表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海原の彼方  作者: まめご
17/21

脱出

クロエの目線を辿ると、舳先をぼんやりと見つめていた。藍色の髪の残像を追っているのだろうか。熱が下がってやっと外に出られたというのに、今度は使い物にならなくなってしまった。それでも誰も何も言わない。キジが声をかけようとした時。

「なんだありゃあ」

見張り台の仲間が大声をあげた。その方向を見ると、中型の船が二隻、それを取り囲むように小型の船が六隻ほどこちらに向かってくる。

その帆に描かれているのは宮廷の紋、赤い鳳凰。

「ティエンランの宮廷海軍!」

かの有名な弱小海軍! 仲間は騒然とした。これを機会に嬢ちゃんをあちらに引き渡して……、いやどうすればいいんだ、頭領は鼻で笑って立ち向かうに決まっている。

案の定、アナンは一笑で片付けた。

「しゃらくさい、軟弱海軍が。砲を叩きこんで脅かしてやれ」

仲間たちは戸惑いつつも、砲の準備をしだした。にわかに慌しくなる。

海軍は恐るべき速さで、こちらに近づいてくる。そしてある程度の距離になると、二手に分かれた。小型船は二隻ずつ、三位置についている。

「大砲準備!」

頭領の声と共に、轟音が響き渡る。しかし、微妙な距離でかすりもしない。まるで砲を誘っておちょくっているようだ。

「頭領、旗信号です!」

「何をいってきたんだい」

「……陛下を、嬢ちゃんを渡せと……」

海賊たちは固唾をのんでそのやりとりを聞いていたが、男の伝言を聞いた頭領の顔に慄然とした。

「誰が渡すか! 妹はわたしのものだ、全員戦闘位置に付け! 皆殺しにしてやる!」

全身から怒りを発している頭領を初めて見た。近寄れば瞬殺される、そんな殺気すら放っていた。

いつも、穏やかで落ち着いている男が。

それでもリウヒを逃すのは、いまが一番いい機会かもしれない。いや、今しかない。

キジは近くにいたクロエと他二人の男の肩を掴んで小声で言った。

「リウヒを逃すのは、今しかない。お前ら頭領の注意を惹きつけてくれ。おれは部屋の鍵を開ける」

二人の男は了解した風に頷いたが、クロエは顔色を変えた。

「そんな、キジ!リウヒを逃がすなんて……」

「ならお前も一緒に行け」

「な……!」

「リウヒと宮へ戻るも、ここに残るのも、お前が考えて決めろ。いいな」

そして急ぎ、頭領の部屋に向かう。幸い頭領は後甲板で死角になって見えない所にいる。

扉の中からやたらに叩かれる音がした。

リウヒが宮廷海軍に気が付き、出ようと暴れているのだろう。

針金で鍵を開け、扉を開ける。と、椅子を振り上げたリウヒと目があった。

「リウ……!うおおう、止まれ! おれを殺すな!」

「キジ!」

どんがらがらがっしゃんと椅子を放り出したリウヒは、そのまま抱きついてくる。

「キジ! キジ!」

「馬鹿こら離せ! 今それどころじゃねえ!」

慌てて引き離そうとすると、後ろから痛い目線を感じた。

「キジ……。やっぱりお前……」

クロエが呆然としたように立っている。

ああああ、なんて間の悪い!

リウヒはよほど混乱しているのか、キジに抱きついたまま、泣きじゃくっている。

ああー。泣きたいのはおれだよ、リウヒー。

「ああもう、馬鹿! 馬鹿二人! だから今は、それどころじゃねっつてんだろ!」

その声に、二人ははっとしたように、顔を上げた。リウヒもキジから離れた。

「ご、ごめん……。キジの顔みたら安心しちゃって……」

「仕方ないよな、怖かったんだろ」

キジの手が慰めるようにリウヒの頭を撫でる。

「だから、今は、それどころじゃあないんだろう」

後ろでクロエがイライラした声を出した。

「そうだ、兄さまは」

「後甲板にいる。この辺は死角だから見えないけど……」

「どうやってあそこまで行くか」

リウヒが指を噛みながら彼方を見た。泳いで行くには遠すぎる。第一この子、泳げるのか?

「泳げない」

「おれも」

あっさり二人は首を振る。

「じゃあ、小船を下ろしていくしかないな」

キジがため息をつきながら提案した。

「あれならなんとか……」

「なんの相談をしている」

キジたちはその声に、ビクリと身をすくめた。恐る恐る振り返ると、冷たい怒りの冷気を発している頭領の姿があった。後ろには男二人が、すまんというように手を合わしている。

「お前たちときたら……わたしは悲しいよ」

「頭領、この子は宮に帰るべきだ」

キジの声に、頭領の眉が上がる。

「それを決めるのはお前じゃない。わたしだ」

ゆっくりこちらに歩いてくる。当てられたように、足がすくんで恐怖がせりあがってくる。

「リウヒ。おいで。部屋に戻りなさい」

「嫌です」

低く落ち着いた声がした。

思わず、キジとクロエはその顔を見る。リウヒははっきりと兄の顔を見据えていた。

小型船が至近距離まで接近、と遠くから声がしたが、頭領は聞いてないようだった。

「我儘をいうんじゃない。部屋へ戻れ」

「嫌です」

いきなりリウヒは横へ駆けだした。そして手すりによじ登りそこに立ちあがってふんばった。

駆けよった頭領やキジたちを、静かに微笑んで見下ろしている。

風になびく髪や深紅の衣がゆっくりとはためいて、一瞬時間が止まったように感じた。

気品すら漂うその姿に、キジは感嘆した。なんてきれいなんだ。

きっとまわりのみなもそうだっただろう。その証拠に誰も動かない。

「リウヒ……危ないからおりなさい」

頭領の声がする。先程の怒りは欠片もなく、狼狽した声だった。

「兄さま」

「お前はどこに行く気だい……」

「約束破ってごめんなさい」

「一生わたしの横にいると言ったじゃないか……」

「兄さま、さようなら」

沁みるような笑顔を残すと、そのまま後ろにゆっくり倒れた。

「リウヒ、リウヒ!」

兄の手は空を掴み、赤い衣が落ちてゆく。

キジが躊躇いもせず、身をひるがえしてその後を追った。落下してゆく娘を追いかけて。

あんの馬鹿! 泳げないくせに、自分から海に落ちるんじゃねえよ!

アナンもすぐさま手すりに足をかけたが、海賊たちに押さえつけられた。男たちが団子になって腕や足に飛びつき、甲板に引きずられるように戻された。

「離せ! 離さないか! リウヒが、リウヒが……!」

もがき手すりへ行こうとする頭領を男たちは必死になって止める。

「頭領、嬢ちゃんは帰してやってください」

「あの子は帰るべき所がある」

口々に懇願しながら暴れる男を押さえつける。

アナンは絶叫した。まるで子供を殺された獣のような、悲痛な叫び声だった。


海中で長い髪がそよいでいる。宙に浮いているかのように、光の柱が射す中を闇へとゆっくりとおちてゆくリウヒを抱きしめ、キジは回転するように水を蹴った。

髪や衣が水を含んでいるのだろう、とてつもなく重い。藍色の髪がゆらゆらと漂って、まるで深海へ誘っているようだ。

眠るような白い顔を見ながら、ふと思った。


なあ、リウヒ。

深い海の中、一緒に沈んで海の藻屑となろうか。誰もいない静かな海底で。

朽ち果てた体は、海の一部になり消えてゆくに違いない。

それでも抱き合い一体となって、冷たい海の塵になればいい。

おれとお前の二人だけで。

誰にも邪魔をされずに二人だけで。

永遠にただ二人だけで。


その時、頭上に影がよぎった。宮廷小型船の黒い船底が見えている。

正気に戻ったキジは、重い体を抱えて再び上を目指した。

馬鹿! おれの馬鹿! 今、何を考えていたんだ!

「大丈夫か!」

声をあげて水面から顔をだしたキジに、宮廷の小型船がよる。リウヒが引き上げられ、自分も助けられながら乗り込んだ。

「場所を開けてくれ!」

叫びながら意識を失った少女を仰向けに横たえる。不安定な小舟の上だが仕方がない、事態は一刻を争う。

「リウヒ。おい、リウヒ! 起きろ!」

耳元で怒鳴っても何の反応もしない。顎を上に持ち上げて、呼吸を確かめたが息はなかった。

「ああ、畜生、死ぬなよ。死ぬんじゃねえぞ」

小さな鼻をつまんで口に息を送りこみ、つましい胸の間を両手で何度も体重をかけて押す。

「お前あんとき、おれのおかげで目が覚めたって言ったじゃねえかよ。早く目を覚ませよ、覚ませ、馬鹿やろう!」

もう一度、同じ動作をして再び両手で押す。

「お前はあそこに戻らなきゃいけないんだろう。頼むから死なないでくれ。おれの前から消えないでくれ。おれを残していくな、そんなん許さねえぞ!」

瞬間、リウヒが、口から水を吐き出した。うっすら目を開ける。

「……ジは」

「気が付かれましたか、陛下!」

周りの男たちが声をあげた。

「キジはどこ?」

「ここにいる」

僅かに上がった白い手を、キジの手が浚うように掴みかき抱く。

「ここにいるから」

「キジ……」

安心するように微笑んだ。黒い瞳はまっすぐ自分を見つめている。

よかった。本当によかった。生きていて。

「お前、いきなり飛びこむなよ……。泳げない癖に。驚かすんじゃねえよ……」

声が震えているのが分かった。かがんで覗き込みながら、リウヒの顔に張り付いている藍色の髪をとってやる。

「でも、キジが助けてくれた」

その声はか細かったが、とても嬉しそうに聞こえた。

「ありがとう、キジ。……ねえ、キジ、泣いているの?」

「泣いてなんかねえよ、馬鹿。海水が目にしみているだけだ」

白さを通り越して、青くなっている頬を撫でる。リウヒは甘えるように目を細めた。

「お取り込み中失礼いたします、陛下」

突然、いかついおっさんがにょっきりと顔を出してきて、キジは悲鳴をあげて身を引いた。

船は左将軍のいる中型船の近くまで来ており、そこに回収されるという。

「じゃあ、まずこいつを連れて行ってくれ。水をすってものすごく重いんだ」

「嫌だ、キジがいい」

「無茶言わないでくれよ、おれ、もう限界」

リウヒは口を尖らせて横を向いたが、そのまま眠るように意識を失った。


中型船の甲板に降り立つと、少女は沢山の人だかりに囲まれたまま運ばれて行った。

キジ一人がポツンと取り残される。

当たり前だよな。王さまだものな。

遠くなるリウヒをほんやり見送っていると、人だかりの中から、銀髪の男がキジの方に走りよって、いきなり手をとった。

あまりの勢いにキジは仰天する。何この人、ちょっと怖い! そんな目で見つめないで!

「陛下をあそこから連れ出してくれて、御命を救って頂いて心から感謝いたします」

「やめてくれよ。そんなんじゃねえ」

おれが助けたかったのは、陛下じゃねえよ。リウヒだ。

男は深々と礼をすると、駆けるように集団の中に戻って行った。

彼方を見る。物心ついた時から乗っていた海賊船は小さくなっていた。なんだか頼りないような風情で浪間に漂っている。

「本当にありがとうございました」

振り向くと、あの厳ついおっさんが立っていた。

「礼を言われるほどの事はしてねえよ」

それにあんまり感謝されすぎるのも、居心地悪いし。笑うとおっさんは、横にたってキジと同じ方向に目線を向けた。

「もう一人、海に飛び込まれたようですが。ただ今、奥で休んでおります」

クロエか。あいつも泳げないくせに。キジは小さく笑う。

「案内してくんないかな」

頷いてこちらです、と踵をかえすおっさんの後をいこうとして振り返る。海賊船はいつの間にか消えていた。


***



目を開けると、いつの間にか知らない部屋にいた。ここはどこだ。もしかして、また夢なのか。たしか、海に飛び込んだところまでは覚えている。

ゆっくり起き上がると、目の前にカグラがいて驚いた。やっぱり夢?

「陛下」

カグラが嬉しそうに、手を取った。

「よかった、気が付かれて。二日間寝たままだったのです。このまま意識が戻らなかったらどうしようかと……」

「カグラ? 本当にカグラ? これは夢じゃないの」

「現実ですよ」

どこからが現実で、どこからが夢なんだろう。

「今、船はティエンランに向かっています。アナンの船から海に飛び込んだあなたを、青年が助けてくれたのですよ。その方と、もう一方の青年も一緒に乗って……」

「キジとクロエも乗っているの?」

リウヒの勢いにカグラは驚いたように、目を開いた。

「キジは? どこにいるの、ねえ!」

弾かれたように寝台を飛び降りた瞬間、クラクラした。

「ああ、まだ無理はできない体なのですから……」

それに今は深夜ですから、二人とも寝ています、と諭され、リウヒは不承不承頷いた。

「明後日にはスザクに着きますからね。それまではしっかり療養をしてください」

「はい」

大人しくこっくりと頷いて、リウヒは寝台に横になった。

「カグラは?」

「おそばにおります」

「それはいけない、カグラも休んで。今までちゃんと寝てなかったんでしょう、隈ができている」

「では、陛下が寝るのを見届けてから、部屋に戻ります」

「そう言われると、寝にくいな」

クツクツ笑って、枕に顔をうずめたリウヒだったが、すぐに寝息をたてはじめた。

船はすべらかに浪間をぬって、ティエンランへと向かっている。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ