本能に訴えろ!
そうこうしていると競技会出場選手たちが帰寮した。
「私たち!完全試合を達成しました!」
笑顔で報告したキャロお嬢様たちを拍手で迎え入れると、ここから談話室は祝賀会ムードになった。
ぼくたちの労いの言葉に礼を言ったキャロお嬢様は遅くなった理由を説明した。
「試合終了の合図がある直前にパネルの色が変わったことを確認できるまで時間がかかったのは、最初に染めたように見えた幻影魔法とは違うことを説明しなくてはならなかったのです」
幻影の魔術具は試合開始当初しか使用していなかったが、その後スライムが染めた時と区別がつきにくかったことが一悶着の理由だった。
「試合は、青チームの選手全員が場外に落ちたことで終了とみなされただけで、パネルの色は染まっていなくても勝ちだったから、試合終了時にパネルが完全に黒く染まっていたかは関係なかったのですが、決まり手は何か?ということで完全試合の証明をする羽目になりました」
ボリスがぼやくと、キャロお嬢様は頷いた。
「完全試合だと青チームも納得していましたけれど、審判団が史上最速の完全試合か選手場外による勝利かで揉めていたのですわ」
実際の試合を再現して、競技台のパネルが黒く染まった映像を流し、スライムたちがパネルを黒く染める作業をもう一度やり直したらしい。
「競技会速報誌の記者も立ち会っていたから、この作戦はもう使えませんわ」
東方連合国合同チームの面々がいるのに種明かしをしたのは、明日には周知の事実になってしまうからだった。
「競技台上に広がる魔力の流れを丁寧に追えば、パネルの上を覆っただけの幻影魔法と実際にパネルを染め上げたスライムたちとの違いに気付くでしょうに」
とっくに見抜いていた、と言うデイジーの感想に、その通りだ、とガンガイル王国留学生チームの選手たちは頷いた。
「明日の第十試合の紫のチームは対戦チームの魔力バランスを考慮した布陣を敷くチームですよね」
ビンスの分析にマリアが頷いた。
「火竜対策に防御の鎧だけでは防ぎきれないことをすでに学習されているでしょうから、ここからが東方連合国合同チームの実力の見せどころですわ」
マリアの発言にデイジーがニヤリと微笑んだ。
マリア一強ではなくデイジーとの二強チームではあるが、小さいオスカー殿下とマテルも魔力量も技術力もなかなかなの物だ。
その上、集まった魔力を均一化して魔法陣に流すことに慣れている寄宿舎生たちのチーム編成だから、明日の対戦相手が秒殺されずにどこまで東方連合国合同チームの実力を引き出せるかに話が移った。
談話室内では和やかに明日の東方連合国合同チームの試合展開に予測に花が咲く中、ぼくはジェイ叔父さんににじり寄った。
「あの、猫の手の魔術具は何だったの?」
ジェイ叔父さんが元研究員の男に贈った魔術具について素朴な疑問を口にしただけだったのに、体が浮く感覚がしてワイルド上級精霊の亜空間に招待されていた。
何気ない一言でこの展開になることは毎度のことなので驚きはしなかったが、招待された面々が、教皇と月白さんや、皇帝まで招待されており、ガンガイル王国から辺境伯領主エドモンドとハルトおじさん、緑の一族からマナさんとマテルと、ぼくたちの家族から父さんとジェイ叔父さんと兄貴とウィルとイザークと魔獣たちと、多彩な面々がいたことに、マテルが顔面蒼白になり、イザークが頭を抱えた。
「人間たちの細かい序列は気にするな。自己紹介はしない。互いの立場と地位など関係なく、自由に意見を言い合ってくれ」
ワイルド上級精霊の発言に教皇も皇帝も頷いた。
「現在地上に存在する邪神の欠片はおそらくただ一つとなった状態で、所持していると思われる男を礼拝室から出す必要がある。ここまでは共通認識だな」
ワイルド上級精霊が確認すると、全員が頷いた。
「皇帝の勅令を無視している状態なので、公権力の圧力は効き目がない」
月白さんの言葉に皇帝が頷いた。
「私の前前世の子孫たちの結界だから、私なら扉を開けることが可能だが、教皇猊下のお考えでは、私が行くと転移魔法で男は逃走してしまうだろう、とのことです」
皇帝の言葉に、アリオの逃走を許した時の事を思い出したぼくたちは頷いた。
「そこでだ。ジュエルとジェイの作戦は有効だろうと踏んで、様子見をしている」
ワイルド上級精霊の言葉に全員の視線が父さんとジェイ叔父さんに集まった。
教皇や皇帝を前に発言するのを躊躇いつつも父さんに目で促されたジェイ叔父さんは、自分が説明するのが適任か、と諦めたように小さく首を振って口を開いた。
「えー、そんな、たいした事ではないのですが、長い間一室に引き籠っていた経験から、食事が美味しくなることで激しく心が凄く揺さぶられることを知っていました」
話の切り口がわかりやすかったので、全員が頷いた。
「ガンガイル王国留学生たちに美味しいものを食べさせてやりたいから、儂が手配したのだ」
「ありがとうございます。お蔭さまで寮生活が充実しています。まあ、それで、食事を通して男と意思疎通ができるようになったので、次は知的好奇心をくすぐってみました。男は四肢欠損の範囲が広く、自分に合う義手義足などあり得ないと考えているでしょうが、高度な義手義足の魔術具の存在を知れば他の物も見たくなるだろうと踏んだのです」
ジェイ叔父さんの説明によると、男に差し入れした魔術具を猫の手にしたのは、関節も滑らかに動く技術を見せつけつつも、扉の外の世界に興味を持たせるために、あえて人間の手にしなかったようだ。
父さんが収納ポーチからいくつかの魔術具を取り出した。
「この粘着性のあるベルトを欠損した部分にあてると、筋肉と神経に反応してこっちの猫の手が動きます。ベルトの魔術具の方の耐久性を低くしてあるので、すぐ壊れるようにしてあります。まるで自分の手のように動く猫の手で遊んだ後に壊れてしまうと、気になって仕方なくなるはずです」
父さんの説明に、それはそうだ、とぼくたちは頷いた。
「この猫の手を男に差し入れして、壊れる前にジェイ君は帝都に戻ったのか!」
「ええ、甥っ子の活躍を見るために帝都に戻ったのですから、競技会の決勝戦が終了するまで男の修理依頼の要請は無視するつもりです」
ジェイ叔父さんの説明に、それはしびれを切らすだろうな、教皇が言うと皇帝も頷いた。
「ジェイ君が不在中に連絡を取る料理人たちは義手と義足の使用者です。自分たちの義手義足がどれ程優れているかを手紙で自慢させていますから、相当やきもきするでしょう。競技会終了後、男が自主的に礼拝所から出てくるように追い打ちをかけていく作戦ですよ」
エドモンドの説明に、なるほどね、と教皇と皇帝が頷いた。
マテルとイザークは小首を傾げ、ぼくとケインは顔を見合わせると、ぼくたちの反応を訝しんだウィルが、どうしたの?と声をかけた。
「男の精神状態がちょっと気になったんだよね」
ぼくの言葉に、マテルとイザークが、そうか、それが気になったのか、と自分たちが納得しなかった理由に思い至った。
「邪神の欠片は負の感情を強く抱かせるから、欠損範囲が広くても使用できる義手や義足への希望より、充実した魔法学校生活を送るジェイさんの甥のケイン君に猛烈に嫉妬して、邪神の欠片に魔力を与えてしまうのではないでしょうか」
人の悪意ばかり聞いて育ったイザークは負の感情に敏感で、ぼくの懸念を的確に推測して指摘した。
魔本で男の日記に目を通していたジェイ叔父さんが、あり得る、と呟くと、見たこともない義手の技術者の甥にそんな嫉妬をするのか!とエドモンドが嘆いた。
「強烈な負の感情に支配される人間は、自分と関係ない物事からも最悪な事を考えてしまうのです。私は教会都市で爆発の魔術具が投擲されることなどないと知っていたのにもかかわらず、閃光や爆発の音に怯えて遁走したことがありました。何度も従者に、もう終わったのだ、と説明されても、条件が揃うと自分の意思とは関係なく遁走してしまうのです」
マテルの告白に和やかな表情だった皇帝の顔面が硬直した。
「ああ、そうじゃったな。恐怖は生存するために必要な感情だが、強烈な恐怖は心を蝕んでしまう。マテルはよく克服したよ」
マナさんはもう克服した過去のことだ、とマテルに声をかけた。
「かつて私は、負の感情、復讐心だけで正気を保っていました。ですが、カイル君と出会って楽しむことを覚えて、心が落ち着いてきました。復讐心は失っていませんが、復讐すべきは邪神の欠片であって、人に対してではなくなりました。負の感情を否定することはできません。必要悪の側面があるからです。男の嫉妬心はどうあっても消えないでしょうから、方向性を変えることで、邪神の欠片が好むような負の感情ではないものにできないでしょうか?」
マテルの言葉の端々にこめかみをぴくぴくさせていた皇帝は深い溜息をついて項垂れた。
「ああ、私の悪い面が子孫に受け継がれてしまったことを実感しています」
現世では前世で結ばれなかった嫁に執着しすぎて戦争を勃発させてなお、あらゆるものに嫉妬し、前世では神学校に進学するしか選択肢がなかった状況を嘆いて邪神の欠片の研究に没頭した皇帝は、前前世の子孫があらゆる物事に嫉妬深く、邪神の欠片に執着している事態を深く嘆いた。
「邪神の欠片がそういった感情を引き寄せるのだから、仕方ないことです。後悔してもどうしようもないことに時間を割くより、男が邪神の欠片の力を増幅させないために、嫉妬より好奇心を満たすような手を打つことの方が重要です」
皇帝の嘆きに耳を傾けている暇はない、とぼくがきっぱり言うと、月白さんはケタケタと笑った。
「猫の手の魔術具よりもう少し人の手に近い物を差し入れしますか?」
父さんの提案にエドモンドが頷いた。
「それもいいが、そろそろ温かい饂飩かラーメンを出さないかい?スープたっぷりの麺類をカトラリーで食べるのは技術がいるだろう?どんぶりを抱えて箸で啜るラーメンのうまさを手紙で熱弁して、両手がある状態の希望を前面に押し出すのはどうだろう?」
エドモンドの突拍子もない提案にウィルが乗り気になった。
「おっちゃんのラーメンは出来立てが最高ですから、引き籠っていては味わうことができないと強調してみたらどうでしょう?まずは、釜揚げ饂飩でふんわりとした麺の食感の美味しさを堪能させ、その次に水で〆た麺の腰のある饂飩を食べさせる。そうして麺の違いを楽しむ美味しさを理解させ、細麺豚骨ラーメンは出来立てが一番美味しいから、個室に届けるのは料理の神への冒涜になる、と語れば、部屋から出なければ食べられない究極な料理として脳裏にこびりつきませんか?」
ウィルの提案に夕食前だったぼくたちのお腹がグーと鳴った。
「食欲の本能に訴えかけるのか。面白そうだな」
ワイルド上級精霊の一言で、競技会開催期間中の元研究員の男への対応策が、義手のチラ見せを継続しながら猛烈にラーメンに憧れを持たせることに決まった。




