7 ヒロインの癒しの力
あれから私は王宮の一室で過ごしている。
え、牢屋じゃないよ。
なぜか王族居住区の一室を与えられているの。
あの日、姉は国王陛下を連れて私たちのいた部屋にやって来た。
陛下はたいそうな剣幕で「お前、とうとうやりおったな」とヴィンセント様を叱責した。
とうとうやりおった、の意味はわからないけど、ヴィンセント様は悪くない。
王太子殿下に媚薬を盛った罪で、私はヴィンセント様からではなく陛下から断罪されるのを覚悟して、正直に説明した。
そのことで婚約者候補から降ろされるのは構わない。だけど下手をしたらお家ごと取り潰しにされてしまうかもしれないその告白に、陛下がどんな判断が下されるのか、震えながら説明をした。
だけど、私がどれだけ私が媚薬を盛った、純潔は失ってないと説明しても「こんな奴を庇わなくて良い」「責任はとるから」の一点張りで陛下は私の話を受け入れてはくれなかった。
おかげさまで、再来月に予定されていた私とヴィンセント様の婚約時期は繰り上がり、あれからすぐ一週間後に婚約式が行われて、私たちは正式に婚約が結ばれた。
ちなみに結婚式は一年後の予定。
そう、あんなに婚約者候補から降りようと必死だったのに、あっという間に婚約しちゃったの。
婚約するのはこんなに簡単で、婚約者候補から降りるのってすっごく難しいのね。
普通逆だよね。ねえ、なんで?
そして私は婚約を機に本格的に王太子妃教育が始まって、通いよりも滞在した方がスケジュールを組みやすいという理由から、王宮の一室を充てがわれた。
ヴィンスは自室の隣の部屋を案内してきたが、それは全力で阻止した。このときは陛下も味方になってくれて「お前は結婚式の予定まで狂わせるつもりか」と止めてくれた。
こうして、私は恐れ多くも王族居住区の一室が私の部屋となった。
後日、姉には渡された解毒剤は解毒剤ではなく媚薬であったと話をすると、「おかしいわね、ごめんね」と言われてあっさり話は終わってしまった。
え、お姉様ひどくない?
姉を怒りたい気持ちもあったけど、姉は昔からずっと、私のひどいわがままに怒らずに付き合ってくれていたから、私は許すことにした。ちゃんと謝ってはくれたしね。
でも、姉からは下手な画策はやめて、大人しくヴィンセント様と結婚するべきではと諭された。
私だって、ヴィンセント様が大好きだから、このまま結婚したいのは山々なんだけど……
やっぱりあのピンク色の髪のヒロインが引っかかる。
◇
王太子妃教育のために教師の待つ部屋へ移動しようとすると、いつもヴィンスとばったり出会う。
「クレア、偶然だね。私もこっちに用事があるんだ。一緒に行こう」
そう言って、一緒に部屋へ向かいながらその日のスケジュールを細かく質問してきて、空き時間が合えばお茶をしようと誘ってくれる。
私と一緒の時間を過ごそうとしてくれる態度は素直に嬉しい。
だけど、王族居住区を抜けた辺りでたいがい邪魔が入る。
「あ、こんにちはー、ヴィンセント王子様っ!」
間延びしたような挨拶をするアイリーン嬢と出会う。相変わらず私には挨拶はない。
ああ、まただ。このあいだは私たちの休憩時間の話を聞かれてしまったため、テヘペロしながらお茶会に乱入してきて二人の時間を邪魔された。
魔法薬の発達した我が国ツヴァイベルクは癒しの力を持つ聖女という存在のいる隣国メッテルーナと今、共同研究の真っ最中だ。
メッテルーナの使節団のメンバーは王宮の渡り廊下で繋がった隣の別棟に滞在している。
そして、王宮内には宮廷薬師の魔法薬研究室があるため、使節団のメンバーは王宮内の許可された区域は自由に出入りができる。
「今日はこれから街の治療院のお手伝いに行くんです!」
彼女は聖女だから癒しの力が使える。その力を使って治療の手伝いをするのだろう。
今行われている研究は魔法薬に癒しの力を取り込んで量産できるかというものらしいが、どちらの国が主導で研究を進めるのか、大事な局面を迎えている。
だから、聖女という存在の彼女のことは、どんなに失礼で腹立たしくても無下には出来ない。
「あ、ヴィンセント王子様! ここ、切れてますよ」
「ああ、さっき書類で切ったのかな」
ヴィンスの人差し指の先の方に赤い線が入っていた。
「私が治してあげますよ!」
アイリーン嬢はヴィンスの返事も聞かずに、彼の手を取って傷のあるそこに、ちゅ、と口づけた。
「なっ!?」
私は堪えきれずに声を上げてしまった。ヴィンスは驚いて咄嗟に手を引いたが、その手はぽうっと一瞬光り輝くとヴィンスの指の赤い線が消える。
「治りましたよ!」
アイリーン嬢がどうだと言わんばかりの笑顔を見せる。
「あ、ああ……ありがとう。先ほどの口づけは……」
「あ、わたし! 怪我しているところにキスしないと治せないんです」
「そう。君の力は私にはもったいない。私は魔法薬で大丈夫だから。今後は私に力を使わずに、他の困っている者のために使ってくれ」
そう告げて、ごめん時間だからと、ヴィンスはすぐに私たちと別れて執務室に向かった。
「はぁー、優しくてすてきな王子様! 王子様のためならいくらだって力を使うのに! 私の負担を考えて遠慮するなんて」
彼女は良いように解釈していた。
いくら傷を治すためでも、婚約者のいるヴィンスにキスするなんてありえない!!
しかも婚約者の目の前で。
こんなことされてまで我慢しなきゃいけないのかな。
少し前、馴れ馴れしくヴィンスの腕にしがみついたことがあり、ヴィンスがそれとなく注意をしたけど、全然堪えてなくて、ヴィンスがいなくなってから「もう、恥ずかしがっちゃってー」なんて言うものだから、頭にきて思わずピシャリと注意をしてしまったことがある。
そしたら、彼女はぴゃーぴゃー泣いて使節団の責任者である神官長に言いつけて、神官長がこちらの責任者である宮廷薬師長に文句を言いにきた。
宮廷薬師長は言いづらそうに私に話をしにきた。
なんでも、聖女様は精神面が癒しの力に影響するから、彼女のメンタルを傷つけるようなことはやめてくれ、だって。
私のメンタルはどうでも良いらしい。私の方が泣きたいよ。
その後ヴィンスが来てくれて、嫌な思いをさせてごめんね、と謝りに来てくれた。ヴィンスは私のメンタルも気にしてくれる。
でも、やはり聖女様のメンタルも大事らしい。
仕方ないよね、聖女様がいなければ研究が進まないもんね。
わかってる。
癒しの力が魔法薬に取り込めて量産できれば国の医療が変わる。
聖女を囲っているメッテルーナに長年交渉してようやく使節団を派遣してもらえるようになったんだもんね。国のためには我慢しないといけないってことは。
でもさ、彼女、聖女ってわりにはめっちゃ嫌な子なんだよ。
たまたま誰もいない王宮の廊下でアイリーン嬢に会ったことがある。
「ねえ、クレア様? あなたも転生者なの?」
「えっ……」
戸惑う私の態度を肯定と受け取った彼女はべらべらと喋り出す。
「ふーん、やっぱりそうなんだ。おかしいと思ったの。私がヒロインのはずなのに、悪役令嬢のあんたの方が王子様の好感度が高いんだもん。王子様にはいくらアタックしても全然手応えないしさー」
まさかデリケートな部分に直接触れてくるとは思わなかった。
「悪役令嬢のくせに作品の内容を知ってるからって、ヒロインが現れる前に王子様を攻略するなんて卑怯なことしてサイテーね!」
「卑怯って……」
私は作品の内容なんて知らないし、ヴィンスを攻略したつもりもない。
一度はちゃんと身を引こうと思って、婚約者候補から降りようとした。上手くいかなかったけど。
「王子様は私と結婚するんだから! 悪役令嬢はちゃんと悪役やってよね!」
そんなこと言われても、私にだって理性はある。醜い嫉妬に包まれたなら、そのときは潔く身を引こうと思っている。ヒロインを傷付けるような非人道的な行為に手を染めるつもりはない。
アイリーン嬢はそれだけ言うとプイッと向こうに去っていった。
◇
また別の日のことだった。
例のごとく王宮の廊下をヴィンスと並んで歩いているとアイリーン嬢がやって来た。
「あー! ヴィンセント王子様ったらまた指怪我してる!」
そして、先日同様ヴィンスの反応を待たずにヴィンスの指にちゅ、と口づけた。
あ、また!!
油断も隙もない。ヴィンスに触れるためにすごい速さで口づけてくる。
「ありがとう、アイリーン嬢。でも私に力は使わなくて良いよ」
「大丈夫ですよ! これくらいへっちゃらです!」
アイリーン嬢は両方の拳を握って腕を曲げ、元気いっぱいのポーズを作って見せた。
ヴィンスは苦笑いをしていたのたけど、アイリーン嬢に治してもらった指を見て表情が変わった。
治してもらった指を見ると、ふっ、と笑ったのだ。
その表情を見て私は嫌な汗が流れた。
その日を境にヴィンスはアイリーン嬢の治療を拒まなくなった。
そして私は察した。
ヴィンスはヒロインに惹かれ始めたんだ……。
本当にわかってるよ。
だって私はどう見ても悪役令嬢だもん。私がどれだけヴィンスのことが好きでも、ヴィンスがヒロインに心惹かれていってしまうってことも……。
でも、それを間近で見るのはつらすぎる。
お読みいただき、ありがとうございました。