鯨たちが争って去っていった場所。
太平洋戦争直後、朝鮮半島に生きる一人の日本人――森山新一。
その波瀾に満ちた人生の軌跡を描いた物語である。
1948年。
船の汽笛が港に響き渡った。
港には日本人と米軍が入り混じり、汗の匂いと潮の匂いが混ざり合った、むせ返るような空気が漂っていた。
その重たい空気を切り裂くように、ある場所で騒ぎが起きていた。
近づいてみると、米軍兵士と日本人難民が言い争っている。
原因は、米兵スミスと難民との言葉の問題だった。
「1000円以上は持ち出せない!」
スミスがそう言ったが、難民には通じていないようだった。
「何を言っているの?
もっと分かりやすく話して!」
難民は興奮し、スミスに詰め寄った。
すると近くにいた米兵の一人が、銃口を突きつけた。
その時、スミスが私に気づいた。
まるで助けを見つけたかのように、手を振って呼んだ。
「おい!これ解決してくれたら、チップを弾むぞ!」
「本当ですか?」
私は通訳だった。
チップの言葉につられ、難民の前へ歩み寄る。
(この人の財産も、この半島で搾り取った金なんだろうな。)
心の中で、私はその日本人を軽蔑していた。
自分の力で得たものではない。
朝鮮半島から吸い上げた金を食いつぶしただけの人間だ。
妻の祖国を踏みにじった日本という国が、また少し嫌いになった。
私は静かに説明した。
「船に乗れない理由は、
持っている財産が1000円を超えているからです。」
「貴重品に替えるか、捨てていくしかありません。」
難民は顔を真っ赤にして叫んだ。
「自分の金なのに、どうして持っていけないんだ!?」
私は落ち着いて答えた。
「米軍の規定です。
諦めるか、交換してください。」
その一言で、難民の表情は凍りついた。
「また一件片付いたな。」
スミスが笑いながら言った。
「お前は俺が軍隊で会った日本人の中で、一番話が通じる奴だ。」
「さあ車に乗れ。今日は俺が一杯奢る。」
「いや、妻が待っていますから。」
「じゃあ家の近くまで送ってやるよ。
仁川からソウルまで歩くのはきついだろ?」
「それじゃ、お言葉に甘えます。」
米軍の車で港を出ると、ずらりと並んだ日本人たちの列が目に入った。
虚ろな目。
そして、大きな荷物だけが残っている。
日本が敗戦してから三年。
日本の植民地だった朝鮮半島も、自由を取り戻して三年が過ぎていた。
太平洋戦争が始まり、大使館が閉鎖された後。
詩を書くことが趣味だった私は、偶然今の妻と出会った。
二年前、彼女と結婚し、
日本の敗戦の後、私は彼女について朝鮮半島へ渡った。
二十五歳の頃だった。
「え? 太平洋で戦争?
宣戦布告もなしに?」
親しくしていたアメリカ外交官の事務員の男が言った。
「仕方ないさ。」
「アメリカは日本への石油供給を止めた。
軍部がこういう決断をするのも無理はない。」
静かな口調だった。
だが、その状況はとても信じられるものではなかった。
アメリカ外交官は拘束され、
普通の会話さえ違法になる。
そんな時代だった。
「君には悪いが、大使館は閉鎖するしかない。」
重たい扉が閉まる。
まるで分厚い壁のように、
私の前に立ちはだかった。
「これから、どうすればいいんだ……」
私は実家のある京都へ戻った。
平凡な公園通り。
ベンチに座り、空を見上げながら将来を考えていた。
その時だった。
彼女に出会ったのは。
「どうしました?」
「顔色、あまり良くないですよ。」
それが、妻との最初の出会いだった。
「チヨちゃん!
僕と結婚してください!」
やがて私は彼女にプロポーズした。
だが、家族は激しく反対した。
「駄目だ!
わしの目の黒いうちは、朝鮮の女など認めん!」
それでも私たちは一緒に歩いた。
ある日、街を歩いているとラジオが流れていた。
「朕は帝国政府をして、米英中ソ四国に対し、その共同宣言を受諾する旨を通告せしめたり。」
戦争は終わった。
彼女が言った。
「戦争が終わりましたね。
あなたの国に支配されていた私の祖国も、解放されたんですね。」
少し黙ったあと、彼女は言った。
「私は祖国に帰りたいです。」
「信一さんが嫌なら、来なくてもいいです。」
私はすぐに答えた。
「いや。
君が行く場所なら、どこでも一緒に行く。」
祖父は最後まで反対した。
「行くなら二度と日本へ戻るな!」
それでも私は覚悟を決めた。
そして朝鮮へ渡った。
朝鮮半島で日本人として生きることは、最初から差別の連続だった。
日本がこの地を支配して四十年。
敗戦後、その四十年の抑圧は怒りとなり、日本人へ向けられた。
そんなことを思い出しているうちに、家の近くまで来ていた。
スミスが私を呼び止めた。
車のラジオから、朝鮮語の放送が流れている。
「――1947年、ボストンの地で我が民族の名を世界に知らしめた……」
スミスはポケットから果物を取り出した。
「今回、済州島から届いたオレンジだ。
甘いらしいぞ。家族と食べな。」
「ありがとう。いつも世話になってばかりですね。」
「俺たちの仲だろ。そんな堅いこと言うな。」
私は蜜柑を受け取り、家へ向かった。
その途中、朝鮮人と肩がぶつかった。
「チョッパリのくせに、日本へ帰れ!」
「……すみません。」
子供が石を投げてきた。
「日本へ帰れ!」
袋の中の蜜柑が転がった。
「……汚れてしまった。」
朝鮮人からの軽蔑や差別には、もう慣れていた。
それでも私は日本へ戻らない。
家の扉を開けると、妻が迎えてくれた。
「お帰りなさい。」
彼女の笑顔を見るだけで、
私はまた生きる力を取り戻せる。
私の仕事は通訳だ。
日本へ帰る日本人と、米軍の言葉をつなぐ仕事。
そして時は流れ、1948年8月15日。
ラジオから大韓民国政府樹立の演説が流れていた。
「8月15日、8월 15일, 오늘 우리는 전 세계에 대한민국 정부 수립을 선포합니다...」
妻が音量を少し下げた。
「あなた、今日もお疲れさまでした。」
彼女は微笑んだ。
私の生きる意味は、この人のそばにある。
「チヨちゃん。今日は何かあった?」
「あ、隣の家からキムチをいただきました。」
何でもない会話。
こんな平凡で、静かな家庭があること。
それだけで私は、
とても幸せだった。
私は韓国の高校生です。
日本語がまだ未熟なため、AIの助けを借りて翻訳し、投稿しております。
不自然な表現があるかもしれませんが、温かい目で見ていただけましたら幸いです。




