3 大好きな姉
夢を見た。
夢の中で二人は仲睦まじく踊っていた。
白の正装を着たヴィンセント様はいつもの優しい笑顔で微笑んでいた。
ウェディングドレスのような真っ白な衣装で笑顔を返す。
幸せな様子だった。
金髪の巻き髪をふわふわと靡かせて、くるくると踊っていたがいつの間にか────ピンクゴールドのストレートヘアに変わっていた。
踊っていたはずの私は眺めている側に変わっていた。
ヒロインに優しく微笑むヴィンセント様を見て胸がズキズキと痛む。
そして感じたヒロインへの嫉妬。
いやだ、いやだ。ヴィンセント様は私の婚約者になるのに。
そんな女に笑いかけないで。あなたの笑顔は私のもの。
あんな女さえいなければ……!
醜い嫉妬に駆られた自分にハッとして起きた。
「クレア!」
勢いよく身体を起こすと、すぐそばには姉がいた。
「おねえ、さま……」
私はハァハァと息を吐き、汗びっしょりでバクバクとうるさく鳴る心臓を押さえていた。
「良かった。ひどい熱でうなされていたのよ」
「嫌な夢……見ちゃって……」
「かわいそうに」
姉は泣き出しそうな顔をする私を優しく抱きしめた。
お姉様……!
大好きな大好きなお姉様。
いつも優しい姉様。
姉の温もりを感じていると、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「ありがとう、お姉様。もう、大丈夫」
「本当に?」
「ええ」
姉の顔にはまだ心配そうな色が浮かんでいる。三日も高熱が続いたのだからと医者を呼んで、診てもらった。熱は完全に下がっており、もう大丈夫とお墨付きをもらうことができた。
部屋に見慣れない豪華な花が飾ってあった。
「あのお花は?」
「ヴィンセント殿下からのお見舞いよ」
「ヴィンセント様、来てくれたの?」
心配をして来てくれたんだ!
私は不謹慎にも嬉しくなった。
「あ、えっと……体調不良で王宮の王妃教育に行けないと使いを出したら、殿下のお名前でそのお花が届いたのよ。殿下はお忙しいみたいで……ほら、今隣国から使節団も来ているし」
「そ、そうよね……」
恥ずかしい。
忙しいヴィンセント様がお見舞いに来るはずなんてないのに。
先日の夜会から隣国、メッテルーナ王国の使節団を迎えて共同研究をしているため、ヴィンセント様はとても忙しい。
そんな中、お花を贈ってもらえただけでも喜ぶべきだ。
メッテルーナの使節団……そのメンバーの一人がピンク色の髪のヒロインだ。
私はベッドの上で、身を起こしたまま横を向く。すると鏡台の大きな鏡に自分の顔が映し出される。
どこからどう見ても悪役令嬢顔だよね。
たぶん私は異世界転生というものをしたのだと思うんだけど……。
一体何の世界に転生したんだろう?
漫画? 小説? 乙女ゲーム?
必死に前世を思い出そうとするが、自分の顔に見覚えがなければ、名前や国名にも聞き覚えはない。
最悪だ……明らかに悪役令嬢に転生しているのに作品がわからないなんて……。
私は膝に掛けている毛布をグッと握りしめて歯噛みした。
一般的な悪役令嬢の辿るルートを考えてみる。
ピンク色の髪のヒロインが現れて、王太子殿下と良い関係になっていく。それに嫉妬した悪役令嬢がヒロインをいじめて、公衆の面前で断罪、婚約破棄……。
婚約破棄……!?
せっかく厳しい教育に耐えてきて、再来月にはようやく婚約する運びとなったのに婚約破棄!?
何年もかけて手に入れたポジションをポッと出のヒロインに奪われるの?
でも仮に、断罪、婚約破棄されてしまったら、私の行く末はどうなるの?
良くて修道院送り、悪くて娼館送り、最悪のパターンは斬首刑。
斬首刑!?
え、いやだ。むりむり、死にたくない。
いや、まだ断罪されると決まったわけではない。
断罪されるようなことなんてしていないはず。
はず……。
はず…………?
だんだん不安に思えてきた。ちょっと姉に聞いてみる。
「あ、あの……お姉様……?」
「どうしたの?」
顔を強張らせて話しかける私に、優しい姉が心配そうな顔をした。
二つ歳上の姉は美人だ。きつめの美人である私とは美人の種類が違う。ピンク色の髪ではなく、父譲りの薄茶の髪だが、姉がヒロインだというのなら納得できる、聖母のような優しい美人なヒロインだ。
「お姉様……。実は私のこと怒っていたりする?」
「ん? 何を言っているの?」
姉は意味がわからないという顔をした。
「あの……、ヴィンセント様との婚約、本当はお姉様がするべきところだったのに、私が婚約者候補の座を奪ってしまったでしょう? だから……」
言いづらかったが、こういうことはハッキリと聞いた方が良いと思いストレートに聞いた。
姉は優しい顔をしてクスクスと笑い始め、いつもと同じ優しく笑う姉の姿を見て私は安心した。
「バカね、そんなこと気にしていたの? 怒っているわけないじゃない。だって、私はもうあと三ヶ月でアルノルト様と結婚するのよ? アルノルト様との関係だって良好だわ。何を心配しているのかわからないけど、私がクレアに怒ったことなんて一度もないわ」
「お姉様……」
姉の婚約者となったアルノルト様と姉の関係は側から見ていても、とても仲の良いカップルだ。だが、姉からもちゃんとそういう言葉が聞けてホッとした。
良かった。
大好きなお姉様に嫌われたらつらすぎて生きていけない。
姉はいつも私にとことん甘い。
両親から甘やかされて育った自覚はあるが、姉からも甘やかされていたと思う。
昔から姉の真似をしたがる私に、姉はちゃんと真似をさせてくれた。同じ服を着たがって同じ服を買ってもらえば、一緒に同じ服を着てくれる。姉が出かけるのであれば、ついて行きたがる私を一緒に連れていってくれた。
甘やかしてくれる優しい姉が昔からずっと大好きだ。
私が姉と同じように厳しくても良いから王太子妃教育を受けたいと申し出たときも、国の機密に関する教育に入る前なら、クレアにも同じように教育を受けさせて優秀な方をヴィンセント王子の婚約者にしたら良いのでは、と提案してくれた。
厳しい教育に何度も挫けそうになったが、ライバルのはずの姉は私を励まし、わからないところは丁寧に教えてくれた。私の理解が増えてくると今度はお互いに切磋琢磨し合って、最終的には私の方が優れていると認められた。
姉が私に気を遣い、手を抜いたのかと心配に思ったが、教師からは姉よりも私の方が努力をしていたから当然の結果だと言われた。
お姉様のおかげで今がある。
お姉様が怒っていないというなら大丈夫だよね。
私はヴィンセント様の隣に立つため、子どものころのあの最大のわがまま以外、恥ずかしい振る舞いなどしていないはずだ。
今現時点では断罪される要素はどこにもない。
今現時点では……。
では、この先はどうなるのだろうか。
先日の夜会で感じたヒロインのヴィンセント様に対する好意。そして夢の中で感じた私の醜い嫉妬。
それを思い出して、私は少し震えた。
このまま彼らが心惹かれあっていく様子を見ていたら、嫉妬に狂った私は、ヒロインに何かをしでかしてしまうかもしれない。
嫉妬……断罪……婚約破棄……。
ヴィンセント様に嫌われるのはつらいな。
お姉様に嫌われるのと同じくらい、いや、それ以上につらいかも。
そしたらやっぱりつらすぎて生きていけないや。
嫌われるくらいなら……自分から身を引く方がマシなのかな。
「ねえ、お姉様。ヴィンセント様の婚約者候補って降りることできるのかな?」
「は?」
お姉様が淑女らしからぬ、まぬけな声を出した。
「だからさ、ヴィンセント様と婚約しないようにしたいの」
「なんで!?」
初めて見る姉の焦ったような顔。お姉様ってこんな顔もできるんだ、とどこか客観的に見ていた。
「たぶんね、隣国の使節団のメンバーにヴィンセント様の良い人がいるの。二人が良い仲になったら、私は婚約破棄されてしまう」
「何それ、殿下がその人が良いって言ったの?」
「ううん、まだ言っていないけど……きっと彼女が良いって言うと思う」
姉がすごく険しい顔をしている。
「なんで、そんなに自信のない発言しているのよ。クレアほど殿下の隣に立つのに相応しい女性はいないわよ!」
他にも婚約者候補はいるけど、殿下はダンスなどの必要なとき以外、クレア以外の女性に触りたがらない。少し潔癖なところがある。
クレアだけは不意に触れても嫌がらない。殿下にとってクレアは特別な存在なのだと、姉は一生懸命に異見する。
それでもヴィンセント様はきっとヒロインを好きになる。
「私にはわかるの」
姉は「私にはわからないわ」と呟いて何かを考える。
ヒロインは私の縦ロールを見て悪役令嬢だと言った。
この世界に存在しないその言葉を知っているというのは転生者であるということだ。
私はこの世界のストーリーを知らない。彼女がこの世界のストーリーを知っていれば、ヴィンセント様と結ばれてハッピーエンドを迎える術も知っているはずだ。
もしかしたら、作品の強制力というものも発動するかもしれない。
ありえない冤罪が本当の罪になるかもしれないし、私の性格まで歪められてしまう可能性がある。
今もヒロインに対して激しい嫉妬を感じているのは、すでに強制力が発動しているのかもしれない。
本当に私がおかしくなってしまう前になんとかしなくちゃ!
幸いまだヴィンセント様の婚約者候補であって婚約者ではないんだもの。今なら引き返すことができるわ。
「クレア。そんなに言うのなら、こういうのはどうかしら」
ヴィンセント様の婚約者候補から降りるため、姉は一つの方法を提案してくれた。
お読みいただき、ありがとうございました。