お嬢様に教える〝ちょっと悪いコト〟~真夜中のスコーンは背徳の味~
とにかくスコーンと紅茶を楽しむお話が書きたくなり、勢いで仕上げました!
飯テロパートは(3)です。
恋の方も、ちゃんとすっきりします。
◆◆(1)◆◆
私のお嬢様は、清く正しく美しい。だから推せる。
「ご存じです? 夜の厨房にオバケが出るそうですの。お菓子を食べて消えるそうなのですが、なんだか可愛いと思いませんこと?」
午後の王城。薔薇園から聞こえる柔らかい声は、華やかに装う令嬢たちの中心から響いていた。
声の主は、宰相ベルクラン伯の一人娘、アンジェリカ様。
専属メイドである私、ローラがお仕えするお嬢様だ。
蜂蜜色の髪に澄んだ青色の瞳を持つ、落ち着いた美貌。他者を見つめる眼差しには慈愛が満ちており、たおやかな立ち振る舞いからは、聖母のような優しい印象が与えられる。
これらは、お嬢様が幼少期に奥様――伯爵夫人から仕込まれた〝伯爵令嬢のたしなみ〟である。名門ベルクラン伯爵家の令嬢たるもの、常に人を愛し、愛されるに相応しい振る舞いをせねばならぬということで、奥様はお嬢様を誰にも負けない淑女に育て上げた。
もちろん、美貌は磨きに磨き、学問や政治にも明るく、詩やダンスも完璧に修めている。後ろ暗いことなど粉砂糖一粒分もない、まさに完全無欠のご令嬢である。
「アンジェリカ様、素敵です」
「お声を聴いただけで、腰が砕けそう……」
「お美しいアンジェリカ様を目に焼き付けています……」
お嬢様を取り巻くご令嬢たちは、うっとりと力の抜けた声を漏らす。ティータイムもといアンジェリカ様崇拝タイムに酔いしれている。
(むぅぅ。気持ちは分かるが、それは今じゃない!)
私は新しい紅茶の準備をしながら心の中で悪態をつき、若干呪い混じりの視線をご令嬢たちに向けていた。
お嬢様の本心を察することができるのは、彼女の専属である私くらいだろう。
私がお嬢様にお仕えするようになってから、十年以上。幼い頃からお傍にいるので、考えていらっしゃることは表情の機微でだいたい分かる。というか、けっこう分かる。
お嬢様は、本当は純粋に紅茶やお菓子、そして会話を楽しみたいのである。
しかし、仲良くなろうとして誘ったご令嬢たちは、いつもお嬢様に見とれてばかり。少量のお菓子を摘まんだ後は、「胸がいっぱいで苦しいです……」と、夢見心地で解散してしまう。
(アンジェリカお嬢様……懸命に話のネタとお菓子を探されたのに)
はわはわとお嬢様に骨抜きにされているご令嬢たちは、「物憂げなお顔も素敵♡」などと、今日も的外れな反応を連発している。誰のせいで物憂げなお顔をされていると思っている⁉
お嬢様は「とんでもありませんわ」と微笑みを返しているが、見ているこちらは居たたまれない気持ちになるじゃないか。
(誰か、菓子を食え。そして、まともに会話しろ)
私が怨念混じりの視線をはわはわなご令嬢たちに向けていた時だった。
「アンジェリカ……」
護衛の騎士を連れて薔薇園を通りすがったのは、黒髪に金色の瞳をした逞しい青年――この国の第二王子で王位継承順位一位のサイアス殿下だった。
十八歳のお嬢様よりも一つ年上の十九歳。端正な顔立ちの優男チックな印象だが、鍛え上げた筋肉で自分の剣をも粉砕してしまうという、実にパワフルな脳筋王子である。
ちなみち、数年前の戦争では洗練された剣で多くの人々を守られたとか。
まぁ、戦争の時代の話だ。平和になった今の王国では、次期国王になるべく絶賛お勉強中。宰相であるお嬢様のお父上から政治のイロハを学んでいるらしい。
「……また菓子を食べているのか、お前は」
意中の人の登場にパァッと明るくなったお嬢様のお顔が、サイアス様の苦みを帯びたひと言で、あっという間に沈んでしまった。
(チッ)
私が心の中で舌打ちをし、眉間に皺を寄せるのは、この空気の悪さを何度も経験しているからだ。
この二人、幼馴染で婚約者だ。つまり、次期国王と次期王妃。見目よく、中身も優秀、人望も厚いとくれば、誰もが憧れるBIGカップルだ。
親たちが決めた婚約なのだが、これがどうにもこうにも、当事者たちの仲が上手くいっていない。
「サイアス殿下もおひとついかがでしょうか? 美味しいマカロンですの」
「いらん。お前が食べればいい。俺はこれからベルクラン伯と演説会に行く」
「まぁ、そうですのね。ではお包みいたします。空き時間に召し上がってくださいませ」
お嬢様は、私の方を向き、「ローラ。マカロンを」と言い掛ける。私としては、余計なお世話なんじゃないかなぁ~……なんて思うわけだが、彼女は実に健気で優しい。
「いらんと言っている……!」
ぴしゃりと言い放ったサイアス殿下。空気がひりつき、居合わせたご令嬢や護衛騎士たちの背筋がしゃんッと伸びた。
(あー、やれやれ。お嬢様に当たるなよ)
「も……申し訳ございません」
しょんぼりとした小さな声が痛ましい。
お嬢様は皿に残ったカラフルなマカロンを見つめたまま、唇をきゅっと引き結んでいた。
◆◆(2)◆◆
「うわぁぁぁんっ!どうしたらいいんですのぉぉぉっ!」
波乱のお茶会を終えたお嬢様は、自室のベッドにダイブしたまま、子どものように泣きじゃくっていた。
完全無欠の麗しいご令嬢も、素はまだまだ純真無垢な少女。好きな人から冷たくされると、落ち込むに決まっている。
「アンジェリカお嬢様って、サイアス殿下のことお好きですよねぇ。いつも酷いコトを言われるのに……私なら、新しい恋、もしくは足元の幸せを探しますけど」
「ローラ! 不敬ですわよ! サイアス殿下に謝ってくださいまし!」
「いや、殿下ここにいらっしゃいませんし。私はお嬢様を心配してるんですよ」
「心配よりも応援して」
私がハンカチを渡すと、お嬢様は涙に濡れた目元をお上品に拭い始めた。
お嬢様は、五歳の頃からサイアス殿下のことが大好きだった。
まだ私が見習いメイドだった当時、お嬢様が王城で迷子になられたことがあった。
言っておくが、私が城内の豪華な内装に見とれていて、お嬢様を見失ったなんてことはない。決してだ。
始めて来た王城に浮かれ、いつの間にか一緒に来ていたベルクラン伯爵や傍仕えたちとはぐれてしまったお嬢様は、心細さで庭園の隅で動けなくなってしまった。そんな時、偶然通りかかったサイアス殿下が優しい言葉と甘いキャンディをくださったのだ。
その現場には私も駆けつけることができたので、今でもその時のことは覚えている。
「甘いものは、元気をくれるから」
七歳のサイアス殿下は、天使のような美少年だった。このボン、やるやないか……と、男にうるさい私に思わせるくらいの見込みがあった。現在は常に表情筋が険しく固まっている仏頂面筋肉ゴリラになり果てているが。
以来、参城するたびにお嬢様とサイアス殿下は仲良く遊んでいた。
そしてお嬢様がサイアス殿下に恋心を抱くには、そう時間はかからず。
王子である彼に憧れたお嬢様は、婚約者に選ばれるために必死に努力をなさった。それこそ、完全無欠と呼ばれるほどに。
「わたくし、いつかサイアス殿下に愛されたくて……そう……思って……ぐすん……」
片想い歴の長さを振り返り、再び込み上げて来た涙で声をくぐもらせるお嬢様。
ようやく実りかけた恋ではあるが、まぁ、想いがすれ違うことはままありますからね……なんて、口が裂けても言えないが、下手な慰めの言葉も思いつかない私である。
(政略結婚なんて、関係がうまくいく方が稀だとは思うけどなぁ……)
ベルクラン伯爵と伯爵夫人の仲が超良好である影響が、ここに出ている。お嬢様は、愛し合う者が結ばれる素敵な結婚生活を夢見ているのだ。世の中、形ばかりのカップルなんてザラにいるというのに。
「うぅ~……ローラぁぁ……」
ぐすんぐすんっと泣きじゃくるお嬢様は、普段の気高く美しい彼女からは程遠いのだが、私はこの顔に弱かった。
(うッ! 可愛い! なんだこの生き物! どうにかしてあげたくなる……ッ!)
このピュアで可愛い主の魅力に抗うなんて、サイアス殿下はお気の毒だ。お嬢様と顔を合すたびに、刺々しい態度を取り、優しさを突っぱねる。脳みそまで筋肉なんじゃないかと思う。
私の脳みそには一応感情が詰まっている。ならば、お嬢様を幸せため、人肌を脱ぐのがメイドの務め。
「お嬢様。〝ちょっと悪いコト〟、しませんか?」
◆◆(3)◆◆
すっかり寝支度を済ませたお嬢様は、むにゃむにゃと目を擦りながら、私の後ろをついてくる。
辿り着いた場所は城内の厨房だ。深夜零時となると、さすがに使用人たちも休んでいるので、辺りはシンと静まり返っている。
お嬢様の夜は早い。いつもは9時にぱたん……と眠ってしまう主を、私は今夜だけはとベッドから引き剥がしてきた。嫌がらせではない。彼女のためだ。
「うぅ~ん……ローラ、どうして厨房に……?」
お嬢様は、ラベンダー色のネグリジェの上から毛糸のカーディガンを羽織っている。普段の腰がキュッと絞まり、ふんわりと広がるシルエットのドレス姿も素敵だが、こう……なんというか隙のある感じも私は好きだ。この状態のお嬢様なら、対等に話せるご友人ができるのではないか、なんて思ってしまう。
「申し上げましたでしょう? 〝ちょっと悪いコト〟ですよ」
お嬢様の手を引き、ずかずかと厨房の奥へと入る。
そこには私が時間を合わせて焼いていた「あるもの」があった。
「わぁ……」
お嬢様のため息が漏れる。
私がオーブンを開けると、焼きたてのスコーンが姿を現した。
こんがりときつね色をしていて、我ながら上出来だと思う。愛しい小さな円柱形のお菓子が芳ばしい小麦粉の香りで厨房を満たすと、数時間前に食べた夕食など胃の中から完全に行方不明だ。
きゅるる……と、お嬢様のお腹から切ない音が聞こえた。どうやら、お嬢様も同じらしい。
「いやですわ。わたくしってば、はしたない……」
「お気になさらないでください。今は私と二人だけですから」
ネグリジェの上からお腹をさするお嬢様を見ていると、私の頬は自然と緩んでしまう。
私はお嬢様のために椅子を調達してくると、調理台をテーブル代わりにしてお茶の支度を始めた。
青色の小花が描かれた上品な皿にスコーンをこれでもか! というほどもりもりと載せ、別の二つのココット皿には乳白色のクロテッドクリームと、ブルーベリージャムをふんだんに。どれも普段の二倍以上の量だ。
そして飲み物は、同じく青い小花のティーカップに上質なルフナの紅茶を。そこにたっぷりのミルクを注ぐ。ルフナミルクティー特有のどっしりとした甘い香りと深み、私はそれが好きだった。
(昔は紅茶なんて色のついた水だと思ってたけど)
「あ……あぁ……こんな甘いものを……紅茶まで……。夜中なのに目が冴えてしまいますっ」
「夜中だからこそ、ですよ。さぁ、お嬢様――」
私は椅子を引きながら、お嬢様にニヤリと笑ってみせた。
「背徳ティータイムのお時間です」
私に目線で促されるが、お嬢様はしばらく「うぐぐぐ」と可愛らしく葛藤していた。これまでの人生、夜中にお菓子どころか、夜更かしさえ一度もした経験がないのだから、私の誘いは悪魔の囁きに聞こえていらっしゃるに違いない。
だが、しかし。イケナイ時間のクリームティーの魅力に勝てる者なんていないのだ。
「ローラ……あなたというメイドは……」
お嬢様は、うわ言のような声を漏らしながら、震える手でほかほかのスコーンに手を伸ばされた。そして、躊躇いがちにスコーンの真ん中の割れ目――狼の口に指を当て、パカッと半分に割った。割れ目からふわぁ……っと温かい湯気が立ち昇ると、いっそう芳ばしい小麦粉の香りが厨房に広がった。
材料はいたってシンプルなのに、この香りはいつも誘惑する力が強くて困る。
「クロテッドクリームとジャムをどうぞ。人目を気にせず、これでもかというほど塗ってください」
「は……はい」
「いやいや、少ないですって。もっとですよ」
「えっ。でも、ローラ……」
「クロテッドクリームとジャムは多ければ多いほど美味しいんですから、たっっっっぷり塗りましょう!!」
私は、お上品な食べ方が骨身に染みているお嬢様を追い立てた。彼女はおろおろと困惑していたが、素直にクリームナイフをせっせと動かしている。
「いただきます」
あーん、サクッ。
お嬢様は可愛いお口で、クロテッドクリームとジャムがもりもりのスコーンを頬張った。そこからのなんとも言えない幸せに溢れたご表情ときたら。
「~~~~っ」
たまりませんわと言わんばかりの声が漏れ出し、お嬢様は身悶えを繰り返す。続けてサクッサクッといい音がすると、あっという間にスコーンの半分は彼女のお腹へと消えていく。
そして続けて、スコーンを味わう口へ、ルフナのミルクティーを含む。
お嬢様は分かっていらっしゃる。このスコーンとルフナのミルクティーの相性が絶妙であるということを――。
「はうぅぅぅ……っ」
温かい紅茶が喉を滑り落ち、胃からぽかぽかと温まっている――そんなぽわぽわとろんとした目付きになっているお嬢様は、ほっこりとしたため息を吐き出した。
「こんがりと焼けたスコーンの香ばしさ……外はサックリ、中はふわふわ……。クロテッドクリームの滑らかで優しい甘みと、ブルーベリージャムのほのかな酸味がベストマッチ……! 濃厚なのに軽やかな口当たりが最高にスコーンと合います! そして紅茶! ルフナのスモーキーで薔薇のような香りが鼻に抜け、ミルクの柔らかな甘みが後味をさっぱりとしてくれます……!」
(感想、すごいな)
「お口に合ったようで良かったです」
「ハッ! 私ってば、つい語りすぎてしまいましたわ!」
お嬢様は恥ずかしそうに頬に手を当てたが、視線は分かりやすくスコーンに釘づけだった。気に入っていただけたようで何より。メイド冥利に尽きる。
私はそんな主人の幸せそうな顔に黙って見惚れていた。
(あぁ、背徳的な気分……ずっと見てたい……)
「……たんと召し上がってください。背徳的であればあるほど栄養価が高いですよ」
「……カロリーではなく?」
「栄養価です」
紅茶のおかわりを用意しながら、私はスパンと言い切った。
(真面目なお嬢様は、たまに羽目を外した方がいい。お貴族様の学問や妃教育では、こういったことは教えてくれないのだから、その役は私が担わないと……)
私はそんな使命感に駆られながら、スコーンを笑顔で頬張るお嬢様を見つめていた。
私とお嬢様の出会いは、実に平凡だ。ベルクラン伯爵が慈善活動の一環で、孤児であった私を使用人として引き取った。
当時の私は小汚くて、教養もなくて、そのくせお嬢様のことを恵まれたクソガキくらいにしか思っていなかった。けれど、仕事で失態を犯してしまった私に、お嬢様は甘いキャンディをくださった。
「ローラ、大丈夫。甘いものは元気をくれるのよ」
優しい私のご主人様。
私が怒られたのはあなたがお城で迷子になられたからなんですが……などという言葉はキャンディの甘さと一緒に飲み込んだ。
元孤児の使用人に親切にしてくれる貴族なんて、そういない。ましてや、励ましてくださる方なんて――。
(ま、そのキャンディがサイアス殿下の真似だってのは、気に食わないけども)
コツンッと小さな靴音がした。
私がハッとして振り返ると、厨房の入り口に黒髪の細マッチョが立っていた。
「殿下……どうして……。あっ」
サイアス殿下の登場にお嬢様は驚きの声をあげ、次に自分がスコーンをもぐもぐしていることに気が付き、慌ててごくんっと飲み込んだ。恥ずかしそうに口の端についたジャムをナプキンで拭うが、お皿に山のように積まれたスコーンは隠しきれず、「これは……そのぅ」とおろおろしている。
「厨房に灯りが見えて……。まさか、お前がいるとは驚いたが……それは夜食か?」
サイアス殿下はバツが悪そうに視線を彷徨わせた後、顎でクイとドカ盛スコーンを指示した。
(チッ。またお嬢様を傷つける気か……⁉)
もしその口が酷いことを発言したら、ポットのお湯をぶっかけてやるぞと、私は密かに身構えた。投獄されても、打ち首になったっていい。今夜の私は権力には屈さない所存だ。
ところが、サイアス殿下はそろりそろりと遠慮がちに距離を縮めてきたではないか。
「すごい量だが……お前も、このような時間にものを食べることがあるのだな。真面目に九時頃に寝ていると思っていたから、意外だ」
(鋭いな、なぜ分かる……!)
「……これは〝ちょっと悪いコト〟で……栄養満点ですの……。でも、夜中にお菓子をむしゃむしゃ食べる女なんて、はしたないですわよね。わたくし、サイアス殿下にますます嫌われてしまいますわね……」
お嬢様は頬を真っ赤にして、瞳もうるうると潤ませている。恥ずかしさと罪悪感で押し潰されそうになっている彼女を守らなければと、私はポットを手にサイアス殿下に視線を向けた。
すると。
「いや……むしろ、親しみを感じた……」
「え……?」
お嬢様は青い瞳をぱちくりさせた。
「サイアス殿下がわたくしに親しみを……? でも、わたくしがお声がけするたびに、あなた様は疎ましそうにされていらっしゃいました。てっきり、嫌われているものとばかり……」
「嫌な思いをさせてすまない……。それは、菓子のせいなのだ」
普段の高圧的な物言いとは異なり、申し訳なさそうに話を切り出すサイアス殿下。彼の視線はドカ盛スコーンとお嬢様の間を行ったり来たりしている。
そして少しだけ沈黙し、サイアス殿下は意を決した様子で暴露した。
「俺は今、もの凄く摂生に努めている‼」
「摂生? サイアス殿下、どこか体がお悪いのですか⁉」
「悪くは……ない。ただ、たるんだのだ」
「た、たる……⁉」
ハラハラと心配の色を浮かべるお嬢様を前に、サイアス殿下は苦虫を嚙み潰したような表情で語り始めた。
「次期国王となるべく、俺が政治の勉強を始めたのは知っているだろう? だが、俺は戦場しか知らぬ武人。まさか自分が次期国王に指名されるなど思ってもみなかった。剣は振えど、政治や学問などからっきしだ。だから、宰相……お前の父君の力を借りて、一から学び直している最中だ」
サイアス殿下の王位継承順位が一位になった理由は、誰もが認める武勲によるものだった。だが、戦場と政治の場では、話がまるで異なる。慣れない環境にサイアス殿下が悪戦苦闘をしていることは、私もお嬢様も察していることではあった。
脳筋だもんな、そりゃ大変よな、と私は心の中で思う。
「――一日も早く、誰もが認める王の器を身に着けたい。だが、勉強というやつは頭が疲れる。疲れると甘いものがほしくなる。そうなるとつい、菓子を摘まんでしまう……‼ 気が付けば俺は……婚約者のお前に見せることが憚られるような醜い体になってしまったのだ‼」
サイアス殿下が恥を忍んで打ち明けた、負のループ。
一見すると体形の崩れなどないように見えるが、ストイック武人王子的には許せない事案なのだろう。
「だから、サイアス殿下はお嬢様に会うたび、冷たい態度を取っていらしたのですね」
空気に徹していた私が発言すると、サイアス殿下は「すまん……」と力なく頷いた。
「どういうことですの? ローラ」
「お嬢様は、しょっちゅうお茶会をしていらっしゃるでしょう? 甘いものが大好きですし、サイアス殿下に差し入れようとしたことも数回ではありません。体形を取り戻そうと必死なサイアス殿下からすれば、目の毒。あるいは魔の誘惑。きっぱりと断ろうとした結果、厳しい言動になっておられたのでは?」
「……その通りだ。アンジェリカはいくら食べても太らないが、俺はそうではないのだ。同じように菓子を食うわけには――」
「サイアス殿下は、本当に脳みそが筋肉でいらっしゃいますね」
思わずぴしゃりと言い放った私を、サイアス殿下が目を白黒させて見つめていた。まさか、メイドに暴言を吐かれるとは思っていなかったのだろう。まぁ、熱湯のポットでないだけ、有難いと思ってほしい。
「ローラ!」
お嬢様は青ざめて私の名を呼んだ。
だが、私の大切なお嬢様を侮られたままではいられなかった。
「簡単に言ってくださいますね。お嬢様が『いくら食べても太らない』なんて、勝手なイメージを押し付けて! お嬢様は……お嬢様は、食べた分だけ運動されているに決まっているじゃないですか‼ 早朝四時起きランニングを舐めないでください‼」
「いやーっ! 言わないでくださいましぃぃっ!」
「!!!!」
厨房に響く、お嬢様の恥ずかしそうな悲鳴。早朝ランニングは、運動音痴のお嬢様が必死に続けている秘密の日課なのである。
一方サイアス殿下は雷に打たれたような衝撃を受け、膝から崩れ落ちていた。
「そんな……早起きをして、走っていたなんて……」
(まぁ、9時寝だからね。7時間は寝てますよ)
「夜な夜な、夜食と称して厨房を漁る殿下とお嬢様とでは、わけが違うのです。真夜中にお菓子を盗み食いする不届き者の噂は、使用人の間では有名ですから。ここで待っていたら、あなたがやって来ると思っていましたよ」
「まぁ! 厨房のオバケの正体はサイアス殿下でしたの⁉ てっきり、ただの作話だと……」
お嬢様はオバケの噂程度しかご存じなかったが、使用人の間では、サイアス殿下が犯人であることは当の昔にバレていた。ただ、気を遣って皆が黙っていただけなのだ。
床に膝を突き、俯くサイアス殿下の元にお嬢様はしゃがみ込んだ。
お嬢様にじぃっと見つめられ、サイアス殿下は居心地が悪そうに「すまない……」と、顔を歪めた。
「婚約者のお前のことを誤解し、つらく当たってしまう……己を律することもできない。本当に情けない。幻滅しただろう?」
「いいえ。あなたのことを知らなかったのは、私も同じですわ」
サイアス殿下の手を取り、自分の手で包み込むお嬢様の淡い微笑み――。
女神のようだなと、私は息をすることも忘れて主に見入っていた。
「わたくし、サイアス殿下が〝ちょっと悪いコト〟の常連さんだと知って、嬉しくなりましたの。これからは二人で一緒にできますわね!」
「アンジェリカ……。ならば、俺は早朝4時起きランニングに参加させてもらおう。体に〝ちょっといいコト〟も、せねばならんからな」
熱っぽく微笑み合う二人を見て、私はやれやれと大袈裟に肩をすくめた。
この二人、気持ちがすれ違っていただけで、本当はお互いとても愛が深いのである。
(ま、こんなもんですかね。ランニングの伴走の座は譲ってあげますよ、サイアス殿下)
それからというもの、お嬢様とサイアス殿下は早朝揃ってランニングに出掛けるようになった。
そしてたまーに日を合わせて勉強会をし、その後、夜食会を催す。メニューはとびきり背徳的だ。
血肉踊るローストビーフサンドイッチ、カヌレピラミッド、スプーンで食べるホイップクリーム、エトセトラ……。心への栄養価がとびっきりの品ばかりだ。
お嬢さまに隙のある笑顔が増えてきたので、次はご友人作りをアシストしようかなと思う。
私のお嬢様は、清く正しく美しく、ちょっとだけ悪いコトを覚えた。
だから、もっと推せる。
ご読了ありがとうございました!




