小さいオスカー殿下の告白
「城の杜の聖地がもっと奥にあるのなら、大岩の周辺を掘り返しても問題ないのですね」
ダグ老師があらためてパンダに訊くと、当たり前だ、とパンダと水竜のお爺ちゃんに即答された。
“……立ち入る資格のないものは森の奥には入れないが、警戒しているオオスズメバチを駆除されてしまったら面倒だ。春先に冒険者気取りの少年たちを追っ払ったのも働き者のオオスズメバチだったんだよ”
「魔法学校で冒険者登録が流行った余波でジャミーラ領にまでやってきたとは聞いていた。討伐依頼がないのにオオスズメバチを駆除しようとした新米冒険者たちは断ったのにこの杜に立ち入ったのか!」
ダグ老師が瞬間沸騰で立腹すると、どうどうどうどう、とドーラさんが宥めた。
「森の北側に無断で侵入され激怒した養蜂家が、新米冒険者たちをお望み通りにオオスズメバチの出る方向に案内しただけですよ。数か所刺されただけで逃げだしたので、森に入ったとはいえませんね」
ドーラさんの話を聞いたハルトおじさんはニヤリと笑った。
「それをうまく利用したらいい。侵入した冒険者の身元を洗いざらい探せば軍関係者に行きつくはずだよ」
帝国の貴族で親戚に軍関係者がいない人物など存在しないから、確実にスパイ疑惑を吹っかけることができる、とハルトおじさんが匂わせた。
ラグルさんが交渉にあたることになっているのか、あからさまに安堵の表情になった。
「そうですね。間諜を送り込んだことを抗議し続ければ、話し合いのテーブルに着く必要さえなくなりそうです」
「そういうことなら、カイル君に全面協力をすると約束します」
あらためてダグ老師がぼくに約束すると、精霊たちが昼食会場を取り囲んで点滅した。
ダグ老師は自分の決断を精霊たちが待ち焦がれていたことに気付いたようでテーブルを丸く取り囲んだ精霊たちに、すまなかった、と声を掛けた。
精霊たちがダグ老師の言葉に答えるように点滅すると、ダグ老師は涙ぐんだ。
「これからダグ老師は毎日城下町に出て祠巡りをしてくださいね。率先して市民と交流して視野を広げなくてはいけません。カイルたちが帰国してしまう前に少しでも現状を変えなければ、カイルの魔力が恋しくなったパンダが再犯を起こすかもしれませんよ!」
小さいオスカー殿下がダグ老師に釘を刺したが、そうだな、と言いつつもダグ老師の視線が小さいオスカー殿下の後ろの精霊を見ているような気がする。
ダグ老師は聞いていないね、パンダは再犯するだろうね、とキュアとスライムたちとみぃちゃんとみゃぁちゃんが精霊言語で会話をした。
ぼくがパンダを見ると、キャロお嬢様特製の可愛らしい椅子に腰かけたパンダは、申し訳なさそうに少し俯いて斜め下からつぶらな瞳でぼくを見上げた。
うん。めちゃめちゃ可愛い。
「駄目だ!カイル!ほだされるな!」
ウィルがパンダに悩殺されそうになったぼくに声を掛けた。
パンダはぼくの魔獣たちの可愛らしいポーズをいつの間にか学習したようで、反対側に小首をかしげて、どうしたの?とつぶらな瞳でウィルを見た。
ウィルの頬が緩むと、ウィルの砂鼠がテーブルの上からジャンプしてウィルの右頬を叩いて正気に戻した。
危ない。ウィルまで悩殺されるところだった。
問題はジャミーラ領の隠れ領主であるダグ老師の意識改革が起こらなければ、ジャミーラ領で祠巡りが流行せず、パンダが望む量の魔力が森に集まらないことだ。
小さいオスカー殿下が口を酸っぱくして、領民一丸となって魔力奉納をする利点を説明しているのに、ダグ老師は、そうかそうか、といいつつも視線がパンダに向いている。
どうしたものか、と考えあぐねて視線をお弁当に移すと最後に食べようと思っていた、エビフライがあった。
「ダグ老師、エビフライはもうお召し上がりになりましたか?」
全く違うことを話しかけられたダグ老師は意識をぼくの話に切り替え、ぼくが摘まんだエビフライを見た。
「ええ、美味しかったです。海の海老は大きくてたいそうな美味ですね」
ぼくの話の意図に気付いたウィルが貴公子然とした微笑を浮かべた。
「これは、帝都育ちの養殖エビですね」
「「「海の幸を帝都で飼育しているのですか!」」」
驚くジャミーラ領の三人に、ええ、とぼくが答えると、珍しく気前よくミーアがエビフライのおかわりをジャミーラ領の三人に振る舞った。
「魔術具によって水質を管理して安定した生産を保っているので、帝都では一般市民でも食堂で口にすることができます」
ミーアの説明に、ジャミーラ領の三人は、それは凄い、と感心した。
「設備こそ我々が作りましたが、現在の運用しているのは魔法学校を卒業していない一般市民です。花街で悪巧みしかしてこなかったような荒れくれ者だった一般市民が、手に職をつけて真面目に働いてくれています。まあ、仕事がないから荒くれていただけで、根は真面目だったでしょう」
ジェイ叔父さんの説明にジャミーラ領の三人は首を傾げた。
「魔術具の操作を一般市民がしているのですか?」
「ええ、魔力の供給から簡単なメンテナンスまでしています。魔術具に供給した魔力の分だけ報酬が上乗せされるので、みんな熱心に祠巡りをして魔力を増やしていますよ」
ラグルさんの質問にジェイ叔父さんが丁寧に答えると、ジャミーラ領の三人は、平民がねぇ、と訝しがるように顎を引いて眉間に皺を寄せた。
「だから何度も言っているでしょう!祠巡りで魔力奉納をしても倒れてしまうほど魔力を奉納することがないでしょう?つまり、魔術具に魔力を使用した後、祠巡りで魔力奉納をすれば、魔力枯渇寸前のギリギリのところまで魔力を使用することになるから、翌朝起床したら、前日よりほんの少し魔力が増えていくのですよ!それは貴族も平民も同じで、そもそも魔力量の多い貴族が祠巡りを行なえば平民より多く増える、という利点があります。それでも、帝都の平民たちは少ない魔力量でも毎日行うことで、徐々に魔力を増やして稼ぎを多くしているのです!」
鼻息を荒くして小さいオスカー殿下がまくしたてると、ダグ老師は、そうだったな、と頭を掻いた。
ここはもう一押ししておこう。
「農村部では冒険者の一部が農繁期に魔術具を使用して作付けや収穫などの作業を効率よく行っています。冒険者たちは、その後に農村で祠巡りをすることで、魔力量を効率よく上げることに成功しています。村に魔力が集まり豊作になっても、村人たちは効率よく農作業を熟すことで、余った時間で内職をしています。もちろん、村人たちも毎日魔力奉納をして魔力量をあげていますから、内職に魔術具を使用することもできるようになり、生産効率がどんどん向上しています」
「……それじゃあ、生産性が上がるばかりではなく、土地の魔力もどんどんたまっていくではないか!」
ラグルさんの言葉にダグ老師とドーラさんが頷いた。
「そうですね。実際に祠巡りが流行すると国の護りの結界に魔力奉納をするのが楽になる。まあ、ジャミーラ領の場合は、パンダが魔力を盗用しなくなってからの魔力奉納の差を体感してみることが必要だろう」
ハルトおじさんの苦言にジャミーラ領の三人は、申し訳ありませんでした、ともう一度謝罪した。
「私たちが滞在している期間は、私たちが祠巡りで魔力奉納しているので、護りの結界に魔力の余裕がある状態を体感してください。領民たち一人一人の魔力は微々たるものであっても、祠巡りをする人数が増えれば大きな助けになることを想像できるようになるはずです。私は皇族として国を護る結界に魔力奉納をしていますが、ガンガイル王国からの留学生が増えた年から、まず、帝都の護りの結界への魔力奉納に変化がありました。ですが、当時は自分が成長しているからだと考えていました」
小さいオスカー殿下の言葉に、それはそうだ、とジャミーラ領の三人は頷いた。
「ですが、カイルが留学する年から国の護りの結界に魔力奉納をするときに搾り取られるような感覚がだんだん楽になっていったのです。まあ、私も中級魔法学校に入学する年になり成長期がやってきた、と思ったのですよ。……ですがね、私は大きな勘違いをしていたのです」
小さいオスカー殿下の言葉に聞き入っていたジャミーラ領の三人は、成長期なのだから魔力奉納の負担が軽くなるのは当然ではないか、と小首を傾げた。
「ドーラが謝罪してくれたのに、ここで言うのも何なんだけれど、ダグ老師やラグルさんに自覚が足りないから言いますね」
前置きをした小さいオスカー殿下にドーラさんは頷いた。
「ぶっちゃけてしまえば、母上の離宮に信頼できる使用人が少なくて、間諜どころではなく暗殺者まで紛れ込むし、買収される者もいて、まあ、毒にあたるのは日常茶飯事で、挙句の果てに私は側近に成長期の前に成人になるような呪いをかけられていました。魔力量が増えるはずがなかったのです!」
小さいオスカー殿下の告白に、ジャミーラ領の三人は目が点になるほど驚いた。
「体がお小さいながらも祠巡りの魔力奉納で魔力が増えたではありませんか」
一番体が小さいデイジーが突っ込むと、小さいオスカー殿下は微笑んで、そうですね、と言った。
「祠巡りでは少ないなりに魔力が増えるものですからね。ああ、少ないといっても私は皇子だから、ドーラの幼少期より多かったはずだよ」
再び涙目になったドーラさんに小さいオスカー殿下が声を掛けた。
「大岩の守りを手伝っていたから、と殿下に忠臣のようにお声がけしていただいたのに、殿下がそんな目に遭われている間、守っていた杜の聖地は別の場所だったなんて、不甲斐ないです!」
鼻を啜るドーラさんに小さいオスカー殿下が、眉を顰めた。
「だから、もう!話をよく聞いてね。それは無駄じゃなかったんだよ。あのね、守っていると思っていた部分が少しずれていただけで、大岩のある森を守っていたのだから、ドーラがここでしていたことは無駄じゃなかったんだって!ドーラが帝都でぼくを守ってくれていたなら、ドーラの魔力がなかった分だけ、パンダがカイルの魔力を盗用したはずだよ!」
唐突に話が自分に戻ってきたことで、お重を抱え直してお弁当をパクパク食べていたパンダが、しおらしく顎を引いて申し訳なさそうに瞳を潤わせた。
「間違いなくやっただろうな」
ハルトおじさんの突っ込みにぼくたちは笑った。
ダグ老師とラグルさんは小さいオスカー殿下の告白の衝撃から立ち直ることができず、ぼくたちの笑い声は耳に届かないかのように顎を引いて小さいオスカー殿下を凝視した。
「……そんなご苦労をされていたなんて……」
ラグルさんの言葉に小さいオスカー殿下は首を小さく横に振った。
「私はね、毒を吐きながら何とか生き延びたが、帝国には様々な理由で生き延びることができなかった子どもたちがたくさんいるのです。私がこうしてここにいられるのは、少ないといいつつもドーラが手配してくれた使用人たちや、カイルたちと出会えたからなのですよ」
話がぼくたちに及んだが、競技会の決勝戦で呪いを自力で解いたはずだ。
カイル君ですか?とぼくに目を向けたドーラさんに小さいオスカー殿下は頷いた。
「中級魔法学校の入学式で皇子だというだけで過剰に配慮されてしまい、首席入学だったカイルに、というかもうガンガイル王国留学生たちに迷惑をかけることになったんだ」
そうですね、とノア先生が懐かしそうに頷いた。
「結果は凄く楽しい入学式になった。そう、今年も凄かったらしいね……」
小さいオスカー殿下が、ぼくたちが歌うように新入生の挨拶をしたことで精霊たちが入学式の会場に溢れ、今年は挨拶が祝詞となり三次元映像の花吹雪を出すと精霊たちが花吹雪の真似をして魔法学校の敷地一杯に広がった、と話すと、ジャミーラ領の三人は、また与太話が始まった、という表情になった。
この三人が小さいオスカー殿下の話を聞き流していたのは、到底信じられない、と決めてかかっていたからだろう。
ケインとキャロお嬢様とミーアが目配せをすると、三人同時に入学式の新入生の挨拶をして花吹雪を再現させると、精霊たちもノリノリで花吹雪を真似て森の奥まで広がっていった。
「……殿下は大袈裟に言ったわけではないのですね」
ダグ老師の言葉にぼくたちは頷いた。
「私はね。自分を変えるためには何としてもカイルと友人にならなくてはと決意して、強引に友だち宣言をしてしまったんだ。カイルと友人になると自分の考え方が大きく間違っていたことに気付いた。そこを恥じ入る前に学ぶべきことが多くて勉強会を開くと、優秀なデイジー姫もご飯を御馳走したら勉強を見てくれるようになり、学力も魔力も向上し、競技会で対戦相手から手加減なしで戦うことができた。そう、私はカイルたちに出会うことで、成長できたんだ」
小さいオスカー殿下の努力を見てきたぼくたちは、よく頑張りました、と頷いた。
「ぼくが幼いころから友人だと思っていた側近は、ぼくに呪いがかかるように誘導したり日用品に毒を塗ったりしていた」
「殿下!私に報告が上がっていません。誰の親族ですか!」
ドーラさんが小さいオスカー殿下に詰め寄ると、殿下は首を横に振った。
「いや、私が詳細を知った時にはもう処罰は済んでいた。もう気にしていないよ。彼らは、本当の友人ではなかったんだ。本当の友人とは耳に心地いいことを言いながら裏で足を引っ張ったりしない。共に学び、時に過ちを起こしても、問題解決に向けて真剣に忠告してくれるんだ。ああ、毒を塗っていた兄たちも、考え方を変えた兄だけが、人が変わったかのように国のために、国民のために働くようになった」
「考え方を変えなかった皇子殿下が蟄居しているのですね」
ラグルさんの言葉にぼくたちは頷いた。
「ダグ老師。カイルとかかわるのに学ばないなんて、もったいないのです。今までの価値観の全てを否定しなくていいのです。視野を広げてください。神々が作った世界を人間が全て知らないのは当たり前なのです。見たい物しか見ようとしなければ本当の世界は見えません」
小さいオスカー殿下の言葉に賛成するように精霊たちが点滅した。
「ああ、私は精霊の住む世界を信じていなかった。杜にはこんなにたくさんの精霊がいるというのになぁ」
ダグ老師が見上げた空は花吹雪の隊列を楽しむ精霊たちが大空を舞っていた。




