宿泊研修…?
海に行く馬車の中は勉強会になってしまった。
予想問題集を丸暗記できないなら、一か八か山を張ってみてはどうかと、ビンスが言い出したのだ。
常識的に知っていた方が良いことに絞れば、アレックスでも覚えられるだろうと言うのだ。
帝国の魔法学校の入試は従属国なら帝国まで受験に行かなくてはならないが、ガンガイル王国では試験官が来て受験することになっている。
留学生の数を増やしたい帝国が、友好国に試験官を派遣して受験者数を増やしているのだ。
こういう公式な場面ではきちんと独立国扱いをするくせに、入学したら学生たちは従属国扱いしてくる、とボリスの兄のオシム君の手紙にあった。
帝国の魔法学校には多様な民族が集まっているが、言語は地方のなまりがあるだけで、理解できないほどではない。
他の従属国出身者と同様にガンガイル訛りを馬鹿にされることはあるが、自分は恥じてはいないと書いてあった。
帝国が他国から留学生をかき集めている。
シロに聞かなくても推測できることもある。
王族クラスは人質だろう。
従属国からも広く集めている理由は?
何を企んでいる?
帝国はこの世界の全土を征服したいのかな?
“……ご主人様。そうとも言えますし、違うとも言えます”
その未来はまだ決まっていない、という事か。
シロはぼくの足元でしっぽを左右に揺らしたが、否定も肯定もしなかった。
シロは不確定な未来のかけらを見ているだけなのだろう。
ぼくが名付け親になったことで、シロはもう自分に都合の良いだけの未来だけを口にすることはない。
だけど、願望がある方に視野が固定されるのは、人だって精霊だって同じなのだろう。
シロが見る未来の中にぼくが望まない、家族や友人の不幸や、戦争などによる大量虐殺のようなことがあるから、はっきり言えないのだろう。
今は帝国の動向を警戒することしかできない。
帝国に留学する貴族は平常時にはそれほどいないのだが、王族は学生時代に留学することが一般的だ。
王太子殿下の御子息の留学を前に、帝国での影響力を高めるために王家が本気で力を入れ始めた。
そうは言っても、キャロお嬢様のために力を入れた辺境伯領の後追いなんだけどね。
ぼくはこの国の閉塞感から一度解放されるために、帝国に留学しようと思う。
この国での恩人もそれを勧めているしね。
そんなわけで、ぼくにも利点があるからアレックスのお勉強に付き合っているうちに帝国の歴史や地理、産業に詳しくなった。
疑問点があればハルトおじさんに聞けばわかるので、勉強をするにはもってこいの環境になった。
「帝国が南下を続けていることで、極北に近いガンガイル王国は戦火を逃れているとも言えるのですね」
「王国より北は何があるの?」
アレックスの質問に全員がそんなことも知らないのかという顔をした。
みぃちゃんがぼくの膝からアレックスの膝に飛び移って、顔面に猫パンチを食らわせた。
「辺境伯領以北は山脈を越えられない。永久凍土があるとも言われているが、冒険に出かけて帰って来た者はいない。そもそも深淵の森を抜けた人間はいないと言われている。あの森が我が国の国境だ」
「アレックスまさかと思うけれど、南の国境がどこだか知らないわけはないよね」
「王都より南にある……」
これは知らない。
みぃちゃんの猫パンチを両頬に食らっている。
みんなの笑い声が馬車中に響き、伴走している護衛の冒険者が馬車の窓から様子をうかがっている。
ボリスが大丈夫だよと口パクで知らせて、アレックスには答えを教えた。
「今から行くところだよ」
「海が国境なのか!」
「正確には最南端は離島になるが、南で一番大きい町に滞在しながら、周辺を観光する予定だよ」
「騎士団を志望しているのなら、国境警備の要ぐらい覚えておけよ」
「なれなかったら冒険者になるからいいもん」
「冒険者こそ国土に関する知識や国際感覚がないと成功しないぞ。騎士の下っ端は上の言うとおりに行動するだけだが、冒険者は自分で判断しなければ成功どころか生きのこれない。開墾地の先払いの契約しか取れなくなるぞ」
「騎士の予算が入らないような開墾の仕事は地脈が読めないと、ただの人身御供だよ」
この馬車に乗っているのは、ハルトおじさん以外みんな十歳未満の子どもなのに、出てくる言葉がえげつない。
ボリスが真剣な顔で言った。
「ぼくだって勉強が嫌いで、逃げ回っていた時期があったよ。ぼくの父は辺境伯領の騎士団の師団長だから家に居ない事の方が多いのに、ぼくは母をよく困らせていたんだ。だから、父があえて現実を見せてくれたんだ」
親子コミュニケーションが少ないと気がついたボリスの父は、新しい神の誕生で冬の魔獣が出ないことを見越したうえで、六日間続いた吹雪の最終日に領都の北門付近でボリスと野営訓練をしたらしい。
いくら城壁の中とはいえ、あの吹雪は半端なかった。
ぼくは騎士の父を持たなくて良かったよ。
「生きのこるためにはどうすべきか、というよりも魔力次第で一晩乗り越えられることを見せてくれたんだ。だけどね、あれは死霊系の魔獣が出ないとわかっていたからできたことで、戦いながらではとても無理だってことが、幼心にもわかったよ。死霊系魔獣が出ないとわかっていたのは大地の魔力の流れである地脈を騎士団が把握していたからなんだ」
「そうだぞ、アレックス。騎士団に所属していたら地脈を解析する部署がある。その騎士団を派遣できないようなところを、あえて開墾しようとする領主は、何らかのたくらみを持っているんだよ。…冒険者に高い金を払って、魔獣の生贄にさせるのさ」
ハルトおじさんが声を一段低くして脅すように言った。
「そっそっ、そんな……」
「王都の坊ちゃんは知らないのかい?勉強しないような馬鹿な子は騙されて死霊系魔獣に取りつかれて散々暴れた後で、正義の騎士に、コ、ロ、サ、レ、テ、シ、マ、ウ…のだよね」
最後のコロサレテシマウのところは辺境伯領の子どもたち全員で声をそろえて歌い出した。
みぃちゃんはぼくの膝に踊りながら飛び移った。
お金に目がくらむ冒険者と、賢く地脈を読んだ冒険者の人生を比較するミュージカルは学習発表会でも人気の演目なのだ。
「何なのその歌!面白いね」
恐怖で顔を青ざめさせているアレックスをよそに、ウィルがゲラゲラ笑いだした。
「本当は古い騎士物語の短編なんだけど、友だちに騎士の子どもたちが多かったから愚かな騎士ってところが許せないようで、冒険者に替えられてしまったんだ。外で警護をしてくれている冒険者さんたちは、もちろん賢い冒険者だよ」
「だから冒険者になるにしたって、知識は必要なんだよ」
それから、ぼくたちは帝国について学ぶことがどうして必要なのかを、アレックスに諭しながら勉強を続けた。
アレックスに今度、オシム君のあぶり出しした後の手紙でも見せたら、やる気が出るのかもしれない。
途中、休憩と称した素材採取もしながらの旅だったので、メイ伯母さんの町に着く手前の町で一泊した。
引退したオーレンハイム卿が息子に譲った領地だったので、領主館に泊めてもらった。
領主はオーレンハイム卿の次男だが、うちの父さんよりも年上に見えた。
お土産はオーレンハイム卿に指定されていた、お婆特製の増毛剤だ。
まだ髪の毛はふさふさとしている領主だったが、大変喜んだ。
ハルトおじさんが小声で、身長差があるからカイルには見えない箇所だよ、と教えてくれた。
どうやら河童型のようだ。
「父ともども、大変お世話になっております」
領主自らぼくに深々と頭をさげたので、他のメンバーは驚いていたが、ハルトおじさんだけが大爆笑していた。
ぼくは常識人だから見ないふりはできたよ。
ぼくたちは宿泊研修気分で同じ部屋に簡素なベッドを用意してもらって、備品を壊さない約束をして枕投げの許可までもらった。
夕飯までの時間に、オーレンハイム卿に依頼していた二毛作における土壌改良の資料を見ながら、ハルトおじさんや領主と改善点を検討した。
新しい神の誕生した際のご加護が切れても豊かに暮らせるように、あえて魔力を枯渇させたやせた土地を用意して検証しているのだ。
実証実験の土地で抜いた魔力を使って周囲に結界を張っているので、領地全体で見たら微々たる歪みで済むようにしてある。
それでも長期間検証を続けるのは危ないので来期で終了予定だ。
ぼくが魔力探査をした結果でも、領全体の結界からすれば小石が一個転がっているような歪みだった。
だが、精霊たちは土地の魔力が歪むのを好まないので、あと一回の実証実験で止めてくれと、この土地の精霊たちに頼まれた。
ぼくの我儘でこの土地の精霊たちに迷惑をかけるわけにはいかないので、道中の素材採取で手に入れた、魔力の流れをよくする薬草を結界に沿って植えるように領主に依頼した。
「父が言う通り、本当に優秀な少年ですね」
精霊たちのためにしたことだけど、恩を売って利益を得よう。
「手間代と言っては何なのですが、領主様とハルトおじさんに少しお願いがあるのです」
ぼくは友人を異様に監視しようとするウィルに、オーレンハイム卿の狂気を感じるので、大人から苦言を呈してほしいと頼んだ。
本物のヘンタイになる前に、自分の行動の異常性に気がついてほしいのだ。
夕飯は和やかに済み、お風呂の順番待ちをしている間に、領主がウィルをラウンドール公爵へのお土産の品を選んでほしい、と言って連れ出してくれた。
まっとうな人間に育っておくれ。
枕投げは備品を壊さないようなルールにした。
みんなで一曲歌いながら一つの枕を爆発物に見立てて適当な相手にぶつけて、歌い終わった時に枕を持っていた人が負けになるゲームにした。
このルールだと文系のマークとビンスでも気軽に参加できたので、全員が楽しめた。
負けた人には試験問題を出す、と途中から参加したハルトおじさんが言い出したので、歌い終わる直前にアレックスが集中攻撃を受けたのは、虐めじゃない。
愛の鞭だ。
活躍の場がないみぃちゃんがとび蹴りを入れたのは愛情ではないだろう。
就寝時間まで、遊びと勉強を繰り返したぼくたちは明かりを消すとぐっすり眠った。
ぼくのベッドの両サイドには、いつもよりぴったりと、みぃちゃんとシロがくっついていた。
翌朝、ぼくたちはお世話になった領主一家と従者の皆さんにも集まってもらって、お礼に一曲合唱を披露した。
学校のお昼休みに練習していたのだ。
ハルトおじさんは曲も知らないのに指揮者のまねごとをして、参加している気分になっていた。
声変わり前の少年の声はいいよね。
ぼくはちゃっかり録音をして、蓄音器で再生して、レコードの宣伝もしておいた。
王都まで行かなくても港町の伯母さんの商会で取り扱っている。
べらぼうに高価だけどね。
領主館の前で、領主を囲んで従者一同を含めて、インスタントカメラで記念撮影をした。
王族と記念撮影なんて皆の一生の思い出になるだろう。
カメラについても色々聞かれたが、メイ伯母さんの商会で取り扱いがあるが、とても高価だと念を押しておいた。
せっかく領地を豊かにする話を持ってきたのに、領主に散財されたら領民に申し訳ない。
領主に楽しかったから帰りも寄ってほしいと言われたが、素材採取をしなければ王都に直帰できるのでぼくにはメリットがないから、お断りした。
館の全員に手を振られて出発した。
街道沿いで出会う領民たちも手を振ってくれて、賑やかな出発になった。
王族を乗せた馬車は歓迎度が違うなと実感した。
港町に入って坂道を下ると潮の香りがした。
「海が見えるよ!」
ぼくたちは大はしゃぎしながら窓の外を眺めた。
港町らしく海の神の祠があったので、ぼくたちはしっかり魔力を奉納をした。
この町での滞在が素晴らしいものになりますように。
メイ伯母さんは町で一番上等な宿を貸し切ることで、王族が自宅に宿泊することを阻止した。
お金の負担を心配したら小声で、牡蛎の養殖が大成功した、と教えてくれた。
ヤッター!
これで牡蛎が食べ放題だ。
ぼくはにやけ顔を止めることが出来なかった。
おまけ ~とある領主の呟き~
自分は次男だったのに父が早期引退を決めた時に兄が譲り受けた領地のうち、飛び地になっていた領地を譲り受けた。
引っ込み思案な自分には王都より田舎にいる方が落ち着くので、妻と共に田舎で気楽に暮らしていた。
残念ながら子宝には恵まれなかったが、兄のところは男の子が三人もいるから養子にでも来てくれたらなんとかなると、自分は気にしていなかった。
こんな消極的な自分を慕ってくれている妻と暮らしていけるだけで幸せだ。
譲り受けた領地は収穫量の安定した穀倉地帯で、領地経営は楽にできた。
数年前に新しい神が誕生されてから更に豊作が続き、帝国に輸出できるほどになった。
それなのに引退した父が、神のご加護が何もせずに永遠に続くと思うな、と言いだした。
二毛作でも土地の栄養や魔力を枯らさないような肥料の開発を命じられた。
検証のためあえて魔力を抜いた畑の周囲になじませるように結界が施された。
結界の魔法陣は自分には全く読み解けない複雑なものだった。
「こんな複雑な魔方陣を誰が描いたのですか?」
「天才少年だよ」
父がとびきり上機嫌の笑顔で言った。
ああ。
彼女の孫なんだな。
父がこの笑顔を見せる時は、彼女がかかわっている。
母は父がこの笑顔を見せると、嬉しそうに微笑むのだ。
両親がお互いを深く尊敬しあっているところは素晴らしいと思う。
熱量を入れる相手がお互いに違うのに、理解しあっている。
自分は両親のことは尊敬している。
だが、あの部屋だけは……。
気持ち悪いのだ。
ラインハルト殿下がまるで魔法学校の遠足の引率の教師かのように、たくさんの子どもたちを連れて、研究の視察に来られた。
ハルトおじさんと呼んでくれとおっしゃるのだが、で、で、殿下と小声で言うしかできなかった。
美少年たちが可愛いと妻がはしゃいでいる。
妻はやはり子どもを諦めていなかったのか……。
件の天才少年は、まさに天才少年そのものだった。
海に近い土地なのだから肥料の種類を増やそう、と言い出し、塩抜きした貝殻を砕いて土壌と混ぜてほしい、と提案された。
また、あの複雑な魔方陣を更に完璧にするために植物を結界に沿って移植しろと、指示を出したのだ。
この研究はこの天才少年が主体になっていたのか!
私がお気楽に経営していたこの土地の遠い未来を、まだ幼さが残る少年が心配して土壌改良に取り組んでいる。
頭を殴られたような衝撃だった。
だが、次の一言がもっと頭痛がするものだった。
ラウンドール公爵家の三男を父のようなヘンタイにしないためのに苦言を呈せなんて……。
自分には両親の行動を止められなかったのだ。
ラインハルト殿下を全面的に頼ろう。
あの部屋を見せれば、あの少年を矯正できるかもしれない。




