杜での出会い
ぼくたちが領城の中庭に戻ると城の人々の雰囲気が一変していた。
どうにも、ぼくたちが祠巡りをしている間にハルトおじさんと女子寮監ワイルドが領主相手に一仕事をしていたのか、と思いきや、中央広場で高笑いをしたドーラさんが興奮して口走った内容がもう城まで伝わっていたようだった。
『ジャミーラ領が再び大聖堂島への物流の拠点になる』とか『ジャミーラ領でしか使えない運搬の魔術具』などの強い言葉だけいち早く伝わったようで、遠巻きにぼくたちを見る人々の囁き声を耳にした。
帝都から来た幼いエリート魔法学校生、というちょっと遠い存在から、ジャミーラ領を発展させる領主の孫のご友人たち、といった親しみと期待の籠もったキラキラした眼差しを人々はぼくたちに向けた。
キャロお嬢様たちを値踏みしようとしていた青年たちの姿はなく、中年の領城の文官や厳つい体格の治安維持隊の面々が城内のざわめきからぼくたちが城に戻ってきたことを察知して集まってきた。
迫ってくる面々の後ろからドーラさんに目配せをした男性が、こちらに手筈ができています、と声をあげると、男は身分の高い男性なのか人々が二手に分かれて道を空けた。
「大岩の守り人がお待ちです」
その一言で、押し掛けてきた人々は諦めたのか波が引くように下がり、いよいよだ、と期待したノア先生の瞳が輝いた。
「ああ、みんな戻ったようだね。私も行こう」
ハルトおじさんが男性の後ろから現れ、しれっとした顔でぼくたちと合流した。
軍関係者が来る前に大岩の守り人に会いたかったぼくたちは、ラグルと名のった青年に案内されるがまま、そそくさと領城の裏の森へと足を踏み入れた。
「名簿ではお姫様たちが多かったので、この予定表を熟すのは無理だろう、とこちらで勝手に配慮したのでお部屋に案内することを優先したのですよ」
ラグルさんは、馬車から降りてすぐ領城を案内しようとしたドーラさんが渡していた予定表と違うことをしようとした内情を暴露した。
「いえ、私たちの体力は大丈夫です。日が高くなり汗ばむ時間帯に手入れをされた森に入ると、涼しくて心地いいです」
キャロお嬢様は、手入れの入った森、と形容したが、傾斜のきつい獣道を登りながら心地いい、と語ったキャロお嬢様にラグルさんが驚くと、ドーラさんが笑った。
「お姫様たちはなかなかの健脚でいらっしゃる。七大神の祠巡りでお小さいデイジー姫に負けそうになった時は、私も年を取った、と痛感いたしましたよ」
険しい獣道をひょいひょいと弾むように登るデイジーを見てラグルさんは、そうですね、と微笑んだ。
「いやはや、高貴なお姫様たちはさすがですね。城の森に受け入れられておられるようです。領主一族と守り人の関係者以外がこの時間帯に立ち入ると、オオスズメバチに襲われることがあるので警戒していたのですよ」
ラグルさんの口にした、オオスズメバチ、という単語にぼくたちは吹き出した。
「ごめんね。からかっているのではなく、うちのキャロライン姫は帝国に入国して早々冒険者登録をして、最初に熟した依頼がオオスズメバチの駆除だったんだ」
腹筋を揺らしながらハルトおじさんが言うと、ラグルとドーラさんがキャロお嬢様を二度見した。
「駆除依頼のないオオスズメバチを駆除したりしませんわ。ましてや、神聖なる城の森を守るオオスズメバチなら聖昆虫といっても過言ではないでしょう」
キャロお嬢様の発言を喜ぶように森の奥から、ブブブブブ、とオオスズメバチの羽音が聞こえた。
デイジーは、オオスズメバチの幼虫は珍味なのに、と表情を一瞬ほころばせると、森の奥から、ヤメテ、と精霊たちが光を点滅させて訴えた。
「ああ、大聖堂島の鎮魂の儀式のときに我が領でも飛び交った精霊たちが姫様たちを歓迎していますよ!」
見当違いのラグルさんの言葉にぼくとケインとの腹筋が耐えきれなくなり足を止めて膝に手をついて腹筋を揺らした。
「……歓迎されていないわけではありませんが……あれは……注意喚起ですね」
物欲しそうなデイジーの表情とぼくの言葉に心当たりのあったキャロお嬢様とミーアとウィルが声を出して笑った。
「アハハハハ、確かにぼくの脳裏にも、幼虫は美味しかった、とよぎったので、食べないでくれと精霊たちに注意喚起されたようです」
ウィルの言葉に合点がいったハルトおじさんも笑い出した。
「瞬間冷凍された幼虫の素揚げを調理したものをお相伴に預かったよ。確かに美味しかった」
王族が昆虫のオオスズメバチの幼虫を食べたのか!とドーラさんやラグルさんだけでなくノア先生と助手もドン引きした。
「ぼくたちが好き好んで昆虫を口にするのではありません。オオスズメバチが駆除対象の害虫になったのは生態系のバランスが崩れて人里近くで大量発生したからです。害虫とはいえ命を余すことなくいただいただけです。ぼくたちは命を繋ぐために食べなくてはいけません。この森では聖昆虫だとしても、安定した食料を生産するための畑のそばに大量発生したなら、それは駆除せざる得ないでしょう?神々が創り給うた貴重な命を、ぼくたちの生きる糧としていただいただけです」
ぼくの説明に森の奥からブブブブブ、とオオスズメバチの羽音がし、精霊たちが、コノ、オオスズメバチハ、ハタケニイカナイ、と柔らかな光を点滅させた。
「オオスズメバチを手懐けたのですね!」
ラグルさんが感嘆の声をあげた。
いや、違います、とぼくは首を横に振った。
手懐けてはいない。住み分けすることをわかり合っただけだ。
精霊たちが好む蜂蜜を作る蜜蜂の天敵のオオスズメバチを精霊たちが擁護するということは、ここに蜜蜂が生息していないのだろうか。
「この森に蜜蜂はいないのですか?」
「蜜蜂は森の北側に生息しています。大岩への通り道にオオスズメバチが生息しているので避けていますね」
昆虫の生態に詳しいですね、とドーラさんが感心すると、ノア先生が頷いた。
「彼らは何でも素材として利用するので、畑で害虫駆除したちっちゃな昆虫の魔石も見つけたら拾っていますね」
食べないで魔石を取ることもあるのか、とドーラさんとラグルさんがぼくたちを見た。
「昆虫を食べるなんて滅多にしませんよ」
ウィルの言葉に、そうですよね、とラグルさんは笑った。
「ああ、もうすぐです。この先の地点から転移魔法を使用します」
ドーラさんの示す先には目印になるような植物も石もなかった。
ドーラさんの案内がなければ大岩にたどり着けないことは明白だった。
ここです、と言ってドーラさんが立ち止まったところは獣道の途中で目印になる物はまったくなかった。
「みなさんもう少し私に近づいてください。……そうです。それでは転移しますね」
跪いたドーラさんが手を地面につけると円柱状の光が地面から立ち上がりぼくたちはさらに森の奥へと転移していた。
光が消えぼくたちの目が森の暗さに馴染むと、清涼感のある森の空気を深く吸い込み、辺りを見回した。
鬱蒼とした木々に覆いつくされて暗い森の中の下草は少なく、苔が生えた岩がゴロゴロと転がる中、高く石垣の囲いをされた場所に木漏れ日が差し込んでいた。
石垣の前に一人たたずんでいた老人がぼくたちに声を掛けた。
「ようこそお越しくださいました。杜が皆さんを歓迎しています」
老人の言葉に反応するように風が木々を揺すりさわさわと音を立て、弾むような鳥の鳴き声が響いた。
「ああ、ラグル坊ちゃんまでいらしたのですね。どうりで杜が騒がしいわけだ」
「子どもの頃のことではありませんか。ちゃんと反省したのですから、そろそろ許してもらえないものでしょうか?」
ラグルさんが頭を掻きながら項垂れると、老人はラグルさんに説教をした。
「あのな、この辺りの木々は樹齢千年を超えるものがいくつもある。杜の時間はゆっくりと過ぎる。坊ちゃんが老人になったとしても森の時間ではほんの少しの時でしかないのですよ」
「ダグ老師様。ラグル殿は何をされたのですか?」
小さいオスカー殿下が老人に尋ねると、ラグルさんは項垂れ、老人は困ったような表情になった。
ぼくは森を吹き抜ける風を頬に感じながら風の流れて行く方向を見た。
樹齢千年を超える大木の中に挨拶すべきご神木がある気配がする。
ラグルさんとダグ老師が、ラグルさんが幼いころジャミーラ領の聖地である杜で粗相をした話をしていたが、ぼくは足が導く方向に向かって歩いていた。
足をあげるたびにそちらに向かえ、とばかりに重心が傾き、定められた方角に向かって進んでいった。
ぼくの後方から聞こえていた、幼児だから仕方がない、とラグルさんを擁護する会話がだんだん聞こえなくなっていった。
しだいに大木の木陰が深くなり正午とは思えないような暗さの中、丸く薄く光が透けている場所に小ぶりで枝の少ない木がぽつんと立っていた。
“……よくぞ、ご神木に辿り着いたね。大岩伝説に気を取られる人間たちは、なかなかここに辿り着かない”
ご神木の奥から精霊言語で語り掛けられると、鞄やポーチに納まっていたキュアと水竜のお爺ちゃんとみぃちゃんとスライムたちが小さい木の周りに飛び出した。
“……なんと!水竜まで追従していたのか!怪鳥チーンの噂話より魔獣の数が増えているではないか!”
“……また、怪鳥チーンか。あいつはどこにでも現れるんだな”
水竜のお爺ちゃんがブツブツ言うと、精霊言語で語り掛けてきた魔獣が笑う気配がした。
“……退屈だった世界が動きだしたから世界中を見て回っているらしい。噂のカイルがこの森に来てくれて儂は嬉しいよ”
暗い森の奥で岩のように大きな影が動いた。
大熊?
みぃちゃんが警戒するようにぼくの前に回り込んだが、大丈夫だ、と水竜のお爺ちゃんが精霊言語で言った。
“……あいつは図体こそ、そこそこ大きいが肉食じゃない。食べないわけではないがそれほど食べない”
ご神木に近づいてくると木漏れ日が当り大きな魔獣の正体が見えた。
なんてこった!
白黒の特徴的な柄の大きな体は大熊ではなく、大熊猫そのものではないか!
可愛いね、とぼくの魔獣たちは大木の陰から顔を出し光があった大型魔獣の姿を見て、激レア魔獣、パンダに遭遇した喜びに打ち震えた。




