パンダの威厳
侵入者たちの糾弾をパンダと領主とハルトおじさんに任せてぼくたちは部屋に引き上げた。
念のために魔獣たちが交代で一晩中パトロールを続けてくれたが、覗きも侵入者も現れなかった。
合宿のような大部屋を割り当てられて調子に乗ったぼくたちは、大岩で採取した白砂からタイルを作り出すと、さっそく明日飛ばしてみよう、ということで落ち着き、スイッチを切り替えるようにぱたんと眠りについた。
夜明け前の薄明の時間に起床して身支度をしていると、子どもはもっと寝るべきだ、と眠い目を擦りながらノア先生と助手がぼやいた。
「ぼくたちは先に行きましょうか?」
ノア先生と助手を置いていこうかと気を使うと、二人は大急ぎで身支度を始めた。
「女の子たちはさすがにまだ寝ているだろうね」
「もう起きて身支度を済ませて階段横のホールで待っていますよ。見回りから帰ってきたスライムがそう言っています」
ウィルの言葉に、お姫様はゆっくり寝ているイメージだった、と助手が仰天した。
「うちの講座のお姫様たちの行動力を甘く見てはいけないよ」
ノア先生の言葉に、そうですね、と助手が頷くと、部屋の扉がノックされ個室を与えられていた小さいオスカー殿下とアーロンが、やっぱりもう起きていた、とぼくたちの部屋に入った。
「今朝、ドーラに確認を取った情報ですが……」
そうそうにドーラさんと情報交換を済ませていた小さいオスカー殿下に、ちゃんと寝ましたか!と助手が心配して口を挟んだ。
「私はちゃんと寝ました。ドーラはたぶん寝ていないかもしれません」
晩餐会後の拘束された侵入者たちの尋問をパンダにせかされたドーラさんは夜通し付き合っていたらしい。
「恋文らしき付文を所持していた連中はジャミール領の青年貴族の従者でした。残りの侵入者は軍関係者の従者と軍関係者に買収された使用人たちでした。ドーラは買収された人物が出たことを残念がっていましたが、買収される側は金品の授受以外の理由もあることも多いから、買収された人たちの事情を更に探ればドーラが病みそうな事案でしょうね」
領外に出た人物を親族とみなさない、というジャミーラ領の慣習があっても、近しい親族の思いはそうはいかないのが普通だ。
帝国軍は現在、不正摘発を順次行っている状態なので、そこを逆手取り脅された可能性を小さいオスカー殿下は匂わせた。
「ことの善悪を決めるのは、どの視点から見るかでだいぶ心証が変わるけれど、パンダにそこまでの思慮深さがあるのかな?」
ぼくの疑問に水竜のお爺ちゃんが、無理だ、と噴き出した。
“……儂も相当長生きしたけれど、酒場に出入りするまで人間の心の機微なんて理解していなかったよ。そこの辺りはパンダに忠告しておこう”
水竜のお爺ちゃんの配慮に小さいオスカー殿下が安堵の表情を見せた、ということはおそらく小さいオスカー殿下の知人がかかわっていたのだろう。
「わかった。私の判断は調査結果が出そろってから考えることにしよう。お姫様たちを待たせてもいけない。私たちも出よう」
ノア先生は調査が出そろってから被害者側の陳情書を出すことにするようで、この話を打ち切った。
階段の踊り場で合流した飛行魔法学講座の実習着を着たキャロお嬢様たちは昨晩とは打って変わって少年のようないでたちだった。
ぼくたちにはこっちの方が馴染み深いく自然と笑みが漏れた。
領城の門を出るところでラグルさんとダグ老師が追いかけてきた。
「昨日は申し訳ありませんでし……」
ぼくたちの部屋への侵入者の件で謝罪するラグルさんに、行きますよ、とダグ老師がいると時間が押すことを危惧したノア先生がせかした。
洗礼式前後の年齢にしか見えないデイジーに負けまい、と全身に身体強化をかけてついてくるダグ老師に、魔力の使い過ぎだ、とキャロお嬢様が辺境伯領の老師の訓練の話をした。
「あああ、真に受けないでくださいね。それは幼児期の訓練の話であって、ダグ老師が現在の年齢で部分的な身体強化にしてしまうと体に無理がかかるから怪我をしてしまいます!」
年を考えたら魔力の節約より体を労わるべきだ、とジェイ叔父さんが忠告すると、ノア先生と助手が頷いた。
「オーレンハイム卿は一体どんなトレーニングをしてあの身体能力を保っているのでしょうね」
ノア先生が壮年のオーレンハイム卿が魔獣学の体力テストで現役の上級魔法学校生のグループの中で一位を取った話をするとダグ老師は目を丸くした。
「オーレンハイム卿はご夫妻ともに力の入れどころの緩急を極めていらっしゃるから、どの分野でも信じられない業績を出されるのですよ」
オーレンハイム卿に心酔しているウィルの言葉に魔獣たちが笑った。
「本日の検証で無事、大聖堂島で待っているオーレンハイム卿のところにタイルが飛行するかが楽しみですよ」
ワクワクしているノア先生が今日の検証での課題をラグルさんとダグ老師にまくしたてた。
「飛行魔法の魅力は山脈等の地形を気にせず最短距離で大聖堂島に飛行できることです」
山越えの苦労を知るラグルさんとダグ老師はノア先生の話に頷いた。
「それでも、飛行魔法学講座の教室や滑空場での検証で飛ぶタイルの速度から推定すると、日没までに大聖堂島に着くためには早朝から検証しなくてはなりません」
「そんなにかかるのですか!伝説では大岩は一日で大聖堂島まで往復できたようですよ」
ダグ老師の言葉にぼくたちは頷いた。
「そうですね。ある程度高度が上がれば加速するのか、それとも、地殻変動でジャミーラ領から大聖堂島までの距離が離れてしまったのか、考えられることはいろいろあります」
地形が変わったことを指摘すると、うーん、とダグ老師は唸った。
「やってみなければわからないことが多いから楽しみなのです。さあ、祠巡りを終わらせて教会に向かいますよ」
一度休憩すると腰が重くなってしまったダグ老師をノア先生がせかした。
教会でドーラさんとパンダが待ち受けていた。
早朝礼拝に参加すると礼拝所内の魔法陣が光り精霊たちが出現し、ラグルさんとダグ老師は、おお、と感嘆の声をあげた。
ドーラさんは聖水をごくごく飲みながら、昨日の出来事を司祭にかいつまんで説明した。
「聖獣パンダがジャミーラ領の不足分の魔力を盗用していたのですか!?」
“……お前たちの頑張りが足りないからだよ”
泥棒せざるを得なかったのはみんなに責任がある、とパンダが主張すると、面目ありません、と司祭はぼくたちに謝罪した。
「私たちが滞在している間は、こうして祠巡りも定時礼拝も参加しますが、一般市民用の特設祭壇を設けて広く市民からも魔力奉納を募るべきですね」
ノア先生の忠告に、そうですか、と司祭は力なく項垂れた。
“……どうせ、お前も、身分がどうこう、と言い訳がましいことを言うんだろう。まったく、人数が多い分一人一人の魔力が少なくても結構集まるし、いろんな人がいた方が魔力の属性も整いやすいんだよ”
渋る司祭にパンダが駄目押しすると、わかりました、と観念したように司祭が言った。
貴族を継げなかった市民と一般市民が同じ祭壇で礼拝するのか、とラグルさんとドーラさんが渋るので、パンダがしびれを切らした。
“……真面目に取り組んでくれよ。魔力が足りなくなってから自覚するのは勘弁してくれ!”
ご神木の存在を人間に教えたくないパンダは聖地の状態を言えず、切実な問題なんだ、と重ねて訴えた。
今までパンダが補助していたから魔力不足の状態を今一つイメージできないジャミーラ領の上位者たちにぼくたちはイラついた。
パンダと顔を見合わせたぼくは、ジャミーラ領の魔力減少によって樹齢千年の木々が枯れていく映像を精霊言語でジャミーラ領の人々に送り付けた。
今だ!パンダ!説教を垂れろ!
機転を利かせたぼくのスライムが触手でパンダを掴んで窓を開けて放り投げると、水竜のお爺ちゃんが巨大化してパンダを背中に乗せて城下町の上空を飛行した。
ぼくたちも教会の外に出ると、水竜のお爺ちゃんの背で態勢を整えたパンダが名乗りを上げた。
“……儂は森に棲む聖獣パンダだ!皆の者に告ぐ!この土地は年々魔力が不足していたのを、儂がとあるお方から魔力をいただき、持ちこたえさせてきた!それがなければ森はとっくに枯れていた”
日の出とともに脳内に枯れた森の映像が浮かび、頭の中にパンダの声がして、水竜のお爺ちゃんの大きな影が窓に差し込むと、人々は慌てて屋外に飛び出して空を見上げた。
“……他領では人間たちが一丸となって神々に祈り、魔力を循環させているというのに、なぜジャミールの地は儂ばかり頑張らねばならんのだ!”
水竜のお爺ちゃんの背の上で立ち上がり、両手を広げて訴えかけるパンダを見上げた人々は、パンダの訴えに理解が及ばないのか首を傾げた。
具体的な方法も説明してくれ!
“……人間よ!神々に祈り、魔力奉納をせよ!老いも若きも男も女も、ああ、もう!人間の貴賎など儂にはわからん!ただ、多く魔力を奉納する者は神々のご加護を授かる!神々は見ておられるのだ!”
高説を垂れるパンダを唖然として見上げる人々にパンダはしびれを切らした。
“……サッサと祠巡りをしろ!偉そうにしている人間が偉いのではなく、魔力奉納をする人間が偉いのだ!”
パンダの呼びかけに中央広場にいた人々は光と闇の神の祠に並びだした。
順番がどうした、と揉め事が起こるのを回避するかのように着いた順番ではなく、状況を察して後ろに回る人がいるのがジャミーラ領民気質らしかった。
「今のところは一般市民の忖度で何とかなりそうじゃないですか」
ノア先生の言葉に司祭とラグルさんが頷いた。
「領城に戻って試験飛行を始めましょうか」
助手が声を掛けるとノア先生は頷いた。
“……者ども!喧嘩をしないで仲良く魔力奉納に励むのだ!”
ハハハハハ、と高笑いをしたパンダに、行くぞ、と水竜のお爺ちゃんが精霊言語で声を掛けると、領城に向かって飛行した。
市民たちが祠へ急いで走る姿を横目に、ぼくたちも足早に領城に戻った。
領城に戻ると前庭まで領主が飛び出しており、城の上を飛ぶパンダと水竜のお爺ちゃんを見上げていた。
「お戻りになられましたか。魔力奉納をありがとうございます。昨晩は大変失礼いたしました」
ぼくたちに駆け寄ってきた領主が、あたふたと礼と詫びを口にすると、小さいオスカー殿下が領主とノア先生の間に割って入った。
「いつまで経っても市民たちが祠巡りを始めないことに聖獣パンダ殿がご立腹されたようです。お祖父様、条例を制定して市民が身分を気にせず祠巡りができるようにしてください。ああ、お祖父様も教会の早朝礼拝に参加すべきですよ。精霊たちはどこにでもいるはずなのに、ジャミーラ領では聖獣パンダ殿のいるところにしか出現しないのは、お祖父さまの徳が足りないからです!教会の定時礼拝で……」
よほど鬱憤が溜まっていたのか小さいオスカー殿下がまくしたてていると、後方から女子寮監ワイルドが、お弁当の支度ができています、と声を掛けた。
「ありがとうございます!こんなところで時間を使っている場合じゃなかった!さあ、ノア先生行きましょう!お祖父様は城で仕事を進めてくださいね!」
日程を思い出した小さいオスカー殿下はノア先生に向き合ったが、領主に釘を刺すことを忘れなかった。
領主はラグルさんに、頼んだよ、と目で合図すると、ラグルさんは無言で頷いた。
「行きましょうか!」
ぼくたちはそのまま大岩の元を目指して城の裏の森へと足を運んだ。
森の奥の転移の場所から大岩の石垣の前に転移すると、水竜のお爺ちゃんに乗ったパンダと合流した。
“……もっと早く人間に喝を入れておくべきだったんだな”
“……いや、どうかな?お前さんの見た目が可愛すぎて、威厳がないからなぁ。儂の背中に乗ったからうまくいったんだよ”
上空から祠巡りをする人々を見てご満悦だったパンダは、水竜のお爺ちゃんに、威厳がない、とバッサリと切り捨てられ、ガックリと両手を地面についた。
プリっとしたお尻を見せて嘆く姿も可愛らしい、とぼくたちは思ったが、傷口に塩を塗る必要もないので誰も口にしなかった。




