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海原の彼方  作者: まめご
11/21

リウヒとキジとクロエ

海が遠くまで見えるからとか何とか言っているが、ここしか居場所がないのだろう、今日もリウヒは、いつもの所でぼんやりしている。

「キジ」

振り向いて嬉しそうな声を上げる。こっちまで嬉しくなっちゃうじゃねえか、とキジはほほ笑んだが、すぐに顔をしかめた。後ろからクロエの異様な目線が痛い。

ここ最近、キジとクロエとリウヒはよくつるむようになった。頭領もクロエだけだと警戒するが、キジが一緒だと何も言わない。いい親友をもったよなあ、とクロエの肩を叩いてやりたい気分だ。

「今日も叫んじゃう?」

おどけて言うと、リウヒは「今日はあまり大声だせない」と首をふった。

その白い首には、赤い線が入っていて思わず息を呑む。何やっているんだよ、頭領。

「お前…、大丈夫か」

「うん、加減はされているから」

そういう問題じゃあねぇだろう。クロエも青い顔をしている。

「あのね」

リウヒは舳先にもたれかかって、遠くを見た。

「イヤッサイは意味不明だけど、ゴジョウはご豊穣って意味なんだって。元々は漁師の大漁祈願の掛け声だったらしい」

「へえ、リウヒは物知りだなあ」

感心したキジに

「昔、歴史の教師が教えてくれた」

とひっそりと笑った。その笑顔はなぜかとても悲しげで、キジの胸がキュンとなる。

ああ、そうか。この娘は、男の保護欲と独占欲をそそるのだ。本人にその気がなくても。

細い体も、白い肌も、流れる藍色の長い髪も、儚げな風情も、背が低いことすら。

現にクロエは、恋しています全開で! って顔でリウヒを見ている。

頭領にいたっては、すでに狂っているのだろう。

そしてこのおれですら、ときめかせる。こんな女、好みなんかじゃないのに。

あの嵐の夜。

悲鳴が聞こえた瞬間、キジはやるべきことを放りだして、リウヒの元に駆け付けた。泣き叫ぶ少女を抱きしめた時、自分の中にすっぽりと収まった体に驚いた。

まるで、どこかに置き忘れた自分の半身が戻ってきたような錯覚に陥った。

そして離し難くなってしまった。だが、この娘は頭領のものだし、王さまだし、クロエの想い人だ。そう言いきかせて、無理やり離した。しばらく心臓の動悸は止まらなかったけれど。

…こらこら、何を考えている、おれ!

キジは一生懸命、クズハのアイカちゃんの顔を思い浮かべようとしたが、白くぼやけていてはっきり思い出せなかった。

遠くで頭領の声がする。リウヒを呼んでいる。

少女は立ちあがると、まっすぐ兄の元へ駆けていく。そのまま抱きあげられて部屋の中へ消えた。

手に入らないと分かっているから、余計ほしくなるのだろうか。

横の馬鹿は、泣きそうです本当に! って顔をしている。

キジは振り切るように立ちあがって、伸びをした。

「さあて。お仕事、お仕事」

ふざけていうと、親友の腕を引きずって歩き出した。



***



部屋の中、夕餉にて。かっきり兄を見据えてリウヒが声を上げた。

「兄さま、わたし、みんなのお手伝いをしたい」

アナンは驚き、茶碗を落とした。

「旅をしている時、仕事をしないものは飯を食うなと教えられた。わたしは今、何もしなくてぼんやりしているだけだ。だから、どんなことでもいいから、仕事がしたい」

「それはいい心がけだが…」

兄は眉を顰めた。

「狼の中に羊を一匹放つようなものだ。駄目だよ。危険すぎる」

「兄さまのケチ」

不満そうに鼻を鳴らす。

「リウヒは働かなくていい。ただわたしの横にいればいいんだ」

「でも、兄さまの仕事の時は、一人でほっておかれるもの。そんなの…」

暇で仕方がない、と続けそうになって、慌てた。

「…淋しくて仕方がない」

上目づかいで兄を見る。案の定、アナンは相好をくずした。

「ねえ、兄さま。お願い」

正直、飽いてきたのだ。舳先でぼーっとする事も、この部屋に閉じ込められるのも。

船の生活に慣れてきた証拠だった。兄の傍にいるのが怖くなってきたのもある。最近、兄はおかしい。横にいればいいという。大人しく横にいるのに、なぜわたしを見ないと、首を絞めたり髪を引っ張ったり暴力を振るう。リウヒが泣いて悲鳴をあげると、今度は許してくれと抱きしめて謝るのだ。

そして何よりキジの近くにもっといたい。あの海賊たちの中で、キジは自分のお守役みたいになっている事をリウヒは知っていた。

「兄さま、お願い」

アナンはため息をついて、茶碗を置いた。

「やれやれ、可愛い妹のお願いだ。ただし、何かあったら必ずわたしに言うんだよ」



****



「で、何しに来たんだ」

意気揚々と、大部屋に降りてきたリウヒにキジは呆れた声を出した。

「手伝いに来た」

「なんの」

「なんか」

やることがあるなら言ってくれ、何でもする。と笑う少女に仲間たちは怯えている。この妹に万一のことがあったら、頭領が怒り狂うのは目に見えている。

お相手できるのはキジとクロエしかいなかった。

「あー、うん。じゃあ、食器洗いでもしてもらおうかな」

「分かった」

「おれも手伝う」

「お前、今から見張り番だろ」

鼻を膨らまして立候補するクロエを追い出して、リウヒを台所に連れて行く。

うず高く積れている食器、何が入っているのか分からない鍋、いたるところにこびりついている野菜や干し肉の屑、侵入者に慌てふためくネズミ。

「これは…あまりにもすごいな」

当てられたように少女は口を開けた。

「一緒にやろうか、どうせおれ暇だし」

キジが言うと

「うんっ」

リウヒが嬉しそうに笑う。

思わずその頭をグリグリと撫でてしまった。少女はさらに嬉しそうに笑い声をたてる。

二人は早速作業に取り掛かった。

リウヒは意外に手際よく洗ってゆく。それをキジが拭いて直してゆく。

「おぬし、やるな?さては王というのは仮の姿だろう」

「ふふふ、よくぞ見破った。わたしの正体はそこにいるネズミだ」

「…それ、全然ちっとも全く面白くない」

「えー」

声をあげて笑う。

「しかし、本当にお前、王さまか?王さまってなんでも家来がやってくれるんじゃないの?」

「宮廷にいる時はやってくれたけど、外で旅している時は、働いたから。えっと、働かざる者食うべからずって言われて」

「いい言葉だな」

「わたしもそう思う。だから、いろんな仕事をした」

「どんな?」

港の荷揚げ、巻き割り、刺繍、店番、木の実取り、畑の収穫。

指を数えながらリウヒがあげてゆく。聞きながら、キジは目を白黒させた。

ねえ、この子本当に国王陛下?

そうこうしている内に、食器はきれいに片付いた。

「ついでにここも掃除してしまおうか」

油やカスがついた辺りを見渡して言う。しゃがんだ瞬間、リウヒの髪がサラサラと落ちた。

うっとおしそうに後ろにやってもなんどもこぼれおちてゆく。

「髪、括った方がいいぞ」

キジが、懐から紐をとりだすと、リウヒは背をむけた。括れということなのだろう。

こういうところは王さまだよな、と内心苦笑する。

その髪を梳くと、えもいわれぬ快感が流れた。おいおい、たかが髪の毛だぞ。

しかし、それはしっとりと手に絡みついて流れてゆく。

ずっとこのまま、触っていたいような。恋人の髪に口づけをする愛情表現があるが、なんとなく分かる気がした。

一房とって、自分の唇にゆっくり運ぶ。目を閉じようとした瞬間、

「キジ?」

名前を呼ばれて、現実に戻った。お前の髪は何か括りにくい、と軽口でごまかしながら、小さなため息をついた。



****



「今日は何をしていたんだい」

「食器をあらって、台所をかたづけた」

得意げに言う妹の額に唇をつける。まるでままごとのように可愛いといえば怒るだろうか。

「明日もしたい。いいでしょう?」

嬉しそうに言うリウヒだが、アナンは心配で堪らない。飢えた男たちの中に大切な妹を入れるのは嫌だった。

「でも、みんなとても親切だし、楽しいもの」

ねえ、お願い。兄さま。手を合わせて、自分を覗き込む。

「キジは、まあいいとしてクロエが…」

「二人ともわたしの友達なのに」

友達。アナンは友達という概念がよく分からない。

常に自分は上に立つ身だった。宮廷時代は父である国王がいたし、海に来てからは先代がいたが、どちらにしても次を受け継ぐ人間として育てられた。以外は、臣下であり部下であり他人だった。自分の母親や弟でさえも。対等といえる人物はいなかったし、必要なかった。

友達、ね。

それは目の前で、黒い目で見つめてくる妹にとって、とても大切なものらしい。

仕方がない。愛する妹のお願いだ。アナンはため息をついて、不承不承許可をだした。



****



「お前って本当に不器用だな」

その言葉にリウヒは、ムッとしたようにキジを睨んだ。

「そんな事はない」

「あるよ! 滅茶苦茶あるよ! 原型留めていないじゃねえか、これ!」

リウヒの手から奪った衣を広げる。

「空いた穴を繕うだけなのに、何でこんなにぐしゃぐしゃになるんだ。袖まで縫うんだお前は!」

「あれ?」

「あれ、じゃねえよ。あーあー。ハルさん、泣くぞ」

「そこまでいったら、ある種の天才だな」

「えっ? そうか?」

「クロエ、変に褒めるな。そしてリウヒ! 得意げに鼻ふくらますんじゃねえ!」

ああ、もう馬鹿二人! とキジは頭をかきむしった。

ちょくちょく大部屋へ「なんか手伝いに来た」リウヒは、みなに紛れて色んな雑用をするようになった。最初は怯えて怖がっていた仲間たちも、慣れてきたらしい。嬢ちゃん、嬢ちゃんと気さくに声をかける。

それでも、やっぱりお相手をしているのは、キジとクロエだった。

リウヒは、ほとんどそつなくこなしたが、料理と裁縫だけは壊滅的に下手糞だった。

少女がつくった夕餉を食した仲間たちは、一口食べた瞬間あまりの不味さに吐いた。それでも必死になって食べた健気な数人の男たちは蕁麻疹じんましんで数日間苦しみ、のたうちまわった。勿論、クロエもその内の一人だ。

飯を握らせれば、米粒は可哀そうなご飯へと変貌する。

汁物をつくらせれば、鍋の中はどす黒い不気味な液体に変化する。

「おかしいな、なんでだろう」

「おれが聞きたいわ!」

裁縫はなぜか真っ直ぐ縫えない。糸を強く引っ張るのか、布が攣れて波うっている。しょっちゅう自分の指をさして、手を痛そうに振っている。しかも縫わなくていいところまで縫って、衣を台無しにする。

「おお、嬢ちゃんが、おいらのんぬってくれたんか。何か悪いなあ」

歯が三本抜けた男、ハルさんが嬉しそうにやってきた。

「ハ、ハルさん、ごめん。こんなんなっちゃった…」

「ああっ! ハルさん、泣かないで!」

「糸を切れば、何とかなるから!」

「お前が悪い!」

「リウヒは悪くない! 悪いのはおれだ」

「クロエは関係ないだろう。多分、この針が悪いんだ!」

「馬鹿! 馬鹿二人!」

ぎゃあぎゃあ騒いでいる三人と、よほど気に入っていた衣だったのだろうか鼻水をたらして、泣いている男の横を、仲間たちが水を運んでいた。

「あれは何をやっているんだ?」

リウヒが不思議そうに聞いてくる。

「明日、甲板の大掃除をやるんだよ。その準備」

ハルさんお気に入りの衣の糸を切りながら、キジはぶっすり答えてからハッとした。

案の定リウヒは嬉しそうな顔で、水を運ぶ男たちを見ている。



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