常識的な選択
ぼくたちがスライムのエレベーターを降りると、待ち構えていた人たちから検証の成功を祝して拍手で出迎えられた。
「予定時刻よりずっと早く到着するんですもの。途中経過を聞いているだけでワクワクしましたわ」
オーレンハイム卿夫人はお婆が中継地点を表示する魔術具を解析した結果を聞きながら、鳥の群れに遭遇したり、途中で加速したりしたことを楽しんでいると、噴水広場にどんどん人が集まってきた、と説明した。
「夕方までに到着するかどうか、と皆さんにご説明したのですけれど、神学生の皆さんが学内の壁画を解読して、おそらく午前中に着くだろう、と予測されたのです」
お婆の言葉に帝都の寄宿舎出身の神学生たちが頷いた。
「神学校の校舎の礼拝所の手前に抽象的なモザイク画があって、今回の検証の話を聞いてからあらためて見ると、大聖堂島が空に浮いていた頃の絵のように見えてきたのです」
「朝日が昇るころに出発した石は、正午頃に大聖堂島に到着しているように見えたのでスライムたちが正午の礼拝前に到着したのは私たちの予想より早かったです」
神学生たちはモザイク画が色使いから朝昼夜を現していることに前々から気付いていたが、今回の検証でモザイク画の中央にある丸い塊が大聖堂島で、青と白の背景の中で虫のように小さい黒い点が浮かぶ石ではないか、と気付き、正午には到着する、とお婆たちに告げていたらしい。
「ジャミーラ領の伝承でもそのような話を聞きました……」
「我々は正午の礼拝の時間だからいったん下がります」
長くなりそうなノア先生の話を月白さんが遮ると、神学生たちは一礼して校舎に足早に去っていった。
「いい検証ができたようですね。教会側でも資料を用意しているので、後ほどよろしいでしょうか?」
教皇がノア先生に声を掛けると、よろしくお願いします、とノア先生は頷いた。
教会関係者たちが下がってしまうと、露店主たちは今回の検証を受けて、物流事情に激変が起こるのか?とノア先生に問い詰めた。
「現状でこれを実用化するには、素材が足りませんね」
ノア先生の言葉に応じるようにスライムたちがタイルに魔力を流し噴水の周囲を飛び回ると、この大きさでは物流への道は遠いか、と露店主たちは笑った。
「今回の検証での成果は、鳥獣との衝突はない、ということと、飛行経路に何らかの法則があるのではないか、という疑問がでたことですね。大型のパネルが作れるようになるころまでに、検証を続けて一番加速する飛行経路を探しだすことに時間を使えます」
ノア先生の言葉に露店主たちが頷いた。
正午の鐘が鳴ると大聖堂島が光りだし、噴水の周りをぐるぐると飛行するスライムたちと戯れるように精霊たちが出現した。
「ああ、よかった。ガンガイル王国からの留学生たちが来て精霊たちが出現すると、なんだか安心感が湧いてくるんだ」
露店主たちは、差し入れだ、と言って、ぼくたちにサンドイッチやジュースをたくさんくれた。
持参していたお弁当もあったので噴水広場で昼食を取りながら、魔法の絨毯の上にパンダがいる話をした。
白黒の熊、というぼくたちの説明に首を傾げる露店主たちにオーレンハイム卿が魔獣カードのパンダを見せた。
「これはまた珍獣に遭遇したんですね」
「珍獣というか森を守る聖獣でしたね」
小さいオスカー殿下が、東方のとある領に鬱蒼と茂る森を守る聖獣パンダが魔力奉納を人々に促した、と話すと、ありがたいパンダだな、と露店主たちは話に聞き入った。
「聖獣といえば……」
露店主たちは巡礼者たちから聞いた世界各地の聖獣伝説を語りだした。
のんびり話を聞きながらお弁当を頬張っていると、正午の礼拝を終えた教皇と月白さんがやってきた。
露店主たちが腰を上げて場所を譲ろうとすると、教皇は右手を上げてそれを制した。
「いや、皆さんの話に混ぜてください。聖獣伝説と教会も繋がりがあるかもしれませんからね」
教皇の言葉に露店主たちは席を立つのではなく椅子をずらして教皇と月白さんのスペースを空けると、みぃちゃんとみゃぁちゃんが二人の椅子を運んできた。
「ありがとう。気が利く猫だね。今回の検証がジャミーラ領から出発すると聞いて、ジャミーラ領の教会を調べてみたら、ちょっと独特の物だったんだ。ジャミーラに聖獣がいたのは偶々かもしれないが、他の聖獣の生息地の教会も独自の特色があるかもしれないから、いろいろ聞かせてほしいんだ」
気さくな教皇の発言に気をよくした露店主たちは聖獣伝説の話を続け、教会の独自の特色、というくだりに引っ掛かりを持ったオーレンハイム卿が、何かあったの?と目でぼくに尋ねた。
魔法の絨毯に行っていいか、とノア先生に目で訴えると先生は頷いた。
教皇と月白さんの対応をノア先生と助手に任せてぼくたちはそろりと中座し、お婆とオーレンハイム卿夫妻を連れて魔法の絨毯に上がった。
「なるほど。姿かたちは可愛らしい、魔力泥棒聖獣パンダは確かに可愛いな」
スライムのエレベーターでジャミーラ領での顛末を聞いたオーレンハイム卿は、お弁当のお重を抱えるパンダを見て、的確で簡潔な感想を言った。
「何も知らなかったとはいえ、申し訳ございません」
ラグルさんが即座に謝罪すると、私は隠居の身だから詳しい話は王族と詰めてくれ、とオーレンハイム卿は笑った。
「下では世界中の聖獣伝説と教会の結界の話で盛り上がっている。どうやら大地震の被害がなかった土地、というのが話の鍵っぽいな」
「いや、大地震の被害がなかったから聖獣が生きのこっているだけかもしれないですな。こっちでは大岩の発着地点の伝承について大岩の守り人から話を伺っていましが、失われた言葉のせいで地名も大きく変わりわかりにくいですね。このように地図上では……」
オーレンハイム卿とハルトおじさんが聖獣の生息地と大岩の発着所の推測をしている間、お婆とオーレンハイム卿夫人はパンダが天むすを食べてにんまりしている姿に、可愛いらしい、と喜んでいた。
魔法の絨毯の上と下で大岩の発着所探しに大わらわになっているなか、タイルでそこら辺を飛行しているスライムたちは、大聖堂島に到着してからタイルの流れる方向が変わった!とそれぞれの乗り比べをしながら検証していた。
情報が多すぎて考えることがたくさんある。
“……大岩の白砂から作ったタイルはジャミーラ領に戻ろうとしているから、他のタイルもそれぞれの白砂が大岩だった時の発着所に戻ろうとしているんじゃないのかな?”
ぼくのスライムの推測にケインのスライムも頷いた。
「ごちゃごちゃ話し合うのは後日にして、このままタイルがどこに向けて飛行するか検証した方がいいかもしれないね」
ぼくの言葉にハルトおじさんとオーレンハイム卿は話を止めて振り返った。
「「タイルを往復させるのか!」」
「スライムたちの魔力量に問題なければ、大聖堂島からどっちに向かってタイルが飛行するのかを追跡するのもいいんじゃないでしょうか?」
ぼくの提案にみんなはてんでばらばらに飛行しているスライムたちを見遣った。
「集合!」
ぼくの呼びかけに集まってきたスライムたちに舵取りをしないで一斉に飛行させると、スライムたちは三方向に分かれて流された。
「……この違いは何だろう?」
「採取した白砂の場所の違いでしょうね」
ハルトおじさんの疑問にケインが即答した。
「大岩から採取したタイルに乗るぼくとカイル兄さんのスライムたちの分身はジャミーラ領の方に流されていますし、あっちに流されているスライムたちの方向に見覚えがあります」
ケインの言葉に、大聖堂島の湖の湖底をさらった時の面々は合点がいったようで頷いた。
“……あっちは儂が白砂を採取した方向だ”
水竜のお爺ちゃんの言葉にぼくたちは一つの確信を持った。
大聖堂島が浮いていた時代に飛ぶ石の大聖堂島側の発着場は可動橋の検問所のあたりだ。
ぼくたちが白砂や礫を採取した場所に近い検問所に向かってぼくとケインのスライムたちの分身以外の半分のスライムたちが流されていき、もう半分のスライムたちは水竜のお爺ちゃんが採取した場所に近い検問所の方に流されていた。
「カイル!スライムたちに何を命じたんだい!」
統制の取れた動きを始めたスライムたちを地上から見上げたノア先生が声を張り上げた。
「大聖堂島に到着したタイルが動きを変えました!」
ぼくの返答にガタっと立ち上がったノア先生を助手が宥めている。
ぼくたちがエレベーターに乗り込むとパンダもついてきた。
“……儂は魔獣だから、聖水を購入する必要はないだろう?偉い方にご挨拶に行くよ”
パンダは月白さんに会いに行くつもりなのだが、教皇の元に向かうかのように精霊言語で言うと、信心深い聖獣パンダ殿、というような表情をしたジャミーラ領の三人に見送られた。
エレベーターからパンダが出てくると噴水広場に集まった人たちから、おおおおお!と歓声が上がった。
パンダはおずおずと教皇と月白さんの前まで歩き、跪いた。
“……じょ*********。********!”
パンダが精霊言語で月白さんに訴えかけると、月白さんはパンダの精霊言語を掻き消した。
“……厚かましいパンダだな。カイルの魔力を盗用したのは事実なんだから、大人しくカイルのために働けばいいだけだろう。……カイルが帰ったら魔力がもらえない?自分もスライムたちのようにご褒美魔力が欲しい?まったくもう、スライムたちはよく働くからご褒美に魔力をもらうのであって、パンダの場合は償いだから、ご褒美の魔力なんかもらえないの。そこを何とかとりなしてほしい、なんて厚顔無恥にもほどがある”
ぼくの魔力をこれからも欲しい、と月白さんに仲介を頼んだパンダはにべもなく断られると、お願いします、というかのように平伏した。
月白さんの精霊言語は周囲の人々には聞こえないので、教皇猊下に平伏する信心深く礼儀正しい聖獣パンダ、という絵面になっていた。
ノア先生はパンダが教皇に魔力盗用を詫びているように見えたようで気にすることなく、他の発着所に流れて行きそうなのか?と小声でぼくに尋ねた。
ぼくが頷くと興奮して顔が赤くなったノア先生は無言で深呼吸をして昂った気持ちを落ち着かせた。
平伏するパンダに、森を守り続けなさい、と教皇は無難な言葉をかけた。
パンダの醜態を見かねたぼくのスライムが体を広げてパンダを包み込むと、球体の中にパンダを閉じ込めたまま翼を広げて飛び立ち、パンダを魔法の絨毯に強制送還した。
「スライムだけで問題なく飛行できるじゃないか」
今回の検証の意義をなくしそうな教皇の発言にノア先生と助手が笑った。
「あのスライムは特別です。このタイルを使用した飛行は使用魔力量が少ないことが魅力なので、あのスライムと比べないでください」
そうだったな、と教皇も笑った。
話題は、このままスライムたちを飛行させて他の停車場を探しに行こう、という内容になった。
検証を継続してもスライムたちの魔力量にも問題がない、とスライムたちが力こぶを作ってみせた。
揉めたのは検証方法だった。
三班に分かれてタイルがどこまで飛行するかを追いかけてみるのが一番手っ取り早いのに、ジャミーラ領で採取した白砂のタイルはジャミーラ領に戻るだけだと予想がつくので、ぼくとケインのスライムは別のタイルに乗りたがった。
「スライムたちの気持ちは痛いほどわかるよ。未知の結果が待つ方のタイルに乗りたいよね」
ノア先生の言葉にスライムたちは頷いた。
「一方向ずつ試してみればいいでしょう。魔法の絨毯があれば大聖堂島に皆さんが滞在しても問題がありませんよ」
教皇は何泊しても問題ない、とぼくたちの滞在許可を出した。
教皇の言葉に目を輝かせたノア先生に、助手が冷静に突っ込んだ。
「ありがたいお話ですが、現実的には飛行許可がいるのでいったん帰らざるを得ません。三方向を一つずつ検証するとなると、偶々流されてしまいました、と言う言い訳ができませんから」
三方向を個別に飛行するなら、ジャミーラ領に戻り、それから宮廷と帝国軍に飛行許可を取り付けることが一番常識的な選択だった。




