ガンガイル王国寮最強の人物
数回一本釣りされたパンダは、空中で態勢を整えてスライムたちが投げ飛ばすのを楽しみだしていた。
「身体能力の高いパンダですね」
「水竜のお爺ちゃんが起きていた時代から生きている聖獣だからでしょうね」
ミーアとキャロお嬢様たちが直ちに順応したパンダの身体能力について語っていたが、ジェイ叔父さんは訝しむように首を傾げた。
「パンダを一本釣りするスライムのタイルは何で墜落しないんだ?」
聖獣なら見かけ以上の体重があるはずだろう、とジェイ叔父さんが指摘するとぼくのスライムの本体が触手で自分を指さした。
「ああ、本体がここにいるのに本体が乗れるタイルを分身が使用しているから、その分、余裕をもって飛行しているので可能なのか!」
ジェイ叔父さんが納得すると飛行魔法学講座の面々の瞳が輝いた。
「カイル。全てのパネルを用意してパンダの体重を測定しよう!」
ノア先生がノリノリで提案すると、聞き耳を立てていたスライムたちが宙吊りにしたパンダを連れてきた。
聖獣なのに!と嘆くジャミーラ領の三人の言葉は、抵抗しないパンダの前では飛行魔法学の面々に届くことはなく、パンダの体重は何スライム相当だろう、と各々の好奇心が暴走をした。
水竜のお爺ちゃんがクッション代わりにとぐろを巻き、その上にスライムたちが乗ったタイルでパンダを吊り上げて体重測定をするぼくたちに、ジャミーラ領の三人は呆れたような視線を向けた。
「飛行魔法学講座では時々、こうして知的好奇心の暴走で授業中に可笑しなことが起こるのですよ」
ノア先生の助手の言葉に小さいオスカー殿下が頷くと、ジャミーラ領の三人は、聞きしに勝るとはこのことか、と勝手に納得していた。
パンダから抗議が出ない理由はなんとなく察していたが、みんなが楽しそうなのでぼくは口を挟まなかった。
パンダの体重測定は、スライムの単位で計測されたので、ジャミーラ領の三人にはそれが重いのか軽いのかわからなかったが、勝った!とぼくのスライムがご機嫌に胸を張った。
飛行魔法学の面々は鬱蒼と茂る森を見遣り、この数値ならパンダが魔力泥棒に手を染めるわけだ、と気付いたが、誰も口にしなかった。
石垣の正面の転移魔法が仕込まれた場所までぼくたちが戻ってもパンダはついてきた。
“……ご挨拶しなければいけない方がいらしているから、下山するよ”
項垂れたパンダに魔獣たちが、カカカ、と体を揺らして笑った。
精霊たちはパンダを励ますようにパンダの周りに集まったが、転移の魔法陣が仕込まれた範囲には入ってこなかった。
「パンダ殿が挨拶しなければならないお方が城に来ているのですか?」
ラグルさんはこの後、到着予定の軍関係者のことを心配するように城の方向を見て眉を顰めた。
“……帝都から来る連中じゃない。もうすでに城におられる”
水竜のお爺ちゃんの精霊言語にハルトおじさんが頷いた。
“……城の人間は鈍感でいいよな。はぁ。あの方は最初から何もかもご存じだったのに、決着をカイルにつけさせるために森に来なかったんだ”
“……森の精霊たちを萎縮させないためだろう。パンダは何でも自分に都合よく考える”
水竜のお爺ちゃんがパンダを小突くとパンダは溜息をついた。
“……サッサと行って、謝ってくる。もう!もたもたしていると城の内部に転移させるぞ!”
パンダが躊躇していたから転移を待っていただけなのに、もたもたしている、と指摘されたドーラさんは苦笑した。
「では、戻りますよ」
地面に手をついたドーラさんが魔法陣を光らせると、ぼくたちは森の中に転移していた。
急勾配の獣道を弾むように下りたぼくたちの後方から、子どもは身が軽い、とダグ老師の嘆きが聞こえた。
いい年をしたハルトおじさんもノア先生も軽快に坂を下るので、時折、ぼくたちは止まってダグ老師を待つと、しびれを切らした水竜のお爺ちゃんが蟹股のダグ老師の内股に入り込み二メートルくらいの大きさになって背中にダグ老師を乗せた。
一番足の遅い人に合わせるのがまどろっこしくなったからの行動だったのに、森を抜け城の裏庭に到着すると、パンダを引きつれたダグ老師が水竜の背に乗って帰還した絵面になっていた。
神々しい下山をしたダグ老師に使用人たちが二、三歩下がって頭を下げると、水竜のお爺ちゃんが爆笑した。
“……ハハハハハ。膝の悪い年寄りをいたわっただけだ。儂は優しい水竜だと帝都でも評判なんだ!”
繁華街で夜遊びする水竜のお爺ちゃんは場末の喧嘩の仲裁をすることが度々あるようで、水竜のお爺ちゃんが存在感をだすだけでトラブルが減る、と夜のお店のお姉さんたちに人気があるらしい。
水竜のお爺ちゃんはダグ老師の足が地面に着く高さで体を縮めてダグ老師の股から抜けると、ぼくの背後に浮遊した。
城の方からぼくたちを迎え入れる人たちが来る気配がすると、後退りしたパンダは隠しきれない大きな体をぼくの背後に隠そうとするかのように体を丸めた。
ワイルド上級精霊に謝罪する気で下山した割には往生際が悪い。
“……ご主人様。ご神木の側での対面時もスライムが近づくまでパンダはご主人様に白を切るつもりだったように、ただの小心者です”
自分の縄張のご神木の側だからと大きな顔をしていたが、ぼくのスライムが近づいただけでべらべらと自白したパンダは、城の使用人を引きつれたクレメント夫人と女子寮監ワイルドが姿を見せるだけで背筋がピンと伸ばした気配がした。
「おかえりなさいませ。その表情ですと、いい結果が得られたようですね」
「いえ、まだ調査に着手した段階ですので、これからが楽しみなだけです」
クレメント夫人の言葉にノア先生が上機嫌で答えた。
「そちらのパンダは、どういった加減で下山してきたの……」
女子寮監ワイルドの言葉が終わらないうちにパンダは頭からスライディングして女子寮監ワイルドの前で土下座した。
“……ごめんなさい!*********、********……”
謝罪するパンダの精霊言語を女子寮監ワイルドが無効化したのか、途中から頭の中に直接耳鳴りがしているような音が響いた。
不快な状況にぼくたちは頭を抱えたが、パンダは言い訳を止めず、ノイズと化した精霊言語は止まらなかった。
黙れ!パンダ!状況に身を任せろ!
ガツンと強めにパンダに精霊言語を送ると、ひれ伏したパンダの背中がビクッと大きく動き、言い訳を止めた。
恐る恐ると言った態でパンダは身を起こすと振り返り、助けて、と言いたげな涙目でぼくを見上げた。
ワイルド上級精霊に任せておけば悪いようにはならないはずだよ。
ぼくがパンダに精霊言語で語りかけると、パンダは小首をかしげて可愛らしく潤んだ瞳を女子寮監ワイルドに向けた。
パンダの悩殺ポーズがワイルド上級精霊に通用するのか、魔獣たちが固唾をのんで見守るなか、女子寮監ワイルドはうっすらと微笑み、圧縮した精霊言語をパンダに送った。
一瞬茫然としたパンダは身震いして立ち上がると凛々しい表情になった。
“……儂はジャミーラの森を千年以上も守り続けてきた聖獣、パンダだ!皆の者よく聞け!飛行魔法学講座の研究を我は支持する!この者たちが歓待されることを確認するために儂は当分、城に滞在することにした”
女子寮監ワイルドにスライディング土下座をしたばかりとは思えないほどの胸を張ったパンダが威風堂々と大きめの精霊言語で語り掛けると、先ほどワイルド上級精霊が干渉したパンダの精霊言語が脳裏から消えてしまったかのようにジャミーラ領の人々は一瞬、呆けたような表情になった。
パンダの精霊言語を聞き終えたジャミーラ領の人々が尊い聖獣を見る目でパンダを見た。
「今すぐ、パンダ殿のお部屋を用意せよ!」
ラグルさんの言葉にクレメント夫人と女子寮監ワイルドと一緒にぼくたちを迎えに来ていた高齢の女性使用人たちが、回れ右をしてパンダの部屋を用意しに行ってしまった。
“……ご主人様。上級精霊様のお気に入りのご主人様の魔力を盗用したパンダの償いは、ご主人様たちがジャミーラ領に滞在中に不快なことが起こらないようパンダが努力する義務が課せられました”
“……フカフカのベッドの部屋を与えられることになるから、パンダとしても役得だよ”
シロと兄貴がぼくとケインとジェイ叔父さんにだけ精霊言語で伝えたが、ハルトおじさんたちは女子寮監ワイルドとパンダのやり取りから、内向き志向なジャミーラ領の貴族たちからの悪意を撥ね退ける防波堤の役目をパンダが果たすことになったことを悟ったようだ。
何も事情を知らないノア先生と助手はキョトンとした表情をしたが、可愛らしい路線を捨てて凛々しい表情になったパンダを見て、これがパンダの償い方か、と呟いた。
「ガンガイル王国寮で、混乱した事態が起こったときに、最適な秩序を導き出す方が女子寮監ワイルドさんですもの。威光はパンダにも通じるのでしょうね。この件ではパンダ自身も償いをすべきですわ」
デイジーの言葉に飛行魔法学の面々が頷いた。
ラグルさんやダグ老師はすっかり聖獣パンダに心酔している表情になっていたが、ドーラさんは、変わり身の早いパンダだな、と声を出さずに口を動かした。
昼食会での小さいオスカー殿下の告白を聞いて小さいオスカー殿下への心酔ぶりが上がったドーラさんは、ジャミーラ領の人々のくくりから抜けて小さいオスカー殿下の忠臣という扱いになったのかもしれない。
「ラグル殿下、パンダ様。軍属学校の関係者の皆さんがジャミーラ領の領界に到着した、との一報が入りました」
「予定より早いではないか!馬を乗り捨てて最速で来たということか!」
報告を受けたラグルさんが眉を顰めると、パンダが胸を叩いた。
“……なに。儂が相手になってやろう”
パンダがラグルさんに精霊言語で語り掛けると、かたじけない、と言ったラグルさんは表情を緩めた。
「それでは、私は城の敷地の外れの別棟に引き籠ります。軍関係者から大岩の話が出てもドーラが対応してくれます」
ダグ老師はドーラさんにすべてを託し、引き籠る作戦に出るようだった。
「さあ、私たちは晩餐会の支度をしましょう。お部屋にご案内いたしますね」
クレメント夫人に促されてぼくたちは領城に用意された部屋に行くことになった。
ぼくたちが見えると敬意の籠もった眼差しを向け、すぐさまお辞儀をする領城の使用人たちの態度は、祠巡りから戻ってきた時と一変していた。
「これが、女子寮監ワイルドの威光なのか……」
領城に残っていた女子寮監ワイルドが領城の雰囲気を一変させてしまったことに、ノア先生と助手は目を白黒させた。
「森の中から巨大な水竜が出現したり、森全体に花が咲いたかのように精霊たちが溢れ出たり、パンダが宙を舞う姿が城から目撃されれば、ジャミーラ領城の誰もが飛行魔法学実習生一行に敬意を払いますわ」
クレメント夫人の説明に秀麗な顔立ちの頬を少しだけ上げて、そうですね、と女子寮監ワイルドが頷いた。
どうやら森に入ったぼくたちのやらかしのせいで、ジャミーラ領城の全ての人たちを恐縮させてしまったようだ。




