5 王子様に媚薬
「ん、いつもよりもだいぶ甘いね」
媚薬入りのシャンパンは甘いらしい。
ヴィンセント様は違和感を口にしながらもしっかり飲み干して、グラスは近くのテーブルに片された。
ど、どうしよう……!
慌てて姉と目を合わせようとしたが、姉はすでに──
「アルノルト様、ダンスですか? ええ、もちろんです。よろこんで」
自分の婚約者のアルノルト様の手を取り踊り始めてしまっていた。
ちょ、おねえさまぁぁぁぁーー……!
「クレア、私たちも踊ろうか」
「え、あの、えっと……」
「私と踊るのはいや?」
悲しげな表情で顔を覗き込まれて……
「い、いえ……よろこんで……」
そんな顔されて断れるわけないじゃない。
だって大好きな人なんだもん……。
先ほどの別れの決意はいともあっさり覆されて、私はヴィンセント様と踊り始めてしまった。
「暑いな……」
踊りながらヴィンセント様の目元が赤くなっていく。
空色の瞳が潤んできて。その美貌から色気までもが溢れ始めた。
なんだか見てはいけないものを見ている気分になってくる。
いけない! 早く解毒剤を飲ませてあげなきゃ。
「ヴィンセント様、少し休んだ方が良いのでは?」
「ああ、そうだね……」
「私、付き添いますから」
ヴィンセント様に付き添って、王族専用の休憩室に移動した。
「だめだ、暑い……」
ヴィンセント様は無造作にテイルコートを脱いで部屋のソファに投げ掛ける。
そして腕を掴まれ引き寄せられてギュっと抱き込まれた。
「ヴィンセント……さま……?」
「はぁ、クレア、やっと二人になれた」
「え……?」
なんか、雰囲気が……
ヴィンセント様が鼻先で私の耳をくすぐった。
そして私の耳元で囁いた。
「ねぇ、なんのために媚薬なんて用意したの?」
そう言った後、そのまま私のこめかみにちゅ、と口づけを落とした。
「……っ!」
いきなり耳に色んな刺激が襲いかかり、私は耳を押さえて後退りした。
そして、言われた言葉の意味を考え、サーっと血の気が引いた。
まずい。媚薬を盛ったことがバレてる……。
「あ、あの……えっと……」
アーロン様に媚薬を盛ろうとしていたなんて知ったら私のことを軽蔑するだろうか。
「ああ、やっぱり言わなくて良いや。私の求める答えと違う答えだったら、クレアに酷いことをしてしまいそうだ」
いつも優しいヴィンセント様がなんとなく怖い。
私は慌てて口を噤んだ。
「私たちはもうすぐ婚約する。余計なことはしてはいけないよ」
断罪に抗おうとするのは余計なことなのかな。
だって、ヒロインとヴィンセント様が結ばれていく様を見届けるなんて私には無理。
「ヴィンセント様……私……」
婚約者候補から降ろしてほしいって素直に言っちゃおうかな。
「聞きたくない」
「っん」
ヴィンセント様は再び私の腕を引き寄せて、今度は話をしようと開きかけた私の唇を自身の唇で塞いだ。
え、キスしてる……!?
ヴィンセント様に媚薬を盛ったときから動揺してずっと心臓がドキドキしていたが、今は痛いくらいにバクバクと激しく鳴っている。
私は驚きすぎて目を見開いたまま固まった。
ヴィンセント様のそれと私のそれは十数秒しっかりとくっついて、ゆっくりと離れていった。
なんでキス……?
衝撃的すぎて私は動けずにいた。
「くっ、やはり暑いな」
シャツの釦も上から三つほど外すと細身の割に逞しい胸がチラリと見えて、目のやり場に困る。
私は固まったままその様子を眺めていた。とにかく色気がすごい。
「ははっ、クレア、そんなに熱心に見つめられると興奮しちゃうんだけど」
「あっ……やだ、ごめんなさい」
いやいやいや、色っぽいヴィンセント様を観察している場合じゃない。
先ほどのキスはきっと媚薬のせいね。
早く解毒剤を飲んでもらわないと。
「ヴィンセント様、これを」
「ん?」
「解毒剤です」
姉から持たされていた解毒剤の入った薬瓶をヴィンセント様に渡す。
「ああ、クレア。ありがとう。これくらいの媚薬なら耐性があるから平気なんだが、君を前にするとやはり理性を保つのは辛かったから、助かったよ」
ヴィンセント様は蓋を開けて、それを一気に煽った。
飲み干してふぅ、と息を吐いたと思えば、ヴィンセント様はすぐに胸を押さえた。
「うっ……! クレア……」
「え?」
ヴィンセント様の呼吸が一段と荒くなった。
「え、なんで……?」
ガクンと膝を落としたヴィンセント様に近づいて、肩に触れようとした。
「はぁ、はぁ、クレア……、触れないでくれ……!」
「あっ、ご、ごめんなさいっ……」
「君が近くにいると、ハァハァ……だめだ……」
顔を見ると、みるみる紅潮して、潤んでいた空色の瞳はドロリと欲を孕んだ色をしていた。
恐る恐るヴィンセント様の下腹部に目をやる。
「ひっ、」
ヴィンセント様のヴィンセント様がトラウザーズを押し上げて、その存在感を思いっきり主張していた。
解毒剤が効いてない。それどころか酷くなってる……?
「はぁ、はぁ、クレア……今のは、うっ……媚薬だ……」
「っ!?」
最悪だ。私はヴィンセント様に媚薬を二回も飲ませちゃった。
お姉様からは解毒剤だって言われて渡された瓶は媚薬とは色が違うから間違えるはずがないんだけど。
「ご、ご、ご、ごめんなさい!! 私……なんてことを……」
媚薬は精を吐き出せば、解消されるものらしいけど、限界まで堪えてしまうと頭の方に熱が回っておかしくなってしまうらしい。
すぐに精を出してあげないと。躊躇っている暇はないわ。
経験はないけど知識はある。
「ヴィンセント様、ごめんなさい!!」
私は不躾にもヴィンセント様の肩を押して、後ろに転んだヴィンセント様のトラウザーズを留めているベルトに手をかけた。
すぐにヴィンセント様にパシッと手を払われた。
「触らないでくれっ」
「あっ……」
強く言われてハッとした。
そうだよね。ヒロインでもない私に触られるのは不快だよね。
「ごめんなさい」
でも、すぐに精を出さないと……私じゃ嫌なら……
「あっ、クレア……はぁっ、違うんだ、ごめ──」
「私、アイリーン嬢を呼んできますから!!」
彼女の様子を見る限り、ヴィンセント様に明らかに好意がある。
いきなりこの状況というのは嫌かもしれないけど、ヒロインの力でなんとかしてくれるよね。
私は立ち上がり、駆け出そうとしたが、触るなと言われたヴィンセント様になぜか腕を掴まれた。
「なんでここでアイリーン嬢の名が出てくる」
聞いたこともない不機嫌そうな低い声で言われた。眉間には皺を寄せて、不快だと言わんばかりの表情をしている。
媚薬のせいで色気だだ漏れな状態で明らかに怒っている。
私は気圧されるように息を呑む。
私、何か間違えちゃった……?
逃げたいような気持ちになって、後退りするけど腕を掴まれているため、逃げ出すことはできない。
「もう限界だ」
ヴィンセント様は私の腕を掴んだまま、立ち上がり部屋の奥へと強く引っ張った。
私は引きずられるようにベッドの前まで連れて行かれて、グイッと一層強く引っ張られたらベッドの上に転がされた。
いつも王子様然とした優しい笑みを見せてくれるヴィンセント様が、野獣のような獰猛な目つきで私を見下ろして、ふーふーと荒く呼吸をする。
こ、こわい……
勝手に目に涙が溜まっていく。
小さく首を振りながら、足でベッドシーツを蹴って少しずつ後ろに下がる。
すぐにヘッドボードに当たってこれ以上は下がれない。
なんで……?
いつもの優しい王子様が獣に変わってしまった気がした。
私の王子様が……
「王子様が……」
心の声が思わず口から出ていたことには気付かなかった。
眉を下げてヴィンセント様の顔を覗き込むと、ヴィンセント様は、先ほどの獰猛な表情からは一転して、いつもの王子様な表情に戻る。
媚薬のせいで、顔は上気し呼吸も荒いけど、それでも優しく私に微笑んだ。
「クレア、ごめんね。怖がらせてしまったね。媚薬のせいでおかしくなっていたみたいだ」
私はふるふると首を振った。
いつものヴィンセント様に戻ったのなら怖くない。
「ヴィンセント様、早く精を出さないと熱が頭に回って……」
「ああ、そうだね……」
「あ、あの! 私でお手伝いできることがあれば、なんでもしますから!」
二回も媚薬を飲ませてしまった責任から、そんなことを言ってしまった。
その台詞を聞いてヴィンセント様がピクリと反応する。
「なんでも……? 本当になんでも良いんだね」
「え?」
王子様が黒い笑顔を見せる。
ああ、私はまた何か間違ってしまったみたい。
口から出てしまったものは引っ込められない。
「……え、ええ」
私は躊躇いながらもゆっくりと頷いた。
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