凡骨な男爵五男坊騎士、不遇な令嬢騎士に手ほどきしたら、「褒美は彼との婚姻で」と国中に知れ渡る話
申し訳ありません。投稿ミスで一旦削除しました。御覧頂いていた方には、この場で謝罪申し上げます。
改めて、よろしくお願いします。
人は、夢を見る。
英雄になりたいだの、天下無双の豪傑になりたいだの、世界一の大魔導師になりたいだの──。
でも実のところ、自分の器をちゃんと分かっている人間は、そんなに多くない。
俺の名前はロイ・ハレン。辺境寄りに領地を持つハレン男爵家の、五男坊だ。
そう、五男である。家督を継ぐなんて、夢のまた夢。考えるだけアホらしい。
現実を少なからず受け止めていた俺は、剣技に磨きをかけ、多少、腕に自信があった。だから、王都に出て、王国騎士団に志願し、運よく見習いとして入団することもできた。
だが……入ってみてよーく分かった。この国の騎士団には、傑物がゴロゴロいる。
一騎当千だの、常勝無敗だの、本当にやってのけるような連中が火花を散らしてポストを狙い合う中、小さな領地で"そこそこ"と言われていた俺に、成り上がりの未来なんてそうそう転がってはいない。
だから俺は、割と早いうちに自分と折り合いをつけた。
小隊長になれれば十分上等。たかが小隊長でも、王国騎士団の肩書は強い。退役後も食いっぱぐれず、どこかの領地でそこそこいい暮らしができる。あと、できれば途中で可愛い嫁さんをもらえれば、なおよし。
そんな程度の、小さく"身の丈にあった"夢だ。
大事なのは、背伸びしないこと。自分を大きく見せようとせず、与えられた場所で、それなりにやっていくこと。
それが凡人として生まれた俺の、一番幸せな生き方だと信じている。
もっとも、凡人たる俺にも、一つくらい取り柄はある。俺の場合は、先入観に捕らわれないことだ。対人関係やコミュニケーションは特に。
家柄がどうとか、性別がどうとか、噂がどうとか──そういうものは参考にはするが、それだけで人間を決めつけるのは、どうにも性に合わない。
男爵家の五男坊には、他人を選り好みする余裕なんてない、という現実もあるが。
だから、変人奇人、問題児、異端児、あぶれ者、そして、女性騎士たちとも、ごく普通に接していた。
王国騎士団は、良くも悪くも“剛剣至上主義”だ。正面から叩き伏せるのが正しい戦い方で、それ以外は軟弱とバッサリ切り捨てる。 統制と秩序が大事だとかで、例外も変化もとにかく嫌う。
俺はそういった奴らとよく隊で一緒になり、何かと組まされることが多かった。おかげで、彼らから様々なことを学んだ。今や、俺の戦い方は、騎士団の基礎に“変わり者たちの技”をひっそり混ぜた折衷型だ。 そのおかげで、そこそこ実力も伸びてきた。ただ、より一層、そういう奴らと集中的に組まされるようになったが。
今では、『変わり種はロイに回せ』なんて、平然と目の前で言われる。別にそれについては、然程気にしてはいない。
変わり者と敬遠された彼らに負ける度に、思うからだ。
実力が本物なら、戦闘スタイルに優劣はない。
剣を振る腕が確かなら、男でも女でも関係ない。
『女が剣を持つなど』と露骨に嫌う連中の多い騎士団で、この考えが──俺と一人の女騎士を結びつけることになる。
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「もう一本、お願いできますか、ロイ殿!」
訓練場の真ん中で、銀のポニーテールがしなった。
振り下ろされる剣は、風を切る音さえ鋭い。木剣なのに、受け損ねれば腕ごと持っていかれそうな迫力だ。
「っ……おいおい、辺境伯家のお嬢様がそんな勢いで振るうもんじゃないだろ」
俺は苦笑しながら、「ガンッ」と木剣を立てて受け止めた。
「ここでは身分は関係ありません。わたしは一騎士、シルヴィア・リンドベルクです。」
真っ直ぐな翡翠色の瞳が、ぎらりと輝く。
辺境を預かるリンドベルク辺境伯家の三女。武の名家に生まれ、本人もまた剣を好む。
舞踏よりも剣技。
茶会よりも鍛錬。
そんな性格を持つ彼女は、家族の反対を押し切って王国騎士団に入ったらしい。
その実力は本物だ。非公式だが、騎士団内で十指に入ると言われるほどの腕前であることは、俺もこの一ヶ月でよく分かった。
ただ──。
「よ……っと。はいそこ、力みすぎ」
受け流しながら、俺は指摘する。
「シルヴィア、肩で押す癖が強い。腕力でねじ伏せようとするな。」
「ですが、ここでは皆、正面から剣をぶつけ合って……」
「だからといって、同じことをする必要はない。シルヴィアらしい得意な形で戦えばいい。」
そうは言っても、彼女には届いていないのだろう。シルヴィアの眉間には、常にうっすらと皺が寄っていた。
訓練場の端では、他の隊員たちがこちらを見てひそひそと囁き合っている。
「またロイのやつ、女と稽古組んでるぜ。」
「シルヴィアに本気で打ち込まれたら、俺らが泣くっての。」
「わざわざ女を相手にする必要もねえだろうに。」
彼らの視線は、シルヴィアに対して冷ややかで、俺に対して呆れ半分といったところだ。
女と剣を交えるのは小癪。女に負けるのは業腹。
そんな取るに足らないプライドのせいで、シルヴィアが理不尽に孤独を押し付けられているのだ。
彼女がこの隊に配属されて以来、俺が一番の手合わせ相手になっていた。
理由は単純で、他の連中が避けるからだ。
女性騎士の中にはまだ線の細い新人も多いが、シルヴィアは違う。彼女と本気で打ち合えば、男のほうが先に音を上げることだって普通にある。
それを認めるのが嫌な連中が、彼女から距離を取っている。
……実にくだらない。
シルヴィアは、それを分かっている。だからこそ、時々──遠くを見るような、妙に寂しげな目をするのだ。俺は、その目を見るたびに、ほんの少し苛立ちを覚える。
シルヴィアに対してではない。
彼女を、そういう目にさせる連中に、だ。
「今日は──このくらいにしておくか。」
何本目かの打ち合いのあと、俺は木剣を肩に担いだ。
「……まだいけます!」
「……剣筋が荒れてきてる。続けても怪我するだけだ。」
「…………」
シルヴィアは悔しそうに唇を噛んだ。
その表情に、俺はわざと軽い口調を付け足す。
「それに、そろそろ夕餉の時間だろ。辺境伯家の令嬢が寮の飯を食いっぱぐれたなんて噂になったら、俺が怒られそうだ」
「……辺境伯家のことは、ここでは関係ありません。」
そう言いつつも、彼女の声はほんの少し和らいでいた。
いつものことだ。
彼女は自分の出自を誇りに思っているが、そのせいで起こる不遇を嫌っている。だから「辺境伯令嬢」と呼ぶと、決まって微妙な顔になる。
面倒くさい性格だなと、時々思う。
──だが、その面倒くささごと、彼女は真っ直ぐで眩しい。
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その夜、俺たちは二人で酒場にいた。
隊の連中が「女と一緒だとやりにくい」と訓練後の飲みを断った結果、シルヴィアが一人で食堂に向かおうとしているのを見かねて、俺が誘ったのだ。
「たまにはこういうところも悪くないだろ」
「……寮の食堂と、あまり変わらない気がしますが」
「気分の問題だよ、気分の」
安酒をちびちびとやりながら、俺は適当な話題を振った。
実家や地元の話、騎士団に入る前のこと。
彼女の好きな武豪たちの話。
訓練場の隅でこそこそしている連中の愚痴。
最初はぎこちなかったシルヴィアも、酒が回るにつれて少しずつ肩の力が抜けていった。
そして、二杯目のグラスが半分ほど減った頃──。
「……ロイ殿」
「ん?」
「ロイ殿は、その……わたしが、女であることを、どう思われますか」
シルヴィアは、手元のグラスをじっと見つめたまま言った。
いつもの鋭さはなく、声はやけに弱々しい。
「どうって……そりゃ、女だなと」
「そういう意味ではなくて……っ」
顔を上げた彼女の頬は赤い。酔いのせいだけではないのだろう。
「わたしは、ずっと、男に生まれていればと考えてきました。剣を好み、戦場を夢見る女など、家はともかく、周囲では、歓迎されません。」
「…………」
「この騎士団でも同じです。力でねじ伏せる剛剣が正義で、女の剣など飾りだと言われ続けてきました。訓練で手加減されるのも嫌ですが……本気を出してもらえないのは、もっと……」
そこで彼女は言葉を切り、ぐっとグラスをあおった。
「悔しいのです。男と正面から斬り結び、力負けした時、自分が女であることを呪います。この身が男として生まれていれば……もっと強くなれていたのではないか、と。」
静かな酒場の隅で、シルヴィアの吐露は、思ったよりも重く響いた。
俺はしばらく黙っていた。どう返すのが正しいのか、迷った。
だが──とってつけた慰めよりも、感じたことをそのまま口にするほうが、シルヴィアには似合うと思った。
「……それは、違うな」
「え?」
「男として生まれていれば、もっと強くなれた、か。逆だよ、シルヴィア。」
シルヴィアの目が、酔いの中でゆっくりと俺を映す。
「君は、女でありながら騎士団員として、ずっと正面から剛剣で競り合う戦い方を押し付けられてきた。『男と同じ土俵に立て』ってな。」
「…………」
「でもな。君は、男じゃない。」
それは、否定じゃない。ただの事実だ。
「なら、男と同じ土俵で戦い続ける必要なんて、どこにもないだろ。剛剣で押し合って勝てないといって、己を責める必要も卑下する必要もないはずだ。シルヴィアにしかない強さで勝てばいい。」
「……そんなもの、あるのですか。」
「あるさ。」
俺は、グラスの酒を口に含み、喉を潤す。
「ああ見えて、騎士団にはいろんな奴がいる。正統に力で押す奴もいれば、足で翻弄する奴もいる。魔法を絡めてくる狡猾なのもいるし、盾一枚で全部受け止める変態もいる」
「変態って」
「誉め言葉だよ」
少しだけシルヴィアの表情が緩むのを確認してから、続ける。
「俺は、そういう連中の戦い方を見て、少しだけ学んできた。」
「…………」
「だからこそ、はっきり言おう。君には、まだ伸びしろがある。」
俺は、真正面から彼女を見た。
「女だからこそ届く間合いがあって、女だからこそ扱える重心がある。しなやかさや繊細さは、剣では立派な武器だ。だが、シルヴィアはずっとそれを殺されてきた。」
シルヴィアの喉が、小さく鳴った。
「もったいないと思う。今の君は、まだ、強くなれる。男になんてなれなくていい。女である君のままで、男どもを薙ぎ倒せばいいんだ」
「……そんな、うまくいくと思いますか」
「やってみなきゃ分からないさ」
俺はふっと笑った。
「興味があるなら──付き合うぞ。俺でよければ、君の剣を“最強”にする手伝いくらいはできる」
「…………」
シルヴィアはしばらく俯いていた。
やがて、決意を固めたように顔を上げる。
「……ロイ殿が、そこまで言うのなら」
赤い頬のまま、真剣な瞳で。
「試してみたいです。男でなくとも、女の身で最強になれるのかどうか」
その言葉は、挑戦の宣言というより──祈りのように聞こえた。
その瞬間、酒場の灯りが、ほんの少しだけ眩しく見えた気がした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
翌日から、俺とシルヴィアの“特訓”が始まった。
まず取り組んだのは、足さばきだ。
「踏み込みが重い。もっと軽く、滑るように前へ出ろ」
「これ以上軽くしたら、踏ん張りが……!」
「踏ん張るのは、斬り結ぶ瞬間だけでいい。その前と後は、流れるように動け」
彼女の足さばきを見ながら、俺は何度も位置を直し、速度を調整させた。
次に重心。
「腰が高い。男と同じ高さで構える必要はない」
「でも、そう教えられてきました」
「なら、その教えを一旦忘れろ。君の体格なら、もっと深く腰を落としたほうが、相手の剣をいなしやすい」
シルヴィアは何度も構え直し、俺はそのたびに「違う」「もう少し」「そう、それだ」と指示を出す。
上半身の使い方も変えた。
力任せに振り回すのではなく、しなやかにしならせ、相手の剣筋を受け流す。
騎士団が好む正面衝突を避け、斜めに滑らせ、弾き、絡め取る。
最初の三日は、シルヴィアの顔には露骨な不満が浮かんでいた。
「こんな……逃げ腰みたいな戦い方、わたしは……」
「逃げ?違うな。これは誘ってるんだ」
「誘う……?」
「相手が全力で斬りかかってくるところを、『ここに打ち込め』と誘導する。そして、その一撃をいなして、返す。それを繰り返せば、いつの間にか相手だけが疲れている」
「……本当に、そんなことが」
「やってみろ。俺の剣がいなせるようになれば、他の連中の剣もいなせるようになるさ」
「それ、さりげなく自分のこと持ち上げてません?」
「……まあ、そこは見逃してくれ」
冗談を挟みつつも、稽古は真剣そのものだった。
シルヴィアの飲み込みは早い。身体能力も、男たちと比べて高水準だ。
だからこそ、正面からの剛剣だけに頼る戦い方は、明らかに“もったいなかった”。
一週間もすれば、彼女の剣筋は目に見えて変わっていった。
受け止めるのではなく、滑らせる。
押し返すのではなく、流す。
力をぶつけるのではなく、向きを変える。
ある日の手合わせで、俺は綺麗に木剣を弾き飛ばされた。
「……っと」
あまりに見事に決まったものだから、思わず頬が緩んだ。
「今の、分かりますか?」
シルヴィアが、少し息を弾ませて言った。
「ロイ殿の剣を、真正面から受け止めず、肩口から腰に向かって流しました。自分の腕のしなりを意識して……」
「そうだな。見事な“柔剣”だ」
「柔剣……?」
「今思いついた。君の剣は、今までの無骨で力任せな剛剣を脱した。美しくしなり、柔らかく受けて、そして靭やかに返す。──“柔剣”って呼ぶのがぴったりだ」
「柔剣……」
シルヴィアは、その言葉を何度か口の中で転がし、やがて、子どものように嬉しそうに笑った。
「悪くない響きです」
「ああ。よく似合ってる。」
その笑顔を見ていると、胸の奥が、きゅっと痛むように苦しくなった。
……ああ、これは良くないな、と胸の奥で呟く。
俺のささやかな夢の中には、“恋愛で身を滅ぼす”なんて項目は入っていないのだから。
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騎士団最強を決める公式トーナメントが開かれたのは、それからしばらく後のことだった。
「女が出るなど、茶番もいいところだな」
予選前、シルヴィアにそう吐き捨てたのが、騎士団の大隊長、バルド・グランツだった。
軍閥・第二王子派の古株で、女騎士を嫌う典型的な男だ。
嫌がらせの中心人物でもあり、シルヴィアが訓練で他の隊員と組めない原因を作ったのも、こいつである。
「結果を見てから言ってください」
シルヴィアは短く返しただけだった。
予選が始まる。
彼女は、次々と相手を倒していった。
最初は、周りも「偶然だ」「相手が弱かった」と笑っていたが、三人、四人と勝ち続けるうちに、その笑いは消えていった。
「おい、あの女、さっき、中隊長候補を……」
「今の、完全に受け流してからの一撃だぞ…」
「剛剣を正面から受けず、流してる……?」
観客席がざわつく。
本選に進んだ時点で、シルヴィアはすでに“優勝有力候補”まで評価を改められていた。
そして、決勝戦の相手が、バルド大隊長に決まったとき──訓練場は異様な熱気に包まれた。
「女如きが、ここまで勝ち上がってこれたことだけは褒めてやる」
バルドはそう言って嗤う。
「だが、ここまでだ。女は女らしく、地べたで這いつくばってメソメソ泣いているのがお似合いだ。」
「……そうやって、あなたは“自分と違う強さ”を否定してきたのですね」
シルヴィアは静かに剣を構えた。
合図と同時に、バルドが踏み込む。
重い剛剣が、空気ごと叩き割ろうとするような勢いで振り下ろされた。
だが、その一撃は──空を切った。
「なっ……!」
シルヴィアの身体が、紙一重で横に滑る。
剣が地面を噛む直前、彼女の木剣が相手の刀身にそっと触れた。
力をぶつけるのではなく、流す。
バルドの剣が地面に叩きつけられる瞬間、シルヴィアはすでに一歩踏み込んでいた。
腹部への一撃。
鈍い音がして、バルドの巨体が、崩れ落ちる岩壁のように後ろへ倒れ込んだ。
決着は、一瞬だった。
「勝者──シルヴィア・リンドベルク!」
審判の声が響くと同時に、訓練場全体からどよめきが上がった。
歓声と、驚愕と、認めざるを得ない称賛とが、入り混じったざわめき。
シルヴィアは、深く息を吐いた。
観客席の端で、「やったわ!」とでも言いたげに、身を乗り出して拍手する王女殿下が見えた。王女殿下は前々から「女性だけの騎士団を作りたい」と言っていたらしい。
この勝利は、その願いを実現させる最後の一押しになるだろう。
そして、実際に──その数日後、王女殿下の提案により、女性騎士団創設が正式に決定された。
初代団長には、もちろんシルヴィア・リンドベルク。
団名は彼女にちなんで『銀流騎士団』となった。
「……おめでとう」
発表のあと、俺は廊下の片隅で彼女に声をかけた。
「ロイ殿のおかげです」
「いや、シルヴィアの努力の成果だ。俺はちょっと背中を押しただけ。」
「その“ちょっと”がなければ、ここまで来られませんでした。」
シルヴィアは真剣な顔をして、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、ロイ殿」
「……やめろ、くすぐったい」
そう言いながらも、胸の奥は妙に暖かかった。
嬉しい。……だが、どうしようもなく寂しい。
銀流騎士団は独立した部隊だ。団長となるシルヴィアと、もう“同じ隊の仲間”として剣を交える日々は戻ってこないだろう。
俺と彼女との距離は、これから少しずつ離れていく。
それが正しいと分かっていても、胸の奥の名残惜しさは消えなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そんな感傷に浸る暇もなく、ちゃっかり見習いを卒業した俺には新しい任務が与えられた。
第一王子──王太子殿下の、諸国外遊の護衛である。
選抜された精鋭に混じって、何故か俺も護衛団一員として随行することになった。
「ロイ殿、行ってしまうのですね」
出立前日、銀流騎士団の新しい詰所で、シルヴィア団長が言った。
「行ってしまう、ってほど遠くには行かないさ。王都に戻ってきたら、すぐに顔を出すよ。」
「……それでも、寂しいです」
その一言に、心臓が妙な音を立てた。
視線を逸らさないようにしながら、俺は笑みを作る。
「すぐ戻るさ。その頃には、君はきっと、"王都中が恐れる団長"になってる」
「……その言い方、少し傷つきます」
「誉め言葉だよ」
「……ふふ。ロイ殿は本当に、そればかりですね」
シルヴィアは、少しだけ、寂しそうに笑った。
その笑みが、胸の奥に焼き付いて離れなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
諸国外遊は、最初のうちは順調だった。
隣国との会談も滞りなく終わり、王太子殿下は外交の手ごたえに満足そうだった。
だが、帰路に就いたとき──問題が起きた。
国境付近の街道で、湧いて出てきたかのように、オークと人間の混成軍が突如襲いかかってきたのだ。
「敵襲!殿下をなんとしてもお守りしろ!!」
大隊長の怒号が響き、俺たちは瞬時に剣を抜いた。
敵は数で上回っていた。しかも、人間側の連中は、妙に統率が取れている。
ただの盗賊や蛮族ではない。誰かの指揮下にある、明らかに“軍”のそれだった。
多勢に無勢。あっという間に護衛団は飲み込まれた。
俺たちは甚大な犠牲を払いながら、王太子殿下を辛うじて守りきり、近くにあった廃砦に逃げ込んだ。
砦は古く、壁にはひびが入っていたが、それでも開けた野で囲まれて戦うよりはまだましだ。
息をつく間もなく、敵軍が押し寄せてくる。絶望が門や砦壁に取り付いてくる。
「ロイ!すまん、頼めるか!」
「任せろ!」
隊長格が軒並み討ち取られた護衛団は、なお決死の覚悟で守勢を保つ。
汗が目に入り、視界が滲む。腕は重く、息は荒い。
俺は凡骨だ。凡才だ。凡人だ。現に、ここにいる誰よりも強いわけではない。
それでも、誰かを守るため、そして、己の剣が誰かを救うと信じて騎士となった。
なら、諦めるわけにはいかない。
矢が飛び、魔法が交差する。オークの棍棒が壁を叩き、怒号と悲鳴が入り混じる。
その時、俺は銀髪の──彼女の、あの寂しそうな笑みを思い出していた。
……帰ったら、顔を見せるって言ったんだよな。
信念や矜持なんて立派なものじゃない。
ただ──彼女にもう一度会いたい。その気持ちだけが、俺の体を奮い立たせた。
いつ来るかも分からない援軍を待ちながら、光明の見えない耐久戦は続いていく。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一方その頃、王都。
「──国境付近で、殿下一行が襲撃を受けた!?」
伝令の報告を聞いた瞬間、シルヴィアは椅子を跳ねのけるように立ち上がった。
「突如、オークと人間の混成軍が出現し、襲撃されたとのことです。護衛団の生き残りが、命を賭して報せを──」
「……騎士団本隊は?」
「第二王子殿下の命により、別方面の鎮圧に向かっていると……」
「ふざけるな……!」
低く沈んだ声に、普段は柔和な第一王女でさえ息を呑む。
「王太子殿下の護衛を薄くし、帰路を狙って偽装した賊で襲撃する。
主力は“偶然”不在で救援は間に合わず──。
混成軍の正体は第二王子の私兵。
殿下を討ち、太子の座を……いえ、王位簒奪まで視野に入れている。
……あまりに筋書きが薄すぎて笑えませんね」
「シルヴィア団長……」
唇を噛み、彼女は王女を真っ直ぐに見た。
「銀流騎士団、即時出撃の許可を。王太子殿下の救援に向かいます!」
王女はわずかに逡巡したが、それから力強く頷いた。
「わかりました。緊急出撃ならば文句を言える者はいないでしょう。銀流騎士団団長シルヴィアに命じます──王太子殿下を救い、王国に仇なす者を討ちなさい」
「謹んで──拝命します」
シルヴィアは敬礼し、踵を返して駆け出した。
廊下を疾走しながら、彼女の脳裏にはただ一人の男の姿が浮かび続けていた。
──ロイ・ハレン。
彼が、いま最も危険な場所にいる。
無謀なほど真っ直ぐで、誰よりも身を削って人を守る男。
そんな彼が、敵の真っ只中で剣を握っている姿が、容易に想像できてしまう。
胸の奥で、何かが軋むように痛んだ。
彼の教えがなければ、今の自分はいない。
彼は自分を“女のまま強くある道”へ導いてくれた恩人であり──いつしか心が向いてしまった、大切な相手だ。
だから。
義務でも、騎士としての責務でもない。
ただ、どうか──生きていて。それだけでいい。
祈るような願いだけが、シルヴィアを突き動かしていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
廃砦近くの丘陵地帯。
大地を蹴り、疾風のように駆ける銀流騎士団。その先頭を走るシルヴィアの視界に、異様な軍勢が立ち塞がった。
「やっと来たかよォ……女団長さまぁ」
ぎらり、と。その中心に立つ男──バルド・グランツの目が、狂気に濁っていた。
血走り、焦点の合わない瞳。口端を垂れる涎は拭われず、呼吸は不規則で、まるで飢えた獣だ。
だが、もっと異様なのは……その魔力。
黒く濁り、周囲の空気を軋ませるほど膨れ上がった魔力が、バルドの全身から噴き出していた。
その手には、不気味な紋様が刻まれた魔剣。
「……禁薬と魔剣の併用。そこまで堕ちたとは」
シルヴィアは眉をひそめた。
禁薬は身体能力を一時的に“人外”へ押し上げるが、代償として自我が壊れ、命が潰れる。まして、魔剣との併用など、正気の沙汰ではない。
「殿下がお望みなんでなァ……“女をのさばらせるな”ってさぁ」
舌をだらりと垂らしながら、バルドが嗤った。
「お前みたいな女がちやほやされてよォ……俺は忘れちゃいねえぞ? あのトーナメントの屈辱をよぉ」
「それは、実力差です」
「黙れェ!」
怒号とともに魔剣が振り上がる。
「王太子も!その取り巻きも!ついでに……その中にいるロイって男も──まとめてぶっ殺してやるよォ! お前を図に乗らせた“手ほどき役”だろォ?」
──ぷつん、と。
何かが切れる音が、確かに聞こえた。
シルヴィアの視界から、一瞬で色が消えた。
胸の奥で凄まじい熱と冷たさが同時に吹き荒れる。
怒り。
恐怖。
焦燥。
そして──“ロイが死ぬ”という想像だけで生まれる、息が詰まるほどの痛み。
そのすべてが、ひとつの感情へと収束した。
「……ロイを」
それは溶岩よりも熱く、氷よりも冷たい声。
「ロイを、その汚い口で二度と呼ぶな」
バルドが狂笑した。
「やってみろやッ!! 女がァ!!」
魔剣が、黒い軌跡を描いて振り下ろされる。
地を割るほどの剛撃。並の相手なら触れた瞬間に肉も骨も砕かれる。
だが──。
シルヴィアには、その一撃が“遅く”見えた。
彼女の身体が風と溶け合う。
滑る。
弾む。
舞う。
黒い魔力をまとった魔剣の刃を、指先ほどの力で外へと導く。これはロイが教えてくれた“柔剣”。それを、すべての流れが一つに収束した瞬間──極致に至る。
「な……ッ!?」
バルドの脳が理解するより早く、重心が崩れていた。
地が揺れるように感じたのは、彼の身体が倒れていくからだ。
視界に映るのは、自分の影。
その影の先に──銀の軌跡。
「……終わりです」
一閃。
風鳴りすら生まれないほど速い剣閃が、バルドの首筋を斬り裂いた。
倒れ際──彼の唇が震える。
「……これが……お前の……剣……か……」
そして、沈黙。魔剣が乾いた音を立て、転がった。
周囲の混成軍が、揃って息を呑む。
まるで古の英雄が蘇ったかのような光景──それが、今のシルヴィアだった。
シルヴィアは、凍てつく瞳で、敵軍を見据えた。
「わたしが来た以上──」
彼女は静かに剣を掲げた。
「もう、勝てるとは思わないことですね」
銀流騎士団が吼える。
銀の剣戟が、雨のように敵陣を叩きつけた。
しなやかに、鋭く、統制された銀の奔流が、黒の軍勢を切り裂き始める。
“銀流”の名に相応しい無双の進撃が──始まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
砦壁の上で、俺たちは──奇跡を見ることになった。
丘の向こうから、白銀の旗が翻る。
銀流騎士団の紋章。
その先頭で、銀髪をなびかせながら、シルヴィアが駆けてくる。
「……来た」
誰かが呟いた。
次の瞬間、砦にいた全員が、腹の底から歓声を上げた。
シルヴィアはほとんど一人で敵陣の中心を切り裂き、銀流騎士団はその背を守るように突き進んだ。
混成軍は、崩れ落ちるようにあっという間に壊走していった。
戦いが終わり、張り詰めていた空気が一気に緩む中──シルヴィアは中庭で俺を見つけた瞬間、ふらりと膝をついた。
「ロイ!」
「……って、うぉ!?シルヴィア!?」
俺が答え切る前に、彼女が駆け寄ってきた。
俺の鎧の傷を見て、腕を掴んで、胸元まで確認して──ようやく、ひと呼吸だけ安堵の色が差す。
荒い呼吸は、戦いの疲労ではなかった。
ここに至るまでずっと抱えていた恐怖が、一気にほどけたのだ。
「……生きていて、よかった……」
「……心配かけたな。でも、なんとか踏ん張れた」
「ロイが……わたしの知らないところで死んでしまうのではないかと思うと……胸が、張り裂けそうで」
ぎゅ、と握りしめられた拳が震えている。
その震えが、どれほどの想いなのか、嫌でも伝わった。
「…………」
言葉にならなかった。
ただ、その拳に指を添えて、静かに握り返す。
彼女は、ほんのわずかに力を返してきた。
それだけで胸が熱くなった。
だが──休んでいられる時間はなかった。
「第二王子が、反乱を起こしました!王都の一部が占拠されています!」
伝令の声とともに、シルヴィアの表情が変わる。
一瞬だけ目を閉じ、感情を押し殺すように息を吐いた。
そして目を開く頃にはもう、銀流騎士団団長の顔だった。
「銀流騎士団、出立準備! 即時、王都へ引き返します!」
「お、おい、シルヴィア。そんなすぐに──」
「問題ありません」
静かに、だが揺るぎない声。
「王女殿下より、賊は討てと命を受けています。それに──わたしには、あの子たちがいます」
砦の外では、銀流騎士団がすでに整列し、馬上で彼女を待っていた。
皆、シルヴィアを信じ、ついてきた女騎士たちだ。
「ロイ。王都で待ってます」
「……あぁ、必ず会いに行くよ。だから──」
言いかけた言葉は、彼女の指先でそっと塞がれた。
「……ふふ。心配は無用です」
その一言だけ残し、シルヴィアは馬に飛び乗る。
白銀のマントが風を裂き、銀流騎士団が彼女の背を追って駆け出した。
銀の奔流の先頭で──誰よりも鋭く、誰よりも美しく。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
数日後。
俺たち護衛団が王都の城門前に辿り着いたとき──すべては、もう終わっていた。
城門は開かれ、城壁には黒煙の名残と剣戟の跡が見えた。
けれど、その頂には堂々と銀の旗が翻っていた。
銀流騎士団の旗だ。
「おい……まさか、全部銀流騎士団が……?」
誰かが呟く。
呆然として口が半開きになっている。
王都の通りを進むと、負傷兵こそいるものの混乱はほとんど収まっていて、住民たちは涙を浮かべながら銀色の鎧を纏う女騎士たちへ礼を言ったり、花などを渡そうとしていたりしていた。
──つまり、シルヴィアたちが単独で反乱軍を鎮圧したということだ。
思わず、苦笑いが漏れた。
「……心配は無用、か。言った通りすぎるだろ」
俺たちが王城へ着いた頃には、第二王子と反乱軍の将校は拘束され、王城は完全に制圧されていた。
そして、明くる日。
論功行賞の場が設けられた。
玉座の前。
シルヴィアは膝をつき、王国最高勲章を胸に掲げていた。
戦いを終えたばかりとは思えないほど凛とし、堂々たる姿。
まるで王城そのものより揺るがない“英雄”としての風格があった。
国王は静かに告げる。
「王太子の救援、反乱の鎮圧。銀流騎士団の価値を示し、この国の古い偏見を打ち破った──シルヴィア・リンドベルク。その功績、まこと誇るに足る」
「勿体なきお言葉です」
「褒美を取らせよう。望むものを申すがよい」
場の空気が張り詰める。シルヴィアはわずかに俯き──そして顔を上げる。
「では……ひとつだけ、願いがございます」
「申せ」
シルヴィアの視線が、俺を捉えた。
「ロイ・ハレンとの婚姻の許可を」
──静寂。
次の瞬間、
「ロイ!?」
「誰だ?……あれか、"柔剣"を手ほどきした……!」
「どういう関係なんだ……?」
ざわめきが渦を巻く。
俺は完全に固まっていた。
頼む……頼むから事前に相談してくれ、シルヴィア……!
「理由を聞こうか、シルヴィア」
国王の声は厳かだが、どこか愉快そうでもあった。
「はい」
シルヴィアはまっすぐ前を見たまま、言葉を重ねた。
「わたしが“女であるまま強くなれる道”を示してくれたのは、ロイです。わたしが柔らかな強さを得られたのは、彼に気づかされたから。わたしを英雄と呼ばれるのであれば、その功績の半分はロイのものです」
「…………」
いや、盛りすぎでは?
と言いたかったが、シルヴィアはあまりに真剣で──何も言えなかった。
「そして……わたしは、この想いを一人の人間に捧げたい。女であるわたしを、剣士として、そして女性として認めてくれた人に」
心臓が、痛い。
戦場よりよっぽど苦しい。
「ま、待ってくれシルヴィア!」
とうとう耐えきれず、声が裏返った。
「俺は男爵家の五男で、ようやく一人前になったばかりの騎士なんだぞ!?君は辺境伯家の令嬢で、騎士団を率いる団長で、救国の英雄で……格が違いすぎるだろ!」
シルヴィアは静かに首を振った。
「確かに家格では、わたしのほうが上です。でも──」
その表情は、まったく揺れていなかった。
「今回の戦いのことは、すでに父にも報告を送っています。父は戦場を知る武家の人間です。自ら戦場に立つ者の“縁”を侮ることはしません」
「…………」
つまり──ロイだからこそ反対しない、という含みでもある。
「立場で言えば、女騎士団団長と一人前の騎士。差があるのは理解しています。ですが」
シルヴィアは、柔らかく笑った。
「わたしにとっては、何の問題もありません」
それは、揺るぎない“答え”だった。
「それに──」
シルヴィアは頬を少し赤くした。
「ロイは自分をよく"凡骨"と言いますけど……わたしからすれば、世界で"唯一無二"なんです」
国王が、堪えきれず笑う。
「ふむ。"英雄"にそこまで言われて、断るのか?」
「…陛下!?」
逃げ道は、完璧に塞がれていた。
シルヴィアは、不安など一切ない瞳で俺を見ていた。
こんな目で見られて、勝てるわけがない。
「……分かったよ」
胸の奥が熱くなるのを誤魔化すように、俺は息を吐いた。
「そっちがその気なら……俺から断る理由はない。よろしく頼む、シルヴィア」
「……はい!」
シルヴィアの顔が、ぱっと花のように咲いた。
──その笑顔を見た瞬間、胸がじんわり熱くなる。
俺みたいな凡骨には、正直もったいないくらいだ。
……けどまあ、彼女となら大丈夫だろう。
なんせ綺麗で、可愛くて、強くて──
奥さんとして、理想なのだから。
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それから先のことは、簡潔にまとめよう。
俺は騎士団で地道に経験を積み、望み通り、小隊長になった。
シルヴィアは変わらず銀流騎士団の団長として、何度も王国の危機を救うことになる。
戦場では、彼女は常に団の先頭に立ち、俺はその背中を追いかけながら、自分の隊を守り続けた。
家族も増えた。
剣の素質を受け継いだ娘と、器用に立ち回る息子に振り回される日々は、想像していた以上に忙しくて、そして、とてつもなく楽しかった。
気づけば、俺とシルヴィアの名は、酒場の武勇伝にも、子どもたちの寝物語にも、歴史書の片隅にも載るようになっていたらしい。
凡骨騎士が、英雄と結婚し、“柔剣の開祖”なんて、いささか大袈裟な二つ名まで付けられて。
──だが、俺からすれば、そんなものはどうでもいい。
俺はただ、あの日、酒場の片隅で。
酔っぱらった辺境伯令嬢に向かって、「君には伸びしろがある」と言っただけだ。
あの時、自分の言葉を信じてよかった。
それだけは、胸を張って言える。
凡骨騎士の俺が手解きした辺境伯令嬢は、やがて最強の女騎士となり、反乱を鎮圧した英雄となり、最後には──褒美に俺を所望した。
凡人には、あまりに出来すぎた話だが。
人の歴史には、そういう奇跡みたいなことも起こるらしい。
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