掴んだ風
“……儂はこの森を守っているからカイルのために働くことなんかできないよ”
パンダはいじけたように指で地面をほじくり返したが、そんな可愛らしい仕草にもお婆は引っ掛からなかた。
「働く、ということは、どこにいてもできるのですよ。この森を綺麗にしておくことがパンダさんの仕事なら、それでいいじゃないですか。白砂をよそ者に渡さないように森を守ることだって立派にカイルの役に立っていますよ」
お婆の言葉に、それならやっている、とパンダが晴れやかな笑顔になると、小さいオスカー殿下が首を横に振った。
「部外者の森への侵入を阻止しているのはオオスズメバチだよ」
事実を指摘されたパンダはチェッと舌打ちをした。
お婆が行儀の悪い子を見る目でパンダを見ると、気まずそうにパンダは俯いた。
“……儂は、そうだな。何をしたらいいんだろう?”
空を見上げて首を傾げたパンダは何か思いついたのか、にやっと笑ってぼくを見た。
“……踊りを覚えよう!洗礼式とやらで儂も踊れば教会が光って魔力が世界中に拡散するから、カイルも喜ぶだろう?”
名案だろう、とパンダが胸を張ったが、残念!とぼくたちは声を揃えた。
「パンダの魔力が世界中に拡散するのは嬉しいけれど、洗礼式の主役は子どもたちなんだ。それぞれの神の役の魔力量のバランスが取れていないと一緒に踊った子どもたちが魔力枯渇を起こしてしまうから、やめておいた方がいいよ」
パンダが参加することで踊り手の総魔力量が増加してしまうと、増えた比率で割り当てられた七大神の神の役の子どもたちが魔力奉納をして大惨事が起こってしまうことは、太陽柱の映像を確認しなくてもわかりきっている。
オーレンハイム卿夫人はパンダが踊ると聞いて目を輝かせたが、洗礼式の主役である子どもたちに悪い影響があると聞くなりガックリと項垂れた。
「踊り手の魔力量のバランスが取れていればいいのだったら魔石に魔力を込めた人形でも置いておけば、バランスだけなら取れるんじゃないかい?」
妻の嘆きを放っておけないオーレンハイム卿はパンダが抱きしめているパンダのぬいぐるみに目をやって言うと、心当たりのあるぼくたちは顔を見合わせた。
もうそんな人形があるのか!とオーレンハイム卿夫妻とパンダに突っ込まれると、キャロお嬢様は収納ポーチからB級魔術具愛好倶楽部で製作している洗礼式の踊りを再現する猫のぬいぐるみを取り出した。
小さい!と小馬鹿にしたように自分のぬいぐるみと見比べたパンダは、その小さなぬいぐるみがほぼほぼ完ぺきな洗礼式の踊りをすると食い入るように見つめた。
「まだ、試作品なのでみぃちゃんとみゃぁちゃんとスライムたちのような滑らかな動きができないのですが、かなり良く再現されているでしょう?」
キャロお嬢様の言葉にパンダはコクンと頷いた。
“……まだ振り付けさえ覚えていない儂はこの人形から踊りを学べるよ”
パンダは喜んだが、立体作品に造詣が深いオーレンハイム卿がぬいぐるみを手に取り矯めつ眇めつ眺めると、B級魔術具愛好倶楽部の面々はオーレンハイム卿の評価が気になり背筋がピンとなった。
「よくできているよ。猫の筋肉と骨格を意識した造形で、生き物としての美しさを表現できている。問題の滑らかさについては……みぃちゃんとみゃぁちゃんを普通の猫だと思わないことで解決するだろう」
オーレンハイム卿の言葉にぼくたち全員がみぃちゃんとみゃぁちゃんを凝視した。
「本物のみぃちゃんとみゃぁちゃんは躍動感を高めるために細部があり得ないほどしなっている」
オーレンハイム卿の言葉に合わせてポーズを決めたみぃちゃんとみゃぁちゃんは得意気な表情をした。
「みぃちゃんとみゃぁちゃんが踊りながら部分的に身体強化をかけていることをみんなも気付いているからよく工夫をしてあるよ。それ以上に二匹は凄くて、身体強化で関節の形まで変えているからあの滑らかな動きができるんだよ」
オーレンハイム卿の解説に当のみぃちゃんとみゃぁちゃんは自分たちがそんなことをしているなんて気づいていなかったように驚いて互いの顔を見合わせた。
オーレンハイム卿に促された二匹が光と闇の神役で洗礼式の踊りをするとオーレンハイム卿が逐一、どこの関節を広げてどう可動域が広がっているのかを解説した。
「ぬいぐるみの骨格に部分的に可動域を広げる魔法陣を施すことで、みぃちゃんとみゃぁちゃんの踊りを完璧に再現することができそうですね!」
鼻息を荒くしたキャロお嬢様にオーレンハイム卿は頷いた。
こうして、スライムたちが到着するまでの待ち時間にオーレンハイム卿の指導のもと、B級魔術具愛好会で製作していたぬいぐるみの魔術具が魔改造をされた。
自分のぬいぐるみを抱いて羨ましそうにその様子を眺めていたパンダに、自分の分も欲しかったら抜け毛を集めておいてね、というとパンダは森の奥に引き返し、ため込んでいた自分の抜け毛を持ってきた。
用意の良いパンダにお婆は微笑むと、パンダを清掃魔法で丸洗いしてからさらに抜け毛を集めた。
「小さい方がたくさん作れるからいいでしょう?」
お婆とオーレンハイム卿夫人がパンダの分も製作する、と言うと、満面の笑みになったパンダは頷いた。
ぼくたちがぬいぐるみ作りに夢中になっている様子をドーラさんとダグ老師が感心して見入った。
「優秀な魔法学校生たちだと知っていましたが。すぐに課題解決に向けて動くからこうも技術が向上するのですね。ジャミーラに籠っていては若者の知的好奇心が停滞してしまうか」
「若くなくても、外に出ることはいいことですよ。私はこの年で学び直しをしています。だからこそ、森の奥でパンダのためにぬいぐるみを作るなんて経験ができるのです」
ダグ老師の発言にオーレンハイム卿が笑った。
領主を引退してから好きな場所に暮らし、好きな仕事をぼちぼちこなしながら魔法学校に再入学する楽しさをオーレンハイム卿が老師に語った。
「家督を息子に譲るために早々に息子を鍛えて隠居後の生活を楽しむなんて、羨ましい限りです」
「貴族として生まれてきた責任として死ぬまで領に尽くす所存は失っていませんよ。何かあればいつでも息子を助けに行きます。ダグ老師殿のように生涯現役は素晴らしいことです。仕事の神髄を極め続ける姿を継承していくのは立派なことです。ですが、生きているのですから誰にでも死は必ず訪れます。私たちの方針は、老夫婦の魔力を当てにして領地経営をしていては不測の事態に対応できないから、まず息子たちを独立させることを優先したのです」
オーレンハイム卿の言葉にダグ老師はドーラさんを見て頷いた。
「ええ、そうですね。今、私に何かあればすべての責任がドーラ一人にのしかかってしまうでしょう。私の足腰がしっかりしているうちにドーラに譲るべきところは譲って……」
「ちょっと待ってください!私が帝都の魔法学校で魔獣使役師の資格を取得するまで引退しないでくださいね!」
まだ継ぎたくない!とドーラさんが口を挟むとオーレンハイム卿は笑った。
「ダグ老師殿は生涯現役が性に合っている方です。実務だけドーラさんが担当して、老師殿は城の杜だけでなくジャミーラ領全域、いや、世界とジャミーラ領と城の杜のバランスに目を光らせることができるように、見聞を広げる外出の機会が増えるだけですよ」
ケタケタと笑いながらオーレンハイム卿が言うと、だったら尚更、先に私を帝都に行かせてください!とドーラさんは訴えた。
「ダグ老師がうちのお祖父様のようになるのでしたら、ドーラさんは自由が利くうちに世界を回ってみるべきですわ」
次期領主に実務を押し付けてどこにでも顔を出す辺境伯領主エドモンドを思い出してぼくたちは笑った。
「なるほど、ジャミーラで暮らしていく魔法を学ぶだけなら、あえて帝都の魔法学校に入学させる必要などない、と考えていました。地方貴族が帝都の魔法学校へ通うなんて中央に対する見栄でしかない、との考えだったのですが、責任のある仕事を任される前の時間がある時期に見聞を広める意義があったのですね」
ダグ老師は、帝都に行きたがっていたドーラさんに反対したことを後悔するように視線をドーラさんに向けた。
「風が吹いて世界が動いたからそう思うのです。ドーラさんが帝都の魔法学校に進学していたら、取るに足らない領地なのに皇妃を輩出した、というだけで、えげつない嫌がらせを受けてもしかしたら命を落としていたかもしれません」
小さいオスカー殿下の言葉にオーレンハイム卿は頷いた。
「ガンガイル王国だって長い間、建国以来無敗の国家なのに帝都では北の蛮族扱いでしたね」
オーレンハイム卿の言葉に、ちょっと前までガンガイル王国を侮る風潮があったダグ老師とドーラさんは苦笑した。
志を高く持つだけでは陰湿だった帝都の空気に飲まれて荒んでしまっただろう。
時流が動いた証のようにスライムたちが流されてくる気配がした。
「ああ、ジャミーラ領にいい風を掴んで引き込んだ小さいオスカー殿下が、次の風を呼んできましたよ。今回の検証でスライムたちが乗るタイルの素材は大岩から離れた場所の森から採取したのもです。この風は皆さんで掴んだものです」
空を見上げたぼくの言葉に、全員が視力強化をかけてスライムたちのタイルを探した。
「ああ、本当だ!大聖堂島からの風は何と清々しいのだろう!」
目を細めて近づいてくる三体のスライムを見つめるダグ老師の瞳に涙が光った。
「森のあちこちに白砂の交じった地層があることが確認されました。この地は大聖堂島へ向かう拠点となること間違いなしなのです!」
大岩の上空で触手を振る三体のスライムに向かって両手を振りながらドーラさんが言うと、そうですね、とぼくたちは頷いた。
世界中に魔力が行き渡り、農作物や産業が活性化すると、大聖堂島に奉納をする物資が増えるだけでなく、人々が豊かな暮らしができるようになれば聖地巡礼も盛んになるだろう。
ジャミーラが大聖堂島への物流の拠点となり、聖地巡礼の巡礼者たちの宿場町になるはずだ。
大岩の上に着陸した三体のスライムたちを拍手で出迎えたぼくたちは、明るい未来を想像して、誰もが笑顔だった。




