それぞれの思惑
予選会に出場しないので大聖堂島に残っていたマリアがキャロお嬢様の猫のぬいぐるみを食い入るように見つめた。
「弟のジョージや、従弟のヘルムートの洗礼式の練習に使いたいですわ」
辺境伯領のお泊り会で洗礼式の踊りの練習を体験したが、それだけで七大神役の全ての振り付けを覚えられるわけもなく、一番おぼえているのは責任のあまりない集団で踊る眷属神の振り付けだけらしく残念な子たちだ、とマリアはこぼした。
洗礼式の踊りに馴染みのないノア先生や助手は、一泊二日のお泊り会で覚えられるものじゃない、と二人の王子に同情した。
この話に興味を示したのは、飛行魔法学の面々だけでなく、グライダーの魔術具の練習を見ていた治安警察隊員たちや露店主たちも同様だった。
最近ようやく子どもが生まれるようになった教会都市では子どもに関する祝い事に興味津々な様子で聞き入り、まだ洗礼式をするまで数年かかるというのに、もう購入したい、と希望者が続出した。
「教会都市で本当の洗礼式ができるようになるまで、ぬいぐるみたちに踊らせて教会行事として洗礼式を復活させてほしいのです」
他の町では当たり前にある神事が長年行われておらず、古来の方式の洗礼式の話を聞くと教会都市での復活を願う思いは、毎日の定時礼拝で大聖堂島から精霊たちが広がっていく様子を目の当たりにしている市民たちにとって切実だった。
形だけでも洗礼式の踊りができるように本格的に踊れるぬいぐるみと、年頃の子どもがいる巡礼者たちに向けたお土産用の商品として商機を見出す露店主たちの要望を聞き、ただグルグル回る玩具程度のものと分けて製作することにした。
お土産用は帝都の商会に製作を委託してしまえば何とかなる、と大量受注の対応に悩むミーアに声をかけた。
自分たちが発案した品を自分たちで完璧に作りたい気持ちもわかるが、競技会に参加するのでしょう?とキャロお嬢さまに突っ込まれるとミーアも妥協案に納得した。
飛行の魔術具も量産型ができるのでしょうか?と飛行訓練をするグライダーの魔術具を地上から見守っていた治安警察隊員たちから声が上がると、オレールとノア先生は顔を見合わせた。
「今、飛んでいる型のグライダーの魔術具より、ノア先生と共同研究する新型の方に力を入れたいですね」
「教会都市で使用するグライダーの魔術具は、スライムたちが飛んでいるタイルの新素材を活用した方が少ない魔力消費で飛行できることが見込まれます」
教会都市専用の飛行魔術具か!と治安警察隊員たちは晴れやかな笑顔になった。
ジャミーラ領から帰還するスライムたちの気配を感じ視力強化で目視すると、イザークのスライムが同乗している訓練中のグライダーの魔術具はスライムたちを迎えに行くために大きく旋回した。
「予想到着時刻より速いですね」
「競争して帰ってきたのでしょう」
新記録樹立を目指したのか三匹のスライムたちはノア先生の予想を大幅に上回る高速飛行で大聖堂島に帰還した。
「急いで帰ってきても、今日は魔猿の村でしたような競技会の生中継はしないのですよ」
お婆がボソッと呟いたように、今日の東方連合国合同チームの予選は帝都で留守番しているみぃちゃんとみゃぁちゃんのスライムたちが録画して大聖堂島までタイルに乗って飛行してくる予定だから、まだ早いのだ。
場合によっては夕方礼拝より遅くなるかもしれないと危惧していたが、二匹が近づいてくる気配がしたので、もうすぐ到着です、とノア先生に促し、待ち合わせ場所の噴水広場に移動した。
「私はスライムと会話ができないけれど、東方連合国合同チームが勝利したに違いないだろう、とわかるよ」
みぃちゃんとみゃぁちゃんのスライムたちは噴水広場の上空でクルクルと踊るように下降を始めたので、勝利を祝う舞だとノア先生も気づいたようだ。
着陸した二匹のスライムが二本の触手を広げてマリアに向かって拍手をすると、マリアは安堵したように頷いた。
「上映会まで結果は聞かないつもりだったんだけど、まあ、仕方ないね」
速報を知りたい面々が首を伸ばして見上げていたのだから、結果を早く知らせたいスライムたちが舞い上がるのは仕方がない。
みぃちゃんとみゃぁちゃんに、鉄面皮を身につけろ、と忠告されたスライムたちをぼくとケインが、おいおいでいいよ、とご褒美魔力を与えて労った。
夕方礼拝を終えてから上映会になるのでぼくたちは準備のために宿に戻った。
夕方礼拝を終えて夕食の席でスクリーンに変身したみぃちゃんとみゃぁちゃんのスライムたちによるマルチスクリーンで観戦すると、二体がこんなに早く大聖堂島に到着した理由がわかった。
「……秒殺でしたね」
ノア先生の言葉通り試合開始の合図と同時に敵陣地にむかってデイジーが刺股を振りかざすと、電撃が敵陣に打ち放たれ、敵の防御の土壁が構築される最中に小さいオスカー殿下が風魔法で足元だけ阻害し、土壁の下を走った電撃をほどよい加減で風で包み、ちょっとビリビリする程度の弱まった電撃に感電した選手たち全員を競技台から押し流した。
試合開始から十数秒程度で東方連合国合同チームは勝利してしまったのだ。
「すっかり真似されてしまいましたね」
ジェイ叔父さんの言葉に、すみません、とマリアが頭を下げた。
マリアの火竜対策に制作した魔術具をカテリーナ妃の火竜に使用してしまったため、小さいオスカー殿下に応用されてしまった。
「いやいや、これが競技会の醍醐味ですよ。事前に情報収集して分析することから勝負は始まっています。予選の初戦でここまでの大技を披露するということは、次の対戦相手への威嚇とガンガイル王国留学生チームにこの手法は攻略済みだと宣言したようで、いい作戦です」
シモンの言葉にノア先生と助手が頷いた。
「いやはや、次の対戦相手に戦意喪失させる手段としても有効で、ガンガイル王国留学生チームへの宣戦布告のような感じがしていいですね」
「ほど良く焦がすかのように魔法の効果を残すなんて、小さいオスカー殿下もなかなかやりますね」
ほど良く焦がす、という助手の表現がツボにはまったぼくたちはゲラゲラと笑った。
昨年度最優秀選手に選出された小さいオスカー殿下は他のチームからたくさんの勧誘を受けたが、どのチームにも、かつて殿下に嫌がらせをした人物がいて、とてもじゃないが参加できない状態だったらしい。
報復として丸焼きにしてもおかしくないのに、デイジーの魔法を調節してほど良く焦がす程度で済むように調節するなんてなかなかの人格者になったと思う。
「ガンガイル王国留学生チームと予選の山が別だったので、まあ、勝てるだろうということで本戦まで出番がないことしか聞いていませんでした」
あっけなく終わった試合に、出番がないとはこういうことだったのか、とマリアが納得すると、ガンガイル王国留学生チーム以外に負ける気がしない、と宣言したも同然だったが、あまりに他のチームと実力の差がありすぎる現実に、ぼくたちも頷いた。
「この試合をジャミーラ領の人たちに見せたかったな。あそこの人たちはまだ、小さいオスカー殿下が皇子として忖度されたから最優秀選手に選ばれたと思っている節があるんだよね」
ウィルの言葉にオーレンハイム卿も頷いた。
「自分たちも忖度するし、忖度される立場だから、なかなか事実が飲み込めないのだろう。まあ、この試合は小さいオスカー殿下の機敏さが遺憾なく発揮されているけれど、圧倒的に短すぎる。予選の試合をまとめたものを見せた方が一度で理解させられるだろう」
ジャミーラ領を相手にするのはおいおいでいい、というオーレンハイム卿にオーレンハイム卿夫人が頷いた。
「そうですわ!ダグ老師とドーラさんのぬいぐるみを比較する時に上映会をしたら、二人の結果に一喜一憂するより、競技会に夢中になりそうですわね」
オーレンハイム卿夫人の言葉に、それはいい!とノア先生と水竜のお爺ちゃんが喜んだ。
あまりに短い試合についての感想はそこまでとなり、今日のスライムの検証結果を話し合って夕食を終えた。
飛行魔法学講座の面々は大聖堂島を拠点として研究する班と、魔法学校で検証結果を解析する班と分かれ、競技会の予選を熟す選手たちを魔法学校に送迎するために魔法の絨毯が往復することに、教会都市の人たちは慣れていった。
慌ただしいぼくたちの行動から、教会都市の市民にも帝都の魔法学校の競技会のことが知られるようになり、競技会速報誌が教会都市でも販売されると、商会の人たちを経由して帝都のブックメーカーで賭けに興じる市民も出始めたらしい。
休日で全員集合した飛行魔法学講座と共同研究の三人と、グライダーの魔術具用に制作した素材で模型飛行機を作り噴水広場で飛行実験をしていたぼくたちは、競技会も頑張ってね、と通りすがりの人たちに声をかけられて、愛想笑いをした。
ぼくたちが何かを飛ばしているのはすでに日常の光景でほとんど気にならないが、競技会速報誌で活躍した面々がこの場にいることの方が気になるのだろうか。
「ここにきて、光と闇の貴公子が参加しないガンガイル王国留学生チームから東方連合国合同チームの優勝予想が賭けの一番人気に躍り出ましたね。初戦の全員退場最短記録を更新した試合で、王族が多い東方連合国合同チームの魔力量が全チームの中で最多だろう、という見方になったようです」
シモンの分析に、まあそう見えるよね、とノア先生が笑った。
「小さいオスカー殿下にデイジー姫に、隠し玉のように予選に出場していないマリア姫の代わりに出場しているマテルも王族出身だし、アーロンだって王族だ」
魔法学校に通いつつドルジさんの新領地にも週末ごとに帰っているマテルを、帝都留学の記念に、とデイジーが勧誘し、予選会だけマリアと入れ替わりで参加しているマテルも順当に活躍していた。
「ガンガイル王国は王国と言いつつ連合国のようなものなので、国を代表して選別された留学生たちは、ちょっとした小国の王族クラスの魔力量の生徒たちが多いですよね」
助手の言葉にマリアが頷いた。
「エントーレ公爵領はキリシア公国よりずっと広い領地ですからウィル君が王族同然なのはもちろんですが、ケイン君もボリス君もなかなかの魔力量だと思いますわ」
「あのですね、カイルの幼馴染でいると、幼いころから魔力の基準が、いや、学力面でもそうなんですが、そのくらいできて当然、というレベルが高いのです。で、できない自分に劣等感を持ちそうになると、みんなで寄ってたかって励まして助言をしてくれます。お蔭で、自分もこうしておバカのボリスを脱却できました」
「その環境がそのまま帝都のガンガイル王国寮で続いているから、全員物凄く優秀になるんですよね」
ボリスの言葉に、羨ましいな、とイザークがぼやいた。
“……学年末に優秀者には高級チョコレート詰め合わせが贈られるから、頑張っているんじゃないのかい?”
水竜のお爺ちゃんの突っ込みに、羨ましい!生まれる土地を間違えたようです!とデイジーが冗談を言った。
デイジーがマテルを庇護するのはドルジさんの新領地で陰の王族のように土地を護っているマテルの精神状態を安定させて土地を豊かにし、カカオ豆が増産できるように、と願っているからなのかもしれない。
ぼくの考えを肯定するように兄貴とシロが頷いた。




