メデューサは、ぼくだけを見ていた。
「お前、メデューサって知ってるか?」
その日、ぼくはいつものように筋トレしてた。
岩を持ち上げてたら、ぺるせうす先輩が唐突にそんなことを言い出した。
「え、あの……目を合わせたら石になるっていう、あのヤバいやつですよね?」
「そうそう。髪の毛がヘビで、顔見たら即アウトのやつ」
「なんでそんな危険生物の話を、昼下がりの雑談みたいに始めるんですか……」
ぺるせうす先輩は、ギリシャ界隈でも有名な英雄。
イケメンで、爽やかで、ちょっと天然。
でも、やるときはやる。そんな人。
「でもさ、最近噂があるんだよ。メデューサ、誰かを待ってるらしい」
「……誰か?」
「さあな。でも、なんか……哀しい目をしてるってさ」
その言葉が、なぜか胸に引っかかった。
そしてぼくは、ぺるせうす先輩と一緒にメデューサの巣へ向かうことになった。
あてな様から借りた鏡の盾を手に、暗く湿った洞窟を進む。
「へらくれす、絶対に目を合わせるなよ。絶対だぞ」
「はいはい……」
でも、ぼくは――見てしまった。
鏡越しに映ったその瞳。
それは、恐怖でも怒りでもなかった。
ただ、ひとりぼっちの少女のような、寂しさだった。
「……どうして、来たの?」
その声は、意外にも優しかった。
メデューサは、ぼくを見つめていた。直接じゃない。鏡越しに。
「君は……人を石にするんじゃないのか?」
「そうよ。でも、あなたは……違う気がしたの」
彼女の髪のヘビたちが、静かに揺れる。
その姿は、どこか儚く、美しかった。
「ねえ、私を……見てくれる?」
「……見たら、ぼく、石になるよ?」
「それでもいいの。誰かに、ちゃんと見てほしかったの」
ぼくは、鏡の盾をそっと下ろした。
「バカ! 何してんだよ!?」
ぺるせうす先輩の声が遠くで響く。
でも、ぼくは目を閉じて、そっと言った。
「君が、誰かを待ってたって聞いた。
……それが、ぼくだったらいいなって、思ったんだ」
静寂の中、そっと頬に触れる温もりがあった。
「ありがとう。あなたが、最初で最後の人だった」
目を開けたとき、そこにメデューサの姿はなかった。
ただ、ひとつの石像が、微笑んでいた。
それは、まるで――
恋を知った少女の、最後の笑顔のようだった。