがわたしには関係ない」

兄に全てを奪われても、宮に帰りたかった。国の事は気が急くほど気になったし、なによりみんなに会いたい。

トモキはものすごく心配しているだろう。早く帰って安心してもらわないと。

リウヒは袖口からのぞく赤い宝玉にそっと触れた。

――陛下がいつまでも健やかでありますように。鳳凰のご加護がありますように。

そう言ってトモキはリウヒの腕にこの腕輪を巻いてくれた。宝玉の中にはティエンランの王紋、鳳凰が優雅に舞っている。手を掲げると、取り巻いている金の鎖がサラサラと揺れた。

――ありがとう、トモキ。国の主として恥じぬよう、精一杯努めるよ。

トモキだけではない、宰相、以下重鎮たちはどういう行動に出ているだろう。そしてシラギたちは……。

違う違う、これは夢なんだ。だから、みんな早く来て。一緒に外を旅しよう。夢なんだから、カガミもくるはずだ。早く会いたい、早く…。

兄にあんなことをされるのは、何かの間違いだ。みんながきたら、この悪夢は消えてしまうに違いない。そして楽しい旅が始まるに違いない。だから、早く来て。

風に髪をなびかせながら、リウヒはひっそりと涙を流した。


****



舳先で、藍色の髪がなびいている。

クロエは迷いながら近づいた。仲間たちは、この少女にどう対応して良いのかわからないのだろう、誰も声をかけない。

一人でぼんやりと遠くを見ている後ろ姿はとても淋しそうで、同情心が沸いた。

「リウヒさま」

思い切って声をかけてみる。

すると少女は驚いたように振り返った。涙でぬれたその顔が、歓喜に輝く。

心臓が跳ねた。なんてきれいな……。

「始めまして、この船に乗っているクロエと申す者です」

「あ……」

少女の笑顔はみるみる内にしぼんで、目を下に落とした。

うわあ、おれ、何か変な事いったかなあ。

「あのっ、もともとは宮廷にいたんです。アナンさまの近くにいたくて、ここにきてしまいました。えっと、シラギさまってご存知ですか」

「知っているも何も」

そう言って少女は小さく笑った。

「昔、一緒に旅をした」

「あっそうだったんですか。実は、おれ…じゃなくてわたし、シラギさまの又従弟なんです」

「ああ…」

似ている。とリウヒが笑う。自分をまじまじと見る瞳が熱を帯びているようで、いっそう心臓がはね回る。なんだろう、切ないような気持ちになってきた。

「本人をもっと若くして、背を縮めて、柔らかくした感じだな」

「よく言われます」

「よろしく」

リウヒが手を差し伸べた。白く細い腕で、赤い線が一本入っていた。その手を取ると、ひんやり冷たかった。しばらく握っていたが離し難くなってしまった。目の前の少女は、不思議そうにクロエを見ている。自分の手の中に包まれている、小さな白い手。

ずっとこのまま握っていたい。

「あの…」

戸惑ったような声に顔を上げると、リウヒは手をひっこめようとした。思わず力を入れてそれを拒む。

「ええと…」

どうしてだろう、どうしておれはこの手を離せないのだろう。風が強く吹いて二人の髪を浚った。波の音が漂うだけで世界に自分とこの少女の二人しかいない錯覚に陥る。

その時、遠くからアナンの声が聞こえた。リウヒを呼んでいる。力を緩めると、少女はクロエに一瞥もくれず、フラフラと兄の元へ歩いて行った。

「おいで。リウヒ。湯浴みの時間だよ」

アナンは妹を抱き上げ、そのまま部屋に消える。

しばらく無言でクロエはその二人が消えた扉を見つめていた。


****



舳先にいるクロエにすたすたと歩いて行くと、キジはその頭を思い切りはたいた。

「痛え! 何するんだよ!」

「馬鹿! この馬鹿!」

頭を押さえて睨みつける親友を今度は蹴りつける。

「全部見てたぞ。お前、何考えてんだ。嬢ちゃんは頭領の大切な人なんだぞ。それにちょっかい出しやがって!」

「そんなんじゃねえよ!」

クロエが噛みつく様に応じた。

「じゃあ、なんなんだよ」

「…わかんねえ…」

しょんぼりと頭領と娘が消えた扉を見つめる。こいつ、もしかして。キジはその顔をみて慄然とした。もしかして、あの子に惚れてしまったんじゃねえの?

思わず頭を抱える。この男は突っ走る傾向が強い。非常に強い。下手に暴走して、頭領にばれたら半殺しじゃすまない。殺されるかもしれない。

「なんか、さびしそうで守ってやらなきゃって気になって…」

クロエがぼんやりとしながら、自分の手を見る。

「あの白い手を離せなかったんだ」

馬鹿! もっと相手を選んで恋愛しろ!

「なんだろう、この気持ち…」

その顔は、完全に恋している顔だった。

「誰か!誰かこの馬鹿に付ける薬をくださーい!」

キジの絶叫が青空に木霊した。


****



滴り落ちる水滴は玉になって、白い肌をころころと転がってゆく。幾度、湯をかけてもリウヒの肌はそれをはじいた。浅い桶に湯を張って、何度も肩にかけてゆく。室内には花の香りが漂っていた。香を練りこんだ糠袋の香りだ。

妹はなすがままになっている。最近やっと大人しくなった。

ここに来た当初は、暴れたり、逃げだしたり抵抗していた。まるで子供が癇癪を起しているみたいに、微笑ましい抵抗。それすらも欲情を起こさせることに、この子は気が付いていなかったのだろうか。

白い肌がうっすら薄桃色に染まってきた。肩に手を這わすと、かすかに身じろぎをする。

上に結いあげた髪の隙間から見えるうなじも、この小さな肩も、慎ましい胸もすべてが愛おしい。

「ああ、なんて美しいんだ、わたしの妹は」

うなじに舌を這わせると、耳を甘噛みした。妹は体を固くしている。

本当に、この子は美しくなった。昔はただ可愛らしいだけだったのに。

初めて宮廷で声をかけた時、妹は一瞬怯え、気合いを入れたように踏ん張って笑顔で挨拶をした。次に会った時は、自分の代わりに王になると宣言し、暴走しようとした。

上意の礼を感嘆するほど見事にやってのけた妹は、しかし結局はそれだけの存在だった。

そう思っていたのに。

別れてから、リウヒの事が頭を離れなくなった。どんな女を抱いても、頭の中心に居座って笑っている。兄さま、と可愛い声で呼んでいる。

その内、無性に欲しくなった。あの老人の異常な血を引いているからだろうか。

王子として宮廷にいた時、全てが膿んでいた。周りの望むよう快達を装って、明るく陽気な人格を演じていた。そうしている自分をひどく嫌悪していた。

与えられた地位も、宛がわれた婚約者も、約束された王の座も、全てが嫌で狂いそうだった。限界が近づいていた時、歴史の講師から声をかけられた。

「外の世界を見てみないかい」

その時感じた、圧倒的な開放感。まるで水面から顔を出す時のような。

宮廷に帰る事は、死に行くようなものだった。そのまま出奔して自分の居場所を見つけた。

王子時代の、抑圧された生活の反動があるかもしれない。無性に手にいれたくなった妹を浚った。簡単な事だ。生まれ育った後宮は、隅々まで知り尽くしている。

始めは数日間、共に過ごしたら帰そうと思っていた。この子は国王なのだ。自分が投げだした義務を引き受けてくれた。

だけど、もう無理だ。国王だろうが、血が繋がっていようが、関係ない。

この娘は、わたしのものだ。やっと手に入れたかわいい妹を、誰が手放すものか。

小さな口に口づける。舌を絡ませると、リウヒの体が、諦めたように力を抜くのが分かった。


****



諦めたら駄目だ、早くここから抜け出さないと。

深夜、寝息を立てている兄の腕の中にリウヒはいた。離れようとしても腕は一向に緩まず、むしろ強く引き寄せられる。

お前はもう闇に落ちているのだ、なぜ無駄な抵抗をする、とどこかから声がする。流されてしまえ。

嫌だ、わたしにも矜持というものがある、みすみす兄の手に落ちてたまるかと反発しても、それはだんだん弱弱しくなってゆく。こんな体では、宮に帰れない。こんな汚れた体では。

何をいまさら。もう一つの声は嘲笑した。わたしは昔から汚れているではないか。

あの老人の手によって。たった四つの実娘を陵辱した、あの老人の手によって。しかもその血は体内を巡っている。

でも、みんなに嫌われてしまう。必死になって抵抗する。

馬鹿な娘。声は相変らす嘲笑したままだ。お前は嫌われているのだよ。その証拠に誰も来ないではないか。それでも夢だと思いこもうとしている馬鹿な娘。仲間がなんだ、ちやほやされるのは、王だからだ。王女だったからだろう。地位をなくしたお前など何の価値もない。そのまま堕ちてしまえ。堕ちろ。そうすれば楽になる。

ああ、いっそ楽になってしまいたい。何も考えずに。

それでも。抵抗しても無理なら、従順な振りをして機会を待てばいい。昔、カガミも言っていた。物事には時期というものがあると。でも時期はいつ来るか分からない。それならば、自分で作り出すのも手かもしれない。駄目で元々、やってみる価値はある。

リウヒは小さく息を吐いて、目を閉じた。


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