表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

人類憐れみの令

 人類こそが最も賢く、最も偉大であり、最も強く、最も信心深く、最も敬虔であり、最も神に近く、最も尊く、最も人道的であり、最も進化した、最も素晴らしい種族なのである。

 この世の万物は全て人類のものなのである。山の頂点から、深海の奥底まで、全部人類のものだ!海も陸も端から端まで地球は丸ごと全部人類の所有物なのである。世界は我々人類のものなのである。ウィルスの一粒から巨大なクジラの群れまで全て我々人類のものだ。世界は我々のものだ!

 我々人類に損害を与える生物は駆除してしまっても構わない。世界は我々人類のものなのだから。


 人畜有害なクマはどんどん駆除していくべきだ。絶滅させない程度に駆除すれば問題ない。熊の命が人命より優先されるようなことはあってはならない。熊が増えすぎて人里に熊が出没するのが頻繁になった昨今を考えれば、熊が増えすぎないように適度に駆除して間引くのは必須である。「春グマ駆除」の禁止は愚行としか言いようがない。それでも、まだ「熊を殺すべきではない」というなら、すべての熊を捕獲し、動物園やクマ牧場で飼育するしかない。野生の熊が居なければ、人的被害も熊の駆除も起こらなくなるのだから。

 また、カラスも駆除できるようにすべきである。なぜハブを駆除してよくて、カラスを駆除するのがだめなのか。猫や犬を平気で殺処分しているくせに、なぜ、カラスの殺生が禁じられているのか。

 カラスは利口な動物で、人間も平気で襲う。頭脳こそがこの世で最も偉大なパワーなのだ。今後、カラスが人間に匹敵する知能を持つ進化を遂げる危険性を鑑みても、カラスは適度に駆除すべきである。危険な芽は早くから摘んでおくべきだ。

 同じ理由で捕鯨も妨げるべきではない。クジラも利口な動物で、進化の過程で、人類の脅威になる可能性がある。そうならない為にも適宜、捕鯨を行うべきである。

 そもそもクジラはオスもメスも大食漢である。人類の食糧を確保するためにも、クジラの間引きは適度に必要なのである。クジラが食べるはずだった分の漁獲を代わりに人間が戴こうという魂胆だ。クジラが減っても、その分人間が漁を行えば生態系のバランスは保たれるのである。


 食物連鎖の最上位に君臨する人間が下位の生き物を食べるのは自然の摂理にかなった行為であり、誰もその自由を妨げることはできない。

 鯨も蛸も蝸牛も鼠も鮫も鰐も蝗もザザムシも蜂の子も蛇も蠍も蛙も兎も犬でも馬でもカンガルーでも熊も海豹も鹿も翻車魚もコウロギも、分け隔てなくすべて、食べる権利があるのである。なぜなら、我々人類が食物連鎖の最頂点にいるからである。


 害獣は、駆除はしても絶滅させるべきではない。絶滅させた動物を蘇らせるのは容易なことではない。絶滅させてからしまったと思っても遅いのである。遺伝子を保存するためにも「駆除せれども絶滅させず」である。

 しかし、蚊は別である。蚊は神様が作った失敗作。蚊は神様が作り損ねた欠陥品だから絶滅させても構わない。蚊は人畜の血を吸い、厄介な病原を媒介する吸血鬼だ!蚊は全人類共通の敵だ。人類は団結して蚊を絶滅させなければならない。将来、蚊が今よりも厄介な病原を媒介するスーパースプレッダーになりかねない。その脅威を取り除く為にも蚊は滅ぼすべきである。

 蚊は殲滅する!蚊は駆逐する!蚊は根絶する!

 蚊は全人類の敵だ!

 蚊が絶滅しても、害虫以外の別の羽虫を増やせば生態系への影響も最小限で済ませられる。蚊を絶滅させてもバランスをとる事は可能である。念の為遺伝子を保存するために密室のみで飼育して、人類の管理下でのみ繁殖させる手もある。蚕のように飼いならして、人間無しでは生活できないようにするのも選択肢としては考えうる。


 益虫を増やし、害虫を減らす。そうすれば人類が住み心地の良い世界になるのではなかろうか。人類の役に立つ生物は増やし、人類に害をなす生物は減らす。住み心地の良い世界にしようではないか。

 益虫とそれの餌となる害虫でも益虫でもない虫を増やせば、害虫が居なくても生態系は保てる。益虫は我々人類の仲間だ。益虫を「不快害虫」などと言って殺してはならない。益虫は人間の仲間であり、害虫を駆除してくれる頼もしい味方なのである。


 人類の役に立つか否かで、人間以外の動物を選別すべきなのである。「犬は番犬になり、猫はネズミを駆除できるが、じゃあお前は何ができるのか?」という問いをすべての動物にあてはめ、役に立つ動物と役に立たない動物・害悪をもたらす動物に区別し、役に立つ動物を増やし、害をなす動物は減らす。そのようなルーティンの確立が必要なのである。


 無論、無駄な殺生はしてはならない。人類が幸せに生活できるようにするための駆除や捕食はしても、無意味に他の生物を傷つけてはならない。

 猫や犬の殺処分は全く無意味な殺生である。猫や犬を殺処分するなら、せめて毛皮や三味線にしてあげるべきである。無意味に殺処分するのは勿体ないではないか。だったらせめて、毛皮や三味線の材料として利用してしかるべきではないだろうか。命のリサイクルである。


 ペットは「電池がいらないオモチャ」ではあるが、だからと言って粗末に扱っていいわけではない。あんなケダモノでも命は命だ。たとえケダモノでも、命を無駄にしてはいけない。「一寸の虫にも五分の魂」というようにケダモノにも八分くらいは魂があるかもしれない。

 ケダモノたちを捕食したり駆除したりする事は良くても、いたずらに痛めつけていけない。いたずらに殺傷する事と駆除・捕食する事は似て非なる行為である。


「命は粗末に扱うべき」と言う漫画キャラもいるが、命とは大切に扱うべきものなのである。

 同じ理由で、死刑囚はドナー登録させるべきである。死刑囚の臓器提供を義務化すれば、罪のない死刑囚の臓器たちは生き延びることができる。犯罪は、脳が悪いのであって、なぜ脳以外の健康な臓器まで殺す必要があるのか。臓器だけでもせめて助けてあげるべきである。また、他人の命を奪った死刑囚の命で救われる命があるなら救うべきである。まさに命のリサイクルである。

 中国は死刑囚の臓器移植が盛んだと言われている。なぜか国際社会からは非難されているが、中国の方が正しい。中国のように他の国も死刑囚の臓器は積極的に罪のない移植患者に提供すべきである。臓器移植について、他の国々も中国を見習うべきである。


 個体数を減らすことは全人類の損失だ。個体数を減らしてはならない。では、なぜ死刑が認められるのか、というと、個体を減らすような危険人物は取り除かなければ、種の損失だからである。終身刑でいいという人もいるが、死刑囚の食べるご飯を他の罪もない個体に与えた方が種の繁栄に繋がる。死刑囚の臓器で他の罪もない病人を治療した方が種の繁栄に貢献できる。だから、死刑は必要なのである。


 人間は群れで暮ら社会性動物である。よって、人間は社会の歯車にならなくてはいけない。

 また、人間も生物である以上、個体を増やさなければならない。

 安定して個体を増やすためには体外出産を実現すべきである。人工子宮を使うか、豚などに代理出産させるか、方法はさまざまである。体外出産が実現されれば、女性を妊娠という負担から解放させる事ができる。そして、計画的に人口を増やすことができる、人間の生産体制が整えられる。人間を製造できるようになればもはや少子化で悩むことはない。


 人類はやがて不老長寿を実現させることができるだろう。しかし、完全な不死というのは無理だとしても、事故・事件や不治の病以外の寿命で死ぬ事も老けることもない世界はいずれ実現可能である。科学が進歩すれば、人類は天命から解放されるのである。そうなれば人類は新個体を生まなくても人口を維持できるようになる。人口爆発に苦しむ事もなくなるのだ。

 不老長寿となった人間が、不慮の事故で個体数が減っても、人間生産工場があれば、減った分だけ人口を過不足なく増やすことができるので、人口減少も人口爆発の問題も起きなくなる。不老不死が実現し、体外出産で人間の生産体制を整えれば、少子化にも人口爆発にも困る事がなくなるのである。

 ただ、生産した人間が成熟するまでに20年くらいのタイムラグがあるのが難点である。亡くなった大人の代わりに生産しても、その子どもが大人になるまでに約20年もかかるのである。この問題を解決する方法として、あらかじめ、成長した人間をストックとしてコールドスリープしておくことである。そうすれば、減った大人の人数をすぐに補填できる。ただし、その場合でも、空いたストックは20年かけないと補填できないので、安定性にはやや欠ける。20年の間に、事故や奇病が起こらなければいいのだがそれも運否天賦だ。

 そこで、他の解決策としては、バイオテクノロジーで、生まれたての赤ん坊を一気に大人まで培養すればいいのである。しかし、「体だけ成長しても、脳は赤ん坊のままでは?」と思ったそこの人!ご安心を。策は練ってある。それは脳に「大人チップ」を埋め込むのである。「大人チップ」というのは大人の知識や常識がインプットされたチップである。それを脳内に流し込めば、たちまち脳も大人と同等に成長させることが可能となるのである。

 ただし、チップで画一的に脳を成長させると、多様性が生まれなくなる懸念がある。その辺のバランスをどうすればよいかを今から考えておく必要がある。

 また、遺伝子的な多様性をどう確保するかというのも課題で、致死性の高い奇病が蔓延した際、全ての人類が同等の重傷を負い、大量絶滅を起こしてしまう可能性も捨てきれない。遺伝子的にも思考的にも多様性を確保したうえでの生産体制を確立させなければならないのだ。

 多様性が大事なのは、多様性があるとある1グループが絶滅しても、他のグループが残る可能性が高まる。大量絶滅を防ぐのには多様性を認める事は必定なのである。

 よって、いかなる人間も差別してはならない。いかなる人間の多様性も尊重されるべきである。それこそが絶滅を避けるリスクヘッジなのだから。


 人間を差別せず、動物を使役する。それこそが人類の憐みなのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ