邪な心根
『変化が必要だから異世界の魂が混ぜられたのだから、平穏な状況ではないのは当たり前だろう。邪神の欠片を通常の魔法陣で制御できるわけがないのに、何とかしたということは、異世界の知識を駆使したのか?まったく、どうして世界を破壊側に知恵を貸すんだか』
大きな溜息をついたワイルド上級精霊を皇帝は恨めしそうに見た。
『異世界の知識を使ったかどうかは正直思い出せません。……絶縁体?とか考えていた気はしますが、思い出すのは、恨みつらみばかりで詳細を思い出せません』
『お前に期待していないから放置していたら、中央大陸の皇帝になって、南進を始めて南側の世界の果てを危うくし、帝国全土の魔力を枯渇させる馬鹿なことをしでかす。挙句の果てに北を護るガンガイル王国の王家に干渉するなんて、この世界が終末を迎えたらお前のせいだぞ!』
ワイルド上級精霊は事実を羅列して皇帝の自尊心を木っ端みじんにすると、再び大きなため息をついた。
『ああ、まったくもって、そうくるのか!まあいい。……もう一人、大戦犯がいるから、そっちとよくよく話し合って、邪神の欠片の魔術具の数を教会関係者に把握させろ。私は付き合いきれない』
ワイルド上級精霊が皇帝の前から消えると、教皇を連れた月白さんが真っ白な亜空間に現れた。
『あれ?ワイルドの奴逃げやがったな!ああ、あんたの転生前のすべての人生の顛末は見ていたよ!ガハハハハ。なんなの、あんた!愛に一途なのは好きなタイプだけど、親友を裏切るのはいかんだろう!』
月白さんは爆笑しながら皇帝の背中をバンバン叩いた。
『やりすぎです。上級精霊様』
軽口どころか皇帝を叩いた月白さんを教皇が止めると、上級精霊様!と皇帝は仰け反った。
『あんたの知っている時代はよくいただろうに。まあ、それでも上級精霊が人間に姿を見せることなんか稀だったけどな』
『そんな時代に生きていた記憶があるなんて羨ましい限りですよ』
教皇は月白さんにキャロお嬢様たちと皇帝に面会を見せてもらっていたかのように、転生初期の皇帝が見た精霊たちが日常的に出現していた時代に思いを馳せてしみじみと言った。
『教会内の秘密組織について指摘されるまで気付かなかった私も大戦犯なのは百も承知ですが、陛下の前世について、いくつかお尋ねしたいのです』
何の説明もしていないのにいきなり核心をついた教皇に皇帝は眉を顰めた後、月白さんを見て頷いた。
『そうですね。あの組織に全く関係ない猊下が教皇になられているというのも、精霊の干渉なのですかね。ああ、あの時代の教皇猊下も組織に関係のないお方だった』
『創造神に反する思考の持ち主を教会の長にすることを、神々がお許しになるはずがなかろう。そんなだから、ワイルドにマヌケ呼ばわりされるんだ』
「私の亜空間内での話は月白にはわからないはずなのに、適当なことを言うなぁ。まあ、あっちは月白に任せておいて何とかなるだろう。元々は月白の管轄で起こったことだ」
四畳半のカプセル型の亜空間にいつのまにかぼくの隣にワイルド上級精霊が座っていた。
「そうですね。現世の皇帝が荒らした土地も土壌改良の魔術具の効果がある期間は世界の理に繋がっていますから、もう、問題の大本は教会の秘密組織の残党だけになりましたね」
「ああ、カイルはよくやった。初めてカイルを亜空間に招待した時は、こんなことになるとは私も予測していなかったよ。あの時はこの世界は緩やかに崩壊していくのも神々のお考えなのだと諦めていた」
朗らかに笑うワイルド上級精霊は、初めて会った時から超然とした朗らかな印象であまり変わりがない。
「あの時は、私も世界の終末はカイルの死後ずっと後だと踏んでいた。カイルが救世主だと見越して、介入したわけではなく、カイルの存在が面白かったからだよ。前世の知識と魔法を組み合わせるには幼すぎたのに、家族を巻き込んで楽しく魔法を生活に活かしていた。ああいった魔法の使い方は、もう久しく見ていなかったからね」
古代では一般庶民が日常的に魔法を行使していたのかな?
「ああ、そうだよ。精霊たちもお気に入りの人間を手伝うことはままあった。だが、精霊使い狩りがはびこると、親しくしていた人間が処刑されてしまったことに精霊たちも警戒して人間に接触しなくなった。カイルは、誘拐されて黄昏れ時の原野に人間の子どもがいるあり得ない状況で、ユナのお気に入りの精霊がそばについていた。精霊たちにはその状況が既に面白くて、原野に漂う精霊たちが精霊たちの待避所である光る苔の洞窟に案内した。そこでさらに多くの精霊たちに気に入られたんだ」
光る苔の洞窟で、たくさんの精霊たちに助けてもらったな。
「あの時の大人たちの対応も良かった。下手に騒ぎ立てることもなく、子どもたちの無事な帰還を精霊神に感謝する魔力奉納を行なったことで、精霊神誕生の地は精霊に優しい、と精霊たちの間で噂になり、辺境伯領を目指す精霊が増えた。私がカイルに注目したのもこの辺りからだった」
あれは作法も何もわからない子どもたちが辺境伯領主エドモンドと面会することに慌てて、庭で精霊神の祠にお礼参りをすることにして、庭で無礼講の謁見に持ち込んだだけだった。
偶々そうなっただけなのに、信心深い行いになってしまったんだ。
「偶々であれ、お礼参り、という発想が出る時点で、信心深いんだよ」
ああ、そうかもしれない。
ジュエル父さんと教会で養子の手続きをして、初めて実家に向かう道すがら、父さんは光と闇の神の祠にぼくの実の両親と関係者たちの冥福を祈って魔力奉納をしていた。
うちは元々、日常的に神に感謝する時は祠で魔力奉納をしていたんだろう。
「ああ、いい家族に引き取られた。だがな、カイルがあの家族に惜しみなく協力したから、あんなマヌケが最高権力を持ち邪神の欠片の魔術具の使役者を行使し始めた時点で加速していた世界の崩壊をここまで収束することができたんだ」
ワイルド上級精霊がぼくの真横で微笑むと、ぼくのスライムほどではないが、あまりの美形さに眼福にすぎて嬉しくなった。
「ハハハハハ。カイルを褒めたら、カイルは私を褒めるのか。カイルは功を独占しないし、喜びを分かち合おうとする。その発想が、皇帝に欠けていたところなんだろうな」
「美味しいものは一人で食べるよりみんなで食べた方が断然美味しいし、嬉しいことをみんなで共感する方が喜びは倍増するものです」
「ああ、そうだな。皇帝は知識を独占しすぎていた。異世界の知識を魔法に応用するにしても、公表することなく、自分の利益のためだけに使った。カイルは家族に相談することで、ジュエルやジーンの知識も活用し、より面白いものが出来上がった。新しい魔術具は公開して人々の暮らしをよくし、ガンガイル王国は帝国に物言えるほどの国力をつけた。国土だけ広げた帝国とは対照的だ」
「でも、皇帝が知識を独占する性格だったから、上級魔導士だった前世の皇帝の死後、邪神の欠片の魔術具の開発が滞った利点もありますよね」
ぼくの突っ込みに、フフっと上級精霊が笑った。
「ああ、だが、同時に成功例があるからこそ、無茶な研究をする上級魔導士が出てきたことも否めない」
アドニスに邪神の欠片を移植して魔術具の代わりにアドニス自身に制御させようとしたゾーイのようないかれた上級魔導士を生み出してしまったのか。
「大聖堂島の邪神の欠片も消滅し、新たに浮いてくる邪神の欠片抑制できる状態になった。後は人間が持ちだしている邪神の欠片の魔術具だけだ、と言いたいところだが、アリオの行方がわからないことが気にかかる」
ワイルド上級精霊は、教皇が皇帝から前世に製作途中の魔術具について詳細を聞き出している画面を見遣ってから、ディミトリーの画面に視線を移して言った。
「アリオは逃走中にどこかに隠していた邪神の欠片の魔術具を携帯した、ということでしょうか?」
「それもあり得るが、別の可能性もある」
ワイルド上級精霊は狭い空間で膝を曲げて座っていたが、片膝をついてぼくの方に身を乗り出した。
「邪神の存在を認めない立場にある精霊としてはあまり口にしたくないことだが、邪な存在というものは世界から消えることはない」
重たい口調で話し出した真剣な表情のワイルド上級精霊を見て、ぼくだけがこの亜空間に呼び出されたのは、この話をするためだったのだろうと気付いた。
「うん。そうだ。邪神がなぜ創造神に滅ぼされたかと言えば、自分こそ七大神の長たるものだという行き過ぎた傲慢で邪な感情に取りつかれたから、といえるが、私が判断することではない。……ただ、邪な感情というものはどんな生物からも消えることはないし、そこから良き力も働くこともある」
「悔しいという気持ちから努力して成功することもそうですね」
「ああ、昆虫をおびき寄せるために特殊に進化した植物もある。騙すことだって悪いことばかりでない。世界はそのようにできているのだから、邪なものを排除することはできないのだ」
創造神が邪神を滅ぼしても、この世界から邪な感情が消えてしまわないから、新たな邪神のようなものが生まれてくるのかもしれないのか!?
「あり得ないとは言えないが、今の神々から邪神のようなものになることは千年単位で考えない限りないと言って過言はないだろう。私が心配しているのは今地上にある邪なものが、アリオの逃亡を手助けしているのではないか、ということなんだ」
アリオを必死に探すディミトリーの画像を見た上級精霊につられてぼくも画面を見ると、ディミトリーは時折、メモを取っているということは何らかの手がかりがあるのだろう。
「邪神の欠片を携帯していると何らかの結果を残すまで太陽柱に映像がないのですよね」
「ああ、過去の映像の中に痕跡のような映像があるだけだ。因果関係がわかってからでないと見つけるのは難しく、ディミトリーが探しているのは現在と未来のアリオの映像だ。時折アリオの姿が現れるから、奴はまだ邪神の欠片の魔術具を携帯しない状態で逃走中だということだ」
「まだ、全裸なのですか?」
「いや、始めは葉っぱで前を隠していたが、どこかの村で衣服を奪ったようで農民の格好で逃走している」
「辺境伯領騎士団では、アリオが逃走した当日は鎮魂の儀式の影響で死霊系魔獣に取り込まれていないだろうと踏んでいますが、いくら死霊系魔獣の力が弱まったとはいえ、町の結界のないところで夜を越えられるとはかんがえられませんから、農村に潜んでいるのでしょうか?」
「農村部にも教会関係者と騎士団が巡回しているので、侵入しても長居できないのだろう。コソ泥に入ってすぐ逃走したことしか確認できない」
しぶとく逃走を続けるアリオに眉間の皺を深くした上級精霊は小さく溜息をついた。
「考えたくはないのだが、邪神の欠片に関わり過ぎていたアリオは邪なものと親和性が高いのかもしれない。邪な思考の塊の皇帝は、アメリアがそばにいることで抑えられていたが、アリオには抑えになるような人物がそばにいなかった」
そうか!ゾーイにはディミトリーやアドニスのような抑え込める人物がそばにいたのにアリオにはいない。
いや、それだとサントスも誰かいたことになる。
「カイルは他人の思考を遮っているからわからないこともあるんだよ。サントスの邪さは邪神の求める邪な心根と方向性が違ったのか、そこまで影響を受けていない」
邪な心根の方向性?
「そこのところは子どもが深く考えることじゃない」
確かに、邪な感情なんて追及しない方がいいだろう。
「懸念すべきことは、アリオが前世の皇帝のように邪な感情に支配されて、とんでもないことをしかねない、ということなのですね」
「ああ、そうなんだ。土地に付属する死霊系魔獣に親和性が高いから太陽柱から姿を消している、となると、居場所を特定するのは困難なんだ」
険しい表情したワイルド上級精霊は、教皇と皇帝の話し合いに茶々を入れる月白さんを見て苦笑した。
「ああ、残っている邪神の欠片の魔術具をアリオが取りに来ることがあれば、奴を捕らえることができるかもしれないな。そっちの所在地を確認することを優先させよう」
皇帝の聴取内容が気に食わなかったのか月白さんは、テーブルをバシバシ叩いて皇帝の肩をびくつかせながら詳細を聞き出している。
「適材適所ということで月白さんに任せたのですか?」
「いや、あの辛気臭い皇帝が嫌いだから、月白に押し付けた」
結果さえ知れたらそれでいいろう、と言うワイルド上級精霊の言葉にぼくは頷いて画面越しに皇帝からの情報を精査することにした。




