オーレンハイム卿
学習館での訓練に心が折れそうになるも、帰宅すると赤ちゃんたちに癒される日々を送っていた。
火の神の祠には毎日参拝しているが、他の祠も参拝したいと訴えたところ、天気のいい日は馬車で町を周回して参拝することになった。
そこで気がついたのは、神様は直前に奉納した別の神様より少し多く魔力を持っていこうとするのだ。
だから、中心部にある光と闇の神の祠を除く五大神の祠を参拝すると300ポイント以上確実に魔力を引き抜かれてしまうことになってしまう。
なので、一つの祠に15ポイント程度の魔力奉納にとどめておけたら全部回れると思って、水晶に触れる時間を短くしようとすると、一気に魔力を大量に引き出されたしまい結局70ポイントほど引き出されてしまうのだ。
一周したい野望はなかなか果たされず、お婆とマナさんに相談して、学習館の休みの日に子ども元気薬を使用して体調を崩すまでやってみる許可をとることができた。
父さんが、カイルはやってみるまであきらめないから大人の目の届くうちにやってみよう、ということになったのだ。
王都の学校に進学してから勝手に回って倒れられるよりましという事だろう。
ケインには悪いお手本だからと、別行動で貸本屋に行ってしまった。
今日こそは町を一周したい。
お願いします。
手加減してください!
ここで倒れてしまったら、もう町一周魔力奉納ツアーが実施できなくなってしまいます!!
土の神の祠から参拝を始めた。
土の女神さまはお優しかった。
30ポイントで許してくださった。
これなら残り4つの祠を回っても子ども元気薬は使わなくて済むかもしれない。
予想通り、その後回った、水、風、空、火の祠は1ポイントずつ増えて入ったので合計160ポイントで済んだ。
お婆とマナさんも全部回っても150ポイント前後で済んだ。
「これは、大神の祠を全部回れという事だろうね」
お婆が神様の意図を推測した。
マナさんは何も言わないけど、絶対そうに違いない。
ぼくの初めての魔力奉納は合わせて121ポイントも魔力奉納したのだ。
5つの祠を回って160ポイントでは、あの時より魔力が増えた今のぼくなら、2つの祠にもう少しだけ上乗せして魔力奉納できる。
神様にも序列があるのだろう。
光と闇の神様は少し多めに魔力奉納をしよう。
二つの祠はイシマールさんと出かけたケインと合流する噴水広場の屋台の近くにある。
「七大神全ての祠に奉納できるなんて感激だよ。いいよね」
「「(仕方ない)そうしなくてはいけないね」」
不敬な本音がちらりと聞こえたような気がする。
光の神の祠では64ポイントも魔力奉納させられてしまった。
顔色は悪くないけど念のために子ども元気薬を飲んだ。
闇の神の祠で確実に65ポイント魔力奉納することになるからだ。
結果は予想通りになったのだが、ぼくたちが祠の外に出るとお婆が息をのんだ。
去年貸本屋さんで会ったセバスチャンを従えた、高齢の紳士が立っていたのだ。
この人がオーレンハイム卿か……。
細身で背が高く、金髪の色は抜けてきてはいるが、しわの具合も人生の色どりに変えてしまうようなイケオジだ。
ストーカーっぽいようには見えず、本物のヘンタイの貫録を感じた。
本物のヘンタイだと思ったのは精霊言語で思念を受け取ったからではない。
微かに震えた手をお婆の方に差し出して、ジュンナの姿のお婆に向かってはっきりと言ったのだ。
「ジェニエさん!」
やっぱり本物のヘンタイは見抜いてしまった!
「ちっ。ハルトおじさんではダメだったか」
マナさんが舌打ちした。
お婆が拳を握りしめ顎を引いて、大丈夫だよとでもいうような強い視線をぼくに見せた。
「ジェニエがいつもお世話になっております。私はジェニエの親族のジュンナと申します。高齢のジェニエに代わって、雑用を引き受けております」
オーレンハイム卿は差し出した手を引っ込めると、パンと一回手を打った。
「わかったよ。ジュンナちゃん。そういう設定なんだね。私は君が元気でいてくれたならどんな姿でもよかったんだ。病気が良くなって本当に良かった」
涙ぐんで喜んでいる。
お婆の姿が若返っている事より病気が治ったことに感激しているのが伝わってくる。
この人は思念を送る力が強い。
ストーカーのこの人に同情も、共感もしたくない。
絶対影響されたくない。
ぼくが魔力ボディースーツを強化すると、マナさんの肩が揺れた。
「お待たせしてしまいましたか?」
わざとらしく大きめの声を出したイシマールさんがケインを連れて来た。
「あら、イシマールさん。今すべての大神の祠参りが終わったところです」
「そうですか。お待たせしたかと思いました」
イシマールさんは大げさに今気か付いたかのようにオーレンハイム卿を見て腕を広げた。
「こちらの方はジュンナさんのお知り合いですか?」
上位貴族を前に臆することないイシマールさんに尊敬の念を抱くが、酷い三文芝居だ。
「いいえ、ジェニエお婆のお知り合いです。若かりし頃のお婆に私が似ていたようでお声をかけていただきました」
「私はオーレンハイムと申します。ジェニエさんとは王都の初級魔法学校の同級生でして親しくさせていただいています。貴方は『ゴール砂漠の戦い』の英雄、飛竜騎士のイシマール様ではありませんか」
「これはこれは、大変失礼いたしました。オーレンハイム卿。私は騎士団を引退したただの傷痍騎士です。ゴール砂漠では捕虜寸前の状態でしたから、とても英雄とは言えません」
「いえいえ、大変な戦いだったと伺っております。私たちが安心して暮らせるのも命を懸けて戦う騎士様あってのことです。よろしければ皆さんを私の自宅に招待しますので、一緒に昼食でもいかがですか?」
「いえいえ。とんでもない事でございます。子どもたちはまだ洗礼式前で、行儀見習いにさえ行っておりません。卿のご自宅へなどはとても伺えるような状態ではありません」
ぼくとケインは空気を読んで行儀の悪い子らしく、退屈そうに地面を蹴った。
「では、そこの屋台でご一緒させてくれませんか?ジェニエさんの様子もうかがいたいのです」
高位貴族の申し出は断りにくい。
“……ご主人様。進言いたします。オーレンハイム卿は、ご主人様が帝都に留学される際に後方から支援してくださいます”
「オジサンはぼくたちが食べこぼしても怒らないの?」
バカな子どもっぽいセリフにお婆が驚いた。
「オジサンは子どもが上手に食べられないのは仕方がないことだと思っているよ」
「あちらのお席をご用意いたしました」
セバスチャンはできる執事で、さっさと予約を済ませてしまっていた。
この時は気にしていなかったが、オーレンハイム卿に小さな恩を売ったことで、本当に後々まで、ささやかな支援を受けることになるのだった。
「わしはカイルの実母の親族でちょっとした魔術が使える。ここのテーブルで話していることは決してそばに居る人には聞こえない。読唇術も使えない。言いたいことを言ったらよい」
退役騎士の屋台が参入してからここの屋台の味のレベルが上がった。
大人たちが適当にお婆の説明をしている間、ぼくとケインはお好み焼きや焼き鳥を遠慮なくぱくついていた。
「王都でラインハルト殿下から、ジェニエさんのことはそっとしておいてほしいと窘められたので、なにかとんでもないことが起こったに違いないと思ったんだ。ジェニエさん自身から拒絶されたわけでもないのに、いくらジュエル一家と親交があるとはいえ、殿下から戒められるようなことがあるはずがないからね」
頼んだ人が上位過ぎて訝しがられたのか。
「ジェニエさんは精霊神のご加護を得て病気の全快どころか若返ってしまったなど、とても公表できる事柄ではないから仕方がない。だが、時々以前のように会って話ができないだろうか?」
「若返ってしまったことは、奥様にもお話しないでいただきたいのです。ですが、このような状況では、オーレンハイム卿が若い女に入れあげているような印象を世間に与えてしまいます。お会いする機会を作るのは難しいです」
この人なら、世間体なんかなにも気にしないかもしれない。
ヘンタイストーカー紳士がエロ爺になるだけなんだ。
あらかた食べ終わってしまったぼくは、自分の願望を叶えつつ、オーレンハイム卿がお婆をチラ見できる機会を思いついた。
「食べ終わったら、あっちの子どもたちの踊りに参加してもいいかな?」
ぼくは噴水の前で洗礼式の踊りの練習をしている子どもたちを指さして言った。
「そうね。カイルはもう5才だから練習に参加した方がいいわね」
お婆が護衛の人を目で探すと、マナさんは結界を解いた。
「ぼくも踊りに参加してもいいかな?」
ケインがやや大きめの声で言うと、護衛の人が軽く頷いた。
「二人とも少しだけなら参加してもいいわ。私が手を上げたら戻って来てね」
「「はい」」
ぼくたちはぐるぐる外周を回る踊りの中に混ざっていった。
後はオーレンハイム卿とお婆で、折衷案を決めればいい。
こうして、ぼくたちは初めて町の平民の子どもたちと交流を持つことができたのだった。
ぼくは自宅に近い火と土の神の祠は毎日参拝し、学習館がお休みの日だけ全祠を回り、その後、洗礼式の踊りの輪に加わる事が日課となった。
訓練場では相変わらずしごかれていたが、体力がついたのかそこそこ、こなせるようになった。
思考をダダ流しにするボリスとの対決では、まだ一度も攻撃を食らうことはなかった。
ぼくは全身に身体強化をかけなくても軽くかわして、決めの一打にだけ部分的に身体強化をかけるだけですんだ。
ボリスの兄のオシム君も時々やってきて手合わせをした。
流石にボリス程思考を垂れ流すことがなかったので、身体強化は全身にかけてすれすれでかわすのが精いっぱいになった。
魔力切れでくたばるのを避けるために、せっかくライダーの魔力ボディースーツにしたんだから、バッタの単眼の利点を生かすことにした。
単眼は光感知のみに特化することで視覚情報が瞬時に脳に伝達される。
だから、思念の受信を相手の動きのみに限定することでより早く情報を収集して判断し、正確にかわして反撃することが出来るようになるはずだ。
オシム君が重心を変えて攻撃が左に寄ってくる前に、ぼくの体は反応して、オシム君の剣を右に受け流して、がら空きになった背中に一撃を入れた。
背中の傷は剣士の恥、なんて聞いたことがあるけど、やっぱりオシム君も今の一撃には悔しそうに小さく舌打ちしていた。
「相手の行動の先読みができるようになったな。ボリスが学ぶ前にカイルの方が先に成長していくぞ」
ほめて伸ばすタイプではない老師様に褒めてもらえた。
時間制限のある魔術具の剣では、当たらなければ負けないのでぼくはこの訓練場では負けなしになってしまった。
こうして、訓練場に通う子どもたちは火の神の祠に毎日参拝することが大流行することになった。
噴水広場では成金の子ども扱いだったけど、事実だから気にしなかった。
新しい事業の成功で街の景気も良くなり市民の人たちは概ねぼくたちに親切だった。
そうこうしている間に、マークとビンスが洗礼式を迎え二人とも教会で鐘を鳴らしたので、ぼくはふたりが町の結界に流す微小な魔力を追跡して楽しんだ。
去年のような魔力のゆがみはなく精霊たちが遊んでいる気配もした。
微細にした魔力を結界の魔法陣に乗せて遠くまで確認すると、街道を越えて小さな村々の結界へと続いている。
発酵の神が誕生した際に満たされた結界の魔力がまだ充分にあることがわかった。
この領の人々は平穏にくらしていけるんだ。
オシム君は卒業式のため王都に戻り、入れ違いで次兄のクリス君が帰ってきた。
去年とは一転して成績を上げろというプレッシャーが寮内に充満していて早く帰りたいと言い出せなかったようだ。
不死鳥の貴公子が入学するまで7年もあるのにとブツブツ言っていた。
キャロお嬢様の入学まで3年だということが抜けている。
それだけ今この領での話題は不死鳥の貴公子に偏っているのだろう。
当のキャロお嬢様は話題の主が弟になったことより監視の目がゆるくなったことの方を歓迎している。
お城の試験農場で田植えも、稲刈りもできたと喜んでいた。
ケインが赤ちゃんたちを自慢しているようにキャロお嬢様も弟に果汁をあげたと自慢している。
兄弟仲良く育っていきそうだ。
マナさんがカカシとしてこの町にやってきて1年がたつ頃、マークとビンスが王都に出発した。
雪が降る前に旅立って、早めに入学試験を受けて王都の様子を手紙で知らせてくれることになった。
仲良くなったオシム君が寮にいる間に入寮したいという本音もあったようだ。
オシム君は帝国の学校の入試はメチャメチャ難しかったと手紙に書いてきたが、やはりと言うか、合格していた。
あぶり出しの方法を教えてあるので、手紙で帝国の現状を知ることが出来るようになるだろう。
赤ちゃんたちが高速ハイハイや、つかまり立ちをするような様子を見せるころ、ぼくは一袋のお米を受け取った。
父方の村での試験栽培が成功したのだ。
収穫量はお城の試験農場よりも少なかったが、精霊神の祠から遠く離れたところでもお米の栽培が可能なことが立証された。
今年の収穫は、田んぼの造成を騎士団が担当したので、税とその支払いでお米は村にほとんど残らない。
種もみと、収穫祭と称しておにぎりを振舞ったので、そのおいしさに来年も頑張ってくれるはずだ。
米以外の作物が豊作だったので、村は今年の冬は援助なしに越すことが出来るようだ。
自立ができて良かった。
もらったお米は、ぼくが標準速度で育てたバケツ稲のお米とあわせて釜めしを炊いた。
ぼくたちは遠く離れてしまって親戚の縁を切った。
だけど町に住むぼくはどこかの村で作った作物を口にして育つ。
遠いけれどきっとどこかでつながっているんだ。
おまけ ~価値観の違い~
冬の社交のために王都に行く、というより王太子妃のご懐妊で王国の結界を満たす魔力を補給する人員不足を補うために呼び出された。
ふらふらと遊んでいるように思われているが、私はいつもこき使われている。
社交の場に夫婦で出席すると、妻は顔のシミとしわが消え、私は前髪がふさふさになって若返ったと評判になった。
ジェニエの美容品の王都での取り扱いは、カイルの親族の商会しかない。
入荷量も少ないから高値で売り付けてやればいい。
国の結界の魔力は発酵の神誕生のご利益でしっかりと満たされているので、私の負担は少なくて済んだ。
カイルは人々の願いが創造神に届いた、と言っていたが、発酵の神が誕生した翌日に麹菌を手にしているのだから、カイルが関係しているに違いない。
恐るべき子どもだ。
だが、中身は本当に天真爛漫で考えていることがすぐ顔に出る嘘のつけない子どもだ。
あの笑顔を守るのが大人の仕事だ。
気が重いが、オーレンハイム卿夫婦をお茶会に招いた。
カイルがストーカー貴族と呼ぶヘンタイの真意を探らねばならない。
妻が卿の夫人は若い舞台役者のパトロンになっている言っていた。
妻がその話題で夫人を引き付けている間に、私はオーレンハイム卿に辺境伯領での暮らしは退屈ではないかと尋ねてみた。
「いえいえ。退屈などしていられません。殿下が親しくしているジュエルの母君は、私の初等魔法学校時代の同級生で、初恋の人だったのですよ」
こいつは自分の妻の隣で堂々とそれを言うのか!
「まあ、ジェニエさんのお話ですか。彼女は素晴らしい女性ですね。私は彼女の商品の虜で、夫は彼女の虜なのです」
妻が公認しているのか!!
貴族の結婚は政略結婚がほとんどだが、それでも相手を気遣えば、他の女性に心を奪われているなんて妻に告白すべきではないだろう。
この夫婦はどうなっているのだ。
「ジェニエさんの婚約が決まった時には、私に縋り付いておいおいと泣いたのですよ」
「あら、まあ。その時はあなた方も婚約をしていたでしょう?」
妻よ、よくぞ聞いてくれた!
「ふふふふふ。だからこそ、女の胸の中で泣けるのですよ。この人のジェニエさん狂いは有名でしたもの。ジェニエさんが安全に出かけられるように、本人に隠して護衛まで雇っていたのですよ」
だから、ジェニエがどこに居てもわかっていて、神出鬼没に現れたのか。
「婚約前からそうでしたから、私は承知して婚約をお受けいたしました」
「それを納得して婚約したのですか?」
妻よ、もっとツッコんでくれ。
この夫婦はオカシイぞ。
「ええ。可愛いじゃないですか。初恋の人をいつまでも応援し続けるなんて」
「おうえん……」
「ええ、そうです。この人は、自分の恋は恋と諦めていました。ただ美しいジェニエさんを愛でたり、安全に気を使ったりしていただけです。私とは婚約してからゆっくり愛を育んでいきたい、とプロポーズされました」
「……正直な方ですね」
「ええ。だから、私も正直に告白したのです。私は役者狂いなのです」
似たもの夫婦だったのか!
「夫がジェニエさんに貢ぐように、私も役者に貢ぎます。お互いに予算を知っていますから、何の問題もないのです」
妻ではストッパーにならないのか……。
「そのジェニエさんだが、最近は忙しくて表に出られなくなっている。どうやらお孫さんが生まれるのだが双子のようなのだ。しばらくそっとしておいてもらえないだろうか?」
「まあ。ご懐妊と伺っていたけれど、双子でしたら大変ですね。あなた。春に領に戻っても、しばらくはジェニエさんを追いかけないでくださいね」
一応釘は刺してもらえた。
この程度では、このヘンタイは止まらないだろうな。
「ああ、推し活なかまのようだね。推しの相手が違っても、推しを応援する気持ちは理解できるものだから、夫婦円満だろうね」
オーレンハイム卿を説得できなかった言い訳をしたところ、マナさんの返答が私にはなにも理解できないものだった。




