第二話、みよし橋
超常現象研究部の三人はマリアンヌのカウンター席に落ち着いた。
開口一番、モモヨが吠えた。「あのペテン師」
「どうしましたか?」
超常現象研究部の初代部長だったシェフはグラスを磨きながら訊いた。
「有名な霊媒師の所に面白い話を聞き出そうと思って行ったらアタシの背後におばあちゃんの霊がみえるっていうのよ。背後霊としてアタシを守ってるって涙ながらに語るのよ」
「あれは迫真の演技だった」とミツヒロは肩をすくめた。
「ウチのおばあちゃんはまだ生きてるのに馬鹿じゃないの」
シェフは首をかしげながら言った。「不思議ですね、有能なペテン師ならそんな初歩的なミスはしない筈ですが……」
「カマかけたからだ」ノリオがボソッと言った。
「え? カマかけた?」
「モモヨが去年死んだばあちゃんって、ウソ言ったからだ」ノリオが暴露した。
「モモヨさん、それはダメです」
「ごめんなさい、初代部長。ウソ言ったのはいけなかったです。でも本当に霊能力があるか確かめたかったから」
シェフは苦笑した。
「でも霊能力って本当に存在するのかな?」急に疑心暗鬼になってミツヒロが呟いた。
「ちょっと、それは超常現象研究部員にあるまじき発言よ」
そんな彼らにシェフはキャラメルマキアートを出しながら言った。
「さあ、これでも飲んで元気を出して下さい。では霊媒師の代わりに僕がお話をしましょう。旧友の真太郎君のお話です」
シェフは語り始めた。
真太郎はお寺の住職の息子だ。その為か霊感が強い。
彼はその特技を活かして『占いの館、クリスタル』でアルバイトをしている。
もっとも、この頃は占いとは違う仕事が大半になっているが……
真太郎がクリスタルに行くと店にはオーナーと恵美子がいた。
「あ、来た、来た」受付担当の恵美子が言うと
「悪いね。いつもより早く来てもらって」とオーナーは頭を下げた。
「走って来たの? すごいわね。あたしなんかちょっと走ったらゼイゼイするのよ。健康の為にジムに行こうかと思って体験入学に……」
人の好いおばさんの恵美子は話が長くて横道にそれる、オーナーは慌てて軌道修正の為に口を挟んだ。
「そのことは後にして。今日の予約のお客さんなんだけど少し複雑な事情があるから説明しておこうと思って早く来てもらったんだ。真太郎くん、『みよし橋の幽霊』って知ってる?」
「知りません」
「知らないの? 今、大変な騒ぎなのよ。じゃあ、みよし橋は知ってる?」恵美子が訊いた。
真太郎はかぶりを振った。
「みよし橋はここから自転車で十分くらいの所にあるの。あの橋から見える夕焼けは本当に綺麗ですぐそばには商店街があるの。前はよく行ってたんだけど大型のスーパーが近くに出来てあんまり行かなくなっちゃって……」また話が横道にそれ始めオーナーは慌てて口を挟んだ。
「あのね、だいぶ前にみよし橋から身を投げた人がいてね。その幽霊が出るって噂があったんだ。程なくして噂は消えたんだけど三週間前、人が橋から落ちて亡くなったらその死が幽霊の仕業じゃないかって騒ぎになって……」オーナーは少し間合いをとり言った。
「今日のお客さんは、三週間前に亡くなった女性のお母さんなんだよ」
その女性は部屋に入り椅子に座ると静かに話し始めた。
「私は進藤と申します。みよし橋で川に落ち亡くなった奈美恵は私の娘です。この三週間はまるで悪い夢を見ているようでした。そして今、あろう事か奈美恵の死が噂になっているのです。来月には四十九日の法要もとり行われます。だから私は真実を確かめたいのです。いいえ、確かめなければならないのです。でなければ娘は安らかに旅立つ事が出来ない」
女性はよどみなく話し続ける。一見、気丈に見えるがその瞳は憂いに満ちていた。
「奈美恵の死にまつわる噂はいくつかあるようです。『みよし橋の幽霊の仕業』だとするものや『自殺した』というものもありました。ですがそれは間違いです。奈美恵は年明けにハーフマラソンに出るつもりで毎朝ジョギングをしていました。自殺したとはとても思えません。
『事故』という噂もあるようです。だから……どうか調べて下さい。そしてもし幽霊の仕業なら同じ事が二度と起きないように成仏させてやりたいのです。それが娘の供養にもなると私は信じています」
彼女は帰って行った。
その寂しげな背中を見つめ恵美子は言った。
「子供に先立たれるなんて……悪霊なんかクソくらえよ」
翌日、真太郎はみよし橋に向かっていた。
橋の手前には商店街があり百メートルくらいのアーケードの両脇に店が軒を連ねている。
店をたたんだのかシャッターが下りたままの所もあり寂れているのが見てとれた。
だが騒ぎになっている今は怖いもの見たさの見物人で賑わい、みよし橋に至っては多くの人で小さい橋はごった返していた。
真太郎は真相を探るべく人混みをぬう様に橋を歩きながら考える。
橋の下を流れる川幅は五、六メートルくらいだが川の流れが速い、落ちたら助からないだろう
しかも悪いことに欄干も低い
事故という事も充分考えられる……そして霊気は感じられない
ひととおり橋を見て人混みから逃れる様に商店街に戻り人心地ついていると
「兄さん、これ食べない?」と声をかけられた。
振り向くと惣菜屋の店主と思われる男性がコロッケを手に立っていた。
「あの……」
「お代は要らないよ。崩れて売り物にならないから遠慮しないで食べてよ」
「ありがとうございます。いただきます」
コロッケは見てくれは悪いがホクホクして美味だった。
「兄さん、美味しそうに食べるね。学生さんかい? 高校生?」
「はい」
「この商店街に来るのは初めてかい?」
「はい、随分と賑わっていますね」
「うん、例の幽霊騒ぎがあったからね。店主としてはお客が増えるのは歓迎だが人が亡くなっている事を思えば喜べないよ。やぁ、理事長さん」
店主が声をかけた先にはみよし商店街のロゴの入った青いはっぴを羽織った中年の男性が歩いていた。
「景気はどうだい?」
「まあまあだよ。理事長、どこ行くの? 自分の店にいなくていいの?」
「ちょっとアーケードの外で呼び込みしようと思って」そう言うと男性は足早に行ってしまった。
「本当にいい人だよ。このかき入れ時に自分の店を放りだして商店街の為に呼び込みするなんて。あの人のお陰でこの商店街は辛うじて生き残ってるんだ」
惣菜屋の店主はしみじみと言った。
そしてその言葉はある意味で核心を突いていたのである。
それから二週間後、また橋で人が死んだ。
亡くなったのはみよし商店街で乾物屋を営んでいた富田だった。
商店街の協同組合の理事長をしていた富田は亡くなる前に遺書を残していた。
そして真相が明らかになった。
三年前、近くに大型のスーパーが出来てから商店街の客は激減しいくつかの店舗は廃業を余儀なくされた。
理事長だった彼は商店街の行く末を案じていた。
そんな時にテレビの番組でパワースポットで客を呼び寄せ復活した商店街があることを知った。
少し前に橋で自殺者がでた事もありネットに『みよし橋に幽霊が出る』と嘘を書き込んだ。
一年前の事だった。
反響はすごかった。
久しぶりに商店街がお客でごった返した。
店主たちはみんな喜び以前の活気が商店街に戻った、そう喜んだのも束の間、
半年もしない内に元に戻ってしまった。
商店街だってただ手をこまねいていたわけじゃない。
客寄せの為に儲けを度外視した特売日を設けたり抽選会を催したりと努力したが客足が元に戻る事はなかった。
理事長という重責が真面目な富田を追い詰めていく。
彼は悩んで食が細くなり寝付けなくなった。
あの日も床についてもまんじりともせず夜を明かした彼は寝る事を諦めて、早朝に飼い犬の散歩に出かけた。
そして毎朝ジョギングをしていた進藤奈美恵とみよし橋で鉢合わせたのだ。
「おはようございます」
「おはようございます」
「ワンちゃん可愛いですね」
挨拶を交わしながら彼は疲れた頭で思ったのだ。
ああ、彼女が足でも滑らせて川に落ちたら幽霊話をでっち上げれるのに
大きな水しぶきが上がった。
気付けば女性を川に突き落としていた。
「ヒッ、大変な事を」
富田は自分のしでかした事に恐れおののき家に逃げ帰った。
やがて奈美恵の死が『みよし橋の幽霊の仕業』と噂される様になると橋に人があふれ、その人が商店街になだれ込んだ。
商店街が活気づくのと相反して徐々に富田の顔は青白く頬がこけていった。
周りが心配して病院に連れて行こうとした矢先、彼はみよし橋から身を投げたのだ。
彼の遺書は後悔と謝罪の言葉で埋め尽くされていた。
犯人の死によってみよし橋の幽霊騒ぎは終息した。
そして一週間が過ぎようという頃、真太郎は商店街を訪れていた。
アーケードは人もまばらでどの店の店主も皆、暇そうにしている。
ただ一箇所、人だかりが出来ていたのは亡くなった富田の店の前で、降りたシャッターの前で記念撮影をしている人達がいた。
真太郎は眉をひそめながら通り過ぎると惣菜屋の前で足を止めた。
「こんにちは」
「いらっしゃい、あれ、お兄さんじゃないか、今日はどうしたの?」
「この前のコロッケが美味しかったので家に買って帰ろうと」
「おいおい、嬉しい事言ってくれるじゃないか。幾つにする?」
「四つ下さい」
「了解。このところ理事長の事で塞いでたから嬉しい事は久々だ。えーい、オマケして六個入れちゃうよ。ハイ、お兄さん。あれ? お兄さん?」
真太郎の姿は店の前から消えていた。
彼はみよし橋に向かっていた。
橋に近づくほどに強くなる霊気に思わず走り出す。
ああ、なんて事だ
橋の上には見覚えのある青いはっぴ姿の男性が佇んでいた。
今更、なんで今更
皮肉にも、みよし橋に幽霊があらわれるようになったのだ。
日は傾き辺りを茜色に染め始めた。
青いはっぴが紫色に変化していく様を真太郎は見つめていた。
奈美恵の母はみよし橋の幽霊を供養する事を望んでいた。
でもそれが娘を殺した犯人の魂だったとしても……彼女は供養したいと望むのだろうか?
真太郎には分からなかった。
そして分からないまま、みよし橋を後にした。
シェフの話は終わった。
「その後、どうなったんですか?」ミツヒロはシェフに訊いた。
「知りたいですか?」
三人は頷いた。
「真太郎君は悩んだ末に奈美恵さんのお母さんに電話しました。そして全てを報告した上で供養するか尋ねた所、お母さんは少し考えさせてくれと言ったそうです」
シェフは少し視線を落とし言った。
「その後、連絡はなかったそうです。結局みよし橋の理事長の霊は住職である真太郎君のお父さんが供養し成仏させました」
押し黙るモモヨとミツヒロの隣でノリオが言った。
「やるせない」
「ええ、本当に」シェフは静かに頷いた。