1 縦ロールは悪役令嬢
「うわっ、縦ロール初めて見た。まさに悪役令嬢って感じ」
夜会の最中、可愛らしい小さな声で呟かれたその言葉を私は聞き逃さなかった。
縦ロール……?
縦ロールってなんだっけ……?
私は慌てて後ろを振り返る。声の発生源であるピンク色の髪の女性が王太子殿下であるヴィンセント様の許へと寄っていく。
彼がにこりと微笑みながら彼女の手を取って踊り出したその様子を見て、私の心臓は軋むような嫌な音を立てる。
不快な汗が背中を伝い、笑い合って踊る二人を見ていると胸が抉られるような、そんな心地がした。
私は耐えられなくなって化粧室へ逃げ込んだ。
そして鏡を見たら、さらに嫌な汗が吹き出した。
「うそ……でしょ……!」
自分の顔を見て前世を思い出してしまった。
少し吊り目のきつめの美人、胸を強調するような派手なドレスに金髪の縦ロール、プライドの高そうな紫色の瞳、この国ツヴァイベルク王国の王太子殿下ヴィンセント・コーデン・ツヴァイベルク様の婚約者候補の筆頭。
公爵家の次女である私、クレア・ディストラーとヴィンセント王太子殿下は再来月には婚約式を迎え、正式な婚約を済ませる段取りとなっている。
この世界に縦ロールなどという髪型はない。私がしていたのは、巻き髪と言われる髪型だ。くせ毛なので、侍女にヘアセットをお願いするといつもこの髪型になる。
縦ロールなんて初めて聞いた言葉なのに、私は鏡を見て理解する。
とっても立派な縦ロール。
どう見ても悪役令嬢だよね。
しかも元々ヴィンセント様の婚約者候補だったのは私ではなく姉の方だった。
ヴィンセント様に恋をした私がどうしてもヴィンセント様と結婚したくて、その座を姉から無理矢理奪った。
すでにやらかした後ですね。詰んだ。
◇
あれは私が十歳のころ。
当時十二歳、まだ第一王子であった現在の王太子殿下ヴィンセント様の婚約者候補の筆頭は私の二歳上でヴィンセント様と同い年のマリアンヌお姉様だった。
候補者は姉だけでなく同世代の高位貴族の令嬢が数名いたが、家柄や政治的な力関係などで、姉は婚約者候補の中でも筆頭だった。そのうえ、候補者の令嬢たちの中でも姉はヴィンセント様と一番仲が良かったらしく、何も問題が起きなければおそらくこのまま姉が王家に嫁ぐことになるだろうと予想されていた。
うちは由緒正しい公爵家、ここまでは当然の流れでしょう。
王家のしきたりでヴィンセント様の立太子が十八歳、正式な婚約はヴィンセント様が二十歳を迎えてからと決まっていた。
そして、月に一度の姉とヴィンセント様との交流会のときのことだった。
いつも姉にくっついて行動していた私は、その日は留守番をしなければならなかった。
ずっと姉が羨ましかった。
月に一度のその日、姉は毎回違う綺麗なドレスを着て、父と一緒に王宮に向かう。
いつも私は母と一緒に玄関で姉を見送るだけ。
姉がいない間に、姉が貸してくれた物語を読む。王子様がお姫様に出会う物語。
お姫様が困っているところを王子様が助け出してくれて二人は出会う。
そして二人は結婚して幸せに暮らす。
それを読むたび王子様への憧れが募っていく。
お姉様はこんな素敵な王子様と結婚するのかな。
そして姉は王宮のお菓子を手土産に帰ってくる。
とっても美味しいお菓子。
王宮の王子様が姉のために用意したお菓子なんだと思いながらそれを頬張った。
「お姉様ばっかりいいなぁ」
あるとき、思っていたことがついに口からぽろりと零れ落ちた。
そんな私に気遣って姉が言った。
「クレアもくる?」
私は目を輝かせて「いいの?」と聞くと、姉は優しく微笑んだ。
「クレアだけ仲間外れだと可哀想じゃない」と姉が言ってくれたので、自分がお邪魔虫になるなど考えもしなかった私は姉にくっついて王宮へ行った。
途中までは父も一緒に来てくれた。
父は陛下に話があるから、お茶会の終わる頃に迎えに来ると言って私たちを王宮の中庭に残し、姉は「殿下が来るまでまだ時間があるから中庭を散策していましょう」と言った。
私は初めての王宮の中庭に興奮した。
色とりどりの季節の花に、低木を刈り込んで作られた動物の形のトピアリー、広い池には金色の鯉が泳いでいる。
王宮にはこんな楽しいところがあるのだと大喜びで見て回った。
「ねぇ! お姉様! あれは一体何の形に刈り取ったのかしら!?」
大興奮で一つのトピアリーを指差して、姉のいる方を向くと姉はいなかった。
「お、お姉様?」
きょろきょろと辺りを見渡すが誰もいない。
私は広い王宮の中庭で迷子になってしまった。
不安になって元の場所へ戻ろうとするが、綺麗に刈り込まれた生垣は巨大迷路のようで、動けば動くほど奥へと入り込み、まだ子どもだった私はその迷路からもう二度と出られないのではと不安に駆られた。
淑女は感情を表に出してはいけません。
急にマナー教師の言葉を思い出した。
初めての王宮に興奮したからこんなことになってしまったんだ。お淑やかな姉のように大人しくしていれば、迷子になどならなかったのに。
淑女は泣いてはいけない。
目に溜まった涙をグッと堪えて顔を上げたときだった。
「お姫様かな?」
すごく綺麗な顔をした男の子が生垣から顔を覗かせた。
空色の瞳に太陽の光でキラキラと輝く銀色の髪。幼いながらにその美しい顔を一目見て誰なのかわかった。
「王子様……」
目の前の王子様はふわりと笑った。バックには本物の薔薇を背負っている。
一枚の絵画のようなその光景に私は見惚れた。
「か、かっこいい……本物の王子様……」
そして王子様は跪いて私に手を差し出す。
「そうだよ。私はこの国の王子、ヴィンセント。可愛らしいお姫様、迷っちゃったんだね。マリアンヌの妹のクレアだよね。私がマリアンヌのところまで案内してあげるよ」
姉から借りた物語と同じように私は王子様と出会った。そして王子様は物語と同じように自分のことをお姫様扱いしてくれた。
必死に堪えたが、嬉しすぎて泣き出しそうな心地だった。
その後、中庭に用意されたテーブルで王子様と姉と一緒にお茶をしたが、楽しみにしていたお菓子の味も覚えていないし、どんな会話をしたかも覚えていない。とにかく憧れていた王子様が自分の目の前で優雅な仕草でお茶を飲んでいてドキドキした。
私はその時間ずっとうっとりと王子様のことを眺めていたのだと思う。
その日の夜、私は父と姉の前でとんでもないわがままを言い出した。
「お父様、私がヴィンセント王子と結婚したい!」
お読みいただき、ありがとうございました。