2 ピンク色の髪はヒロイン
「お父様、私がヴィンセント王子と結婚したい!」
私がそんなことを言い出せば、姉は困ったように微笑んで、父は私にそれはできないんだと優しく諭す。
ヴィンセント王子はいずれ立太子する。そうなるとヴィンセント王子と結婚する相手は未来の国母となる。姉であるマリアンヌはまだ候補者でありながら、すでに王太子妃教育が始まっており、厳しい教育に必死で耐えていると言う。
両親は私にひたすら甘く、可愛い可愛いと溺愛する。その結果、順調にわがまま令嬢として育ってきていた私には厳しい教育など無理だとやんわりと言い聞かせる。
だけど本物の王子様と出会ってしまった私は諦めきれず、わがままを貫いて姉と同じ教育を受けることに成功した。
両親はわがままで甘ったれた私など厳しい王妃教育にすぐに音を上げるだろうと考えていたようだが、私は三年で姉よりも良い成績を出すことができた。
その間、月一回のヴィンセント王子と姉の交流会には必ず私もついていき、確実に姉よりもヴィンセント王子との距離を詰めていた。
「マリアンヌ、ヴィンセント殿下の婚約者に我がディストラー公爵家からはクレアを推そうと思う」
父が姉にそう告げたとき、姉は曖昧に微笑んだ。
「そうですか」
「マリアンヌにはキルシュ侯爵家次男のアルノルト殿と婚約してもらう」
我が家は公爵家でありながら娘しかいないため、私か姉が婿を取るのは絶対だった。
キルシュ侯爵家のアルノルト様といえば、ヴィンセント王子の側近で、月一回の交流会にもよく顔を出すため私たちとも顔見知りの仲だった。
ヴィンセント王子に比べるとどうしても劣ってしまうが、それなりに見目も良い好青年だ。
悪くない相手が選ばれて私はホッとしたが、姉の胸中はどうだろう。
「かしこまりました」
再び姉は微笑んで返事をする。姉は淑女としては完璧だ。チラリと姉の表情を観察したが、姉の心の内は全くわからなかった。
お姉様、ごめんなさい。でも私はヴィンセント様が好きなの。絶対に譲れないの。
姉に対して若干の罪悪感は抱いたもののしっかりと教育を受けた上で、姉より優れていると判断されてヴィンセント王子の婚約者候補の筆頭という立場を得たのだ。
だから、姉に対して悪びれる必要などない。
ずっとそう思っていた。
◇
前世を思い出し、鏡を見て私は青ざめた。
この金髪の縦ロールが全力でお前は悪役令嬢だと叫んでいる。
なんで……!
なんで悪役令嬢なのよぉー!
悪役令嬢ではヴィンセント様とは結婚できないじゃない。
もう泣きたい。
私は前世の全てを思い出したわけではない。
前世でどう生きてどう死んだのかなどは全く覚えていない。
ただ、前世の一般知識は何となく思い出した。小説や漫画、乙女ゲームに出てくるキャラクターの悪役令嬢のほとんどがこの縦ロールだ。
どんな世界に転生してしまったのかゆっくり考えたいところだが、今は隣国の要人を迎えた夜会の真っ最中。
長時間席を外すのはよろしくない。
私は考えをまとめることは出来なかったが、何食わぬ顔をして会場に戻った。
「クレア、どこに行っていたんだい?」
会場に戻った私を見つけヴィンセント様が声をかける。少し遅くなってしまったので気にかけてくれていたようだ。
「すみません、髪が乱れてしまったので、直しておりました」
「そうなの? さっきも完璧な巻き髪だったと思うけど。ああ、もちろん今も完璧でとってもかわいいよ」
ヴィンセント様は私の縦ロールを一束手に取って顔を近づける。私は彼の優しい言葉と態度に酔いしれる。
こうやってヴィンセント様はいつも巻き髪を褒めてくれるから、前世を思い出すまで、この髪型に悪い印象があるなど思いもしなかった。
悪役令嬢の髪型なのに……
それでも好きな人に褒められて、私は頬を染めながら小さくお礼を言った。
「王子様! 紹介してください」
ピンク色の髪の女性がヴィンセント様の後ろからひょっこりと顔を出す。
「ああ、彼女はクレア、ディストラー公爵家のご令嬢で再来月、私と婚約する予定なんだ」
「婚約?」
ピンク色の髪──正しくはピンクゴールドのストレートヘア、の女性は怪訝な顔をした。
「クレア、彼女は隣国メッテルーナ王国の使節団のメンバーの一人、アイリーン嬢だ。癒しの力の使い手で、メッテルーナでは聖女と呼ばれているんだよ」
「聖女様……ですか」
メッテルーナは絹織物が有名な国で、彼女はメッテルーナ産の薄黄色の絹をたっぷりと使った可愛らしいドレスを着ていた。
私は微笑みを崩さず、姿勢を正して挨拶をした。
が、心の中は嵐が吹き荒れていた。
ピンク色の髪した聖女様なんてどう考えてもヒロインじゃん。
二人が並ぶ姿なんて見たくないよぉ。
いやだ、いやだと思いつつも顔には出さないように気をつけたが、自然と足が後退りしていた。知らずに再び逃げ出す体勢に入っていたみたい。
「きゃっ……!」
誰かとぶつかりよろけてしまい、二つの手が伸びてきて腰を支えられた。
「すまない!」
私がぶつかったのは王弟殿下のアーロン様だった。私の腰を支えているのはアーロン様の腕とヴィンセント様の腕。
「申し訳ございません、お二人ともありがとうございました」
何故か二人で視線を合わせていた。
もう大丈夫なので、お二人とも離してください。
「すまない、僕がぶつかってしまったから」
アーロン様が腕を離しながら謝罪する。
ヴィンセント様と同じ色を持つが、ヴィンセント様より歳のせいかかなりアンニュイな雰囲気をもつ男性だ。
「叔父上、気をつけてください」
ヴィンセント様がアーロン様に苦言を呈した。
でも悪いのは後ろも見ずにぶつかっていった私の方なんだけどな……。
「クレア嬢、申し訳ない。お詫びに今度私の邸でお茶でもご馳走するよ。最高級のお菓子を用意するから」
「叔父上、それではお詫びになっていませんよ」
ヴィンセント様が怒っているようなトーンの低い声を出す。
「いいえ、悪いのは私ですから、私がお詫びをしなくては」
私がそう言うとアーロン様は笑顔を見せた。
「では、クレア嬢、お詫びというなら僕と一曲どうかな?」
そんなものでお詫びになるのであれば。
私は差し出された手を取り「喜んで」と返事をした。
助かった。
ヴィンセント様が聖女様と一緒にいる姿なんて見たくないもん。
アーロン様のエスコートでダンスフロアへ向かうが、後ろから「でしたら、私ともう一曲踊ってください、王子様!」とおねだりするような甲高い声が聞こえてくる。
ほんと嫌だ。ヴィンセント様は私の王子様なのに。
わかっている。彼女は隣国からの要人だ。丁寧にもてなさなければならない立場だから、ヴィンセント様も彼女に優しく接しているのだろう。
わかっているけど、私の心に醜いどろどろとした嫉妬が溜まっていく。
「クレア嬢も大変だね。もう少し向こうの方で踊ろうか」
踊りながら自然な動きでアーロン様はヴィンセント様とアイリーン嬢から離れてくれた。
「私、態度に出ていましたか?」
アイリーン嬢が気に入らないのは事実だが、他人にわかるような素振りはしていないつもりでいた。
だけどアーロン様には気づかれてしまったかと思いそう聞いてみると。
「僕なら好きな人に近づく異性がいて、自分にはどうしようもできないのなら、そんな様子は見ていたくないからね」
私の態度ではなく、私の気持ちを先回りして考えてくれていたようだ。
アーロン様は国王陛下の歳の離れた弟で、三十歳独身、女性関係で色々と噂の絶えない方だ。
恋愛経験豊富な方は、私のような小娘の考えることなど手に取るようにわかるのかもしれない。
「ありがとう、ございます」
一曲踊り終えると、先ほどの場所からかなり離れた場所にいた。
「このまま、帰ってもいいのでは? ヴィンセントにはクレア嬢は体調不良で先に帰ったと伝えておいてあげるよ。ああ、公爵にもね。馬車まで送ろう」
「……お言葉に甘えて──」
帰ろうかと思ったとき。
「──クレア、私が送るよ」
驚きすぎて身体がビクッと揺れた。
「ヴィンセント、さま……」
アイリーン嬢と踊っていたのではなかったの……?
アイリーン嬢を探してみると彼女は別の貴族男性と踊っていた。
良かった……。
二人が別々にいることにホッと胸を撫で下ろすと、すぐにヴィンセント様が私の手をとり、会場の出入り口に向かって歩き出した。
あ、でも、アーロン様が送ってくれると言ってくれていたのに良いのかな。
どうしようという目でアーロン様に視線を向けると、アーロン様はやれやれという表情で肩をすくめていた。
「クレア……」
会場を出るとヴィンセント様の顔が近づいてきて、どきりとした。
慌ててきゅっと目を瞑ると、額にそっと手を添えられた。
「?」
「やっぱり、熱があるよ」
熱?
言われてみると身体が熱い気がした。
私は何をされると思って目を瞑ったのか。
……恥ずかしい。
「これ、宮廷薬師から熱冷ましの魔法薬もらったから、寝る前に飲んで」
ヴィンセント様は私に小瓶に入った飲み薬を渡してきた。宮廷薬師は王族にしか処方しないので、これは私が受け取って良いものではない。
「受け取って」
自分でも気づかないくらいだったのに。
私の変化に敏感に気付いてくれる優しいヴィンセント様。ヴィンセント様にそう言われたら受け取るしかない。
「ありがとう、ございます……」
結局その日はヴィンセント様に公爵家の馬車の前まで送ってもらい別れた。
「クレア……、君は今熱で少し気持ちがまとまらなくなっているだけだ。私たちは再来月には婚約するんだから、変なことを考えてはいけないよ」
いつも優しいヴィンセント様だが、別れ際、私の心の内を見透かすようないつもと違うその物言いに熱のせいか寒気が走った。
そして、私はヴィンセント様からもらった熱冷ましの甲斐もなく、三日間熱が出続けた。
お読みいただき、ありがとうございました。