扉の向こう側
皇后アメリアはワイルド上級精霊を制して扉の前まで歩きだし皇帝の隣に立った。
「子孫たちの全員が幸せに暮らす、というのは難しいのでしょうが、愛する我が子の幸せを願い、我が子の孫の代までの幸せを願うのは当たり前のことです。ですが、それが難しいことくらいわかっています。子どもたちは一人一人性格も能力も違うのです。優しすぎれば人に騙されて財産をすべて失ってしまうことだってあります。人の上に立つ事を嫌がる子だっているでしょう。あなたは同じものを、同じように与えれば子どもたちは幸せになると考えたのでしょうが、浅はかなのです」
皇后アメリアの言葉に、面目ない、と皇帝は項垂れた。
「あなたはもっと、妻以外への愛について思慮深くあるべきだったのです。あなたが子どもたちを愛していなかったのではなく、子どもたちへの愛が当たり前で、そのことにあなたの心が動いていないのです。子どもたちからの愛もそうです。子どもたちがあなたを愛していることを、あなたは当たり前として注目していなかったから、子どもたちの個性が見えなかったのです」
皇帝を責める口調ではなく淡々と語る皇后アメリアは、ふぅ、と一息入れた。
「私があなたに態度を改めるように忠告しなかったのも悪かったのですから、子どもたちの将来が安定しなかった責任が私にもあります」
「其方は末娘の出産と引き換えに命を落としたから、成人後の子どもたちについて責任はない!」
「ありますわ!おおいにあります。あなたを好きにさせていた責任があるのです」
突然始まった夫婦喧嘩の内容が前前世の話なので、まったく理解ができない領主が呆気に取られて首をかしげた。
「帝都で話を聞いた時は、気の毒な子孫をどうにかしなければいけない、と思い強引についてきましたが、現場を見てはっきりしました。あなたも引き籠っている子孫も我儘です。自分がどれほど恵まれているか胸に手を当てて考えてください」
自分が恵まれている、という言葉に、恨み節しかない人生を送ってきた引き籠りの男が過剰に反応したのか暴れて扉を叩いて抗議した。
「あのね、ガンガイル王国出身の料理人が作るカレーパンは人気がありすぎて、帝都の市民たちでも滅多に口にできないのですよ!あなたは扉から出て自分で行列に並んで買わなくても、こうしておやつとして届けてもらえるなんて贅沢ですわ。四肢欠損は言い訳ですよ」
さらに激しく扉を叩いて抗議する男の反応に驚いた皇帝は反論をしようと口を開けたが声が出なかった。
「技術革新はあなたが思う以上に進んでいます。帝国は世界の中心に位置する大国ですが、帝国の技術が最先端なわけではないのですよ。あなたが礼拝室に閉じ籠っているのは、護りの結界を新しく張り直せなかった現領主一族が、旧領主一族から魔力を買うより、教会の研究所の事故で四肢欠損状態になったあなたの身元引受人になったほうが、一々魔力を買うより安直に済むと考えた領主一族の利益と、貴方の親族があなたの傷痍年金を受給することで双方の利益が適った結果だ、ということは私も聞いております」
父親に身売りされたも同然の境遇だったことを皇后アメリアの口から説明されると、自分の悲劇を理解された、と男が感じたのか、礼拝室の物音が弱まった。
「あなたがすべきことは自分の境遇を嘆くのではなく、ここから出て、領主一族が領の護りの結界を維持できず魔力を買っている、と皇帝に直訴すればよかったのです。たとえまともに取り次ぎしてもらえなかったとしても、あなたはガンガイル王国王族の遠縁者なのですから、ガンガイル王国寮で保護してもらえましたよ」
淡々と正論を告げられると扉を叩く音が途絶えた。
「もしかして、自分の家系図をご覧になったことがありませんの?そうでしたら、幸せになるための努力の方向が間違っていましたわ。ガンガイル王国は最北の国ですが、情が厚い国民性です。南方戦線が終結後、傷痍軍人や巻き込まれた市民のために、義手や義足の技術提供を、教会を通して申し出るほどですよ。まあ、その件にもあなたは無言を貫いていますわよね」
皇后アメリアの話を聞き入っているか、礼拝室内での物音が全くしなくなった。
これを好機と判断したワイルド上級精霊が皇帝と皇后アメリアの背後に立つと、二人は頷いて足音を立てずにウィルたちの元に下がった。
ぼくも足音を忍ばせてワイルド上級精霊の横に移動するとアナベルとキュアがぼくたちの上を飛んだ。
予定外の皇后アメリアの登場でだいぶ早い展開になったが、ここから作戦通りに進行できそうだ。
今回の作戦は、ぼくの護衛がワイルド上級精霊で、アナベルの護衛がキュアという贅沢な配置で、扉が開くとアナベルはキュアの透過性の高い兜の中に隠れて、ここぞという時まで体から漏れ出る魔力を封じて一切の気配を出さないことになっている。
兄貴とウィルとイザークは皇帝と皇后アメリアの前に立ち、予定していた配置につくと、女装済みのケインが到着した。
競技会会場から寮に戻りケインのスライムが操作する身代わり人形と入れ替わったところをワイルド上級精霊に転移されたケインは、三人の女装姿に頬を引きつらせたが自分のドレスを見て小さく溜息をついた。
ケインは口元を隠しながら小声で祝詞を唱えると、ケインの詠唱魔法は完璧だ!と小声でイザークが詠唱魔法の補強をした。
ケインの幻影魔法が形を現し、ワイルド上級精霊の隣に皇帝の姿が出現しワイルド上級精霊は皇后アメリアの姿に変身した。
仰天して腰を抜かす領主に、黙れ!と小声でイザークが命じると、領主の呼吸の音さえ小さくなった。
「あなたもすでに差し入れでいくつかの義手の技術を見たでしょう?ガンガイル王国の技術ならあなたの欠損範囲を気にすることなく、まるで自分の手足のような義手や義足を装着できるのですよ」
皇后アメリアに変装したワイルド上級精霊が、アメリアそっくりの声で話の続きを始めたが、違和感は全くなかった。
「現在の領主一族は実質的にこの領の護りの結界を維持していないから、領地返納の処分を受けることになるだろう。新たな領主が就任すれば其方が礼拝室で魔力奉納をする必要もなくなる。其方が礼拝室で魔力奉納をしていた期間の賠償を現領主に請求すれば、当面の間、暮らしには困らない額になるだろう。私が領城を破壊して其方を引きずり出す前に、自分で扉を開けなさい」
皇后アメリア姿のワイルド上級精霊が皇帝そっくりの声で最後通告をすると、礼拝室の中から物音がした。
男が逡巡する時間を待ってもう一度声をかけようと、皇后アメリアの姿のワイルド上級精霊が口を開いた時、ガチャリと鍵が開く音がして、ぼくたちに緊張が走った。
だが、鍵が開いたが扉があくことはなかった。
「扉を開けてもいいかしら?」
ワイルド上級精霊が皇后アメリアの声で尋ねると、礼拝室の中から、コンコン、と物音がした。
「いいのですね?開けますよ」
皇后アメリアの声で再びワイルド上級精霊が尋ねると、ウィルが小声で祝詞を唱え始め、イザークも小声で、ウィルの詠唱魔法は成功する、と囁いた。
コンコン、と礼拝室の中から音がすると、皇后アメリアの姿のワイルド上級精霊が頷いた。
「では、開けますね」
皇后アメリアの姿のワイルド上級精霊がドアノブに手をかけ扉を少し開けると、黒い霧が流れ出たが、見えない壁に押さえつけられるように黒い霧は拡散しないでとどまった。
ウィルの詠唱魔法で扉の前に精霊素のない空間を作り上げ黒い霧の拡散を防いだ。
黒い霧が拡散しないことを確認した皇后アメリアの姿のワイルド上級精霊が扉を大きく開くと、ぼくは光影の盾をドーム状に広げて後方のウィルたちを守ろうとしたところで体が浮く感覚がした。
ワイルド上級精霊の亜空間に招待されたのは、ぼくと女装の四人と魔獣たちと皇帝と皇后アメリアだけでなく、寮で留守番をしていたお婆とジェイ叔父さんと、辺境伯領にいた父さんと母さんと教皇と月白さんと辺境伯領主エドモンドがいた。
「作戦遂行不可能でしたね」
兄貴の言葉に状況が把握できていなかったぼくたちは現場にいなかった面々同様に驚いた。
「精霊素を排除した空間の奥には私の魔法が使えなかったので、男を亜空間に閉じ込めるのは無理だった」
安全を最優先にした作戦は、邪神の欠片の魔法を阻止することに成功したが、ワイルド上級精霊も魔法が使えないことが発覚しただけだった。
「映像で細部を確認してから作戦を練り直しましょうか?」
父さんの言葉にワイルド上級精霊は頷いたが、シロと兄貴が首を傾げた。
「男の姿が強烈すぎて母さんやお婆に見せたくないです」
黒い霧が壁状になっていたので扉の奥はよく見えなかったが、事実上生き物ではない兄貴と精霊たちは確認できたようで、ああそうだな、とワイルド上級精霊が、納得するような惨状だったらしい。
「スクリーンを三つにして、モザイクなしの画面と、形状がほんのりわかる程度のモザイクの画面と、男の姿が完全にわからなくなるモザイクの画面と分けて上映して、各自、自分の耐性に合わせて視聴するのはどうでしょうか?」
ぼくの提案に全員賛成した。
ワイルド上級精霊は三方にスクリーンを出し、それぞれが見たい画面が正面になるように真ん中に三角状に椅子を並べた。
完全にモザイクがかかったスクリーンを選んだのは母さんと皇后エミリアだけだったが、椅子はたくさんあった。
モザイクなしを選んだのは父さんとジェイ叔父さんと教皇と皇帝とキュアだけで、後の全員がマイルドなモザイクの画面を選んだ。
それぞれが席に着くと、厨房に使用人が飛び込んできて皇帝の視察を告げられると厨房の騒ぎになるぼくの視点の映像から始まった。
中庭をのぞき見した際の映像に現れた皇后アメリアとお揃いのドレス姿の三人を見て、よく似合っている、とエドモンドが喜ぶと、女装姿の四人が苦笑した。
エドモンドとアメリアは久しぶりの元婚約者との再会なのに、邪神の欠片を亜空間に閉じ込める作戦の失敗に気を取られ、二人は挨拶も何もなかったが、嫉妬深い皇帝がいるから、これでよかったのだろう。
礼拝室の扉の前での皇后アメリアの乱入に、現場にいなかった面々から、おおおおお!と声が上がった。
「これで、男を誘き出す時間が早まったのですね」
教皇の言葉にぼくたちは頷いた。
「こっちは辺境伯領都の教会に子どもたちが集まれるだけ集まり、急いで水晶で魔力を判定して、七大神の配役を検討していたところです」
月白さんの言葉に父さんと母さんが頷いた。
神学を学ぶ誓約をしていた父さんと母さんは教会関係者として洗礼式の予行演習に立ち会っていたのだ。
画面上ではケインが現場に到着して、皇帝と皇后アメリアが幻影とワイルド上級精霊に入れ変わったところだった。
ワイルド上級精霊が扉を開ける確認を取り、ウィルの詠唱魔法を行なった結果、黒い霧が黒い壁になると、見事だな、と父さんとジェイ叔父さんがウィルを褒めた。
扉が大きく開くとワイルド上級精霊は画面が静止し、黒い霧の色を薄くした。
ギャァァァァ!とそれぞれの画面を見ながら全員が叫んだ。
ぼくが見ていたソフトモザイクの画面でも、大きなソファーベッドのような車椅子に横たわった男の右手と右足からうねうねとした黒い蔦が何本も生えているように見えたのだ。




