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第四話、うちのタマコ

 洋食屋『マリアンヌ』のカウンター席でプリプリ怒りながらモモヨは言った。

「まったく、おばあちゃんったら」

「どうしましたか?」シェフは(たず)ねながらも、ご機嫌斜めのモモヨを見て嬉しそうにしている。

「なんで笑ってるんですか? 初代部長」

「この三日間、元気が無かったモモヨさんが元気だから嬉しいのです」

「元気じゃなくて私、怒ってるんですよ」

「でも怒るには体力がいりますから元気になった証明ですよ。で、何があったのです?」

「うちのおばあちゃん、三日前に入院して手術したんです。私、驚いて見舞いに行って病名を訊いたんだけど言わないの。もう、てっきり悪い病気で先が長くないんだとばかり……」

「で、結局、なんだったの?」ミツヒロが訊いた。

「じ」

「え? 何?」

「だから()だったのよ。痔の手術で入院したんだけど恥ずかしいから隠してたんだって。まったく」

 ノリオがクスクス、隣で笑っている。

 思い出して益々怒りのボルテージが上がった様なモモヨを見てシェフは言った。

「モモヨさんを見ていて思い出したお話があるので今日はその話をいたしましょう」

 そして三人にキャラメルマキアートを出し


 シェフは語り始めた。



  

拓郎(たくろう)、お前、明日バイトあるの?」放課後、親友の足立が訊いて来た。横には女子の森下さんと古川さんがいる。

「明日はバイト、無いよ」

「じゃあ、市立図書館で皆で勉強しねぇ」

「ああ、いいよ」

「なら、九時な。九時に図書館前に集合」

「あー、俺、午前中は駄目だ。タマコを病院に連れて行くから」

「猫、どこか悪いの?」森下さんが訊いた。

「猫? ああ、タマコっていうのは猫じゃなくて俺のばあちゃん」

「あっ、ごめんなさい」

「いいよ、気にしなくて。それに実際、猫も飼ってるから」

「なんて名前だ? もしかしてタマとか」足立がニヤニヤして言う。

「アリス」

「プププ、猫のほうがしゃれた名前じゃんか」

「ちょっと足立くん、そんなに笑うなんて失礼でしょ」古川さんが目を(いか)らして言う。

「いいんだよ、だってタマコとアリスじゃなんていうのか……毛並み? そう毛並みが違うから」

「毛並み?」三人は異口同音に言うと首をかしげた。


 翌日の土曜の朝、拓郎は家の庭で鼻をつまみながら猫の(ふん)を取っていた。

「うー、トラの野郎」

 野良猫のトラの置き土産だ。

 トラはアリスにご執心で庭先にやって来ては「ナーゴ、ナーゴ」と鳴き時々、粗相(そそう)をしていくのだ。


 だいたいトラとアリスじゃ『毛並み』が違うのだ。


 アリスは町一番のお金持ちの菊枝さんに飼われていたシャム猫だ。

 金井菊枝さんとタマコは女学校の頃からの友人で、二年前に菊枝さんが病院に入院する事が決まった時にアリスを拓郎の家で預かる事にした。


 だからアリスとトラは『毛並み』が違う。

 菊枝さんとタマコも『毛並み』が違う。

 そして昨日の三人と拓郎も『毛並み』が違うのだ。前は同じだったはずなのに……


 拓郎が中学二年の時に父は亡くなった。

 車の運転中に脳梗塞を発症し事故を起こした。

 あの日は今日と同じ土曜日でヘルニアの持病があるタマコを病院に連れて行く為に後部座席にタマコと母を乗せていて、事故を起こした。

 父は帰らぬ人となり母は腕に大怪我をした。

 病院まで片道わずか十分、その十分で拓郎の生活は一変してしまった。

 事故の後、母が外に働きに出る事になったが少し不自由になった左手の為か、勤め先は見つからなかった。

 見るに見かねて近所のクリーニング屋のおかみさんが「高いお給料は出せないけど、それで良かったら」と雇ってくれ、今はタマコの年金と合わせて月、十九万円で生活している。


 贅沢(ぜいたく)は出来ない。


 家も引っ越しをした。

 前は賃貸たが3LDKのこじゃれたマンションだったのが今は築四十五年、2DKの木造平屋建てだ。

 ダイニングの他に部屋は二つしかないので母とタマコは同じ部屋で寝ているしキッチンの床は(いた)んでいるのか、ベコベコしている。

 拓郎はアルバイトをしている。自分の小遣いくらいは自分で稼がなければならない、と思っているからだ。

 本当はもっとバイトを増やして家計の足しにしたいのだが、高校三年で半年後に受験を控えた身ではそれも出来ない。


「受験か……」拓郎はため息をついた。


 親友の足立はW大にしようかK大にするべきか、と頭を悩ます。

 拓郎の成績は悪くない、常に学年で十番以内には入っている。でも……

 拓郎は進学するか、就職するべきか、と頭を悩まさなければならない。


 『毛並み』の違い。


 その微妙な違いを昔の自分は感じた事はなかった。

 向こう側にいたからだ。

 でも今、こっち側にいて否応(いやおう)なしに感じさせられる。

 拓郎はため息をついて(つぶや)いた。


「だからトラもアリスは無理だって……」

 


 事故の後、拓郎の生活は一変した。

 家族で肩を寄せ合うように生活している、そう拓郎は感じている。

 でもタマコは違う。


 ヘルニアで白内障で貧乏だけれど意に介さない。

 そして常に我が道を行く、なのだ。


 この前だってそうだ。

 テレビで往年のスターが心筋梗塞で亡くなったニュースを見ながらタマコは言った。

「いいねぇ。うらやましいよ」


 タマコの人生の目標は『ポックリ()く』だ。


 周りに迷惑をかけないようにポックリ逝く。それが一番大切なのだ、とツバを飛ばしながら熱く語る。

 そしてスターの急死のニュースを見ながら「いい事だ」と(うなず)く。


 だが、一時間後。


「拓郎、拓郎」タマコが騒いでいる。

 自室で勉強していた拓郎が何事か、と見に行くと「眼鏡がないんだよぉ」と言う。

「早く探しておくれよぉ。テレビが始まっちまうよ」

 タマコは九時から放送される『やさぐれ刑事、純情派』を毎週、楽しみにしているのだ。

「またか。だからいつも決まった所に置けって言ってるだろ」

「早くしておくれよぉ。やさぐれ刑事を見逃したまま、もし死んじまったら死んでも死にきれないよ」

「ポックリ逝くんじゃないのかよ」

「いいから早く~」

「あっ、あった。あった」母が眼鏡をもって部屋に駆け込んで来た。


 十分後、何事も無かったかのように涼しい顔をしてテレビを見るタマコを見て拓郎は早くポックリ逝かないものか、と思うのだった。


 見舞いの時もそうだ。

 週に一度、タマコは菊枝を見舞うがその時は拓郎もタマコの付き添いで同行する。

 菊枝はいつも病院の特別室で二人を迎える。

 タマコは病室のソファーにふんぞり返りながら菊枝が出してくれた煎餅を「やっぱり手焼き煎餅は美味しいねぇ」とバリボリ、豪快に食べる。

「おい、少しは遠慮ってものがないのか」と拓郎が言うと

「ふん」と鼻を鳴らし更に豪快に食べる。

「遠慮なんかしないで、拓郎くんもどうぞ」と菊枝が穏やかに微笑みながら美味そうな煎餅の入った菓子盆を拓郎に差し出す。

「あっ、すみません」拓郎はペコリと頭を下げながら煎餅を一枚取った。

「偉そうな事、言って自分だって食べるのかい」

「なんだと」

 拓郎が煎餅を手にタマコを振り返るとタマコはもう次のカステラを(むさぼ)るように食べながら「お取り寄せのカステラは違うねー」と言う。


 婆さんとは思えない食べっぷりだ。


 そして、たらふく食べると気を良くして『ポックリ逝く事がいかに大切か』という持論を事もあろうに入院している菊枝に力説する。

「や、やめろ。タマコ」

 拓郎はタマコを()め殺したくなった。


 小一時間、病室にいた二人は菊枝に挨拶をして病院を後にした。

 帰り際、菊枝が十二枚入りの手焼き煎餅の袋を渡してくれた。

「拓郎くんあまり食べてなかったから後で食べてね」

 自宅に着くとタマコが言った。

「半分、頂戴」

「え?」

「お土産、貰ってただろう」

「あれは菊枝さんが俺にくれたの。タマコは病室で山ほど食べてただろう。何枚食べた?」

「十一枚」

「うっ、いつの間にそんなに食ったんだ」

「ふん、お土産を独り占めするなんてズルイね。アタシの目の黒いうちはそんなズルが許されると思ったら大間違いだよ」と白内障で白く(にご)った目で言う。

 拓郎はため息をついた、タマコが言い出したら聞かないのを知っているからだ。

「わかった。じゃあ、四枚だ。母さんも入れて三人で分けるから」

 タマコは拓郎からぶんどった四枚の煎餅をペロっと平らげた。


 拓郎はあきれ顔でタマコを見ながらコイツは百歳まで生きるに違いない、と思うのだった。

 

 タマコは殺しても死なないように思われた。

 週に一回の『見舞い』とは名ばかりの訪問は永遠に続く、と思われた。

 でも菊枝とタマコが会ったのは、その後、五回しかなかった。



 タマコは肺炎で入院すること三日で、あっけなく逝った。



 タマコの葬儀から十日、経った。拓郎は菊枝の病室を訪ねていた。

 一人で訪れるのは初めてで今更ながらタマコが亡くなった事を痛感した。

 それは菊枝も同じだったのだろう。一人で現れた拓郎を見て目をしばたいた。

「お見舞いに来てくれてありがとう」

「こちらこそ、タマコの為にあんなにして頂いて……」


 菊枝はタマコの告別式でたくさん包んでくれた。

「あんな分厚い香典袋、初めて見た」母は驚いていた。


 菊枝が菓子盆に煎餅を出しているのを見ながら拓郎は呟いた。

「ポックリといえばポックリだったけど……タマコ、あんな最期で満足してるのかな?」

 菊枝は笑って言った。


「きっと喜んでいるわ、間に合ったって」



 拓郎が朝食の目玉焼きを食べていると庭先でナーゴ、ナーゴとトラの声がした。

「また、あの猫、来てるわ」母が言った。

 トラはこの前、また置き土産をしていった。だから母の中でトラのイメージはすこぶる悪い。


 拓郎は内心、トラを応援している。

 世の中、何が起こるか分からない。拓郎は病室で聞いた菊枝の言葉を思い出していた。


「タマコさん、今の所に引っ越す時に荷造りしていて見つけたの」

「見つけた?」

「ええ、生命保険の証書。若い頃に入ったのをすっかり忘れていたんですって」


 死亡時の保証額は五百万円だった。


「それからなのよ。タマコさんがポックリ逝きたいって口癖の様に言うようになったのは」

「……」

「自分が死ねばお金が入る。でも長患(ながわずら)いは出来ない、家族に迷惑をかける。だからポックリ逝きたい……あの子の大学入学までに何とかポックリ逝けないものか、って」


 拓郎は泣いた。オイオイ泣いた。

 そして(あふ)れだした涙は彼の中にあった『やるせなさ』や『劣等感』を押し流していった。


 

 世の中、何が起こるかわからない。

 拓郎は目玉焼きの最後の一口を口に突っ込んだ。

 だからトラとアリスもひょっとすると……なのだ。

 ただ、置き土産はいただけない。何とかならないものか


 母が訊いた。

「今日、菊枝さんのお見舞いに行くの?」

「うん」

「じゃあ、これ」と母は二千円を食卓に置いた。「たまには花束くらい持っていかなくちゃ」

 拓郎は頷いた。

 今も週に一度、拓郎は菊枝のお見舞いに行っている。

 帰り際に菊枝はいつも手土産をたんまり持たせてくれる。

「こんなに頂けません」そう言う拓郎に

「お仏壇にお供えして」と押し付ける。


 タマコの四十九日の法要では、とんでもなく分厚い不祝儀袋が菊枝から届いた。

 おかげで拓郎はアルバイトを辞める事が出来た。今は目前に迫った受験の為に猛勉強をしている。


 花屋で買った花束を自転車の前かごに入れタマコと二人、ゆっくりと歩いて通った病院への道を自転車で駆け抜ける。


 大学生になったらバイトを頑張ろう。

 学費は何とかなるとしても生活費は自分達でかせがなくてはならない。

 勉強とアルバイトで目が回るほど忙しくなるかもしれない、でも……


 クヨクヨしても仕方がない。

 ボサボサの毛並みでも強く、強く、図太く生きるんだ。


 そうしてそのずっと、ずっと先でポックリ逝けたら人生最高だ。


 拓郎は自転車のペダルをグングン()いだ。



 シェフの話は終わった。


 すっかり腹の虫がおさまってしまったモモヨはバツが悪そうに言った。

「でも私、まだ怒ってるんだから」

「それにしても……おばあ様、悪い病気でなくて良かったですね」シェフが言うと

「うん」

 モモヨは本当に嬉しそうに頷いた。

    


 

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