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嫁不足の原因

 聖水をありがたがって飲むドーラさんに、これといった効能はない、とは言えず、ぼくたちは笑顔で見守った。

「今回の検証が成功することを私たちもお祈りいたします」

 司祭はジャミーラ領が発展しますように、とドーラさんに声を掛けると、ドーラさんは嬉しそうに頷いた。

「一つ質問があるのですがよろしいでしょうか?」

 ぼくが司祭に声を掛けると、どうぞどうぞ、と司祭は軽く言った。

「礼拝所内に魔力奉納をした際に光った魔法陣が、どうにもほかの教会と違うようなのですが、どうしてでしょう?」

 ぼくの質問が思いがけないものだったのか、司祭はぽかんと口を空けた。

「あの魔法陣が読み解けたのですか!」

「いえ、完全にどんなものか解明したのではなく、旅先の教会でほぼ必ず魔力奉納をしていますから、魔法陣の基本パターンが他の教会と違うことくらいわかります。もしかして、かつて世界中を揺らした大地震の後、被害がなかったから、と教会の改装を断った歴史がありませんか?」

 ぼくの質問に、大昔すぎて即答できません、と司祭は首を傾げたが、デイジーと兄貴と犬型のシロは小さく頷いた。

「あっ!もしかして、司祭様はジャミーラ領出身の傍系領主一族ですか?」

 ウィルの突っ込みに幼馴染らしいドーラさんと司祭が同時に頷いた。

「もしかして、この教会の歴代の司祭は代々、傍系領主一族が就任しているのではありませんか?」

 キャロお嬢様もぼくの質問の意図に気付いて尋ねた。

 当然です、と頷く二人に、やっぱりそうだったか、とぼくたちが顔を見合わせた。

「何か……問題があるのでしょうか?」

「いえ、ガンガイル王国も内向き志向が強い国なので、国内の教区の多くの司祭様たちはガンガイル王国出身者に占められています」

 そうですよね、と司祭が頷くと、ガンガイル王国と自領の違いに気付いたドーラさんが眉間に皺を寄せた。

「そうなのです。大聖堂島の神学校に通う前に司祭候補の神学生たちは必ず留学するのです」

 大聖堂島に行く前に国外で留学する経験のある司祭候補たちは、国外での常識を肌感覚で理解した後に大聖堂島の神学校に入学するので、客観的な視点を持つことができるのだ。

「ああ、おっしゃっていることがわかりました。私は自領の魔法学校を卒業後、大聖堂島で司祭の資格を取得し、そのまま自領に戻りました。教会の礼拝所が光り出したのはつい最近のことですが、それ以外にも私の教会についての常識がジャミーラの教会の常識だけになっている、ということですね」

 司祭の言葉にぼくたちは頷いた。

「独自の文化という点では素晴らしいのですよ。うちの国の司祭様も教会を新設する時に古い技術を受け継いでいました。だから、現代では知られていなかった礼拝所内の魔法陣も新築の教会に再現できたのです」

 司祭はこめかみをトントンと叩いて、ああ、と声を漏らすと項垂れた。

「……残念ながら私は礼拝所内の魔法陣について、何も技術を引き継いでいません」

「ジャミーラ領が平穏で教会が倒壊するような大地震の被害がなかったからですわ。地震による教会の建物の一部損壊や、土地の魔力枯渇による教会の劣化がなければ補修の必要がありませんもの。それだけジャミール領が繁栄してきた証拠ですから、誇りに思われて当然です」

 デイジーは、内向き志向で自分たちの土地だけ魔力を保持する状況を守り抜いた、と嫌味か誉め言葉かわかりにくいギリギリの表現をした。

「そうですね。ガンガイル王国は併合で国土を増やしましたが、併合しなければならない状況下におかれた地域は荒れていましたから、色々と補修しなければならなかったでしょうね」

「そもそも併合するたび遷都していますから、移築や新築の魔法技術は教会に限らず騎士団でも必須ですね」

 キャロお嬢様とミーアの言葉にマリアも頷いた。

「キリシア公国は常に侵略を警戒して町を作り変えています。首都はほとんど迷路みたいな城下町なので教会の場所こそ変わりませんが、入り口はしょっちゅう変わりますね」

 迷宮都市のキリシア公国の城下町の教会は道が移動するから結果として正面玄関を改装している、とマリアが思い出したように言うと、小さいオスカー殿下は、ぼくの質問の意図に気付いたようにハッとした。

「大地震で地殻変動が起こっているのに教会の護りの魔法陣が変更していないということは、大聖堂の結界とは繋がっているけれど世界全体の教会の護りの結界とは連動していない?」

 小さいオスカー殿下の疑問に司祭は自分の額をピシャリと叩いた。

「なるほど。ジャミーラと大聖堂島しか知らない私には他と違うことがわからないのですね」

 呑気な司祭だ、と言いたげな視線を司祭に向けたキャロお嬢様は司祭に言った。

「こういっては何ですが、ジャミーラ領周辺の領で土地の魔力が不足している時は外に魔力が流れにくい利点がありますが、周辺領の土地の魔力が整ってもジャミーラへの恩恵はないことになりますね」

「教会の結界だけの話ですから、まあ、領の護りの結界には影響ないでしょうね」

 司祭の言葉にぼくたちは首を傾げた。

「ジャミーラ領主一族が長年、魔力枯渇を起こさずに領地経営をなさっていたから、ご存じないかもしれませんが、土地から極端に魔力が減少すると、教会の護りの魔法陣からも魔力が流出しますよ。白砂に還るほど魔力不足になった土地があると、教会はその土地の護りの結界を切り離して対処しています」

 ぼくの説明に心当たりがあったのか司祭はハッとした表情になった。

「座学で学びました。世界全体の平和を祈る教会は世界を支える結界を維持するよう努めますが、政治に関与しないので地権者との折衝を避けなければならない状況下では結界を遮断します」

「皇帝陛下は国土全体の魔力を整える方に舵をお切りになっていますから、帝国内の死地は間もなく解消されるでしょう。国土のバランスが整うと周辺領地は緑豊かになっていきます。その恩恵にこの地の教会は影響されないでしょうね」

 キャロお嬢様の言葉に司祭はようやく他人事ではないと気付いたようだ。

「皇帝陛下のご心境を理解されているようですが、どういった根拠なのでしょうか?」

 ドーラさんは帝国の方針をガンガイル王国の姫が口にしたことに疑問を呈した。

「私、陛下にお約束をしていただきましたのよ。帝国東北部の領地が安定していないとガンガイル王国から土地の魔力が引き出されてしまうのです」

 国益のためです、とサラッとキャロお嬢様が言ってのけたことに、ドーラさんはキャロお嬢様の影響力を思い知ったようで顎を引いてキャロお嬢様を凝視した。

「詳しくは心配性の私の叔父様が領城で領主様とのご歓談でなさっているでしょう。魔力のバランスといえば、第十七夫人としてジャミーラ領領主ご息女が輿入れされたのには、何か皇帝陛下のご意向があったのでしょうね」

「大聖堂島を中心に線対称の位置にジャミーラ領とキリシア公国があります。どちらも派閥のバランスを考慮して皇帝夫人たちが選ばれた後にご縁談がありましたね」

 どちらも周辺地域より土地の魔力量が多いことについて、キャロお嬢様もぼくも口にしなかったが、共通点に気付いた司祭は青ざめた。

「ジャミーラ領の教会の護りの結界が帝国内の教会の護りの結界と連動していなかったから、南方戦争勃発後の土地の魔力減少の影響を受けず収穫量が下がらなかったジャミール領は、領主一族の魔力量が多い、と陛下のお目に留まってしまったのか!」

「嫁不足になった原因が教会にあったのか!」

 司祭の言葉にドーラさんが被せた言葉に、そっちか!とぼくたちは唖然とした。

「第八夫人、母上の輿入れに付き添って、多くの若い女性貴族たちが帝都に行ってしまったのですね」

 合点がいった小さいオスカー殿下の言葉に司祭とドーラさんが同時に頷き、ぼくたちは吹き出すのを堪えた。

「内向き志向が強い領地で男性は帝都に行きたがらず、自国からの付き添いの人数が少ないと、離宮では(毒物の混入の恐れなど)困難な状況に第八夫人が陥ってしまうから、女性たちが率先して帝都に赴いたのですね」

 ウィルの言葉にドーラさんが深く頷いた。

「第八夫人とオスカー殿下のお世話には、どうしてもジャミーラの貴族を派遣しなければならないのに、離宮入りした貴族たちは体調を崩して辞めてしまうことが多く、次々と派遣の手配をしなければならなかったのです」

 身内が帝都に行くことを反対する者が多く調整に苦労しました、と事務方のドーラさんが嘆くと、司祭がすまなそうな表情をした。

 目の前に小さいオスカー殿下がいるのにもかかわらず、ジャミーラ貴族の帝都行きのきっかけになった教会の護りの結界について気付けなかったことに後悔の表情を見せるなんて、第八夫人が皇帝に嫁がなかったら小さいオスカー殿下は存在していないことを司祭は考えていない。

 それよりも嫁不足の方が深刻だということだろうか?

 外に出て行ったものは身内ではない、という風土がそれだけ強いのだろう。

「ジャミーラ側も大変だっただろうけれど、私も離宮で苦労をしたよ。人生が明るくなったのはガンガイル王国の留学生たちと友人になってからだ。宮殿内の風も清々しくなったし、もう、離宮に派遣された使用人たちが体調を崩す心配はない」

 政敵から毒饅頭を贈られることはなくなった、と小さいオスカー殿下が言うと、申し訳ない、とドーラさんが涙ぐんだ。

 小さいオスカー殿下を気遣えるドーラさんの存在にぼくはホッとした。

 離宮での苦労、と小さいオスカー殿下は軽く言ったが、洗礼式前の幼い身で魔力奉納の予定時間の直前に死なない程度の毒を盛られて祠の側で嘔吐させるような嫌がらせをされたり、側近に成長ホルモンの分泌が狂う呪いをかけられたりと、散々な目に遭っていたのだ。

「オスカー殿下に気を使わせてしまうなんて、我々の失態なのですよ。ですが、どうしても領城内の若い衆は殿下のお住いの離宮に若い女性を取られている、という被害者意識が根底にあり、休暇中に殿下がいらした時にそこはかとない意地悪な雰囲気を醸していたのです。本来ならば、その若い衆が率先して殿下をお守りして、帝都でのジャミール領の地位向上に尽くさなければならなかったのです!」

 不甲斐ない自分たちを悔しがるように小さく震えたドーラさんを見た小さいオスカー殿下は、ドーラさんの言葉に何かを感じ取った。

「もしかして、ドーラが守り人を継ぎたくなかった理由とは、帝都の離宮に勤めたかったからなのかい?」

「ええ、自分はジャミーラ領自警団で検問を担当していました。離宮内に持ち込まれる不審物の処理には自信があります。派遣した人物たちが体調不良になるのには理由があるはずだから自分が行って対処したい、と何度か父や領主様に進言しましたが、次期守り人候補だから、と認められませんでした。幼い殿下が病弱だと聞いていたのにもかかわらず、自分は、何もできませんでした……」

 頭を下げるドーラさんに、顔を上げるように、と小さいオスカー殿下が声を掛けた。

「ドーラが離宮にいてくれたなら、さぞかし頼もしかっただろう。だけど、ドーラはジャミーラの地で、ジャミーラのために仕事をしていてくれた。守り人はもう高齢だから、守りを維持していくのにはドーラが必要だったのです。ドーラが大岩の守りの一助を果たしていてくれたから、こうして今回の検証をすることができるのです。ドーラは立派な仕事をしていました」

 小さいオスカー殿下の言葉に、かたじけないです、とドーラさんは顔を真っ赤にして涙を流した。

「ドーラの本心が聞けて、私は嬉しく思うよ。……あの時の私の苦しみは、無駄ではなかったんだ」

 隠れ忠臣だったドーラさんの存在に、幼いころ皇族たちの嫌がらせで傷ついた小さいオスカー殿下の心が癒されていく瞬間をぼくたちは見守った。

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