冬をたのしもう!
「やはり無理か」
父さんには想定内の返答だったようだ。
「騎士団の魔獣討伐では幻惑を使う魔獣と戦うこともある。遭遇することが滅多にないので、この擬態を見破れるものはそうそう居ない。だが、万が一の場合のために幻惑の対処法は確立している。いくつかあるのだが、この犬の場合は、魔力量を見れば歴然だ。明らかに無さすぎる。この足の太さならば成犬になればそこそこ大きくなるだろう。そういう犬は子犬の頃から魔力が多いものだ」
ぼくがイメージできなかったことをシロは再現できない。
「ここのうちの猫は個性的で魔力も多いが、母猫も珍しい個体だった。検死の結果を聞いたが、新種の大山猫の可能性がある。その情報がある騎士は、この猫たちが多少珍しいことをしていても、気にしない。だが、今この家は警備強化の指定区域になっており、雑木林を越えて野生動物が庭に入ってくることはない」
うっかり野生動物が保護されることなどあり得ないのか。
シロは生き物が自然に出している魔力まで再現しようとしていたが、犬がいること自体を否定されて、諦めて妖精型に変化した。
イシマールさんが動揺して三歩も後ずさった。
いきなりの変化は心臓に悪いから、改めさせないといけないな。
「ご主人様、発言をお許しください」
シロの発言にイシマールさんがさらに身を引いた。
「突然変身してしまってごめんなさい。この子は中級精霊のシロと言って、いろいろしでかした粗相の責任をとって、ぼくのお手伝いさんになる事になりました。この姿で実体化するよりは子犬の方がなじみやすいので、子犬の姿が採用になりました」
「……ジュエルから聞いてはいたが、実際に目にすると本当に驚くものだ。普通の精霊も見たことがないから、中級精霊とはこのような姿なのだな」
精霊たちが気を利かせてイシマールさんに見えるように色とりどりに点滅し始めた。
「これはすごい!口外法度になっている例のあれか」
「これがあれなんだ。おれも中級精霊は今日初めて見たぞ」
実物を見せただけで口に出して言っていない。
みんな、あれとしか言っていないから口外法度の禁は犯していないはずだ。
「それでシロは何が言いたいの?」
「はい、ご主人様。子犬が集団で保護されることがあれば、私が紛れてもおかしくないのではないかと進言いたします」
「そんなに都合よく子犬が保護されることはないだろう」
「いいえ、お城のお嬢様が愛玩動物を求めていらっしゃる情報が市中まで流れています。そのため可愛い小型魔獣の取引が盛んになっております。積雪でしまいになる最後の市で子犬がたくさん売られる予定です。領都の手前で馬車に少しだけ横転していただけたら、子犬たちが逃げ出すので紛れ込むのは可能です。あとは私が完璧に擬態できれば問題ありません」
「馬車を横転させる必要はない。ジュエルが市で子犬を買えばいいんだ。その犬は俺が貰うことにすれば、この家に子犬がいても問題ない」
イシマールさんが常識的な判断をする。
「そうしてもらえれば助かるが、イシマールが子犬を引き取っても奥さんの方は大丈夫か?」
「相談はするが、妻も犬好きだから大丈夫だ。それよりも、その精霊を犬らしくする方が大変だ。とりあえず母屋で犬らしく過ごしていてくれ。犬の姿でいるのなら、少し擬態の特訓をしてやろう」
こうしてイシマールさんにシロの擬態を指導してもらうことになった。
報酬はイシマールさんのスライムをぼくのスライムが指導してレベルアップさせることになった。
翌日はみんなで稲の収穫をした。
ハサミで少しずつ切って、束ねた稲をさかさまにして干した。
こんなに苦労して育てたけど、精米したら茶わん一杯分しかないだろう。
“……ハンブンタネモミニシテ…”
「稲は食べられるために美味しくなったんだ。半分食べて、半分種もみにするのがよかろう。美味しくなったから、人がどんどん作付けして米の子孫を増やしていくんだ」
「じゃあ、背が低くて、穂がたくさんついている稲を種もみにしようよ。この領は北部に位置しているから、田んぼに植えた時に背の低い稲の方が穂に栄養を蓄えられそうだ。半分種もみにすると、食べる分は少なくなっちゃうけど雑炊にして量を増やそうよ」
帆立の干し貝柱を水戻しにしてだしを取ろう。
美味しいものを食べればみんなが元気になる。
土鍋で炊いた雑炊は、お米は少なかったけれど、海鮮だしを効かせて卵でかさまししたので、家族全員で食べることができた。
「おいしいね」
「カイルが倒れるまで魔力を使ったお米だもん」
その話は忘れてほしい。
米を自給自足したくて魔力枯渇を起こすなんて、どれだけ食い意地が張っているんだ。
「来年は田んぼでも作ってみようか?」
マナさんの提案に父さんがのった。
水路の整備とか大変だから、重機があったらいいのにな。
イシマールさんの特訓を受けたシロは雪が積もる頃にはしっかり忠犬の態度が取れるようになっていた。擬態のコツ以外にもいろいろな指導が入ったようだ。
シロは、朝の厩舎のお掃除に行くときも、ぼくの横で歩調を合わせて歩き、魔法の使用も後片づけに使用する程度で済ませられる配慮を身に着け、誰にも疑われることのない立派な犬になった。
父さんはロータリー型の除雪機も開発して、酒造りの職人を確保した。
今度は神頼みではなく、じっくりと醸造するようだ。
急ぐと死人が出かねないことを、米作りの文官が身をもって証明したことになっていた。
みぃちゃんとみゃぁちゃんはコタツの虜になり、母さんのおなかは信じられないほど大きくなった。
生まれてくるのが春より早くなりそうで日常に緊張感が漂い始めた。
聴診器でお医者さんが確認したところ心音が複数あり、少なくとも双子なのが確定した。
あまりにもみんなが心配するので、マナさんが生まれるのは雪解け頃と断定してくれた。
精霊に頼り過ぎるのは良い事ではないけれど、やきもきが続くのは精神衛生上良くないので今回は例外だ。
ホッとしたところで、雪と言えばはしゃいでしまうのが子どもたちだ。
遊び部屋では元気のいい子どもが雪合戦をしたり、そり滑り遊びをしたりと、雪を楽しんだ。
ぼくはスノーボードを作ってもらい、母屋の庭の奥でケインと楽しんだ。
スライムがヘルメット代わりに頭に張り付いている。
イシマールさんに、ぼくたちは他の子どもより運動能力の発達がはやいので、スノーボードの存在を来年までは隠しておかないと、騎士の子どもたちがむきになって怪我人が出ると、忠告を受けたからだ。
イシマールさんは自分用のボードまで制作していたから、子どもたちに練習場を荒らされたくなかった可能性もある。
イシマールさんは、時折シロのカモフラージュ用に飼った白いハスキーのような子犬を連れてきてくれるので、シロと一緒に雪山を駆け上がっている。
もはやほとんど、本物の犬だ。
子どもたちの安全のために、スノーボードを隠しているのだが、遊び部屋の子どもたちだって体幹を鍛えてもらわないと来年になっても遊べない。
そり用の緩い坂だけに使用を限定したことで、子ども用にミニスキーを作ってもらえた。
バランス感覚だけ身に着けてもらうことにしたのだ。
滑るのは楽しいけれどミニスキーで傾斜を上るのは大変だ。
シロがストックを引っ張ってくれたので楽になったが、来年はロープリフトを作ってもらおう。
もち米をメイ伯母さんから購入していたので、遊び部屋で餅つき大会もした。
男の子も女の子も、もちろんキャロお嬢様も割烹着を着て、イシマールさんとエミリアさんがついて、できあがり寸前のお餅をついた。
最初についたお餅は、土の女神や豊穣の神、料理の神様に奉納するために教会に献上してもらった。
信心深くしていたら良い事があるかも知れないからね。
それからは、あんころ餅にきな粉餅、砂糖醤油に海苔を巻いたものをみんなで食べた。
子どもたちにはのどに詰まりやすいからゆっくり食べるように言い聞かせた。
口の周りを粉だらけにして食べるのが美味しんだ。
お餅はつきたてが一番美味しいから、大福を高級そうな小箱に入れて領主様のお土産にしたら、翌年には献上餅という名前で市販されることになった。
うちのご飯が美味しいからと、販売許可を求める人が相次いだのだ。
ぼくのうちは、もう財閥かというくらい起業する職種が増えていたので、個人的にお世話になっている騎士団に貢献することにした。
味についても食堂でいつも食べている人たちだから信頼がおける。
お買い物ごっこで使用された屋台が、怪我がもとで引退した騎士たちに払い下げられることになった。
騎士団の訓練所まで出張する移動販売車として人気を博し、いろいろな屋台車に改造されてしまった。
範囲指定の魔法で暖を取るので、猛吹雪の時以外どこにでも出店するようになった。
みんな基本的にタフな人たちだからできるんだ。
屋台は遊び部屋にも時々寄ってくれるので、ラーメンや味噌おでんを食べながら昔話を聞くことが増えた。
そこでイシマールさんから怪我がもとで引退した話を聞いた。
帝国軍の要請で出征した際に、左手の肘から先を失っていたのだ。
ぼくは、父さんと母さんが合作した義手が精巧だったので全く気がつかなかった。
イシマールさんと我が家の信頼関係が揺るがないのは、そんなところから端を発していたようだ。
ぼくはスノーボードを一緒に楽しむイシマールさんに、寒さで義手との接触部分が痛まないか聞いてみた。
「痛みはするが、毎度のことだから気にしていないよ」
お婆の病気もそうだったけど、みんな我慢強すぎる。
痛いのは何とかすべきなんだ。
ヘルメットの代わりに頭に張り付いていたスライムが言った。
“……義手との接着部分にスライムが張り付けば素材の収縮による締め付けが無くなるかもしれないよ”
ぼくには名案に思えた。失敗したってリスクがない。
「イシマールさん。義手との間にスライムを挟みましょうよ!痛みが減るかもしれません」
「「……!!」」
ケインも賛同してくれたので、ボードをサッサと片付けて母屋で検証することにした。
十分に鍛えられていたイシマールさんのスライムは、大きさも形も自在に変えられたので、義手とのつなぎ目をきれいに接着することができた。
イシマールさんとイシマールさんのスライムは精霊言語ほどではないが、お互いに無言で意思疎通ができる関係になっていた。
だから、もっといろいろできることがあるかもしれない。
魔獣カードの技を競技台なしでも出来るようにしたイシマールさんのスライムならば、義手を装着したままでも技を出せるかもしれない。
もしかしたらできるかな?くらいの軽い気持ちだったが、事故を起こすと困るので、外で試すことにした。
シロには干渉しないで黙ってみているように言い聞かせたが、危ないときは未然に防ぐように頼んだ。
区別がつくといいのだが、どうだろう。
父さんとマナさんも待機してくれるので、事故はないはずだ。
ただ、王都の騎士団の花形である飛竜部隊に所属していたイシマールさんの魔力は侮れない。
雪だるまを標的にして、スライムを義手に装着した状態で魔獣カードの技を出す検証をした。
火炎砲を一発放ったところ、雪だるまの胴体がぼふっと音を立てて弾けたと思えば一瞬で融けてしまった。少し小さめの火の玉くらいにしか見えていなかったから、あんな火力があるなんて…!
「「「「「!!!!!」」」」」
子どもたちは威力に喜んだけど、大人たちはイシマールさんが無詠唱で魔法を出してしまったことに驚いた。
これは上級魔術師でも難しいことらしい。
またしても我が家の秘密が増えてしまった。
スライムたちが、自分たちも手袋に変形したら同じことができる、と口々に思念を送ってよこしてきたので、対応はマナさんに任せることにした。
「スライムたちが手袋のように掌に張り付けばできると言っておるが、子どもたちに魔法の行使はさせたくない。ジュエルのスライムなら試してみても良いのではないか?」
父さんも乗り気で、すぐさま手袋を外すと父さんのスライムが張り付いた。
新たな雪だるまを設置すると、ぼくとケインは父さんより後ろに下がっているマナさんたちのところまで走った。
ワクワクするよね。
無詠唱の魔法使いだよ!
“……ご主人様。私がいつもやっている事です”
ぼくと一緒に走っているシロにはこの興奮が理解できないようだ。
“精霊魔法は精霊使いしかできないけれど、普通の人にも出来ることがワクワクするポイントなんだよ!”
“……ご主人様以外には興味がありません”
“家族の可能性が広がるんだ。これは良い事だろう?”
“……そうですね。ご主人様の足手まといにならなくなります”
“シロはもう少し視野を広げたらいいよ”
準備が整い、父さんが火炎砲を放った。
雪だるまの胴体が一瞬で消え去る。
イシマールさんと同じ規模の火炎砲を父さんが放つことができた。
「これは、無詠唱魔法ではない。魔法陣を介した魔法の行使だよ。この二つの違いは魔法学校で学ぶことだ。子どもたちは魔法学校に進学して正式に魔術を学ぶまでは禁止とする」
生活魔術具や、玩具で遊ぶのとは違う。
これらは、他人を攻撃できる技だ。
「「はい!!」」
「危険なことを、中途半端な知識で使ってはいけないよ」
「「わかりました」」
ぼくたちは元気よく返事をした。
「スライムとは魔獣カードの競技台でしか技を出して遊びません」
「遊びません」
ぼくは、友だちだと思っているぼくのスライムを武器のように使うのは嫌だな。
“……あたいはカイルの事をご主人様だと思っているの。ご主人様のためなら戦えるわ。”
ぼくは戦う場面に遭遇したくないな。
おまけ ~退役騎士の呟き~
左手を失っただけで済んだ俺は幸運だったかもしれない。
同じ戦地へ赴いた同僚のほとんどは、故郷の土を踏むことができなかった。
辛い戦いだった。
敵は自分たちの国を護るため死に物狂いで、俺たちを一人でも多く殺そうとしてくる。
立場が逆なら俺だってそうなる。
俺たちは帝国の使い捨ての駒にすぎない。
なんとか戦線を死守して、生きのこる事しか考えられなかった。
敵の罠に部隊ごと引っかかった時には、自分だけが生きのこることを考えていたわけではない。
俺より長生きするはずの飛竜をかばって、砂漠に落下したから、偶然生きのこったのだ。
あんなに悲惨な戦地だったのに、紛争の終結は相手国の国内でのクーデターで終了した。
俺が砂漠に落下している最中に、停戦の一報が入ったのだ。
風魔法で落下速度を下げたのは俺ではなく、敵の誰かだったのだ。
妻は生きて帰って来れただけで良かったと、涙してくれた。
退役後、ろくな仕事もないのに、田舎に帰りたくなった。
騎士団の雑用でも回してもらうつもりでいたのだが、処分寸前の馬の面倒をみる仕事がもらえた。
人生捨てたもんじゃない。
拾ってくれる人もいるのだ。
ジュエルの家族は秀才ばかりだ。
ジュエル一家が作った高性能の義手は指先まで自然に動き、不自由しなくなった。
スライムを手に入れて躾けていると心が和んだ。
子どもたちも動物たちも可愛いから、つい雑用をどんどん引き受けてしまった。
酒造りで何日も家を空けた時は妻もあきれていたが、子犬を引き取ったことは喜んだ。
冬場は義手の付け根が痛むのが当たり前のことだ。
けれど、カイルはスライムを緩衝材にしようというのだ!
スライムと心を通わせていた俺には、スライムが緩衝材になる事に抵抗感もなく、実際に装着すると、義手が自分の手のような感覚まで戻ってきた。
火炎砲は、俺の魔力をスライムが使用しているので、威力が上がった。
このことを秘密にすることをジュエルも賛成してくれた。
俺はもう魔獣を、戦友を、ただむなしく失うような戦いには連れて行かない。




