賢君とスライムたち
フカフカのベッドでぐっすり眠り込んだぼくは明け方まで目を覚まさなかった。
早朝礼拝のために夜明け前に目覚めるのが習慣になっていたので目を覚ますと、ぼくのスライムもぼくの頭の横でしっかり休んでいた。
邪神の欠片が世界中にばらまかれているのにゆっくり寝ていて良かったのだろうか?という後ろめたさはあったが、よく寝たことで朝の冷たい空気が気持ちよく感じられ体も心も充実していた。
身支度をして部屋を出るとみんなも身支度を終えていた。
アルベルト殿下はぼくたちが祠巡りの後に教会に早朝礼拝に行くことを見越して案内役を手配してくれていた。
「みなさんに街を案内する役は競争率が高かったのですよ」
そう言った案内役は去年お嬢様と十人の僕ごっこをしたときの国境警備兵の一人だった。
「ガンガイル王国留学生一行の皆さんがドグール王国に立ち寄られてから、この国は変わりました」
上位貴族は帝国留学を経験しており鎖国の意識はなかったのだが、地理的条件の厳しさから王太子妃の出身国であるキリシア公国以外、国民全般的に外国に興味がほどんどなかったところを、ぼくたちがアリスの馬車を爆走させたり、アルベルト殿下の離宮を魔改造したり、馬車を飛行させて山越えをしたりしたせいで、貴族ばかりではなく目撃した市民たちもガンガイル王国に憧れているらしい。
ガンガイル王国の事ばかり話した案内役は小さいオスカー殿下に視線を向けて気まずそうに俯くと、小さいオスカー殿下は笑い飛ばした。
「私は帝国皇子だけど、ガンガイル王国に憧れて留学生たちと同じ講座を受講できるように日夜努力していますよ」
「私も帝国留学の経験があります。皆さんと同世代だったならよかったのに」
嘆く案内役に、こっちの倍率も凄く高いですよ、とノア先生と助手が苦笑した。
夜明け前の澄んだ空に地上の熱が放射されて息が白くなるほど冷え込んだ早朝にもかかわらず、薄明の時間から祠巡りをする市民たちがいることに、信心深いですね、と小さいオスカー殿下が感心した。
「田舎で素朴だからでしょうかね。皆さんが再び空路でいらっしゃったことで、神々に祈りを捧げて魔力を増やせば飛べる、と信じている市民が少なからずいるんです。単純でしょう?」
案内役の説明にノア先生は吹き出した。
「いや、これまた、失敬。魔力を増やせば飛べる、というのは元来の飛行魔法学で言われてきたことなので、あながち間違いではないのですよ。ですが、人間が飛ぶためには相当な魔力が必要なので、歩いた方が早いという現実をまず受講生に説明することを最初の授業でおこないます。例年の受講生たちは魔法学校でもエリート意識のある受講生ばかりなので、鼻っ柱を折る所から始めます。ですが、まあ、今年が別格なのです」
エリート意識のある受講生、という言葉に案内役も、自分も驕った学生でした、と白状した。
「そういうお年頃ですよ。上級魔法学校に進学するだけでエリートであることは間違いないのです。ですが、飛行魔法というものは他の魔法の比じゃないくらい物凄く魔力を消費するのです」
颯爽と走っているのに息を切らさず話すノア先生を、鍛えていらっしゃる、と案内役は尊敬のまなざしで見た。
「祠巡りの魔力向上は立証されています。魔力の増強方法なんて一族秘伝で、青少年の健全な成長を妨げるようなものが貴族社会でまことしやかに受け継がれているのですが、大概、成長に使用されるべき栄養を魔力増強にあてがってしまい、良くて低身長に落ち着くこともあれば、運悪く夭折してしまうこともあるので、私としては推奨したくない考え方でした。どころが、ガンガイル王国の留学生たちは、祠巡りで魔力を増加する論文をあっさり公開して、翌年には本当に成人済みの平民を魔法学校入学基準にまで上げてしまい、入学許可を取り付けてしまいました」
ココ、ヴィヴィ、ネネ、の三人娘を例に出してノア先生が説明をすると、それは凄い!と案内役が聞き入った。
ぼくの脳裏に魔力量は成人並みにあるのに見た目が中級魔法学校生として通用するガンガイル王国のスパイ留学生ロブが、どうせ若くして死ぬんだし、と自暴自棄な考え方を持っていることを危惧してたことを思いだした。
“……ご主人様。ロブの一族はあんまり褒められた方法ではない手段を用いて子孫の魔力が増えるような呪いをしています”
シロの解説が聞こえなかったはずなのに、呪いに詳しいラウンドール家の三男のウィルはノア先生の話を聞いて表情筋に身体強化をかけた気配がした。
“……ロブの未来は複数あるけれど、本人が死ぬ死ぬと思っている27歳で死ぬ運命は、今のところ回避できそうだよ”
兄貴の精霊言語にシロも頷いた。
“……どんな強力な呪いでも、神々からのご加護が重なれば本人が気付かないうちに呪いなんて解除されてしまうんだろうね”
小さいオスカー殿下を見遣った兄貴の精霊言語にぼくとケインは頷いた。
“……絶対的な未来なんてない。ロブの未来は留学の旅が始まった時には、呪いのせいか27歳以降の未来は全くなかったんだ。だけど今、ロブの葬儀をぼくたちが参列する未来は、ずっと先になっている。……そうなんだ。だから、アリオがもたらす混乱の世界が太陽柱の中にあるけれど、ぼくやシロが見つけられない予兆に、焦らないことにしたんだ”
兄貴の言葉に、こんな状況下なのにぐっすり眠れた一因を理解した。
“……ごめんね、カイル。ぼくは先が見えるから、ついついいつも焦っていた。この先も家族全員が安心して暮らせる世界にしなければいけない、と思い込んでいた。ぼくやシロが焦るとカイルやケインが気を張ってしまうのに、昨日、上級精霊の言葉を聞くまで、ぼくはそんなことを全く気にしていなかった”
人間ならざる存在となって太陽柱の映像を見ることができるようになった兄貴は、家族のために最善の未来を探そうとして、ずっと気を張っていたのだろう。
“……人任せにできるところは任せてしまえばいいんだ。父さんも母さんもハルトおじさんもみんな頑張ってくれているよ”
兄貴が気楽になったのは、早朝礼拝が終われば辺境伯領からドグール王国に向けて飛行検証を開始するハルトおじさんたちがきっと朗報を持ってくるからだろう。
ぼくの推測に兄貴とシロが頷いた。
頼りになる家族がいることに胸がじんわりと熱くなり、今どれだけ幸せなのかをしみじみと実感する。
同じことを考えたのか、ケインはぼくと顔を見合わせてくすっと笑うと、この幸福感を分かち合うかのように頷いた。
「うわ!また兄弟間で何かわかり合っている!何かあったの?」
ウィルがぼくとケインの間に割り込んだ。
「いい一日になりそうな予感がしただけだよ。ほら、急がないと日が昇る!早朝礼拝に間に合わないよ」
ぼくとケインが足を速めると、若いっていいね、と後方からノア先生のぼやきが聞こえた。
教会の礼拝所で参加した早朝礼拝では商家の大旦那のような格好の男性が後方で一緒に礼拝したのだが、入退場する司祭の態度があからさま過ぎて男性が高貴な人物であることが一目瞭然だった。
「みなさんにお会いしたくて司祭に無理を言って早朝礼拝に参加させていただきました」
教会関係者たちが下がった礼拝所で男性がぼくたちに声をかけた。
国王陛下!とノア先生の口が動きかけると、男性は小さく手をあげてノア先生の口を封じた。
「爺の早朝の散歩に付き合ってください」
自らを爺と名のった国王にノア先生の顔面が引きつった。
行きましょうか、と案内役は教会の中庭に出るようにぼくたちを促した。
帝国留学の経験のあるエリート軍人が案内役だったのは国王陛下との遭遇を設定するためだったのだろう。
「これほどお世話になりながら、隣国との境界の問題で、皆さんを王宮にご招待できないことを詫びさせてほしい」
と国王陛下の言葉に、いえいえ、ノア先生が恐縮した。
「第七皇子殿下をこの境界争いに巻き込みたくないのです」
「いえ、私は巻き込まれても自力で脱出します。ジャミーラ領が大岩の発着地であることが立証されたので、かつての派閥の残党たちに干渉されない力をつけなければならなくなりました。父上や兄上がどうお考えになるのかはわかりませんが、大岩の発着場は大聖堂島への物流を神々から託された地なので、教会都市のようにある程度、独立性を保つべきです」
小さいオスカー殿下の言葉に、国王はハッとした表情になった。
「本当に殿下は、山頂の大岩の発着場を帝国領土だ、と主張なさらないおつもりなのですね」
「帝国の護りの結界は山脈の麓の沢までしかないのは事実です。護りもしていない土地を国土と呼ぶのはおかしいです。まあ、そこを理解していない領主がいたようでご迷惑をおかけしました」
小さいオスカー殿下の発言に案内役も国王陛下の護衛と思しき軍人も背筋を膠着させた。
「アルベルトが言ったとおりの人物ですね。冷静に現実的な判断をされるのですね。我が国では、帝国の農民に少しばかり国境沿いの沢を越境することは黙認していました。森の恵みを神々に感謝するなら独占せずに人々に分け与えるべきですからね」
帝国側の近隣の農民たちが自分たちで食べる分くらいの量を森で採取することを国境警備兵たちは咎めていなかったのだろう。
「昨日の一件で、それを黙認することができなくなったのですね。自業自得の結末ですが……暮らしていけないでしょうね」
小さいオスカー殿下が語尾を小さくして農民たちを気遣った。
「ええ、そうです。そうなのですが、それでは近隣の農村は冬を越せなくなってしまうでしょう。備えがなければ冬を越せない地域です。他国のこととはいえ、私たちは一般の農民たちを餓死させたいわけではないのです」
「ご配慮ありがとうございます。私は父上に直接相談できる立場ではないのですが、話を聞いてくれる兄がいます。ちょっと、いえ、だいぶ癖のある人物ですが、うーん、魔術具に弱いので身勝手だな、と思う言動をしたら飛行魔法学講座の見学の禁止をちらつかせれば、滅多なことはしない……うーん。大丈夫かな」
第三皇子を仲介役として挙げた小さいオスカー殿下は言ってから躊躇した。
「第三皇子殿下ですね。癖のあるお方だとお聞きしていますが、平民への学び直しの奨学金を設立した篤志家でもあります」
案内役が国王陛下に小声で囁いた。
「ハントに任せて大丈夫ですよ。あの方はご自身がテキトーな方ですが、他人のテキトーがお嫌いな方です。領主に食糧難を自覚させるために領主の食事に付き合って、ないものはない、と領主一族から食事を取り上げて、身をもって体験させることくらいのことをしますわ」
デイジーの助言に、絵面を思い浮かべたぼくたちは即座に腹筋に身体強化をかけたが、小さいオスカー殿下は間に合わずに噴き出した。
「やりかねないどころか、ハントと名のったら、確実にそういう強硬手段を実行するでしょうね」
デイジーと小さいオスカー殿下の軽いやり取りに国王陛下は目を白黒させた。
「第三皇子兄上に仲介役を頼みます。飛行魔法学の検証は兄上も楽しみにしているはずですので、悪いようにはならないでしょう」
小さいオスカー殿下は、ドグール王国が大岩の発着所なのだ、と立場を強調すれば第三皇子を御せる、と言外に伝えた。
「なるほど。わかりました。私どもとしては、飛行魔法学講座の実習は帝国魔法学校の研究でありますが、恩義があるのはガンガイル王国だと考えております」
国王陛下の言葉にノア先生が頷いた。
「今年度の飛行魔法学講座の受講生の大多数は留学生たちに占められています。そして今回の検証は教会の後援あって実施していることなので、帝国で権利を独占することはできません。まあ、非公開の部分を突かれてしまうとこの研究では単位を発行できない微妙な検証なのですよ」
ノア先生の言葉に飛行魔法学の試験を必死になって終わらせたキャロお嬢様たちが頷いた。
「神々の御導きによって集まった秀才たちがドグール王国に大聖堂島からの風を呼んでくださったのですね」
国王陛下の言葉にノア先生が頷いた。
朝日が中庭に差し込むとぼくたちのポケットに潜んでいたスライムたちが飛び出し、各々の主人の肩の上で跳びはねた。
国王陛下の護衛たちが身構えると国王陛下が掌を開いて制した。
「ああ、ガンガイル王国も夜明けの時間を迎えたようです。ラインハルト殿下のスライムがドグール王国に向けて飛行を開始する時間なのでしょう」
ノア先生の言葉にスライムたちが頷いた。
「ああ。うちの孫がスライムに興味を持って森から採取したが、死なせてしまったと嘆いていたよ。ガンガイル王国の特殊な飼育用の魔術具を使用しないと、こんなに賢いスライムに育たないらしい。それでも、スライム飼育したい、と孫は研究を続ける気のようだ」
飼育環境を整えてから飼育してほしい!とスライムたちは同族の死を嘆き、触手を拳のように握りしめて訴えると、国王陛下が失笑した。
「ああ、すまなかった。死なせてしまうなら、飼育させるべきではないな。まずは一般的なスライムの飼育環境を学ばないと、スライムを飼育させてはいけないというんだな」
スライムたちの気持ちを察した国王陛下にスライムたちは頷いた。
初対面で理解し合っている!とノア先生と助手が顔を見合わせると、案内役も護衛も目を丸くした。
「どんな生き物からも話を聞く姿勢ができていらっしゃるのでしょう。緑の一族の族長ならそう言うでしょうね」
ぼくの言葉にケインとデイジーが頷いた。
優しいアルベルト殿下の父らしく、一国の国王らしく、ドグール王国の国王陛下は精霊言語を習得するための素地が出来上がっているようだった。
“……ご主人様。本来ならば精霊言語の習得はここからが長いのです”
シロの言葉に精霊言語を習得する時に呆気なくできてしまったぼくとケインは顔を見合わせた。
“……ご主人様。スライムたちに文字を教えようとした幼児たちなんて、世界広しといえどもご主人様とケインぐらいです”
常識を知らないからできたことだ、と言いたげなシロの精霊言語にぼくとケインはクスっと笑った。




